home > 通信 >『アセンション館通信』(第568号):『意識は語る』その2(時間の観念)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/03/01(第568号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こったこと、いま起こっていること、起こるであろうこと
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在870名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『意識は語る』その2(時間の観念)

2.ラングフォードの言葉:【第十四章 体験 旅 最終目的地(7)】

3.いただいたお手紙から:人生に悩む40代さん

4.「ご投稿・情報提供」:はるさん

5.編集後記
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■ 1.『意識は語る』その2(時間の観念)
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起こるべきことが起こっているので、望むべき状態があるわけでは
ありません。

しかもなお何かを望むという状態があるのなら、それが起こるべき
ことであるからでしょう。(^_-)

すべてはジョークですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

あの後、今度はポチポチ、ラメッシ・バルセカールの『意識は語る』
の前半を読んでいます。

読む速度はとても減速して、まだ全部は読んでいません。

『私は在る』に出会って十年も経ったせいか、マインドのパターン
も関係あるのか、ラメッシの表現にはとても納得します。

とても安心しますね。

たとえば、こんな感じです。

------------------------------------
 (質問)悟っている人と自分は悟っていることを知らない人は、
     どう違うのでしょうか?
 
 まったく何の違いもありません。
 それがまさに私が言っていることです。
 悟りは単に非個人的出来事です。
 私たちはそれに個人的達成という汚れを与えています。
 それゆえ、質問が起こるのです。
 「悟った存在とはどんなものか?」と。
 悟った人というような人はいません。
 悟りは単なるもう一つの出来事です。
 洪水があり、火事があり、地震があり、悟りがありと、全プロセ
 スのただの一つの出来事で、すべては現象的プロセスの一部です。
 
 悟りは現象の中において重要性があります。
 それゆえ、それはまだ観念です。
 現象において、心は原初の虚空の状態はどんなものかを知りたが
 ります。
 それはまさに熟睡の状態がどんなかを知りたがるようなものです。
 でも、誰もそれを尋ねません。
 なぜなら、あらゆる人が熟睡の経験をもっているからです。
 ですから、「それはどんなものか?」という質問は、人生で一度
 も眠ったことがない人にだけ起こりえます。
 その人だけが「熟睡の状態とはどんなものか?」と尋ねることが
 できます。
	 
 『意識は語る』(p59) 
------------------------------------

> (質問)悟っている人と自分は悟っていることを知らない人は、
>     どう違うのでしょうか?

この質問の前に、動物のラマの話題が出ています。

つまり、ラマには「知力」がないので、束縛という観念がない。

束縛の観念がないから、解放とか悟りとかいう問題もないと。

その連想からでしょうね、この質問が出てきたのは。

では「知力」のある人間で「自分は悟っていることを知らない人」
の場合は、どうなんだろう、と思ったわけでしょう。

だから、この質問者の【自分は悟っていることを知らない人】には
通常の人間は入っていないのかもしれません。

> まったく何の違いもありません。

この、ラメッシ・バルセカールの答えの方の括りには、通常の人間
がすべて含まれそうですね。

> それがまさに私が言っていることです。

はい。

> 悟りは単に非個人的出来事です。

要点はここ↑です。

> 私たちはそれに個人的達成という汚れを与えています。

「個人」が存在するという前提で話すかぎり、【個人的達成】とい
う汚れは必ず付着することになりますよね。

> それゆえ、質問が起こるのです。

「悟っている人」と「自分が悟っていることを知らない人」はどう
違うのか?、というような質問が。

> 「悟った存在とはどんなものか?」と。

なるほど。(*^_^*)

> 悟った人というような人はいません。

この言葉も、話し手でずいぶんニュアンスの変わる言葉ですね。

> 悟りは単なるもう一つの出来事です。

この内容を、こんなふうに語ってくれた方はこれまではいない。

ラメッシ・バルセカールが語ると、すべては自然現象です。

> 洪水があり、火事があり、地震があり、悟りがありと、全プロセ
> スのただの一つの出来事で、すべては現象的プロセスの一部です。

すべては、(源泉から流れ出している)現象的プロセスの一部とい
うニュアンスになるんですよね。

> 悟りは現象の中において重要性があります。

ええ、たとえば、人間たちは重要だと思っている。(^^;)

> それゆえ、それはまだ観念です。

まったく。

> 現象において、心は原初の虚空の状態はどんなものかを知りたが
> ります。

ああ、まさにです。

> それはまさに熟睡の状態がどんなかを知りたがるようなものです。

おお。(@_@)

> でも、誰もそれを尋ねません。

なるほど。(^^;)

> なぜなら、あらゆる人が熟睡の経験をもっているからです。

そのとおりです。

> ですから、「それはどんなものか?」という質問は、人生で一度
> も眠ったことがない人にだけ起こりえます。

そういうことですね。

> その人だけが「熟睡の状態とはどんなものか?」と尋ねることが
> できます。

わかりました。

物心ついて、自分が「個人=行為者」だという観念に取り憑かれた
者だけが、「悟りとはどんなものか?」と気にする。

そしてそのこと全体が“起こるべきこと”、自然現象なんだ。

この『意識は語る』には、「時間」の観念について語られた場所が
あります。

こんな感じです。

------------------------------------
 存在するすべては意識です。
 あなたと私はこの空間に投影されている単なる対象物にすぎませ
 ん。
 空間と時間は単なる観念、対象物が拡大されるためのメカニズム
 にすぎません。
 三次元対象物が拡大されるためには、空間が必要です。
 そして、その対象物が観察されるためには、時間が必要です。
 その対象物が観察されないかぎり、それは存在しません。
 
