home > 通信 >『アセンション館通信』(第555号):自分が考えているのか?



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/11/23(第555号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
ただ在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。

個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、非顕現の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在875名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自分が考えているのか?

2.ラングフォードの言葉:【第十二章「すべてを愛する法」】

3.編集後記
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■ 1.自分が考えているのか?
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雨ですね。

紅葉の山麓の景色を、しっとりと雨が濡らしています。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

自分が存在すると感じられるのは事実です。

でも、個人というのは存在するんでしょうか?

もちろん、覚者方が個人は存在しないとおっしゃっていることは、
知識としては知っています。

それはそれとして、本当のところ、個人というのは存在するのでし
ょうか?

このpariパターンという現象は、どうも、瞑想とかそういうことに
はあまり適性が高くないようなんです。

だから、いまのところとりあえず、pariパターンとはマインド現象
だと理解することにします。

つまり、pariパターンとは【考えること】だという理解です。

で、なぜ、この【考えること】が起こっているのか、というような
ことは、この【考えること】には、わかりません。

なぜ、【考えること】が起こっているのか? (-_-)

そんなことは、わからない。

そして、ちょっと【考えること】をやめようと思えば、一瞬やめる
ことはできるようです。

でも、ずっと考えずにいることはできないし、気がついたら、また
何かを思っています。

だから、こうして起こっている【考えること】が、本当に自分なの
かどうかも、きわめて怪しいです。(^^;)

一瞬の“自分”の思いがどうだったからといって、後続する思いが
その一瞬の思いの言うことを聞くわけじゃないし。

何か“自分”がコントロールできない刺激によって、“自分”の思
いはコロコロ変わります。

その【“自分”がコントロールできない刺激】というのは、どうも
“自分”の中から湧いてくるみたい。

というわけで、【考えること】というふうに表現されることが起こ
っていることは、間違いありません。

そして、その今の思いを“自分”だと思って、その“自分”がいろ
いろ考えているのだと、“自分”は思っている。

こうして書いているだけで、何が“自分”だか、わからなくなって
きたけど。(^^;)

で、たとえば、今こうして、思考を文字に置き直しています。

書こうという思いが起こったら、それがpariパターンの肉体の指を
使って、文字を打つことができるわけです。

この【考えること】が、このpariと称する身体機構と連動して起こ
っていることは間違いない。

このpariパターンと表現された身体機構が、目の前のモニター画面
に向かって、浮上してくる思考を文字に置き直している。

この思考が身体機構を使っているのか、身体機構が思考を分泌して
いるのか、そんなことはわかりません。

でもこの身体機構と、それと連動して起こっている【考えること】
が、とりあえずわれわれが思う“自分”でしょう。

ならば、ラメッシ・バルセカールの用語法に倣って、“自分”をこ
の「肉体精神機構」と呼ぶことにしてもいいでしょう。

“自分”とはこの【考えること】が起こっている「肉体精神機構」
のことです。

で、いろいろな心配が起こったりするのは、この「肉体精神機構」
がひとつの独立した実体だという観念のためでしょう。

客観的に存在している“世界”のなかで、この「肉体精神機構」が
分離独立した実体としてサバイバルを図っているイメージです。

この「肉体精神機構」が環境である“世界”から分離独立した実体
だとする観念を、「個人」と定義してみることにします。

で、問題は、この「個人」が、実際に存在するか否かです。

まず、ひとつには、この「個人」が環境である“世界”から分離し
たものとして存在しているかどうかです。

「個人」が“世界”から分離したものとして存在できるためには、
“世界”なしででも「個人」が存在できなくてはならない。

でも、それはただちに不可能なことがわかります。

定義によると「個人」とは、環境である“世界”のなかで生きてい
る「肉体精神機構」のことです。

ならば、その「肉体精神機構」が、環境である“世界”なしで存在
できるわけがない。

少なくともこのpariパターンという「肉体精神機構」は、呼吸しな
くては生存できません。

でも、呼吸するためには環境である“世界”から酸素を吸い込まな
くてはならない。

環境である“世界”がなかったら、pariパターンは呼吸できないだ
けでなく、おそらく“世界”と一緒に消えるでしょう。(*^_^*)

