━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2014/12/07(第556号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
無限定の実在が在るゆえに、その光の中にすべての現象は現れる。
ただ在ることが幸せ、限定された現象に成ることが苦楽。
個別の現象への自己同化(エゴ)が夢を見ること、非顕現の実在へ
の自己同定が眼覚めること。思考は起こるが考える人はいない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.まるで自由意志があるかのように
2.ラングフォードの言葉:
【第十二章「すべてを愛する法」のさらなる説明】
3.編集後記
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■ 1.まるで自由意志があるかのように
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寒々しい空が広がっています。
それを見て、すぐに寒々しい気持ちに占領されたりする、存在すら
しない“誰か”も現象したりしています。(^^;)
かくて、知覚される“見かけ”のなかに色々な気分が搖動します。
そのように搖動する気分を“自分”と認識する誤解を、「無知」と
いうようです。
その「無知」に興味を惹かれて、今日もまた。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
結局、pariパターンの場合は、できることは何もないということを
納得することなのかな、とも思われます。
“自分”にできることがあると思って、ジタバタしてきました。
頭で納得できれば、何かの役に立つのかとも思ってきました。
ところが、頭で納得できることなどは、すべて頭が勝手にやってい
るにすぎないと知らされてしまった。
もちろん、そんな話は無視することもできます。
しかしそれでは、受け入れやすい話を聞くだけのことです。
それなら、はじめから別に何も吟味する必要もないわけです。
では、最新の科学的知見と、信ずべき賢者たちの言葉との一致点を
受け入れたら、いったいどういうことになるのか。
顕在意識とはただ、バイオコンピュータの膨大な走査と演算のその
結果を、つまり新聞の“見出し”を知らされるだけのことらしい。
たしかに見かけ上は、頭が納得したことが、徐々にpariパターンの
興味や欲望に働きかけ、その方向を修正するようにも見える。
しかしラメッシ・バルセカールが教えるように、もし人間がDNAと
条件づけで決定されたバイオコンピュータなのだとしたら。
頭が納得する過程自体も、そのバイオコンピュータへの入力に対す
る、バイオコンピュータの自動演算過程でしかありません。
どちらの過程も、バイオコンピュータが介入したり、制御したりで
きるようなものではありません。
なぜなら、ロボットは失敗できないからです。
プログラミングされたとおりに動作するのがロボットです。
ロボットはそのプログラミングから逸脱できない。
もし、ロボットがプログラミングから逸脱できたら、その逸脱自体
がプログラミングされていたということでしょう。
いずれにせよ、プログラミングどおりです。
どこかで、暴走するようにプログラミングされていたわけです。
その暴走プログラミングのなかでも一段と秀逸なのが、ラメッシ・
バルセカールのいう【聖なる催眠】です。
刺激に対して発現する思考過程と、その結果発動する行動を、自分
の自由意志だと誤解するようにプログラミングされている。(>_<)
こんなひどい悪戯を誰がしたのかと思うでしょ。
もちろん、意識のなかには、その誰かを“神”と呼んだり“悪魔”
と呼んだりする位相が、ないわけではありません。
いま、精神世界のなかで大流行しているのが、宇宙的善玉と悪玉の
スペースオペラであることは、みなさんもよくご存知でしょう。
pariパターンも大好きだったし、今も好きです。
でも、ご存知のように、その誰かは実在しません。
なぜなら“誰か”は他者のいない世界には存在できないからです。
波動で厳密に織り込まれた現象世界に分離が存在しえないのなら、
現象世界に自分は存在しえないし、他者も存在しえない。
でも、人生という人間関係のゲームが存在できるためには、自分と
他人という幻想は必須です。
そしてその物語に熱中できる間は、幻想の物語を楽しむのです。
しかし、どんなサイクルにも誕生と成長と衰退と崩壊があるように、
その物語の楽しみ方にもまた誕生と成長と衰退と崩壊があります。
物語の味わいのすべてが“出涸らし”になり、苦渋だけが感じられ
てくるのなら、その幻想は崩壊に近いのかもしれない。
要するに、すべては絵空事であることが、暴露される事態が必要に
なっているのです。
あらゆる物語が、ただ鬱陶しく、わざとらしいものに感じられるの
なら、いちどまっさらに戻る必要があるのでしょう。
すべては単なる見かけのパターンにすぎないのだから、いちどその
パターンが跡形もなく消える必要があるのかもしれません。
現れはすべて見かけの模様、意識の位相でしかないのだから。
夢のなかには、もちろん、神も悪魔も、その他あらゆる魑魅魍魎が
いるでしょう。
そして、それに注意を向けるなら、とたんにそれは現実化します。
でも、注意を向けるのをやめたとたんに、それは消えます。
それ自体で、自前で実在しているわけではないので。
それは、まさに、TSUTAYAの棚や、amazonの倉庫に、並べられてい
る本やDVDと同様のものでしょう。
注目するからあるし、手を出すから取り出せるし、再生するからこ
そ体験できるといった、そういうものです。
つまり、現象世界は本当にただの“見かけ”で、実際は制作済みの
