home > 通信 >『アセンション館通信』(第567号):『意識は語る』



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/2/15(第567号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こったこと、いま起こっていること、起こるであろうこと
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.『意識は語る』

2.ラングフォードの言葉:【第十四章 体験 旅 最終目的地(6)】

3.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.『意識は語る』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

昨日は久しぶりにほとんど一日中本を読んでいました。

あまりにもスラスラ内容が入ってくるのでやめられませんでした。

特別なことは何もないけれど、深い安心があります。

(-||-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

読んでいたのはラメッシ・バルセカールの『意識は語る』
(編集:ウェイン・リコーマン、翻訳:木 悠鼓)です。

この本、出版されてすぐには手を出しませんでした。

なんですぐに買わなかったんだろう?

価格がブレーキになったのかな、と今思ったんだけど、でも買いた
けりゃ買っただろうしな、とも思うし……。

で、やっと今、すぐに買わなかった理由を思い出しました。(^^;)

kindle で最初に買った英語の本だったんだった。

翻訳が出たとき、いちおう英語で読んでるしなぁ、とか思ったんで
しょうね。

バカだね。

といっても、そのバカな人はいないけど。(*^_^*)

pariパターンの場合、英語で読んでかろうじて意味がわかるのと、
語られていることが伝わるのとは、まったく別だったみたい。

ま、それはともかく、今回急に欲しくなって注文したんです。

それで、なぜか前半は飛ばして、昨日は後半を読んだのでした。

そしたら、あまりにスラスラその内容が入ってくるので……。

なんか、疑問とかそういうものは何もなくなってしまいました。

疑問がないのだから、自分のなかに答を欲しがっている人間は誰も
いないということになります。

じゃ、悟りを欲しがっている人間はいるのか?

探求者はいるのか……、となると……。(-_-;)

うーん、そういう人間はいないんじゃないのかしら。

つまり、この本のラメッシ・バルセカールの言葉が、そのまま受容
されちゃったんですよね。

どういう言葉かというと、こんなんです。

------------------------------------
 (質問)
 個人的魂と神が融合することは、どうなんでしょうか?
 
 おわかりのようにそれはすべて観念です。
 もしあなたがたった一つのことを信じるならば、こういった観念
 の必要性は何もありません。
 つまり、何であれ起こってきたことは、何であれ起こっているこ
 とは、何であれ起こるだろうことは、神の意志に従っているとい
 うことです。
 それが必要なすべてです。
 もしあなたが神の意志だけを信じるなら、生まれ変わり、魂とい
 ったような観念の何もあなたは気にしないことでしょう。
 こういった観念が気になるのは、「自分」という実体が永続性を
 求めるからです。
 しかし、その「自分」は個人的実体ではないので、永続性をもつ
 ことができません。
	 
 『意識は語る』(p354) 
------------------------------------

まあ、こういう言葉の内容が、すらっと伝わってしまった、という
ことです。

> 個人的魂と神が融合することは、どうなんでしょうか?

この質問者は、キリスト教徒の方でしょうか。

伝統的キリスト教ならともかく、いまアメリカのスピリチュアルな
探求者たちは“個人的魂”を信じている方が大部分でしょうね。

ラメッシ・バルセカールの答はここではとてもストレートです。

> おわかりのようにそれはすべて観念です。

“個人的魂”も“神”も“神との融合”も「すべて観念です」と。

> もしあなたがたった一つのことを信じるならば、こういった観念
> の必要性は何もありません。

(-_-)?

> つまり、何であれ起こってきたことは、何であれ起こっているこ
> とは、何であれ起こるだろうことは、神の意志に従っているとい
> うことです。

過去現在未来のあらゆる現象はすべて「神の意志に従っている」と
いう、この観念を信じられるなら、他には何も要らない、と。

あなたは、どう思われますか? (^^;)

> それが必要なすべてです。

はい。

ありがとうございます。(-||-)

> もしあなたが神の意志だけを信じるなら、生まれ変わり、魂とい
> ったような観念の何もあなたは気にしないことでしょう。

そういうことですね。

だって、それが神の意志で、それ以外は何もないんですから。

> こういった観念が気になるのは、「自分」という実体が永続性を
> 求めるからです。

まったくです。

心配する「自分」が実際にいるんだと思っていた。(*^_^*)

