home > 通信 >『アセンション館通信』(第557号):まるで自由意志があるかのように



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/12/14(第557号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

空間のなかにパターンが現れ、そのパターンは変化しつづける。
空間はパターンに気づいているが、パターンは気づきえない。

パターンが自前の気づきを想像すると、無知の物語が現れる。
想像が物語のエネルギーを消尽すると、物語は自然に崩壊する。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.問題は想像のなかにしかない

2.ラングフォードの言葉:
     【第十二章「すべてを愛する法」のさらなる説明(2/2)】

3.編集後記
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■ 1.問題は想像のなかにしかない
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ガラス戸のなかのこの夢の一隅は、ホッコラと温かです。

いつ無に帰してもいい……。

もちろん、身体がある間はその運命を演じなくてはなりません。

想像された架空のエゴが、身体の運命を変えることもできないし。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

ボブさんはこう言っています。

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 私が使う観念もまた真理そのものではありません。
 私はただ「それ」という言葉を使うことができるだけです。
 なぜなら、真理は観念によってつかまえることができないからで
 す。
 観念とは心的素材から成るものであり、あなたは真理を心でつか
 まえることはできないのです。
 もしあなたが想像したり期待したりすることを止め、過去を思い
 出すことも止めれば、あなたはどこにいるでしょうか?
 あなたは自分が一度も去ったことがない、今。ここという直接体
 験の中にいます。
 実際のところ、私たちはこの、今・ここという存在性から離れた
 ことは一度もないのです。

 『ただそれだけ』(p158) 
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> 私が使う観念もまた真理そのものではありません。

たしかに。

> 観念とは心的素材から成るものであり、あなたは真理を心でつか
> まえることはできないのです。

空に浮かぶ雲の形が、大空を表現できないように。

> もしあなたが想像したり期待したりすることを止め、過去を思い
> 出すことも止めれば、あなたはどこにいるでしょうか?

すべての問題は、想像のなかにしかない。

その想像を脇に除けたら……。

> あなたは自分が一度も去ったことがない、今。ここという直接体
> 験の中にいます。

はい。

> 実際のところ、私たちはこの、今・ここという存在性から離れた
> ことは一度もないのです。

一度も。

想像のなかで、他所事に迷うことができるだけで。

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 ですから、今に生きようと努力することは、すべてたわ言なわけ
 ですが、それを別のやり方で眺めてみましょう。
 もしできるなら、この今から出ようとしてみてください。
 誰かこの今から出ることができる人はいますか?
 そこから離れることなどできないのに、ことさら今に生きようと
 努力すること、それに何の意味があるでしょうか?
 それが、私たちの陥る罠の一つです。
 こうした事柄については、しっかり観察し、理解する必要があり
 ます。
 なぜなら、そんな努力をしても誰もご褒美などくれないからです。
 そんなことをしても何も得るものはありませんよ。

 『ただそれだけ』(p158-p159)
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> ですから、今に生きようと努力することは、すべてたわ言なわけ
> ですが、

まったくです。(*^_^*)

> それを別のやり方で眺めてみましょう。

はい。

> もしできるなら、この今から出ようとしてみてください。

おお。

> 誰かこの今から出ることができる人はいますか?

それはいない。

> そこから離れることなどできないのに、ことさら今に生きようと
> 努力すること、それに何の意味があるでしょうか?

ふふ。

> それが、私たちの陥る罠の一つです。

なるほど。

> こうした事柄については、しっかり観察し、理解する必要があり
> ます。

ですね。

> なぜなら、そんな努力をしても誰もご褒美などくれないからです。

うまいことを。(*^_^*)

> そんなことをしても何も得るものはありませんよ。

わかりました。(-||-)

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 私たちがこれまでずっと抱え込んできた信念のいくつかを調べて
 みれば、偽物は調査に耐えられないことがわかります。
 真実でないものは脱落し、見透かされ、偽物と認識されるでしょ
 う。
 いったん偽物だとわかれば、あなたは二度と再びそれを信じるこ
 とはできません。
 信念はけっして実在するものではありません。
 信念の辞書的定義は、「理性なく何かを疑わずに受け入れること
 ――正当な知識や証明もなく申し立てられている事実を受け入れ
 ること」というものです。
 正当な知識や証明もなしに、いったどれほど多くの信念を、あな
 たは受け入れてきたことでしょうか?

