━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/11/16(第553号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
無限定で在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。
個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、無限定の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在879名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.不変の要因
2.ラングフォードの言葉:【第十一章 無限空間法(1/2)】
3.編集後記
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■ 1.不変の要因
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この季節はすばらしい晴天がつづきます。
ここらあたりでは、これから一、二週間が紅葉の真っ盛りですね。
太陽は見つめられないほどの輝きを放っている。
外に出れば、風は強いけれど日差しの中にいれば温かい。
そういう季節ですね。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
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何であれあなたが見ているものは、つねにあなた自身の存在を見
ているのだ。
『私は在る』(p545)
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このマハラジの言葉が、本当にそうなんだなと感じられてきます。
たった今の体験として、この眼前の光景が起こっています。
そしてその光景を目の前にしながら、記憶を参照しながらわたしと
いう今の体験(というか物語)が起こっています。
起こっているのはそれだけです。
身体に自己同化した夢のなかでは、ひとつの肉体精神機構として、
わたしはこの眼前の光景を含む大宇宙に組み込まれています。
その意味では、この状況から逃れようはありません。
寝ているときに見る通常の夢のなかの光景が、自分の意識の創造物
であることは直感的に分かります。
寝ているときに見る夢から醒めると、夢のなかの光景はすべて実在
していなかったことも自明です。
その夢がどのように創造されたかや、その夢を創造した者が誰か、
というようなことはわかりません。
しかし、その夢の内容の“元種”がこの自分の記憶であることは、
はっきりわかります。
だから、自分は夢を見ていた、ということに疑問はありません。
覚者たちは、われわれが起きている状態で体験する日常の現実を、
夢を見ている、と表現します。
この日常の現実に関しても、以下のことは明らかです。
ボブさんふうの表現で言うなら、心臓の鼓動すら制御したこともな
いエゴとしての自分が、この身体の主人でないのは明らかです。
自分の思考をわずか数分も停止できないエゴとしての自分が、この
想念の主人でないのも明らかでしょう。
自分の意志を知る0.5秒前に、脳の合議過程が決定をくだしている
のなら、わたしがこの思考過程の主人でないのも明らかです。
すべてはただこの肉体精神機構を巡って自然に起こっている。
なので、この現象のなかに「わたし」という実体が存在しないのは
明らかだ、と理解することはできます。
身体過程も精神過程も、ただ起こっているだけです。
そして、そのただ起こっているだけの精神身体過程に、「わたし」
という誤解の発生も組み込まれてているわけです。
起こるべくして起こっているという意味では、ラメッシ・バルセカ
ールの「聖なる催眠」という比喩はとても妥当だと思われます。
が同時に「聖なる催眠」という言葉遣いは、催眠をかける誰かが、
また催眠をかけられる誰かがいるかような印象も与えます。
たとえば、神がわれわれ人間に“催眠”をかけたと。
が、ラメッシ・バルセカールが何度も念を押すように、彼の用語法
では存在するのは「意識」だけです。
なので、神も人間も、むろん、意識のなかにしかいない。
つまり、神も人間も、観念としてしか、いわば一種の比喩としてし
か存在しないわけです。
ラメッシ・バルセカールの用語法では、実在するのは「意識」だけ
ですから。
ラメッシ・バルセカールの「意識」は、「気づき・現象」の両方を
包含しています。
すべては「意識」に包含され、「気づき」と「現象」というラベル
上の二元性はありません。
ラメッシ・バルセカールの「意識」は、セイラー・ボブ・アダムソ
ンの「知性エネルギー」に当たるでしょうか。
ニサルガダッタの用語法では、「意識」は“内容物”を指すので、
「実在」や「真我」を表わす「気づき」とは区別されます。
また「気づき」という言葉の代わりに、(“内容物”を排除した)
「純粋な意識」という用語が使われることもあります。
つまり、「気づき(純粋な意識)」と「意識(現象)」という、ラ
ベル上の二元性があることになります。
この「気づき」と「意識(現象)」というラベル上の二元性は、
気づき 意識(現象)
光線 ほこりの微小片
不動(背景) 変化
非顕現 顕現
未知 既知
などと言った用語で語られることもあります。
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光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
してとどまるのだ。
『私は在る』(p85)
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あるいは、
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すべての出現と消滅は、何か変わることのない背景に対する変化
を前提としている。(p23)
『私は在る』(p85)
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といったふうに。
これらのマハラジの比喩や論理はとても明瞭なので、理解しようと
して理解できないということはまずありえないでしょう。
かくてニサルガダッタは、「知覚できるもの」は「自己」ではない
という識別手段を、方便として徹底的に強調します。
たとえば、こんな具合です。
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あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえ
ず、何であれ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとた
び理解したなら、より深い自己実現への唯一の方法として、すべ
ての自己同一化を断ち切ることだろう。
否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットの
ように進歩するのだ。
あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもそ
の両方に気づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。
『私は在る』(p537)
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知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではない。
なぜなら、あなたがそれに気づいているのだから……。
この論法も、理解しようとして理解できないことではない。
しかもこれはとても鋭利な識別手段なので、よく考えてみればすべ
ての現象が自分ではないことがだんだん自明になってきます。
「知られるもの」は「知る者」ではないと自明になったら、今度は
「知られるもの」と「知る者」は観念にすぎないと教えます。
「知られるもの」も「知る者」も、現象のなかの身体や対象物とい
った知覚対象から想像された概念にすぎない。
確かなのは、「知ること」があるということだけだと。
知られるもの ← <知ること> ← 知る者
知覚対象 ← <知覚すること> ← 知覚する者
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知られるもの、知ること、知る者という三位のなかでは、知るこ
とだけが事実だ。
「私」と「これ」は疑わしいものだ。
誰が知ろう?
