home > 通信 >『アセンション館通信』(第552号):誕生し、再誕生するものは



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/11/9(第552号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在877名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.誕生し、再誕生するものは

2.ラングフォードの言葉:【第十章 永遠法(2)】

3.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.誕生し、再誕生するものは
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

こうして長年お喋りをつづけていたら、お喋りが「真実」とはまっ
たく関係がないことが、はっきりしてしまいました。^^;

お喋りは単に「真実」を覆い隠す包装紙にすぎません。

「真実」を顕すものではありません。

だいたい「真実」を顕すということはありえない。

顕れないのが「真実」だから。(*^_^*)

あらゆる価値観や判断は観念のなかにあります。

観念とは“見かけ”(「真実」を覆い隠す包装紙)に対する一定の
観点からの解釈でしょう。

ところが、観点もまた“見かけ”の一部であって、何も独自の根拠
を持たないのだから、解釈にもまた何の根拠もありません。

すべての解釈は、(「真実」を覆い隠す)包装紙の模様の間に生じ
た相互批評のようなものでしょう。

包装紙の模様自体がシャボン玉の模様のように流動しているから、
いつそれが逆転しないものでもない。

というか自動過程です。

ただ起こっている。

そんなことが自明になってしまったのなら、ただ静かになればいい
のですが……。

バカは死ななきゃわからないし、そのバカも存在しない。

ただ、お喋りがまだつづいています。

というわけで、いまだにこんなお喋りをつづけています。

だんだん支離滅裂になっていくようです。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

マハラジにこんな言葉があります。

------------------------------------
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに
 依存するということは明らかだ。
 あなたの手段を改善しなさい。
 そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
 
 『私は在る』(p330) 
------------------------------------

> あなたはマインドを超えている。
> だが、あなたはマインドで知るのだ。

とても納得できる言葉です。

> 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに
> 依存するということは明らかだ。

なるほど。

> あなたの手段を改善しなさい。
> そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。

そりゃそうだ、と思います。

では、それにはどうすればいいのか?

つづいて、マハラジはこう言います。

------------------------------------
 あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
 ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしか
 るべく起こるだろう。
 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなか
 に変化を与えるのだ。
 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚
 め、あなたの努力なしに奇跡をもたらすのだ。
 
 『私は在る』(p330)
------------------------------------

> あなたに必要なのは、静かなマインドだ。

まったく、疑問の余地もない。(-_-;)

(*-_-*)

絶句です……。

何の問題もなく、真実(沈黙)だけがあるところに、「私は在る」
が立ち上がります。

その「私は在る」は、さまざまな事象や観念に自己同化して、そこ
から“見かけ”に対するパターン認識能力を発揮する。

そしてさまざまな解釈を展開しながら、疑問を深めていく。

そしていつか、たとえば、このpariパターンの場合は、

     <何故にすべては始まってしまったのか?>

などという疑問を紡ぎだします。

そしてその疑問に答えてくれそうな賢人たちの言葉を、やたらとか
き集めます。

そしてついに、抱えた疑問に対するこんな問答に出会うのです。

------------------------------------
 質問者 ……私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを
     強要していないことは知っています。それでも、満たさ
     れなかった欲望の圧力は圧倒的で、私には抵抗できそう
     にないかもしれません。
 
 マハラジ
 抵抗という問題は起こらない。
 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
 それを起こらせるがいい。
 それが起こるのを見なさい。
 
 質問者 では、なぜそれに関心をもつのでしょうか?
 
 マハラジ
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
 あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注
 意のレベル以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだ
 ろうか?
 
