home > 通信 >『アセンション館通信』(第564号):身体のなかに誰かがいるのか



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/2/01(第564号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

こうして顕れているものはすべてパターンです、概念です。
そのパターン、意識作用、概念化の背景に……不動の実在が在る。

意識作用は専ら分離、識別、対比などの二元化の作業に忙しい。
概念化の作業は永遠の盥回し・創造であり、そこに安らぎはない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.身体のなかに誰かがいるのか

2.ラングフォードの言葉:【第十四章 体験 旅 最終目的地(3)】

3.編集後記
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■ 1.身体のなかに誰かがいるのか
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浮上してくる思考は、要するに、問題探しですね。

不幸探しと言ってもいい。

パターンのなかで、比較し、考量し、状況を判断しようとする。

何もないところに煙を立てて、あわよくば火に仕立てあげる。

その思考のなかに彷徨い込んだら、クリエイティブには成れるかも
しれないけれど、安らぎには至れない。

もともと、思考は安らぎなど求めていない。

背景にある不動の安らぎを、覆い隠すゲームなのだから……。(-_-)

(@_@)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

現れのなかに“自分”がいると想像するかぎり、その自分が幸福か
そうでないのか、何かそんなものを探さなくてはなりません。

なぜなら現れのなかの状況はたえず変化しつつあるからです。

この起きて見る夢のなかでは、自分の根拠はもちろん身体です。

浮上してくる想念はすべて、この身体の状況が幸福かそうでないの
かを判断するための材料探しとも言えるでしょう。

そして、結局は、

> 彼はさまざまな理由から幸福ではない

のです。

なぜなら、マハラジがいみじくも喝破したように、

> 幸せな人が幸せを探すだろうか?

というわけですから。

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 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証
 なのだ。
 
 『私は在る』(p163-164)
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(-||-)

これほど明らかな証拠があるでしょうか。

> 幸せな人が幸せを探すだろうか?

まったくです。

では、いったいなぜ、われわれは幸せではないのか? (?_?)

マハラジはただちに、その理由を教えてくれます。

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 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 
 『私は在る』(p318)
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と。

> あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。

現れの一部に自己同化したからだ、ということでしょうか。

> そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。

その疎外感からの退避場所を現れのなかに探し求めている。

> あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。

疎外感がひとりでに消えてくれることはない。

現れは絶えず変化しつづけているから。

> ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。

なるほど……。

そしてマハラジは、われわれのその疎外感の核を、いつもの言葉を
いつもと逆の意味で使って、こう説明します。

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 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 
 『私は在る』(p318)
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と。

ここでの「私は在る」は、もちろん、実在への通路の意味合いでは
なく、自我の根拠、個人の根拠としての「私は在る」です。

エゴ、つまり個人は存在しないからこそ存続を願って苦しむ、と。

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 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け
 抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり
 出し、個人は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 
 『私は在る』(p360)(http://tinyurl.com/s747u)
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> 実際には、個人というものは存在しない。

この言葉は、おそらく、これを書いているマインドパターンも、読
んでくださってパターンも、言葉としては誰もが知っている。

でも、事実としては理解したくないわけでしょうね。

では、もしかりにそれを事実として受け容れたとしたら、われわれ
はいったい何者なのか?

> ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。

マインドのなかの実在の反映である「見守る者」が、「私」と「私
のもの」に自己同一化するだけだ、とマハラジは言うわけです。

意識内容としては、個人としてふるまってはいる。

でもじつは、「私」と「私のもの」に自己同一化した「見守る者」
だというのです……。(-_-)

ここまで明確に言われれば、やっぱりわかりますよね。

では、なぜそういう状況になっているのか?

マハラジのシンプルすぎる喩えではこうです。

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 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。
  あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 
 『私は在る』(p362)
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> はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。

なるほど。

寝て見る夢のなかでも世界を作り出しているし。(-_-)

> それから、「私は在る」が個人となる。

起きて見る夢のなかでは親もいて教えてくれるから、わたしが個人
となるのに三年もかからない。

かくて投影される3Dホログラムのなかに入り込む。

> 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。

たしかに。

> 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。

はい、こうして出会いました。

> そしてグルは彼に言うのだ。
> 「あなたは個人ではない。
>  あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。

(-||-)

> 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。

そうか。(-_-;)

【彼はそれを為(な)し】というとき、いったい何を為すのか?

わたしがにっちもさっちもいかなくなっているのは、この身体に入
ってしまったからだが……。(-_-)

ここから、どうやって出ればいいというのか?

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 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。
 あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。
 
 『私は在る』(p361)
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(@_@) ⌒★?

> あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。

いったい、誰が身体に囚えられているというのか?

【身体のなかに誰がいるのか?】

【身体のなかに誰かがいるというのか?】

身体は現象している。

それは認めよう。

だが、その身体のなかに誰かがいるのか……。

(-_-;)

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 マインドは放っておきなさい。
 それだけだ。
 それについていってはならない。
 結局、あなたの法則ではなく、それ自体の法則に従って去来する
 想念を離れて、マインドというものは存在しないのだ。
 ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうの
 だ。
 
 『私は在る』(p366)
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> 結局、あなたの法則ではなく、それ自体の法則に従って去来する
> 想念を離れて、マインドというものは存在しないのだ。

頭の中に浮上する想念は、見守る者の法則ではなく、【それ自体の
法則に従って去来】しているのか……。(-_-;)

そうか……。

(-||-)

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 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないか
 もしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像する
 ことをやめられるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだ
 けで、あなた自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、
 あるがままのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 
 『私は在る』(p228)
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> 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないか
> もしれない。

はい。

> しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像する
> ことをやめられるのだ

(-_-)

> 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだ
> けで、あなた自身ではないのだと思い出しなさい。

わかりました。

> 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、
> あるがままのあなた自身に早く気づくようになるだろう。

はい。

> なぜなら、記憶が体験となるからだ。

おぉ。

> 誠実さが存在を明かすのだ。

はい。

> 想像し、決意したことが現実となる。

(@_@)

それが宇宙創造なんですね。

> ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.ラングフォードの言葉:
           【第十四章 体験 旅 最終目的地(3)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

「第十四章 体験 旅 最終目的地」の「体験」の後半です。

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(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p148-150)
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今回は、ここまでです。

「体験」の部分が終わりです。

全体的に、だいぶ終わりが見えてきましたね。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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エネルギー的に突破することなどできない、ということになれば。

突破すべきものなど何もない、ということが自明になるより、他に
道はありません。

こうして、マインドは確かに賢くない、ということを空想上の人様
に見ていただくことが、誰かさんの役に立つのかどうか?

そんなことは、むろん、誰にもわかりません。

誰かなどという存在がいるとも思えなくなってきたけれど。

でも、まだ言葉の理屈が出てくるのなら、出てもらうより仕方があ
りませんから。

今日は散歩に出ようかとも思ったけれど、外に出てまた風邪を引い
ても仕方がないので、出るのはやめておきました。

天気で比較的寒い一日ですしたね。

すっかり昏くなりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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