 『ただそれだけ』(p159)
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> 私たちがこれまでずっと抱え込んできた信念のいくつかを調べて
> みれば、偽物は調査に耐えられないことがわかります。

(-_-)O

> 真実でないものは脱落し、見透かされ、偽物と認識されるでしょ
> う。

はい。

> いったん偽物だとわかれば、あなたは二度と再びそれを信じるこ
> とはできません。

二度と再びそれを信じることはできない……。

> 信念はけっして実在するものではありません。

あ……。

> 信念の辞書的定義は、「理性なく何かを疑わずに受け入れること
> ――正当な知識や証明もなく申し立てられている事実を受け入れ
> ること」というものです。

これじゃ、すべての陳述は信念だ。(^_-)

> 正当な知識や証明もなしに、いったどれほど多くの信念を、あな
> たは受け入れてきたことでしょうか?

あらゆる価値判断は、すべて信念だったのですね。

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 ニサルガダッタは明確にこう言っています。
 「あなた自身の想像以外、あなたの問題となるものはない」。
 調べてみるなら、あなたに問題をもたらすものは、あなたの想像
 の内部、イメージ化プロセスの中にあることがわかるでしょう。
 「想像」とは、心理的イメージや観念を作り出すことです。
 イメージは現実に存在するものではありません。
 そのようなわけで、あなたはすでにあなたが求めているものなの
 です。

 『ただそれだけ』(p159)
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> ニサルガダッタは明確にこう言っています。

(-_-)O

> 「あなた自身の想像以外、あなたの問題となるものはない」。

おう……。

なるほど。(-_-)

> 調べてみるなら、あなたに問題をもたらすものは、あなたの想像
> の内部、イメージ化プロセスの中にあることがわかるでしょう。

……。(-_-)

> 「想像」とは、心理的イメージや観念を作り出すことです。

わかります。

> イメージは現実に存在するものではありません。

たしかに、

> そのようなわけで、あなたはすでにあなたが求めているものなの
> です。

ほう。

ここ……まあ、飛躍しているといえば飛躍しています。

当然といえば、当然とも言えますが。

つまり、問題に焦点を合わせれば、問題はあるようでもある。

しかし、じつは、それは「想像」のなかにしかない。

「想像」とは、心理的イメージや観念を作り出すこと。

心理的イメージや観念のなかに、問題はある。

でも、その前提であるイメージは、現実に存在するものではない。

なぜなら、想像するのをやめたらそのイメージは存在しないから。

そして、想像のなかには問題はありうる。

でも、その問題は、現実に存在するものではない。

あなたがその問題に注意をはらい、意識エネルギーをそれに注ぐな
ら、その瞬間その問題が存在するように見えるだけ。

でも、あなたが意識エネルギーをそれに注ぐのをやめたら、そのと
たんにその問題は雲散霧消する。

あなた自身は、問題の側ではなく、問題を現象させる側にいる。

つまり、問題のない側に。

> そのようなわけで、あなたはすでにあなたが求めているものなの
> です。

なるほど。

(-||-)

現象が存在するという立場にたつなら、空間である気づきと、パタ
ーンである現象が存在することになります。

なぜなら、現象を表現するためのパターンは、それ自体は気づきで
はありえないからです。

もしパターン自体が気づいているというなら、そのパターンはどう
やってそのパターンを識別できるのか?

つまり、黄色はどうやって黄色に気づくことができるのか?

甘みはどうやって甘みを甘みとして識別できるのか?

ということです。

色を色として識別できるためには、その識別者はどんな色の属性か
らも自由でなければなりません。

味を味として識別できるためには、その識別者はどんな味の属性か
らも自由でなければなりません。

要するに、気づきはどんな表現特性も担えない、ということです。

この気づきの定義は、ただちに、気づきは不幸ではありえない、
という驚くべき結論になだれ込みます。(*^_^*)

気づき自体は、幸福でも不幸でもありえない。

なぜなら、気づき自体は、「二元性の原理」が統括する現象世界の
一員ではありえないからです。

物語を紡ぎだすためには、現象世界のなかで立場をもたなくてはな
りません。

現象世界のなかでの立場が視点をもたらし、その視点が現象のさま
ざまな解釈を可能にするからです。

一本の映画で投影される多様な画像が、主人公という一つの視点を
根拠にして、ひとつの物語として統合されるようなものです。

ところがじつは、映画には暗黙の約束事があります。

それは映画のなかで投影される主人公の映像は、その物語を解釈す
る視点を表現しているにすぎない、ということです。

つまり、映画のなかの主人公の映像自体は、映画の観賞者ではない
わけです。

こんなことは、誰でも知っています。

何をいまさら当たり前のことを、と叱られそうですね。(*^_^*)

