━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2015/1/18(第562号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
空間のなかにパターンが現れ、そのパターンは変化しつづける。
空間はパターンに気づいているが、パターンは気づきえない。
パターンが自前の気づきを想像すると、無知の物語が現れる。
想像が物語のエネルギーを蕩尽すると、物語は自然に崩壊する。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.あなたが在るからすべてが在る
2.ラングフォードの言葉:【第十四章 体験と旅と最終目的地(1)】
3.いただいたお手紙から:拓さん
4.編集後記
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■ 1.あなたが在るからすべてが在る
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問題というのが何なのかが、だんだん腑に落ちてくる。
すると、いろいろ問題はあるんだけど、それが習慣的な癖が捏造し
ているただのイメージにすぎないこともわかってくる。
それは物語好きのマインドパターンが無事に耐えられなくて、次々
と何もないただの見かけに、意味をこじつているだけ。
そしてまたもや問題があるかのような印象が起こり、寄る辺のない
その印象がまた消えていく。
<何故にすべては始まってしまったのか?>
いやいや、そうではないのだ。
何故に、すべては在るのか?
マインドが行き着く本来の問いは、そういうことだ。
それは、「私が在る」から。
もし、私がなければ、何ものもない。
何ものもなければ、それがいちばんいいかもしれない。
それもまたいいのだが、でも、事実は、何かが在る。
空無ではない。
それが、放心して「私は在る」という夢を見る。
するとそこから世界が現れ、その世界の住人になる。
そして、その夢に疲れる……かのような夢を見る。
すると、また
<何故にすべては始まってしまったのか?>
などと言いだす……のかもしれない。
そのサイクルがショートカットになってくる。
人生は別に楽にもならないけれど、だからといって、どうという
こともない。
それはただ、習慣的な癖の解体過程でしかないのだから。
つづく間は、つづくだろうさ。
Who cares? (誰が気にする?)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
何故にすべては在るのか?
マインドというのはパターンのなかに原因や理由を探すための機能
なので、こんな問いを創造します。
でも、この問については、実在からの答が明かされています。
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あなたが在るから、すべてが在ることができるのだ。
宇宙はあなたの成るという無限の能力の部分的な現れにすぎない
のだ。
『私は在る』(p139)
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> あなたが在るから、すべてが在ることができるのだ。
これを否定できる人はいません。
というのは、あなたが気にしている問題だって、あなたなしに存在
できるわけではないからです。
あなたが問題を認識するから問題がありうるのですから。
この一点さえ確実に腑に落ちれば……、
> 宇宙はあなたの成るという無限の能力の部分的な現れにすぎない
かどうかなどは、まあ、どうでもいいとも言えます。
でも、たぶん、
> あなたが在るから、すべてが在ることができるのだ。
という一点が、確実に腑に落ちれば、おそらく……、
> 宇宙はあなたの成るという無限の能力の部分的な現れにすぎない
というのは、論理的な必然になるでしょう。
恐怖に対する想像力が発達していたわたしは、昔トコロテンを突き
出す筒みたいな形の鋼鉄の牢を想像したことがあります。
夢の中か、想像か、とにかく逃げ惑ううちに、どこかの岩屋に紛れ
込むわけです。
必死で洞窟の中を逃げているうちに、その洞窟がだんだん細くなっ
て、しまいに行き止まりになるのです。
その行き止まりが、終いに想像のなかで、分厚い鋼鉄製の直方体の
牢のようになってくる。
その中に入れられるだけでもかなり絶望的です。(*^_^*)
で、ご念の入ったことに、その上その独房の片側の壁がトコロテン
の筒の内部のように、どんどん押し迫ってくるわけです。
初めは脚で何とか抑えようとしますが、そんなの無駄な抵抗です。
しまいに、身体を横にして、潰されるのを待つしかなくなる。
最後にはミンチ状でしょうね。(^_-)
さて、そのミンチ状の、そのまた後ですけど……。
その後は、まったくの空無に帰せるんでしょうか? (?_?)
ほら、想像だって、やるなら几帳面にそこまでやらなくちゃ。(^_-)
空無に帰することはないんですよ。
想像を可能にしたそれは、在るんです。
元々それは、始まったものじゃないから、消えることもない。
ただ、「在る」んです。
そして、また無事に飽きたら、見かけにフォーカスしたりする。
> 関心をもっているのはあなたなのだ! (p488)
ってわけです。
そうやって、意識エネルギーを現れてくるものに注いだら、色んな
ものが動き出すわけです。
まあ、色々なマインドパターンがあるので、引き寄せられる意識パ
ターンにエネルギーを注げば、いろいろ出てくる。
あらゆる顕現、あらゆる解釈の可能性はすでに存在しているので、
選り取り見取りの解釈がありうるわけです。
それが創造というものですよね。
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私から離れた力というものはない。
それは私のなかに本来固有のものなのだ。
創造力とも言えよう。
『私は在る』(p155)
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創造力とは顕現に向けて働き出す力です。
顕現は「二元性の原理」の支配下にあるわけだから、簡単にいえば、
それは幻想です。
どんな崇高な夢であろうと、それは少なくとも“崇高”と“下劣”
という対比が可能な世界でしか成り立たない。
人を助けたいという欲望は、助けられる人を創造することなしには
可能ではありません。
世界を救いたいという欲望だって、救われる世界なしには可能じゃ
ないんですから。(*^_^*)
じゃ、その救われるのを待っている世界とやらは、自前で存在して
いるのか?