映画を上映しているのと同じなのでしょう。
そしてわれわれが今ここで“自分”と言っているのは、間違いなく
そのDNAと条件づけで決定されたバイオコンピュータです。
入ってくる刺激も制御できなければ、その刺激に対する対処方法も
制御できない。
自分が担うDNAと条件づけこそが、その対処方法なのですから。
まさに、撮影済みの映画の登場人物そのものと言っていい。
だから、ポーンと飛ぶなら、究極の真実はわかっているわけです。
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究極の真実とは、ラマナ・マハルシ、ニサルガダツタ・マハラジ
やその他、彼ら以前のすべての賢者が明確に述べたように、創造
もなく、破壊もなく、誕生もなく、死もなく、運命もなく、自由
意志もなく、いかなる道もなく、いかなる達成もない、というこ
とです。
『誰がかまうもんか?!』(p46)
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創造も、破壊も、誕生も、死も、運命も、自由意志も、道も、達成
も、そういう物語はすべてTSUTAYAの棚のDVDのなかにしかない。
でも、今調子に乗っているpariパターンのように、こんな台詞が言
えたからといって、必ずしもTSUTAYAからの自由を意味しません。
なぜなら、知的にそれを知っていても、頭はまたTSUTAYAに行けば
DVDがあることも知っているからです。
amazonに注文すれば本が手に入ることを知っているし、Google検索
をすれば、情報が手に入ることも知っている。
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関心をもっているのはあなたなのだ!
そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
『私は在る』(p488)
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> 関心をもっているのはあなたなのだ!
このことはわかりました。(-_-;)
> そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、
> あなたはそれに関心をもちつづけるだろう。
これが、何を意味するかです……。
この部分につづいているのは次の言葉です。
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だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注
意のレベル以下の努力を要しないものとなる。
身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
『私は在る』(p488)
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> だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注
> 意のレベル以下の努力を要しないものとなる。
ここですね。
「ひとたびそれが満たされれば」とは、何を意味するのか?
そのつぎの部分は、表面的な意味は自明です。
> 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
身体があってもなくても同じことになる。
現象世界に何のリアリティも感じなくなるのでしょうね。
> あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
まあ、ドラマであることを100%意識しながら、ドラマを見ているよ
うなものでしょうか。
あまり、見ること自体に意味がない。
見る当人がいるという文脈で語れば、マハラジが言うように、
> 関心をもっているのはあなたなのだ!
ということになります。
このマハラジの応答は、質問者の確信を見て、それを否定などでき
ないという状況から生まれていたでしょう。
あなたが関心をもっているから、この世界があるのだ、と。
ではもし、自己存在を否定できる文脈なら、単なる自動過程と踏み
こんでもいいのなら、どんな返答になるのか?
ラメッシ・バルセカールは、次のように答えています。
------------------------------------
マルクスは、「自分」が機能していると考えていました。
でも、本当は何が機能していたのでしょうか?
それはエネルギー、この肉体精神機構を通じて機能する宇宙エネ
ルギーです。
それが行為を生みだす者です。
ですから、この肉体精神機構を通じて機能する、あるいは働くそ
の宇宙エネルギーは働きつづけ、そのエネルギーはマルクスをあ
る時間以上は寝かせてはおかないでしょう。
この肉体精神機構を通じて何らかの行為が起きるのです。
なぜなら、肉体的であれ精神的であれ、エネルギーが行為を引き
起こすからです。
このように、この肉体精神機構の内部にある宇宙エネルギーが行
為を引き起こしつづけます。
というのは、それがその本性だからです。
何かを生み出すのは、宇宙エネルギーの本性です。
『誰がかまうもんか?!』(p46)
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> マルクスは、「自分」が機能していると考えていました。
わたしも「自分」が機能していると感じています。
> でも、本当は何が機能していたのでしょうか?
では、ここで働いているのは、わたしではない? (@_@)
> それはエネルギー、この肉体精神機構を通じて機能する宇宙エネ
> ルギーです。
え? (@_@) ⌒★?