> しかし、その「自分」は個人的実体ではないので、永続性をもつ
> ことができません。

単なる、神の意志の一時的表現ですね。

このすぐ近くに、こんな一節があります。

------------------------------------
 (質問)
 探求者はエゴです。
 
 探求者はエゴではありません!
 それが私のポイントです。
 探求者とは実に非個人的意識であり、それが自分自身をこの肉体
 と一体化し、エゴを創造し、解体のプロセスにいるのです。
 それは非個人的意識の非個人的プロセスです。
 自分自身を個人的肉体と一体化し、その一体化はいくつかの生を
 通じて続きます。
 それから、ある肉体精神機構の中で心が内側を向きますが、まだ
 エゴは自分が探求者だと考えています。
 その解体化のプロセスが続き、ついに探求者は突然自分が探求者
 ではなく、探求者とは非個人的意識であることを理解します。
 それゆえ彼は、探求に何の意味もないと結論づけます。
 「自分」が消え始めるのはその瞬間です。
 
 『意識は語る』(p356)
------------------------------------

> 探求者はエゴです。

探求者はみんなそう思っている。(*^_^*)

もちろん、pariパターンも、ずーっとそう思っていました。

自分が探求しているのだとばかり思っていました。(^^;)

> 探求者はエゴではありません!
> それが私のポイントです。

ですねぇ。

これを言ってくださる方(パターン)、なかなかいないです。(^^;)

> 探求者とは実に非個人的意識であり、それが自分自身をこの肉体
> と一体化し、エゴを創造し、解体のプロセスにいるのです。

「探求者」とは(肉体と一体化して探求者モードに誘導されている)
非個人的意識だというわけです。

“当人”は、もちろん「自分」という実体がいると信じています。

> それは非個人的意識の非個人的プロセスです。

そういうことなんですね。

> 自分自身を個人的肉体と一体化し、その一体化はいくつかの生を
> 通じて続きます。

なるほど。

> それから、ある肉体精神機構の中で心が内側を向きますが、まだ
> エゴは自分が探求者だと考えています。

そういうわけですよね。

> その解体化のプロセスが続き、ついに探求者は突然自分が探求者
> ではなく、探求者とは非個人的意識であることを理解します。

はは、お陰さまでpariパターンもそこまで誘導されました。(^^;)

> それゆえ彼は、探求に何の意味もないと結論づけます。

まったく。

プライドも疚しさも恥辱も、持ちようがないですよ。

これでやっと、長年の恥ずかしさから解放される。

> 「自分」が消え始めるのはその瞬間です。

おお……。

どうなるか……ま、いっか。(*^_^*)

要するに、悟りを欲しがる実体も、悟りを加速できる実体も、悟り
に逆らえる実体も、そんなものは初めからいないわけです。(^^;)

個人幻想の発生も消滅もすべてが、神の意志に従っている。

神のシナリオが展開されているだけ。

神の自作自演、神の自画自賛……。(*^_^*)

自慢する神もいない……誰が……誰に?

こりゃ、「リーラ」としか言えないわ。(^_-)

だから、ラマナ・マハルシの真実にもつながるわけですね。

------------------------------------
 質問:由意志は幻想だとあなたは言うのでしょうか? つまり、
    選択そのものが幻想で、それは存在せず、すべては必然で
    あると?
 
 はい。
 まったくそうです。
 
 質問:それは私たちが運命と定義しているものとは、どう違うの
    でしょうか?
 
 必然が運命です。
 しかしこの運命は、自然の法則の一部である事実に従っています。
 またそれは最初の真実にも従っています。
 その真実とは、ラマナ・マハルシが言ったように、
 「創造もなければ、破壊もなく、道もなければ、目標もなく、
  自由もなければ、運命もない。
  何も起こったことがなかった」
 というものです。
 これに従っているので、私たちは霊的進化、科学的進化、芸術や
 学問の進化、現象の中のすべて、空間時間のすべてに関するこう
 いった観念をもつことができるのです。
 あらゆることは何も起こったことがないという、この基本的真実
 に従わなければなりません。
 もしこれが受け入れられるなら、他の何も観念として使われる必
 要がありません。
 
 『意識は語る』(p569-570)
------------------------------------

> 質問:自由意志は幻想だとあなたは言うのでしょうか? つまり、
>    選択そのものが幻想で、それは存在せず、すべては必然で
>    あると?
> 
> はい。
> まったくそうです。

今なら、こういうメッセージに何の違和感もありませんが、初めて
聞いた頃は理解できるような気がしなかったですよね。

自由意志はないとか、行為者などいないとか……。

> 質問:それは私たちが運命と定義しているものとは、どう違うの
>    でしょうか?
> 
> 必然が運命です。

はい。

> しかしこの運命は、自然の法則の一部である事実に従っています。

これはどういう意味でしょうね。

自然科学の法則みたいな意味合いか、それとも自然を観察して得ら
れる事実みたいな意味か。

> またそれは最初の真実にも従っています。

(-_-)?