というわけで、このpariパターンという「肉体精神機構」は、環境
である“世界”の一部であることは間違いありません。

“世界”なしのpariパターンなど考えるだけでもバカらしい。

だからまず、“世界”の一部である「肉体精神機構」は存在しえて
も、“世界”から分離した「肉体精神機構」は存在しえません。

このことは、pariパターンに起こっている【考えること】のなかで
自明です。

ではつぎに、「肉体精神機構」の肉体部分と精神部分のつなぎ目を
吟味してみることにします。

「肉体精神機構」の精神部分である【考えること】が、肉体部分で
ある身体機構を、どれくらいコントロールできるのか、です。

「肉体精神機構」の肉体部分と精神部分が、連動して起こっている
ことは、どうやら間違いない。

たとえば、今こうして指を動かして文字を書こうとすれば、思った
文字がモニター画面に現れます。

ある程度、精神部分である【考えること】が、肉体部分である身体
機構をコントロールしているようにも見えます。

でも、それは随意筋で動かせるごく一部の動作で、【考えること】
と動作が連動しているように見えるだけです。

ボブさんがよく例に出す「髪の毛や爪を成長させ、食べ物を消化し、
細胞を新陳代謝」させることは、【考えること】と無関係です。

だから、【考えること】が、肉体機構の生存をコントロールしてい
ると想像するのは、かなり実態とは異なる自惚れです。

ごくごく一般的な常識で吟味できることですら、これほどのことが
わかってしまいます。

その上、最近の科学的知見をちょっと覗きこんだりしたら、“自分”
の【考えること】がどの程度のものかの見解も変わってきます。

最近の脳科学の一端をレポートする『意識は傍観者である』の一節
を借りて、そのあたりを瞥見してみましょう。

------------------------------------
 自分たちの回路を研究してまっさきに学ぶのは単純なことだ。
 すなわち、私たちがやること、考えること、そして感じることの
 大半は、私たちの意識の支配下にはない、ということである。
 ニューロンの広大なジャングルは、独自のプログラムを実行して
 いる。
 意識のあるあなた──朝日覚めたときにぱっと息づく「私」は、
 あなたの脳内で生じているもののほんの小さなかけらにすぎない。
 人の内面は脳の機能に左右されるが、脳は独自に事を仕切ってい
 る。
 その営みの大部分に意識はアクセス権をもっていない。
 「私」は入る権利がないのだ。
 
 あなたの意識は、大西洋を横断する蒸気船に乗っている小さな密
 航者のようなものだ──足もとの巨大な機械の働きを認めず、自
 分の力で旅をしたのだと言っている。
 本書のテーマはその驚きの事実である。
 
 『意識は傍観者である』(p13) 
------------------------------------

> あなたの意識は、大西洋を横断する蒸気船に乗っている小さな密
> 航者のようなものだ──足もとの巨大な機械の働きを認めず、自
> 分の力で旅をしたのだと言っている。

プ。(>_<)

これ、とてつもなく、うまい比喩ですね。\(^-^)/

オドオド、キョトキョトとして、心配ばかりしているエゴのことを、
「蒸気船に乗っている小さな密航者」に喩えるなんて。

> 足もとの巨大な機械の働きを認めず、自分の力で旅をしたのだと
> 言っている。

まったくねぇ。(-_-;)

以前引用したこともありますが、続く一節は“自分”の意見という
ものが、どれほど“自分”の意見なのかを考えさせてくれます。

------------------------------------
 最近のある実験で、被験者の男性がさまざまな女性の顔写真を見
 て、どれくらい魅力的と思うかランクづけするように言われた。
 写真は二五センチ×二〇センチ、女性はカメラにまっすぐ顔を向
 けているか、斜め横顔を見せている。
 男性たちには知らされていなかったが、写真の半分は女性が目を
 見開いていて、残りの半分はそうしていなかった。
 すると男性は一貫して、目を見開いた女性のほうに魅力を感じた。
 注目すべきことに、彼らは自分の判断の理由をわかっていなかっ
 た。
 「こちらの写真ではこちらの写真に比べて女性の瞳孔が二ミリ大
 きいことに気づきました」と言う人はいない。
 ほかの女性よりも魅力的な女性がいると感じただけで、その理由
 をはっきり指摘することはできなかった。
 