わたしではなくて、宇宙エネルギーが働いている? (@_@)
> それが行為を生みだす者です。
うむ。(-_-;)
> ですから、この肉体精神機構を通じて機能する、あるいは働くそ
> の宇宙エネルギーは働きつづけ、そのエネルギーはマルクスをあ
> る時間以上は寝かせてはおかないでしょう。
なるほど。
> この肉体精神機構を通じて何らかの行為が起きるのです。
うーむ。
> なぜなら、肉体的であれ精神的であれ、エネルギーが行為を引き
> 起こすからです。
【肉体的であれ精神的であれ、エネルギーが行為を引き起こす】
> このように、この肉体精神機構の内部にある宇宙エネルギーが行
> 為を引き起こしつづけます。
このpariパターンの内部にある宇宙エネルギーが行為を引き起こし
つづけている……。
> というのは、それがその本性だからです。
> 何かを生み出すのは、宇宙エネルギーの本性です。
「何かを生み出すのは、宇宙エネルギーの本性」……。
うーむ。(-_-;)
もちろん、このラメッシ・バルセカールの方便に照応するような、
マハラジの応答もあります。
------------------------------------
マハラジ
普遍的力がコントロールをし、責任をもっているのだ。
質問者 では、私は何でも好きなことをして、普遍的な力に非難
を浴びせればいいということですか? なんと楽なこと
でしょう!
マハラジ
そうだ。
とても楽なのだ。
すべての動きを司るものの存在を悟り、彼にすべてをまかせなさ
い。
もしあなたがためらわず、ごまかすこともなければ、これが真我
の実現への最短の道だ。
欲望と恐れなしにすべてのコントロールと責任を放棄しなさい。
『私は在る』(p167)
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> マハラジ
> 普遍的力がコントロールをし、責任をもっているのだ。
これは、上のラメッシ・バルセカールの方便と同じですね。
> 質問者 では、私は何でも好きなことをして、普遍的な力に非難
> を浴びせればいいということですか? なんと楽なこと
> でしょう!
この質問者は、気軽にこんな減らず口をたたいていますが。(^^;)
> マハラジ
> そうだ。
> とても楽なのだ。
(^_-)
> すべての動きを司るものの存在を悟り、彼にすべてをまかせなさ
> い。
これができれば……。(-_-;)
> もしあなたがためらわず、ごまかすこともなければ、これが真我
> の実現への最短の道だ。
おお……。(@_@)
> 欲望と恐れなしにすべてのコントロールと責任を放棄しなさい。
そうなのか……。(-_-)
何かと責任を転嫁したがるわれわれに、ラメッシ・バルセカールは
両面から責任転嫁の道を塞いでくれます。
こんなにも楽に、そしてこんなにも徹底的に。
何度も何度もこの言葉に突き当たって、今はじめて、この言葉が、
なんのケレン味もない、親切な言葉なのだと思われてきました。
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ピーター 私は、あなたが先日、「自分のしたいことをしなさい」
と言われたと思っています。自分がしたいことをする
のと、自分が正しいと考えることをするのとでは、大
きな違いがあるように思えます。
ラメツシ
あなたが、正しい・間違っているという自分の感覚に従ってある
特定の瞬間にしたいと思うことは、まさに、源泉がその瞬間にあ
なたに考えてほしいことなのです。
さもなければ、「あなた」が主導権をもっています。
そして、私が言いたいのは、どんな個人もいないということです。
人生では、決断しないで生きることはできません。
そして私の答えは、まるで自分に自由意志があるかのように決断
しなさい、というものです。
すべての結果と選択を考え、それから決断に至ってください。
でも、心の奥深くでは、その決断は神の意志と異なることはあり
えないとあなたは知っています……さもなければ、その決断は起
こらなかったでしょう。
もしそれが神の意志でなければ、決断は起こりませんし、それが
神の意志でないかぎり、決断が行為になることもありません。
そして、決断は神の意志に従って厳密に結果を生じます。
まるであなたが自由意志をもっているかのように決断をするとい
うこと以外に、どこに「あなた」が入ってくる余地があるのでし
ょうか?
問題は、「自分」に何が起こるのだろう?と考えるから起こるの
です。
でも、どんな「自分」もいないのです!
それゆえ奥深いところでは、それは「自分」の決断ではなく、神
の意志であると知って決断してください。
責任とは、まるで自由意志があるかのようにあなたが行為すると
いう事実から、生まれます。
あなたがまるで自由意志があるかのように行為することで、あな
たは結果に対する責任を想定します。
でも、心の奥深くでは、結果がどうであれ、それはその肉体精神
機構の運命なのだと知っています。
私の考えでは、責任という問題はないのです。
しかし、世間で生きるのに、責任感を無視することはできません。
それなら、どうしたらいいでしょうか?
