home > 通信 >『アセンション館通信』(第554号):苦痛と快楽の劇を愛している



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/11/23(第554号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
ただ在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、非顕現の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在877名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.苦痛と快楽の劇を愛している

2.ラングフォードの言葉:【第十一章 無限空間法(2/2)】

3.編集後記
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■ 1.苦痛と快楽の劇を愛している
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庭のモミジは今が紅葉の真っ盛りです。

この季節はすばらしい晴天がつづきますね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

自分が何なのかということは、これだけ長いこと理屈を捏ねつづけ
ていれば、もうマインドにもわかっています。(^_-)

わかりやすくて、イメージが明確な普通の言葉を使えば、自分とは
空間のことです。

空間が生きており、空間が知覚しており、空間が存在感覚を持って
いるのです。

というか、空間が存在感覚そのものです

空間が、自分が存在することを知っている非顕現です。

空間が永遠不滅の生命です。

もちろん、空間は、時間を内包する概念です。

だから、現象を前提にしている言葉なので、実在そのもの指し示す
言葉ではないかもしれません。

でも、言葉はいずれにせよ、概念であり、観念なのだから、どんな
言葉も、実在そのもの指し示すことなどできません。

そういう言葉のなかでは、「空間」はいい言葉だと思います。

空間(非顕現)のなかに現象(顕現)が現れています。


色即是空 (現象はそのまま空間だ)
     
空即是色 (空間はそのまま現象だ)
     
色不異空 (現象は空間と違わない)
     
空不異色 (空間は現象と違わない)


というわけです。

言うまでもなく、これは単なる知的理解です。

マインドのなかのシンボルです。

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 マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自
 身を発見する。
 あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守
 る人の背後にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
 その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
 その源のみが存在するのだ。
 その源に帰りなさい。
 
 『私は在る』(p206-207) 
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という直接体験に裏づけられた言葉ではありません。

でも、自分とは空間だという観念は、それなりの影響を及ぼします。

実際は、それが事実だろうという感じがあるからです。

その感じは、“目乞食”のわたしなどの場合、文字情報として現れ
た“本当の自分”などという言葉で励起したります。(^^;)

(自分が使う場合は起動しなかったりして。(^_-))

まあ、人間は、この「自分」という言葉で、勝手に傷ついているん
でしょうね。

「自分」という言葉が使われるとき、「比較」を内包した「物語」
が立ち上がり、人間は勝手に傷つきます。

人間の苦しみの原因は、すべてマインドのなかの虚構の物語です。

でも、人間は苦しみの原因となるその虚構の物語が好きです。

対比のなかで比較して苦しむのが好きなんでしょう。

苦しみが好きなこの当体を「ペインボディ」と言うのでしょうか。

蓼食う虫も好き好き、好きなモノは仕方がない。

それだけのことなんでしょうね。(^_-)

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 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 
 『私は在る』(p436)
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> 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。

ニサルガダッタの言葉がこれほど真実と感じられようとは、以前は
予期しませんでした。

本当に、苦痛を与えるだけの物語に執着するんですよね。

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 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要として
 いる。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の
 平和と沈黙を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
 
 『私は在る』(p434)
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> 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。

疑問の余地なく、われわれは苦痛と快楽の劇を愛しています。

> 私たちは対比によって魅せられているのだ。

はい。

> このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要として
> いる。

そういうことですねぇ。

> しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の
> 平和と沈黙を切望するのだ。

そうかぁ。(-_-)

> 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
> あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。