 『私は在る』(p488)
------------------------------------

> 質問者 ……私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを
>     強要していないことは知っています。それでも、満たさ
>     れなかった欲望の圧力は圧倒的で、私には抵抗できそう
>     にないかもしれません。

これは、いかにも自分が言い出しそうな疑問でした。

ところが、それに対するマハラジの解答は、すぐにはその意味が、
わかりませんでした。

> マハラジ
> 抵抗という問題は起こらない。
> 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
> それを起こらせるがいい。
> それが起こるのを見なさい。

いったい、この言葉は問に答えているだろうか、と思いました。

これは単なる同義反復にすぎないではないか、と。

ところが、実際には、この言葉はわたしの問に答えていました。

> 抵抗という問題は起こらない。
> 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。

ここで、マハラジは事実を語っています。

【誕生し、再誕生するものは、あなたではない】

この言葉をわたしというマインドは、自分の理解を誇示し、自慢す
る意味合いでは、喜んで承認するでしょう。

【誕生し、再誕生するものは、あなたではない】

もちろんです。

それぐらい、わかってますよ、と。

ところが、

> それを起こらせるがいい。
> それが起こるのを見なさい。

と言われた途端に、「それはないでしょう」と言いたい。

わたしは勝手に自分の想定位置を動かして、自分の問いがあたかも
すっぽかされたように感じたい、というわけです。

つまり、わたしというマインドは、

【誕生し、再誕生するものは、あなたではない】

くらいはわかっていると言いたい(自慢したい、自惚れたい)。

でも、その直後に、じつはわかっていないことを主張したがってい
るというわけです。(^_-)

マインドというものは、そうやって、いつも自在に、論理のなかで
“自分”のポジションを勝手に移動させているのです。

> 質問者 では、なぜそれに関心をもつのでしょうか?

ここでの質問者の問いも、

【誕生し、再誕生するものは、あなたではない】

という言葉を、実際には理解していないことを示しています。

もちろん、pariパターンと同じように、単なる知的な理解として、
言葉の意味は理解しているでしょうが。

この質問者の無自覚な問に対して、マハラジは、じつに懇切丁寧な
説明を展開します。

> マハラジ
> 関心をもっているのはあなたなのだ!

この「あなた」とは、誰なのか。(-_-;)

誰が、何を信じているがゆえの「あなた」なのか。

> そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
> あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。

ここで説明されたのは、pariパターンのようなタイプのマインドに
対する決定的重要性を秘めた、いわば“秘鍵”です。

【そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
 あなたはそれに関心をもちつづけるだろう】

ここで使われている「あなた」は、純粋な鏡である「実在」と現象
への執着を秘めた「マインド」との間で、微妙に搖動しています。

それが、

「あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ」

という言葉が指し示している内実なのでしょう。

> 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。

はい。(-_-)

> だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注
> 意のレベル以下の努力を要しないものとなる。

【ひとたびそれが満たされれば】とは、誰がそれを認知するのか?

その「誰か」は自前で存在している当人なのか?

それとも、気づきの前に現れる一瞬の気分なのか?

自分が誰であるかは、自分が同定しなければならない。(-_-)

その責任を自ら担わず、その責任を転嫁しながら、マインドを超え
た自分を知ることはできない。

そして、一旦その責任を担ったら……、

> 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。

そうか……。

> あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。

なるほど。

> 身体なしには殺されない。
> 所有物なしには奪われない。
> マインドなしには騙(だま)されない。

はい。

> そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。

そういうことか。

> 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだ
> ろうか?

そうか……。

本当は、そういうことなんだな。(*-_-*)

(-||-)

> ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしか
> るべく起こるだろう。

そうか。

マインドもわたし、気づきもわたし。

色即是空  空即是色

やっと、つぎの言葉の意味が見えはじめました。

------------------------------------
 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
 ているのだ。
 
 『私は在る』(p545)
------------------------------------

> 何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
> ているのだ。

そういう意味だったのか。(*-_-*)

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.ラングフォードの言葉:【第十章 永遠法(2)】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

今回は「永遠法」の実習指示の後半です。

------------------------------------
(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p109-113)
------------------------------------

今回は、ここまでです。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

すべてはあるがままだそうです。

ならば、自分が存在するという幻想もあるがままでしょう。

努力しなければという幻想もその自分幻想の一部分でしょう。

言葉を弄(もてあそ)んでできることなど何もありません。

実在しないわたしは、自分の存在を幻想して、苦しむことしかでき
ません。

いや、その幻想もまた、ただ起こっているだけ。

今日はすっかり昏くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセ通』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と
『melma』 http://www.melma.com/ を利用して発行しています。
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2014 paritosho
↑コピーレフトの概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
------------------------------------------------------------