あなたがプログラムされているだけ、責任をもって行動してくだ
さい。
『誰がかまうもんか?!』(p286-287)
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> ピーター 私は、あなたが先日、「自分のしたいことをしなさい」
> と言われたと思っています。自分がしたいことをする
> のと、自分が正しいと考えることをするのとでは、大
> きな違いがあるように思えます。
この質問、すばらしいですね。
この質問者のお陰で、われわれはラメツシの懇切丁寧な解説を聴く
ことができます。
> ラメツシ
> あなたが、正しい・間違っているという自分の感覚に従ってある
> 特定の瞬間にしたいと思うことは、まさに、源泉がその瞬間にあ
> なたに考えてほしいことなのです。
そういうことか。(*-_-*)
> さもなければ、「あなた」が主導権をもっています。
あ! (@_@)
> そして、私が言いたいのは、どんな個人もいないということです。
たしかに。
> 人生では、決断しないで生きることはできません。
そうです。
> そして私の答えは、まるで自分に自由意志があるかのように決断
> しなさい、というものです。
おお。
> すべての結果と選択を考え、それから決断に至ってください。
勝ち負けが気になるパターンは、その勝ち負けの判断から、損得が
気になるパターンは、その損得の判断を煮詰めて……。
> でも、心の奥深くでは、その決断は神の意志と異なることはあり
> えないとあなたは知っています……さもなければ、その決断は起
> こらなかったでしょう。
わたしは映画のなかで、その役割を振られている。
> もしそれが神の意志でなければ、決断は起こりませんし、それが
> 神の意志でないかぎり、決断が行為になることもありません。
それが映画のなかのわたしの役割だから……。
> そして、決断は神の意志に従って厳密に結果を生じます。
次の画面はすでに撮影が終わっている。
> まるであなたが自由意志をもっているかのように決断をするとい
> うこと以外に、どこに「あなた」が入ってくる余地があるのでし
> ょうか?
おおおおお……。(@_@)
なんと見事な?!
> 問題は、「自分」に何が起こるのだろう?と考えるから起こるの
> です。
なるほど。
> でも、どんな「自分」もいないのです!
そうか。
> それゆえ奥深いところでは、それは「自分」の決断ではなく、神
> の意志であると知って決断してください。
そういうことか。
> 責任とは、まるで自由意志があるかのようにあなたが行為すると
> いう事実から、生まれます。
なるほど、そういうわけだ。
> あなたがまるで自由意志があるかのように行為することで、あな
> たは結果に対する責任を想定します。
たしかに。
> でも、心の奥深くでは、結果がどうであれ、それはその肉体精神
> 機構の運命なのだと知っています。
ラメッシ、お見事です。
> 私の考えでは、責任という問題はないのです。
わかります。(と、言っていいのかどうか。(-_-))
> しかし、世間で生きるのに、責任感を無視することはできません。
それは、完全に、わかります。
> それなら、どうしたらいいでしょうか?
それなら、どうしたらいいのか? (-_-)?
> あなたがプログラムされているだけ、責任をもって行動してくだ
> さい。
おお……。
それ以外にないわ。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
------------------------------------
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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■ 2.ラングフォードの言葉:
【第十二章「すべてを愛する法」のさらなる説明】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
前回につづき、第十二章「すべてを愛する法」の追加説明です。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p121-124)
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今回は、ここまでです。
どんなことをしようとも、できることしかできない。
覚者方は自分に縁のある道を教えるしかないわけですよね。
本書は第十四章まであります。
少しずつ、ご紹介していきます。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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いったい、こんなものを書くことに何か意味があるのか?
と思うことが、これまでなかったわけではありません。
でも、書きたいから、勝手に書いてきました。
今回はじめて、ああ、そういうことだったのか、と思いました。
【人間はしたいことしかできない】とは『火水伝文(ひみつつたえ
ふみ)』の我空さんからも聞いた言葉でした。
ラメッシ・バルセカールの言わんとすることと、我空さんの背後の
意図が、同じだったとは思いません。
でも、結果として、また事実上、人間はしたいことしかできないで
しょう。
そうでないと、もし神という言葉を使うなら、神の操り人形である
人間が、神の意図を覆すことができることになる。
このpariパターンは、ただ神に操られていればいいのです。
そして、もしそれができるのなら、自分が神に操られていることを、
知っていたらいいじゃないですかねぇ。(*^_^*)
きょうは充分に昏くなりました。
では、お休みなさい。
<(_ _)>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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