何が知られるというのだろう?
知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もな
いのだ。
『私は在る』(p422)
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現象世界での類推から想像された「知られるもの」「知る者」とい
う観念を除けば、実在するのは「知ること」だけだと。
知られるもの ← <知ること> ← 知る者
これは、
客観 ← <知ること> ← 主観
としても同じことです。
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主観も客観もともに変化し、はかないものなのだ。
それらには何の実在性もない。
無常なるもののなかに永遠なるものを見いだしなさい。
それはあらゆる体験のなかにある、ひとつの不変の要因だ。
『私は在る』(p142)
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……。(-_-)
かくて、これまで信じられてきた
知られるもの ← <知ること> ← 知る者
という図式の両端が消えて……、中央の
…… <知ること> ……
だけが、不変の要因として残ることになります。
それ以外は、すべて想像され抽象された概念でしかなかった。
つまり、意識のなかで捏造されたものにすぎませんでした。
その捏造(創造)に加担して夢中になれば、いろいろな物語の世界
が展開します。
と同時に、自分はありもしなかったさまざまな意識の構築物のなか
に囚えられ拘束されて、苦楽の海で翻弄されることになる。
すべては、ただの想像でした。
このことを、夢を見ていると言ったのでしょう。
夢を見ることを拒否すれば、自分はただ見守る気づきとして存在し
ているだけ……。
すると。
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マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自
身を発見する。
あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守
る人の背後にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
その源のみが存在するのだ。
その源に帰りなさい。
そしてそこに永続的に在りなさい。
それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
神は偉大で素晴らしきすべてだ。
私は無だ。
何ももたず、何もできない。
だが、すべては私から立ち現れる。
その源が私だ。
その根底と源泉が私なのだ。
『私は在る』(p206-207)
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……。(-_-)
マインドが出しゃばる余地はなさそうです。(*-_-*)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 2.ラングフォードの言葉:【第十一章 無限空間法(1/2)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
今回は「第十一章 無限空間法」の前半です。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p114-116)
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今回は、ここまでです。
次回は「第十一章 無限空間法」の後半です。
少しずつ、ご紹介していきます。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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わたしはこれまでの一生、ただ生きなくてもよくなることだけを
目的に生きてきたようです。
でも、わたしは生命そのものなので、それは無理らしいと理解し
はじめました。(^^;)
つまり、気づきであることから逃げる方法はないらしい。
自分の生きる方針(戦略)がすべて誤りだったとわかった今となっ
て、はたして何ができるのか? (-_-;)
はは。(*^_^*)
できることなど何もあるわけがないのです。^^;
最初の最初から。
これもまた神の隠れんぼ。
神がそのようにわたしを生きているだけ。
そして神にそのように生きられたわたしが、自分が生きているとい
う誤解のもとに、心配しつづけいるただけ。
「神」も「わたし」もただの観念にすぎません。
そんな無用な重荷を担うことが、ついにバカらしくなったら、わた
しはその無用な重荷を降ろすでしょう。
でも、それをできる誰かがいるわけではない。
自然現象だと思います。
それが起こるまでは、この誤解を担いつづけなくてはならない。
そして自分が頑張って生きているつもりで頑張るしかない。(^^;)
すべてはあるがまま。
今日もすっかり昏くなりました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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