> その真実とは、ラマナ・マハルシが言ったように、
> 「創造もなければ、破壊もなく、道もなければ、目標もなく、
>  自由もなければ、運命もない。
>  何も起こったことがなかった」
> というものです。

ああ……。

なるほど。

真我を実現した後は、真我以外に存在するものはない。

> これに従っているので、私たちは霊的進化、科学的進化、芸術や
> 学問の進化、現象の中のすべて、空間時間のすべてに関するこう
> いった観念をもつことができるのです。

柔らかいですねぇ、この方のおっしゃることは。

> あらゆることは何も起こったことがないという、この基本的真実
> に従わなければなりません。

はい。

> もしこれが受け入れられるなら、他の何も観念として使われる必
> 要がありません。

わかりました。

(-||-)

それとですね、この『意識は語る』には、ラメッシ・バルセカール
を個人的に悩ませた、とても重要な知見が語られています。

これは、『私は在る』のすべての読者にとってとても重要な知見だ
と思うので、ここでもシェアさせていただきます。

(シェアなんて、無断で掲載しているだけだけど。(^_-) )

例の、「『私は在る』に気づきの焦点を合わせつづけなさい」とい
ったマハラジの指示に関することです。

------------------------------------
 質問:マハラジは『アイ・アム・ザット私は在る』の中で人々に、
    「私は在る」の感覚にしがみつくように何度も勧告しまし
    た。
 
 そういった答えは、何かをする必要のある人に与えられました。
 カルマ・ヨーギのような行動タイプの人にとっては、ただ理解す
 るように言われることは、ものすごく困難なことでしょう。
 
 マハラジが「『私は在る』のなかにとどまりなさい」と言ったと
 き、彼が誰に向かってそれを言っているのかを理解することが、
 私にとってはとても困難でした。
 それがあなたの質問でもありましたね?
 
 質問:はい。でも、それが六ヶ月も続かなければいいと私は願っ
    ています。
 
 もしそれが六ヶ年続かなければ、あなたは感謝できます!
 でもそれは基本的質問でした。
 その質問は毎朝、そしてそれ以後一日中私を悩ませました。
 ついに、「ただ在りなさい」とか「『私は在る』の中にとどまり
 なさい」というような提案は、一人の「自分」に向けられたもの
 ではないという突然の理解がありました。
 もし私が、「自分」は意識の中の単なる見かけにすぎないという
 根本的真実を受け入れたなら、もはやそれ以上何もすべきことは
 なかったのです。
 
 こういった受容はすべての場合において、すぐに来るわけではあ
 りません。
 それが来るまでの、この受容が確固となるプロセスの間の、ある
 一定の指針を必要としている「自分」に、マハラジは話しかけて
 いたのです。
 彼はそういった指針を必要としていない人に、提案を向けていた
 わけではなかったのです。
 彼がすでに明確にした根本的事実は、意志と独立した選択と決意
 をもつ分離した実体としての人間というような対象物はないとい
 うことです。
 
 『意識は語る』(p500-501)
------------------------------------

> 質問:マハラジは『アイ・アム・ザット私は在る』の中で人々に、
>    「私は在る」の感覚にしがみつくように何度も勧告しまし
>    た。

私もそうでしたが、このマハラジの指示に悩む人は多いですよね。

以下が、ラメッシ・バルセカールの理解と解説です。

> そういった答えは、何かをする必要のある人に与えられました。

こういうことだったんですね。

> カルマ・ヨーギのような行動タイプの人にとっては、ただ理解す
> るように言われることは、ものすごく困難なことでしょう。

なるほど。(-_-)

> マハラジが「『私は在る』のなかにとどまりなさい」と言ったと
> き、彼が誰に向かってそれを言っているのかを理解することが、
> 私にとってはとても困難でした。

別のところで、この指示は自分にとっては拷問だったとラメッシは
言っています。

> それがあなたの質問でもありましたね?
> 
> 質問:はい。でも、それが六ヶ月も続かなければいいと私は願っ
>    ています。

質問者は、ラメッシ・バルセカールがこの指示について六ヶ月間、
悩みに悩んだことを聞いて知っているんですね。

> もしそれが六ヶ年続かなければ、あなたは感謝できます!