なるほど。

……。

「自分」という言葉には、個別性のニュアンスと、この存在感覚を
意味するニュアンスの両方があります。

だから、「自分」という言葉が使われると、その両方のニュアンス
が微妙に混在して、当人を混乱させる。

そしてたいていは、苦しむためのニュアンスが選択されるのです。

“本当の自分”などという言葉が使われた場合、それはたいてい、
定義や特徴を担い、願いや使命を持っていたりします。

いわゆるスピリチュアル情報などはその典型かもしれません。

ほぼあらゆる情報空間で、“本当の自分”は何らかの定義や特徴を
担っているものです。

精神世界用語のこの“本当の自分”は、どこかスポーツ選手がよく
使う“自分自身”という用語法と似ています。

でも、事実は、誰の「自分」も同じものです。

定義を担う現象を知覚する者だけが「自分」でありうるのですから。

現象(顕現)の背景にある空間(非顕現)だけが「自分」です。

それしか「自分」ではありえない。

でも知的にそう理解しているだけでは、定義や履歴を担った個別性
への自動的自己同化の癖は、すぐには消えないものです。

でも、それと同時に、定義や履歴に完璧にもハマれません。

だから埴谷雄高さんは「自同律の不快」を語ったのでしょう。

“誰か”の意見を否定して、“自分”の意見を主張することに、何
かが違和感を感じている。

“誰か”の意見も、“自分”の意見も、対比を成り立たせるための
単なる騒音にすぎないことが自明なのですから。

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 欲望をもち、恐れ、苦しむのはあなたではなく、環境と影響によ
 ってあなたの身体に築かれた個人なのだ。
 あなたは個人ではない。
 これがあなたのマインドのなかで明確に確立されるべき、けっし
 て見失ってはならないものだ。
 通常は、長い期間のサーダナ(修練)、何年もの苦行と瞑想が必
 要なのだ。
 
 『私は在る』(p442)
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> 欲望をもち、恐れ、苦しむのはあなたではなく、環境と影響によ
> ってあなたの身体に築かれた個人なのだ。

わたしという個人を表現するための“埃の微小片”は、実在の光に
照らしだされなければ現象することはできません。

わたしが注目しないかぎり、わたしという個人は自前で顕現するこ
とはできません。

そこまではよくわかります。

では、【欲望をもち、恐れ、苦しむ】のは、誰なんでしょう?

わたしという個人を表現するための“埃の微小片”でしょうか?

それとも実在の光でしょうか?

“埃の微小片”は死物です。

“埃の微小片”に知覚する能力はない。

では、実在の光でしょうか?

いや、実在の光は自ずから輝くだけで、迷ったりはしない。

欲望したり、迷ったりしたら、実在の光ではありえないでしょう。

ならば、その“埃の微小片”に自己同化した実在の光なのか?

それとも、実在の光に照らしだされて自前で存在していると誤解し
た“埃の微小片”なのでしょうか? (-_-;)

色即是空 (“埃の微小片”はそのまま実在の光だ)
     
空即是色 (実在の光はそのまま“埃の微小片”だ)
     
色不異空 (“埃の微小片”は実在の光と違わない)
     
空不異色 (実在の光は“埃の微小片”と違わない)

……。(-_-;)

そこに“誰か”はいない。

ただ縁起があるだけ。

ただ、快楽を期待する欲望が現象し、快楽が得られないことを予期
する恐れが現象し、得られないとき苦しみが現象する。

欲望と、恐れと、苦しみは現象する。

しかし、欲望する者、恐れる者、苦しむ者はいない。

> あなたは個人ではない。

個人の物語の記憶はあり、記憶を参照する欲望や、恐れや、苦しみ
は現象する。

しかし、欲望する者、恐れる者、苦しむ者はいない。

> これがあなたのマインドのなかで明確に確立されるべき、けっし
> て見失ってはならないものだ。

個人は存在しない。

その時々の思いが現象するだけ。

> 通常は、長い期間のサーダナ(修練)、何年もの苦行と瞑想が必
> 要なのだ。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第十一章 無限空間法(2/2)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

今回は「第十一章 無限空間法」の後半とその実習指示です。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p117-120)
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今回は、ここまでです。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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人間に自由意志があるとは思っていません。

と同時に、どんな欲望も湧かないという状態でもない。

その時々に、それなりの想念や欲望は湧いてきます。

この身体が生きている間、なんの思いも湧かないというわけにもい
かない。

何かかにかの思いが湧いて、その配達を受け取ってしまいます。

何もしないということもできない。

何かかにかは、しなければならない。

となれば、あたかも自分に自由意志があるかのように欲望するしか
ない。

そういう感じがします。

まるで、ラメッシ・バルセカールが描くとおりだけど。(^^;)

まあ、起こるべきことが起こっているのでしょう。

今日もすっかり昏くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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