home > 通信 >『アセンション館通信』(第559号):どのみち間に合っていない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2014/12/28(第559号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

空間のなかにパターンが現れ、そのパターンは変化しつづける。
空間はパターンに気づいているが、パターンは気づきえない。

パターンが自前の気づきを想像すると、無知の物語が現れる。
想像が物語のエネルギーを消尽すると、物語は自然に崩壊する。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.どのみち間に合っていない

2.ラングフォードの言葉:【第十三章 リマインダー(2)】

3.編集後記
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■ 1.どのみち間に合っていない
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見かけの世界では、いつも新たな画面が映っています。

身体に自己同化したマインドが、どんな心配を紡いでいようとも、
見かけの世界はやすやすと次の画面に移っていく。

身体に自己同化したマインドは、遅ればせながら何とか画面の変化
に対応して、そのなかで上手く立ち回ろうとする。

ところが、エネルギーが退潮してくると、その上手く立ちまわるた
めの努力が、とても見かけの世界の変化に追いつかない。

上手く立ちまわるための努力をしているはずなのに、気がついたら
いつの間にか、見かけの世界はコマ落としで先に進んでいる。

そしてコマ落としで、平気で辻褄を合わせている。

もちろん、エゴとしては、見かけの世界の変化(=時代)に合わせ
ようとしているつもり。

でも。事実として、まったく平仄が合っていない。

“自分”で色々心配して、見かけの世界のなかで上手く立ち回ろう
とすることに、いったいどれほどの意味があるのだろうか?

どのみち、間に合わないではないか。

ならば、ただ、心配しているマインドを、観ているだけでもいいの
ではないか。

同じことではないか。

どのみち間に合っていないのだから……。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

雪下ろしの屋根から八十歳の老人が落ちて死亡した、というような
報道を聞きました。

翌朝、雪の中に埋もれているのが見つかったと。

ああ、死ぬんならそういうのもいいかもしれない、などという感想
が湧いてきたりもします。

不謹慎かもしれませんが。

でも、その老人を外に観ているわけでなく、自分のこととして感じ
てみているのなら、別に不謹慎ということもないかもしれません。

だって、雪の中から助けだされて、病院に入院させられたからとい
って、若くなれるわけでもなし、どうでもいいような。

それなら、雪の中で気を失って、そのまま成仏できる方が楽かもし
れないと思うのは、ごく普通のマインドの動きです。

エゴに湧く想念は、すべてその程度のもので、入力情報に対する、
単なるDNAと条件づけからの出力です。

心配することに価値があると信じられる間は、エゴはトコトン心配
しつづけるでしょう。

エゴは心配することで存在しているのですから。

エゴが自ら心配をやめることはありません。

ただ、どうやら、“心配しても意味がない”らしいという可能性に
気づくことは、ありうるようです。

なぜなら、心配しても、心配しなくても、どのみち間に合わないと
いう、一種絶望的状態に気づくこともあるからです。

ならば、その心配しているエゴ、その心配想念を、ただ観ているだ
けでも同じことではないのか。

別に、そのほうが格好がいいとは言いません。

そのほうが瞑想的だとか、言うつもりもありません。

ただ、どのみち間に合わない、という想念が起こっているだけ。

だから、別に、足掻くだけ足掻くのも仕方ないと思います。

それでもやっぱり間に合わない、という想念が浮上するだけです。

ラメッシ・バルセカールが言うように、この湧いてくる心配マイン
ドは、別にわたしの手柄じゃないわけです。

わたしというエゴが、この心配マインドを、世界に先駆けて発明し
たわけでもないですから。

それでは、特許侵害で、神様に申し訳ないです。

心配想念は、この身体が見かけの世界のなかで、分離した実体とし
て存在するという誤解とともに、自然に湧いてくるものです。

“身体”は“世界”から分離した実体だという誤解を、わたしとい
うエゴが発明したわけではありません。

それとも、これもまたわたしの責任転嫁なのでしょうか?

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 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の果てしないリストについて考
 えていくと、すべてが起こるための責任は、いかに間接的であっ
 てもすべてにあると認めるほかはない。
 行為者とは、「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神
 話なのだ。
 
 『私は在る』(p394) 
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いやいや、これは文脈が違う。

それにしても……、

> 行為者とは、「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神
> 話なのだ。

これは間違いない。(-_-)