まったくです。

> でもそれは基本的質問でした。

そうなんです。

『私は在る』の全読者にとっても基本的質問です。

> その質問は毎朝、そしてそれ以後一日中私を悩ませました。

四六時中「私は在る」の感覚にとどまろうとするわけですから。

そして、あるとき、ラメッシはハット気がつくのです。

> ついに、「ただ在りなさい」とか「『私は在る』の中にとどまり
> なさい」というような提案は、一人の「自分」に向けられたもの
> ではないという突然の理解がありました。

ここでいう“一人の「自分」”とは、ラメッシ自身のことでもあり、
あらゆるタイプのエゴというニュアンスでもあるしょうか。

> もし私が、「自分」は意識の中の単なる見かけにすぎないという
> 根本的真実を受け入れたなら、もはやそれ以上何もすべきことは
> なかったのです。

エゴは「主体」ではないという事実を受け入れたのなら、それ以上
すべきことは何もなかった、とわかった。

> こういった受容はすべての場合において、すぐに来るわけではあ
> りません。

いろんなタイプ、いろんな理解の人がいるわけですものね。

> それが来るまでの、この受容が確固となるプロセスの間の、ある
> 一定の指針を必要としている「自分」に、マハラジは話しかけて
> いたのです。

相手の必要に応じて生じる言葉が、記録された場合に起こる誤解の
可能性でしょうね。

> 彼はそういった指針を必要としていない人に、提案を向けていた
> わけではなかったのです。

マハラジの通訳者本人の言葉です。

> 彼がすでに明確にした根本的事実は、意志と独立した選択と決意
> をもつ分離した実体としての人間というような対象物はないとい
> うことです。

根本的には、何かをできる人などいないわけです。

だから

「努力が必要となるときは、努力が現れるだろう。
 努力を要しないことが本質的となったときは、それが現れるだろ
 う。
 あなたが生を推し進める必要はない」(『私は在る』(p157))

とも言ったわけですよね。

それからもうひとつ、これもとても重要な知見、覚者たちが言葉を
使わなければならない、ということに触れた部分があります。

覚者たちは、いつも【受動態】で話すわけにはいかない、というの
です。(*^_^*)

それはそうですよね。

だから覚者が語った「描写」が、われわれには「処方」と聞こえて
しまうことがあるのだ、と。

------------------------------------
 言葉の使用から生じる誤解
 
 質問:『アイ・アム・ザツト 私は在る』の中で、マハラジはい
    つも「あなたにできることは何もない。でも、あなたは静
    かにして、源泉に戻り、『私は在る』の中にいなければな
    らない」と言っています。
    でも、私はそれもできないのです。
 
 はい。
 前にも言ったように、六ケ月間、同じ問題が私をほとんど狂乱さ
 せました!
 あなたの言わんとしていることは、マハラジはあなたができない
 何かをするように求めているということです。
 
 彼はそれがあなたにできる唯一のことだと言います。
 そして私は「さて、それさえも私はできない。だから私は本当に
 混乱している」と言うのです。
 
 ですから私は、マハラジは「誰」にも何かをするように求めてい
 るわけではない、と理解するようになったのです。
 
 彼はしばしば
 「悟りの前提条件は何ですか?
  あるいは少なくとも、それが始まる前提条件は何ですか?」
 と尋ねられたものです。
 彼は「熱意」と答えたものでした。
 それから話している最中に、彼は「あなたは熱心にならなければ
 ならない」という句を使いました。
 わかりますか?
 するとあなたは
 「どうやって私は熱心になるのですか?」
 と尋ねることでしょう。
 