 それなら、選んでいたのは誰なのか?
 私たちにとって脳の働きはその大半がアクセス不能だが、そのな
 かの何かが、女性の見開いた目は性的な興奮や期待と関連がある
 ことを知っていた。
 脳は知っていたが、被験者の男性は知らなかった──少なくとも
 明確には。
 男性たちは、美の概念や魅力を感じる感性が奥深くに生まれつき
 備わっていて、何百万年にわたる自然淘汰で形成されたプログラ
 ムによって正しい方向に舵取りされていることも、知らなかった
 だろう。
 いちばん魅力的な女性を選んでいるとき、その選択は本当は自分
 のものではなくて、何十万もの世代を経るあいだに脳の回路に深
 く焼きつけられた成功プログラムの選択であることを、彼らは知
 らなかった。
 
 脳は情報を集めて行動を正しい方向に導く仕事をしている。
 決定に意識がかかわるかどうかは問題ではない。
 そしてたいていの場合、かかわっていない。
 見開いた目、嫉妬、魅力、脂っこい食べ物への欲求、先週思いつ
 いた名案、どの話をするにしても、意識は脳の営みのなかでいち
 ばん小さな役割しか果たさない。
 脳はたいてい自動操縦で動いていて、その下で稼働する謎の巨大
 工場に意識はほとんど近づけない。
 
 『意識は傍観者である』(p13-14)
------------------------------------

(@_@)

> いちばん魅力的な女性を選んでいるとき、その選択は本当は自分
> のものではなくて、何十万もの世代を経るあいだに脳の回路に深
> く焼きつけられた成功プログラムの選択であることを、彼らは知
> らなかった。

……。(*-_-*)

> 見開いた目、嫉妬、魅力、脂っこい食べ物への欲求、先週思いつ
> いた名案、どの話をするにしても、意識は脳の営みのなかでいち
> ばん小さな役割しか果たさない。

……。(@_@)

> 脳はたいてい自動操縦で動いていて、その下で稼働する謎の巨大
> 工場に意識はほとんど近づけない。

(-_-)

まあ、こんな感じです。(*^_^*)

われわれの言う【考えること】というのは、はたして、考えている
のか、それとも考えていると思わされているのか……。(-_-)

------------------------------------
 脳は複雑なシステムだが、だからといって理解不能ということで
 はない。
 私たちの神経回路は、人類が進化していくなかで祖先が直面した
 問題を解決するために、自然淘汰によってつくられたものだ。
 牌臓や目と同じように、脳も進化の圧力によってつくられてきた。
 意識も同じだ。
 意識は有利だから発達したのだが、有利なのは限定的な範囲だけ
 である。
 
 『意識は傍観者である』(p15)
------------------------------------

うん。(-_-)

> 意識は有利だから発達したのだが、有利なのは限定的な範囲だけ
> である。

自惚れも度がすぎて、心配のあまりうつ病になるとなったら、その
限定的な範囲を超えているのかもしれません。

------------------------------------
 ある国のその時々の生活や環境を明らかにするような活動につい
 て考えてみよう。
 工場が稼働し、通信ラインがうなり、企業が製品を出荷する。
 人々はひっきりなしに食べる。
 下水道は排泄物を運ぶ。
 広大な国土のいたるところで警察が犯罪者を追跡する。
 握手で取引が成立する。
 恋人たちはデートをする。
 秘書は電話をさばき、教師は教え、スポーツ選手は競い、医者は
 手術をし、バスの運転手はバスを走らせる。
 あなたは大国で起きていることをつねに知りたいかもしれないが、
 あらゆる情報を一度に手に入れることはできない。
 たとえできても役に立たないだろう。
 要約が必要だ。
 だからあなたは新聞を手に取る──《ニューヨーク・タイムズ》
 のような難しい新聞ではなく、《USAトゥデイ》のような軽いも
 のだ。
 新聞にその活動の詳細がまったく出ていなくても意外ではない。
 結局、あなたが知りたいのは結論だ。
 家計に影響する新しい税法を議会が成立させたことは知りたいが、
 法律家や企業や議事妨害がからむ細かい経緯は、新たな結論にと
 ってとくに重要ではない。
 それに、国の食糧供給に関する詳細──牛がどうやって食べてい
 て、何頭が食べられているか──をすべて知りたくはないはずで、
 狂牛病が急増した場合に警告してほしいだけだ。
 気になるのはゴミがどういうふうに出て、どういうふうにまとめ
 られるかではなく、自分の家の裏に処理場ができるかどうかだけ
 だ。
 工場の配線やインフラなどどうでもよくて、気になるのは労働者
 がストをやるかどうかだけだ。
 そういうことを新聞で読んで知る。
 
