home > 通信 >『アセンション館通信』(第563号):普遍性とは現象しえないもの



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/1/25(第563号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

こうして顕れているものはすべてパターンです、概念です。
そのパターン、意識作用、概念化の背景に……不動の実在が在る。

意識作用は専ら分離、識別、対比などの二元化の作業に忙しい。
概念化の作業は永遠の盥回し・創造であり、そこに安らぎはない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.普遍性とは現象しえないもの

2.ラングフォードの言葉:【第十四章 体験と旅と最終目的地(2)】

3.編集後記
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■ 1.普遍性とは現象しえないもの
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こういうものを書くことは、元々何もないところに何かを捏造し、
そのなかに迷い込むことです。

起こっていることは、実在がパターンに自己同化すること。

現象している概念化はつねに今だけの束の間のものです。

パターンのなかに判断基準などありえないけれど、と同時に判断は
パターンのなかにしかありえません。

掴むことができるようなものは、つかの間のパターンでしかない。

掴むことができるものは、かならず崩壊するパターンです。

だからパターンは執着の対象になどなりえないのに、でもそういう
ものだけが執着の対象となる。

執着の対象が執着に値しないのは、永遠の決まりごと。

掴むことは創造には貢献するが、安らぎではない。

求道とは、概念化のパターンが自らの収まりどころの形を空想する
こととして現れる。

つまり、創造のパターンが少し創造自体の価値に疑念を抱き始めた
ということ。

創造のエネルギーが退潮しはじめているということ。(-_-;)

(@_@)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

普遍性とは現象しえないもののことだったんですね。

現象するもののなかに普遍性を求めていたのが誤りでした。

そしてその誤り自体も、変幻自在に永遠に流動しつづける顕現のな
かのお決まりのパターンにすぎません。

現象のなかに自分を空想しているパターン(への自己同化)は、や
がてその変化を追いつづけることに疲れてくるでしょう。

すると、その空想上の自分は、何らかの基準を求めたくなる。

自分は何のために、どこにいて、どこに向かっているのか?

『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこ
へ行くのか』と。http://p.tl/0WWA

そして、自分が何者であり、どこにいて、どういうふうに、どこに
向かっているのかを、判断するための基準がほしくなります。

つまり、自分が置かれている全状況を理解し判断するための普遍的
基準を知りたいと望むわけです。

そうでないと、永遠に迷子になってしまうような気分になる。

これは、どう考えても自然現象です。

普遍的な基準というのは、何がどう動いてもこれだけは確かだとい
う、いわば盤石の基準点のようなものでしょう。

ところが、ここにまた厄介なことがあります。

つまり、われわれは自分が現れのなかにいると思っているので、そ
の判断のための基準もまた、現れのなかに求めてしまうのです。

これが求道として現象する空想上のお決まりパターンです。

とはいえ、この自分の位置を測定するための盤石の基準というのは
なかなか正しい方向性ではあります。

なぜなら、その求道は、どのような状況に対しても客観的で不動の
普遍性という概念に導かれるからです。

この「客観的で不動の普遍性」という概念を、現象のなかに探し求
めるというのが求道という空想パターンの役割です。

「客観的で不動の普遍性」とは、まさに現象世界の対極そのものの
ことなので、この求道というプロセスは矛盾そのものです。

つまり求道とは、求めているものは現象の中には存在しないと納得
するまでのプロセスだということです。

どこの時点で、どんな現象に出合って、それを納得するかは、宇宙
という大河ドラマの脚本家たちのクリエーションとも言える。

すべては必然的物語であり、またすべては捏造の物語です。

結局、あらゆる求道ドラマの結論、“落とし所”はひとつです。

「客観的で不動の普遍性」とは、現象世界の背景そのもののこと、
そしてそれこそが求めているあなた自身だというわけでしょう。

でも普遍性を見つけるには、普遍性とは何かを自分がまず知らなけ
ればならない。

そして普遍性が何であるかを知るには、自分が普遍的でなければな
らない、という隘路に導かれるわけです。

では、自分が普遍的であるにはどうすればいいのか?

そしてはじめて、覚者の答が聞こえてくる。

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 質問者 どのようにして私は普遍的になれるのでしょうか?
 
 マハラジ
 だが、あなたは普遍なのだ。
 あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またな
 る必要もない。
 ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。
 去来するものは存在をもたない。
 それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
 あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを
 知っているだろうか?
 すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから
 生じる。
 あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟
 りなさい。
 そのような受容が真の愛なのだ。
 
 『私は在る』(p224)
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(-||-)

> だが、あなたは普遍なのだ。

これがジョークの中のジョークですね。

これが真実だからです。

> あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またな
> る必要もない。

【すでにそうであるものになることはできない】

(-||-)

求道の夢を見ているものの枕を蹴っ飛ばすような言葉です。

> ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。

この文章を書いているわたしはある思考に自己同化した普遍です。

【ある思考】は今ここで起こっているパターンで、その【ある思考】
がそれ自体に気づけるわけではない。

> 去来するものは存在をもたない。

去来するものは<いま>が映しだす一瞬の現れです。

> それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。

<いま>が映しだすから一瞬現れることができる。

> あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを
> 知っているだろうか?

世界とは現れに貼られた集合名詞、世界のことをどれほど悪しざま
に言っても、その集合名詞が復讐してくることはない。

> すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから
> 生じる。

そうか……。

(-||-)

> あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟
> りなさい。

そうか……。

> そのような受容が真の愛なのだ。

はい。

(-||-)

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 普遍的であることとは何だろうか?
 理念としてではなく、ひとつの生き方として。
 何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛
 することが普遍的に生きることだ。
 私は世界であり、世界は私だ。
 世界は私のものであり、世界はわが家だと本当に言えること。
 すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。
 すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。
 これが普遍的人生なのだ。
 それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうである
 ように宇宙を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅ
 う)をも超えている。
 それは、それであるものだ。
 完全に自己充足し、独立しているのだ。
 
 『私は在る』(p337)
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(-||-)

> 普遍的であることとは何だろうか?

(-_-)?

> 理念としてではなく、ひとつの生き方として。

(-_-) 

> 何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛
> することが普遍的に生きることだ。

ああ……。

> 私は世界であり、世界は私だ。
> 世界は私のものであり、世界はわが家だと本当に言えること。

(-_-)

> すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。

(-_-)

> すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。

(-_-)

> これが普遍的人生なのだ。

(-||-)

> それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうである
> ように宇宙を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇(はんちゅ
> う)をも超えている。

顕現パターンが表現しえないところ。

> それは、それであるものだ。
> 完全に自己充足し、独立しているのだ。

それだけが実在する「至高なるもの」。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:
           【第十四章 体験と旅と最終目的地(2)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

前回から「第十四章 体験と旅と最終目的地」に入っています。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p146-148)
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今回は、ここまでです。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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起こることになっていることは起こるのでしょう。

起こらないことは起こらない。

この思考パターンが関与できるようなことではありません。

> 私は世界であり、世界は私だ。
> 世界は私のものであり、世界はわが家だと本当に言えること。

波動世界のなかにそういう帯域があるのなら……。

それもまたわが帯域、わが音色……。

今日は比較的寒い一日ですね。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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