 でも、彼が本当に意味していたことは、熱意があるときだけ、そ
 のプロセスが始まるということです。
 人は言葉を使わなければならないのです。
 
 ラマナ・マハルシを訪問したある人が、あらゆることが非常に受
 身である意識の状態を時々経験することがあると言いました。
 彼は音を聞き、匂いを嗅ぎますが、それに対して何の反応もなか
 ったのです。
 それで彼はラマナ・マハルシに、
 「これは良い状態でしょうか?」
 と尋ねました。
 すると、ラマナ・マハルシは
 「それはまさに目指されるべき心の状態、意識の状態である」
 と言ったのです。
 わかりますか?
 彼は「目指されるべき」という言葉を使わねばなりませんでした。
 しかし彼は、誰かによって目指されるべきという意味で言ったの
 ではありませんでした。
 
 それから彼は
 「でも、その状態は時々起こるだけなので、あなたには疑いがあ
  るのです。
  だから、それを表現したのです。
  でも、この状態がもっと頻繁に起こるとき、あなたは疑いをも
  たないことでしょう」
 と付け加えました。
 
 ですから、言葉は使われなければなりませんが、しかしながら、
 こういった言葉は何ヶ月もの苦悶を生み出すことがあります。
 私は個人的経験からそのことを保証します。
 
 質問:で、あなたは何をしたのですか、あるいは、何をしなかっ
    たのですか?
    
 マハラジは誰にも何かをするように求めているわけではない、と
 いう理解がやって来るまで、ただ苦悶の中で待っていました。
 それから、「そうか!」でした。
 でもそれは、この肉体精神機構に起きなければなりませんでした。
 マハラジが言っていることは、処方ではなく、描写であるという
 理解がやって来なければなりませんでした。
 
 『意識は語る』(p500-501)
------------------------------------

(-||-)

これは、じつに的確なありがたい解説ですね。

なるほど (@_@)、と思いました。

> 彼はしばしば
> 「悟りの前提条件は何ですか?
>  あるいは少なくとも、それが始まる前提条件は何ですか?」
> と尋ねられたものです。
> 彼は「熱意」と答えたものでした。

ええ。

> それから話している最中に、彼は「あなたは熱心にならなければ
> ならない」という句を使いました。

そうそう。(*^_^*)

> わかりますか?
> するとあなたは
> 「どうやって私は熱心になるのですか?」
> と尋ねることでしょう。

ですよね。

> でも、彼が本当に意味していたことは、熱意があるときだけ、そ
> のプロセスが始まるということです。

そういうことだったんですね。

ほんと、納得です。

> 人は言葉を使わなければならないのです。

たしかに。

“悟りを得るために、あなたにできることがある”とマハラジが
言っていたと思うかぎり、緊張が起こりますよね。

マハラジは“あなたにできることは何もない”と言っていたのだと
思うと、pariパターンなどはホッとします。

そもそも何かができる「あなた」なるものは存在しない。

そのことを理解するだけだが、その理解を起こすことすら、
あなたにできることではない、と。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.ラングフォードの言葉:
           【第十四章 体験 旅 最終目的地(6)】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

「第十四章 体験 旅 最終目的地」のなかの
前回からの「最終目的地」のつづきです。

マイケル・ラングフォードもまた、神の表現なんでしょうね。

------------------------------------
(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p156-159)
------------------------------------

今回は、ここまでです。

同じラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジに導かれながら
も、いろいろな顕現の形がありうるのですね。

全体的に、だいぶ終わりが見えてきました。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………



『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

すべては神の意志に従って起きている。

この顕現のなかに何かをしている実体など何ひとつ存在しない。

自分がしているというこの感じも含めて、すべてはただ起こってい
るだけ。

起こるべきことを覆して何かを起こせるような、どんな実体も存在
していない。

ただ起こることになっていることが起こっているだけ。

こんなメッセージを受け容れられるようになるとは……。

pariパターンというのは、それを受け容れられるようになるのに、
かれこれ10年を要するパターンだったということでしょう。

グルから告げられた同様のメッセージを、ニサルガダッタの場合は
即座に全面的に受け容れたそうです。

そしてそのメッセージが真実であることを自ら体験的に確認したく
なるパターンだったということでしょうね。

ふーむ。

誰のためでもなく、誰もいない部屋で、テレビドラマは放映されて
いるのかぁ……。

今日は、すっかり昏くなりました。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセ通』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と
『melma』 http://www.melma.com/ を利用して発行しています。
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2014 paritosho
↑コピーレフトの概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
------------------------------------------------------------