 意識とは、その新聞のようなものだ。
 脳は四六時中、忙しく働いていて、国と同じようにほぼあらゆる
 ことが局所的に発生する。
 小グループがたえまなく決定を下し、ほかのグループにメッセー
 ジを送りだす。
 そのような局所的な相互作用から、もっと大きい連携が生まれる。
 あなたが心のなかの大見出しを読むころには、重要な行動はすで
 に起こっていて、取引は成立している。
 あなたがアクセスできる舞台裏の事情は驚くほど少ない。
 すべての政治運動は土台から積み重ねられていて、あなたが感情
 や直感や考えとしてその気配を感じる前に、止められなくなって
 いる。
 情報を最後に聞くのはあなただ。
 
 『意識は傍観者である』(p15-16)
------------------------------------

> 新聞にその活動の詳細がまったく出ていなくても意外ではない。
> 結局、あなたが知りたいのは結論だ。

なるほど。(-_-;)

この驚くほど聡明な神経科学者デイヴィッド・イーグルマンは、ま
るでサイエンス・ライターのように勘所を教えてくれます。

たしかに、われわれの人生にすべての詳細など必要ない。

そんなものがあったのでは、人生を生きる暇がなくなります。

感動した映画の制作秘話ぐらいなら興味もわきますが、何もかも知
ることに興味などないわけです。

うん。(-_-)

> 工場の配線やインフラなどどうでもよくて、気になるのは労働者
> がストをやるかどうかだけだ。
> そういうことを新聞で読んで知る。

たしかに。

異議なしです。

> 意識とは、その新聞のようなものだ。

それでいいのだ。\(^-^)/ ←(バカボンのパパ)

が、また、イーグルマンはわれわれの痛いところも突きます。

------------------------------------
 しかし、あなたには新聞読者にしては妙なところがある。
 見出しを読んで、最初に思いついたのは自分であるかのように、
 その考えを自分の手柄にするのだ。
 あなたは大はしゃぎで言う。
 「いいことを考えついた」。
 しかし実際にはあなたにひらめきの瞬間が訪れる前に、脳が膨大
 な量の仕事をやっていたのだ。
 ひとつのアイデアが舞台裏から表に出てくるとき、あなたの神経
 回路は何時間も、何日も、あるいは何年もそれに取り組み、情報
 を集約して新たな組み合わせを試している。
 しかしあなたは舞台裏に隠れている壮大なメカニズムに驚嘆する
 こともなく、手柄を横取りする。
 
 それに、あなたが自分の手柄だと考えることを、誰が責められよ
 う。
 脳はひそかにたくらみを実行し、ものすごい魔法のようにアイデ
 アを呼びだす。
 意識的な認知力が壮大なオペレーティングシステムを探ることを
 許さない。
 脳は身分を隠して仕切っているのだ。
 
 『意識は傍観者である』(p16-17)
------------------------------------

> しかし、あなたには新聞読者にしては妙なところがある。

え。(?_?)

> 見出しを読んで、最初に思いついたのは自分であるかのように、
> その考えを自分の手柄にするのだ。

あらっ!! (*@_@*)

> あなたは大はしゃぎで言う。
> 「いいことを考えついた」。

あ、それは、言わない約束でしょ。(>_<)

> しかし実際にはあなたにひらめきの瞬間が訪れる前に、脳が膨大
> な量の仕事をやっていたのだ。

もう、イケズ。(;_;)

> ひとつのアイデアが舞台裏から表に出てくるとき、あなたの神経
> 回路は何時間も、何日も、あるいは何年もそれに取り組み、情報
> を集約して新たな組み合わせを試している。

ほんとに? (@_@)

> しかしあなたは舞台裏に隠れている壮大なメカニズムに驚嘆する
> こともなく、手柄を横取りする。

もう。(/_;)

> それに、あなたが自分の手柄だと考えることを、誰が責められよ
> う。

そうそう。(^人^)

> 脳はひそかにたくらみを実行し、ものすごい魔法のようにアイデ
> アを呼びだす。

うん、それは認めるけど。(^^;)

> 意識的な認知力が壮大なオペレーティングシステムを探ることを
> 許さない。

おお。(@_@)

> 脳は身分を隠して仕切っているのだ。

(@_@) ⌒★?