映画の真の観賞者が、主人公の視点に進んで自己同化している観客
のあなたであることは、もちろん、あなたはご存知です。

でも、この事実は、物語というものを成り立たせるための根本要件
を示してもいます。

それは、物語のなかでひとつの立場を担う表現者は、観賞者ではあ
りえないという事実です。

物語の成立には、物語の背景となる二元性の原理に基づく文脈と、
その文脈のなかでの立場、つまり解釈のための視点が必要です。

この両方がなくては、物語は成立しえない。

そしてこの物語の背景となる文脈と、その文脈のなかでの立場は、
ともに現象世界内部の事象です。

だから映画では、文脈を表現する背景の映像も、解釈視点を表現す
る主人公の映像も、ともに映画のなかに投影できます。

しかし、これらは現象を表現するための要因で、それ自体が現象の
識別要因をかねることはできない。

だから映画という娯楽の場合は、スクリーン上に投影される文脈と
主人公の映像を観て、物語を味わう観客が存在するわけです。

映画の場合は状況は単純ですし、観賞者の物語への自己同化もごく
表面的です。

映画が終わって、場内が明るくなれば、観客はすぐに夢から醒めて
会場を後にします。

でも、映画館から出た後の物語から醒めるのは、それほど簡単では
ありません。(^_-)

でも、基本的な構図は同じなのです。

物語の背景となる文脈と、その文脈のなかでの立場は、ともに現象
世界内部の事象であり、物語の表現媒体に属します。

それらの表現要素は物語を知覚できません。

物語を知覚できるのは表現要素とは別のものです。

問題を想像する者は、問題を創造する表現要素でしょう。

知ってか知らずか、識別する側から表現する側に、移動したのだと
思います。

気づいているのはつねに空間です。

空間は表現属性を担うことはできません。

物語のなかに登場したいのなら、想像するしかありません。

つまり、実在しないものを夢見るしかありません。

イメージは現実に存在するものではないから。

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 そのようなわけで、あなたはすでにあなたが求めているものなの
 です。
 
 この事実から出発しましょう。
 そうすれば問題はずっと簡単になります。
 自分がすでにそれであることを理解し、間違った信念を見抜くな
 ら、あなたが探すべきものはもう何もありません。
 そのとき、あなたは自分が一度も去ったことがないもの、あなた
 がずっとそうだったものの中に、すっぽりとはまったのです。

 『ただそれだけ』(p159)
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> この事実から出発しましょう。

気づきは問題の存在しない側にしか存在できない、という事実から
出発する。

> そうすれば問題はずっと簡単になります。

はい。

> 自分がすでにそれであることを理解し、間違った信念を見抜くな
> ら、あなたが探すべきものはもう何もありません。

イメージのなかに問題を抱えるものは、架空の問題を想像している
のだということを理解しているなら。

> そのとき、あなたは自分が一度も去ったことがないもの、あなた
> がずっとそうだったものの中に、すっぽりとはまったのです。

架空の問題をすべて手放して、問題のない側にただ落ち着く……。

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 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
 
 『私は在る』(p304) 
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> あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。

本当なんですね。

> 想像なしには世界もない。

たしかに。

> あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

わたしの確信がフォーカスとなって、世界を想像している。

> あなたが知覚している世界は意識でできている。

寝ている間に見る夢が、わたしの個人的意識でできているように。

> あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。

バシャールが、素粒子が意識だと言っていたっけ。

> あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。

わたしは空間、定義や属性を持つことはできない。

表現媒体にはなりえない。

> あなたは永遠に続く時間だ。

(-_-)

> あなたはそれに生命を与える愛なのだ。

(*-_-*)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:
     【第十二章「すべてを愛する法」のさらなる説明(2/2)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

前回につづき、第十二章「すべてを愛する法」の追加説明です。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p126-129)
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今回は、ここまでです。

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………



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■ 3.編集後記:
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気づきは、問題のある側にはありえない。

気づきがある側には、問題はありえない。

なぜなら、気づいている者は、想像できないから。

想像する者は、気づきではありえないから。

そんな、理解のような、駄洒落のような、イメージがきました。

言葉で言うと、とても嘘っぽくなるのが不思議です。

一年中でいちばん日が短い季節ですね。

きょうはもう昏くなりました。

夕食はまだですが。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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