こんなことが納得できるときが来るとは思わなかったけど、今見る
と、このマハラジの言葉はごく平明な陳述としか思えません。

“行為者”という概念が生まれるのも当然だけれど、それが幻想で
あるのもまた自明のことです。

わたしが夢を観ているというのは、まったく自明のことです。

“自分”が“見かけの世界”から分離独立して存在しているという
前提で、わたしは“自分”の物語を紡いでいます。

でも、事実は、“わたし”とか“自分”という言葉で指しているの
は、この見かけの波動世界に組み込まれている身体のことです。

この身体が見かけの世界の一部である以上、わたしが見かけの世界
から分離独立して存在できる可能性は皆無です。

もういちど、わたしというマインドの現状を整理してみます。

わたしは、自分がこの“身体”だと思っています。

その上で、“見かけの世界”のなかでのこの“身体”の運命を心配
しているわけです。

つまり、自分の想念で自分の身体の動きを制御して、自分の身体の
運命に干渉できると思っているということです。

ところが、一向に自分の想念も制御できなければ、その想念によっ
て身体の動きを制御して望ましい状況を生みだすこともできない。

そもそも、“自分”そのものがそのときどきの一瞬の想念で、なん
の実体もないつかの間の状態にすぎないのだから。

たしかに、世の中には、“自分”にとって望ましい状況を生みだす
方法というのも、色々伝えられているようです。

でも、マハラジなどの言葉に染まってしまい、そういう自己実現系
の言葉に芯から共感することができない。

別に、マハラジのせいにしようとも思っていませんが。

pariパターンという運命が展開しているだけなのでしょう。

まるで、ポジティブシンキングは信じられないのに、ネガティブシ
ンキングは信じられるかのようでもあります。

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 あなたに出来事の行方を変えることはできない。
 だが、あなたの態度は変えられる。
 そして本当に重要なのは態度にあって、単なる出来事にはない。
 世界は欲望と恐れの住処(すみか)だ。
 そこにマインドの平和を見つけだすことはできない。
 平和のためには、あなたは世界を超えて行かねばならない。
 世界の根本原因は自己愛である。
 そのために私たちは快楽を探し求め、苦しみを避ける。
 自己愛を真我への愛に変えなさい。
 すると画面は変わってくる。
 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
 
 『私は在る』(p102-103)
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うーむ。(-_-;)

> あなたに出来事の行方を変えることはできない。

そうか、この言葉を信頼できないだけなんだな。(-_-)

> だが、あなたの態度は変えられる。

それは可能なのか……。

> そして本当に重要なのは態度にあって、単なる出来事にはない。

夢のなかでどこに注意を向けているか。

> 世界は欲望と恐れの住処(すみか)だ。

間違いありません。

> そこにマインドの平和を見つけだすことはできない。

たしかに。

> 平和のためには、あなたは世界を超えて行かねばならない。

(-_-;)

> 世界の根本原因は自己愛である。
> そのために私たちは快楽を探し求め、苦しみを避ける。

なるほど。

> 自己愛を真我への愛に変えなさい。

「自己愛」と「真我への愛」は違うんだ。

夢の中で何に注意を向けるか……。

> すると画面は変わってくる。

うーむ。

> 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。

創造神とは、すべての欲望の総計のことなのか。

> 世界はそれらを満たすための道具なのだ。

なるほど。

> 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。

そうか、夢のなかではそれしか起こりようはない。

> そして時間がすべての勘定書を決算する。
> バランスの法則が究極の支配をするのだ。

そういうわけか。

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 質問者 私がマインドから自由になるには、どれくらいの時間が
     かかるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それには千年の時がかかるかもしれない。
 だが、本当は時間は必要としないのだ。
 あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。
 ここでは意志が実行だ。
 もし真剣ならば、それはあなたのものだ。
 結局、それは態度の問題なのだ。
 今ここであなたがジニャーニとなることを、恐れ以外の何も妨げ
 てはいない。
 あなたは非人格として在ること、あるいは非人格的存在を恐れて
 いるのだ。
 ことはまったくシンプルだ。
 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけ
 なさい。
 そうすれば、あなたは即座に自然な状態のなかに在るだろう。
 
 『私は在る』(p266)
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> 質問者 私がマインドから自由になるには、どれくらいの時間が
>     かかるのでしょうか?

わたしは「マインドから自由になる」ことを求めていたのか。

> マハラジ
> それには千年の時がかかるかもしれない。
> だが、本当は時間は必要としないのだ。
> あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。

それ以外の道はないんだ。(-_-)

> 今ここであなたがジニャーニとなることを、恐れ以外の何も妨げ
> てはいない。

そういうことか。

> あなたは非人格として在ること、あるいは非人格的存在を恐れて
> いるのだ。

(-_-)

> ことはまったくシンプルだ。
> 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけ
> なさい。

(@_@)

たしかに、何度も聞いたんだけど。

> そうすれば、あなたは即座に自然な状態のなかに在るだろう。

そうかぁ。

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 あなたに必要なのは、静かなマインドだ。
 ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしか
 るべく起こるだろう。
 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなか
 に変化を与えるのだ。
 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚
 め、あなたの努力なしに奇跡をもたらすのだ。
 
 『私は在る』(p330)
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> あなたに必要なのは、静かなマインドだ。

なんのかんのと理屈をつけて、静かになっていけばいんだ。

> ひとたびあなたのマインドが静かになれば、ほかのすべてはしか
> るべく起こるだろう。

ふーん。

> 日の出が世界を活動的にするように、自己覚醒はマインドのなか
> に変化を与えるのだ。

そうなんだろなぁ。

> 平静で安定した自己覚醒の光のなかで、内なるエネルギーは目覚
> め、あなたの努力なしに奇跡をもたらすのだ。

そうか。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.ラングフォードの言葉:【第十三章 リマインダー(2)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

前回からの第十三章「リマインダー」のつづきです。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p133-135)
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今回は、ここまでです。

うーむ、すごい迫力ではあります。

何から何までお見通しという感じで。(*-_-*)

本書は第十四章まであります。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:
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いろいろあるけど、いろいろあるのはマインドのなかだけですね。

> あなた自身を改善しようと試みてはならない。
> ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
> 変化するものは変化しつづける。
> その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。(p541)

(-||-)

まだ少し明るいようです。

それでは良い年をお迎えください。

<(_ _)>

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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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