そうか……。(-_-)

われわれ、つまり人間という現象は、すべてのお膳立てが整ってい
るところで、自惚れゴッコをさせられているのでしょう。

そして、自惚れて舞い上がったり、自惚れて落ち込んだりさせられ
ているわけでしょう。

なんのために……? (?_?)

もちろん、何のためには、意識のなかにしかありません。

単なる観念です。

しかし、あえてそれを問うなら、そこで人生が起こるため、とでも
言うよりしかたない。

------------------------------------
 ロバート でも、エゴを消滅させたいという欲望こそが、まさに
      エゴを生かしつづけることになるのですね。
 
 ラメツシ
 何しろ冗談です。
 それは聖なるジョークなのですよ。
 つまり、エゴとは聖なる催眠なのです。
 そもそもエゴはどこから来たのか?
 それこそが問題ではないでしょうか?
 誰もがエゴが問題で、するべきことはただ「自分の」エゴを放棄
 することだけだ、と言います。
 でも、誰も、どうやって「自分の」エゴを放棄するかを教えてく
 れません。
 「自分」がエゴなんですよ!
 その「自分」が、エゴであり、エゴは自殺はしないものです。
 エゴは、すべてが生まれた同じ源泉からしか生まれることはでき
 なかったはずです。
 物理的な現象化は、源泉から来ます。
 虚構の「自分」も、源泉から来たのです。
 
 なぜ源泉が虚構の「自分」を創造したのかと言えば、「自分」が
 いなければ、人間同士の関係が起こらないからです。
 そして、人間同士の関係がなければ、私たちが知っているような
 人生は起こりません。
 私たちが知っているような人生が起こるために──神のリーラ、
 すなわち遊びが生じるために──人間同士の関係が起こらなけれ
 ばならないのです。
 そして、人間同士の関係が起こるためには、エゴというものが、
 そこになければなりません。
 エゴとは単に、「『自分』は行為者であり、この体を支配してい
 る分離した存在である」という、聖なる催眠を通じて生まれた感
 覚のことです。
 でも本当に存在しているのは、ただ肉体精神機構とその中を流れ
 るエネルギーだけです。
 
 それが基本原理で、それは電気器具に電気が流れるのとまったく
 同じことです。
 でも、もし電気器具が催眠術にかけられているとしたら、電気器
 具は、「自分」がトーストを作っているとか、「自分」が野菜ジ
 ュースを作っているとか、「自分」が光を生み出しているという
 ように考えることでしょう。
 基本的には、電気と器具があるだけです。
 単にそれと同じで、源泉、神すなわちエネルギーと、エネルギー
 すなわち神がその中で機能する肉体精神機構があります。
 ですから、神がエゴを創造し、またあるときは、エゴの消滅を徐
 々におこなっていくのも神、というわけです。

 『誰がかまうもんか?!』(p39-40) 
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> エゴは、すべてが生まれた同じ源泉からしか生まれることはでき
> なかったはずです。

たしかに。(-_-;)

> 物理的な現象化は、源泉から来ます。

うん。

> 虚構の「自分」も、源泉から来たのです。

……。(-_-)

それしかありえないでしょう。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第十二章「すべてを愛する法」】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

今回は、第十二章 「すべてを愛する法」とその実習指示です。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p121-124)
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今回は、ここまでです。

これができれば……。(*-_-*)

これができれば、もう特に問題というのは存在しないような。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………



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■ 3.編集後記:
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つかの間の気分としては、なんの問題もないような。(*^_^*)

まあ、そういう気分もきます。

そうでない気分のときもあるし。

いずれにせよ、現象世界のなかでできることは何もない。

また、現象世界のなかで失うものも何もない。

だから、現象世界のことを夢というのでしょうか。

少し落ち葉を集めたりして、すっかり日も暮れました。

これから夕食です。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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