んなもの、あるわきゃないです。(*^_^*)
在るのは、わたしです。
だって、
> あなたが在るから、すべてが在ることができる
のですから。
つまり、単なる論理の水準ですら、
> 宇宙はあなたの成るという無限の能力の部分的な現れにすぎない
ことが自明なのです。
この途方もないパワーは、通常、誤用されるために用意されている。
だって、みんな、ドラマが好きじゃないですか。(^_-)
純真な初恋のドラマもあれば、エログロナンセンスなドラマもある。
別に、どちらがいいというわけでもないでしょう。
顕現に何か固有の意味があるわけじゃないのですから。
強いて言うなら、すべての意識パーツが顕現世界に貢献し、現象を
支えているわけです。
悟る人がいるわけじゃない。
ただ、苦労に飽きて、楽に戻りたくて、本卦還りするパターンが、
宇宙のところどころに発生するだけです。
現象世界で身体がたどる運命とまるで同じです。
その“本卦還りするパターン”は、ただ静になるだけだから、いわ
ゆる顕現からは、消えていくわけです。
そこに欲望があるかぎり、その欲望は記憶の断片に執着して、物語
を担ぎつづけるのでしょう。
それを軽蔑する個別の存在もいないけれど、それを褒め称える個別
の存在もいない。
現象宇宙から分離した個別の存在というようなもの自体が、実在し
ない幻想でしかありませんから。
物理的イメージで言うなら、顕現宇宙のすべてを占める空間だけが
気づきとして実在している。
そのなかで量的表現が不可能なほど希薄な要素である素粒子のふる
まいが、われわれの全宇宙という見かけを作っているのです。
これらの素粒子のふるまいは、あくまでも顕現を構成するためのも
のです。
それは現象の表現要素であって、認識要素ではありません。
まあ、強いて言葉の上で分けるなら、というだけですが。
つまり、気づいている“ひと”はひとりしかいない。(^_-)
あなたが言う「私」も、わたしが言う「わたし」も、その同じひと
を指している。
だって、そのひとしか、気づけないんだも。(*^_^*)
まあ、そういうわけで、いつものとおりです。
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ラングフォードの言葉:
【第十四章 体験と旅と最終目的地(1)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
今回から最終「第十四章 体験と旅と最終目的地」にはいります。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p143-145)
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今回は、ここまでです。
> 4. ある求道者はエゴの最終的終焉の数瞬前まできわめて騒がし
> いマインドをもっていて、それから一瞬の沈黙の後に、エゴ
> の最終的終焉に至るかもしれない。
こんな文章を読むと、EOさんのことを思い出しました。
EOさんは、ご自分のその状況をひとつの技法に練り上げようとし
ました。
でも、それは狙ってできるようなことでもない。
ま、何ごとにせよ、幻想上の実体が“狙ってできるようなこと”な
ど、何ひとつ存在しないでしょうが。
この最終章も、とても面白いですよ。
少しずつ、ご紹介していきます。
(-||-)
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■ 3.いただいたお手紙から:拓さん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
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前回ご紹介した、世界一周の旅をなさっている拓さんから、今回も
ご投稿をいただきました。
早速ご紹介させていただきます。
【件名】: セイラー・ボブ・アダムソン
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投稿させていただきます。
私は2014.11.14から、メルボルンに滞在し、3か月の予定で、セイ
ラー・ボブのミーティングへ通っています。
最初に驚いたのは、「エンライトメントはしない。あなたはもうそ
れなのだ」と言われた時でした。
ボブが言うには、みんな最初からエンライトメントしていると言う
のです。
じゃあ、それに気づいた時がエンライトメントなのかと聞いたら、
それも違うという。
その辺のことや、ボブの教えのことなども、私の旅ブログに詳しく
書きましたので、もしよかったら読んでください。全23回の予定で
す。
ブログの初回
http://yosikoakihiro.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-79c4.html
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> 投稿させていただきます。
拓さん、ありがとうございます。
> 私は2014.11.14から、メルボルンに滞在し、3か月の予定で、セイ
> ラー・ボブのミーティングへ通っています。
レポート、楽しみにしています。
> 最初に驚いたのは、「エンライトメントはしない。あなたはもうそ
> れなのだ」と言われた時でした。
このボブさんの言葉、とても好きです。
そして、本当にそうだと思います。
見かけを構成する素粒子のふるまいなど、在って無きが如きもの。
その素粒子のふるまいが気づくことなどありえない。
> ボブが言うには、みんな最初からエンライトメントしていると言う
> のです。
まったくです。
現象に気づいているのは、空間だけですものね。
> じゃあ、それに気づいた時がエンライトメントなのかと聞いたら、
> それも違うという。
ボブさんは、自分には何の変化もなかった、という人ですものね。
> その辺のことや、ボブの教えのことなども、私の旅ブログに詳しく
> 書きましたので、もしよかったら読んでください。全23回の予定で
> す。
拓さん、いろいろブログを見せていただいています。(^^)/
ボブさんレポート、楽しみにしています。
ご投稿、ありがとうございました。
<(_ _)>
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『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 4.編集後記:
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価値観……、ということになりますかね。
変化はマインドにしか起こらないわけですが、そのマインドに起こ
る変化のことです。
これは波動宇宙の変化の一部として起こることでしょう。
だから仮想された“自分”などという、波動宇宙の一部の一存で、
どうこうできるようなものではありません。
日本列島の上にある気象状態を、空想上の“日本列島の大気”がそ
の一存でどうこうできないようなものでしょう。
空想上の“日本列島の大気”そのものが、日本列島を覆う気象状態
の一部なのですから。
それに、日本列島を覆う気象状態が“自分の一存”を持てると誤解
するほど、愚かだとも思えないし。
まあ、【リーラ(神の遊び)】とはよくぞ言ったものですね。
言葉もまた、そのお遊びの一部として演じられています。
行為は起こっている。
でも、行為するその人はいない。
まったくです。
暗くなるので、その前に少し散歩をしてきました。
これから夕食です。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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