 ですから、空間と時間は単なる観念で、ある現象が起こり、観察
 されるために創造されたメカニズムにすぎません。
 過去数年間、科学がかなりいい線をいっているのは驚くべきこと
 です。
 科学も同じようなことを言っています。
 それは、空間と時間は現実ではないと言っています。
 「もしあなたが、過去が未来に向かって行く、あるいは未来が過
  去に向かって行くと考えるなら、それ以上間違っていることは
  ないでしょう。
  そんな流れはありえないのです。
  すべてが今あるのです」
 と言ったのは、フレッド・ホイル卿(イギリスの天文学者、
 SF小説家。一九一五〜二〇〇一)だったと思います。
 
 私が提案できる最も近い比喩は次のことです。
 もし長さ一マイル高さ十階建ての絵があるとしたら、すべてはそ
 こにあるわけです。
 でも、あなたが片方の端から別の端まで見るためには、ある時間
 がかかります。
 私たちは一目で絵全部を見ることができませんし、人間の心はそ
 れをすることができないので、私たちは時間という観点で考える
 のです。
 でも、すべてのことが全部そこにあります。
 
 質問:あなたが今言ったように、私たちは全部を見ないので、そ
    のほんの一部だけしか見てないわけですね?
 
 部分ごとです。
 ですから、あなたが終わりまで行く頃には、時間が経過していま
 す。
 時間という観念が経過したのです。
 
 質問:ということは、実際、私たちは時間と空間によって、制限
    されているということですね?
 
 そのとおりです。
 私たちは時間と空間、そして知力によって制限されています!
 
 『意識は語る』(p92-93)
------------------------------------

あまりにも明瞭に語られていて、こんなに簡単に理解できることが
なぜこれまで理解できなかったんだろうと思えるほどです。(^^;)

> もし長さ一マイル高さ十階建ての絵があるとしたら、すべてはそ
> こにあるわけです。

この超巨大ミュージアムに展観されている絵画を鑑賞しようとした
ら、まあ、いわゆる【今の一瞬】では無理ですよね。

でも、事実は、今この瞬間に、すべての細部は存在している。

> でも、あなたが片方の端から別の端まで見るためには、ある時間
> がかかります。

はい。

> 私たちは一目で絵全部を見ることができませんし、人間の心はそ
> れをすることができないので、私たちは時間という観点で考える
> のです。

時間をかけて一つひとつの細部を眺めていくしかないですよね。

> でも、すべてのことが全部そこにあります。

でも、すべては今この瞬間に、現にあるわけですよね。

本当に、わかりやすいお話でした。(-||-)


また、ラメッシは別のところで、「リーラ」についての別のイメー
ジを語っています。

------------------------------------
 質問者:以前あなたは、分離した人と一体化するのは意識である
     と言いませんでしたか?
 
 そのとおりです。
 現象のプロセスとその機能において、その機能が起こるために、
 このゲームというかリーラが起こるために、こういった愛と憎し
 みの関係が起こるために、意識は個々の機構にそれ自身を一体化
 させるのです。
 今、あなたが劇を書いていると仮定しましょう。
 あなたは六人の登場人物を創造し、そして、その六人すべての人
 物を自分で演じているのです。
 あなたは一人の登場人物になり、それからあなたが別の登場人物
 に話しかけるとき、スポットライトは今話している登場人物とし
 てのあなたに当たります。
 それからスポットライトが一瞬消え、あなたは別の登場人物にな
 ります。
 スポットライトか戻り、あなたは二番目の登場人物のように話し
 ます。
 でも、誰が話しているのでしょうか?
 これら六人の登場人物がそこにいるわけではありません。
 あなたがそれぞれのパートを演じているのです。
 劇を作っているのも、すべての登場人物を演じているのも、ただ
 あなただけです。
 もしこれらの六人の登場人物が知覚と知力を注入されているとし
 たら、彼らは誰がより重要で、誰がより魅力的かをめぐって、お
 互いに争い始めることでしょう。
 それがまさにこの夢の演劇の中で起こっていることです。
 目覚めがあるとき、あなたはただ眺めていることでしょう。
 あなたはただ眺めて、観照しています。
 
 『意識は語る』(p182)
------------------------------------

ふう。

これまた、見事なまでに、わかりやすいですね。

> 今、あなたが劇を書いていると仮定しましょう。

はい。

> あなたは六人の登場人物を創造し、そして、その六人すべての人
> 物を自分で演じているのです。

はい。

> あなたは一人の登場人物になり、それからあなたが別の登場人物
> に話しかけるとき、スポットライトは今話している登場人物とし
> てのあなたに当たります。

もちろん。

> それからスポットライトが一瞬消え、あなたは別の登場人物にな
> ります。

はい。

> スポットライトか戻り、あなたは二番目の登場人物のように話し
> ます。

はい。

> でも、誰が話しているのでしょうか?
> これら六人の登場人物がそこにいるわけではありません。

たしかに。

> あなたがそれぞれのパートを演じているのです。

ですね。

> 劇を作っているのも、すべての登場人物を演じているのも、ただ
> あなただけです。

はい。

> もしこれらの六人の登場人物が知覚と知力を注入されているとし
> たら、彼らは誰がより重要で、誰がより魅力的かをめぐって、お
> 互いに争い始めることでしょう。

間違いなく。(^_-)

> それがまさにこの夢の演劇の中で起こっていることです。

そっかぁ。

> 目覚めがあるとき、あなたはただ眺めていることでしょう。

ああ、なるほど。

> あなたはただ眺めて、観照しています。

わかりました。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.ラングフォードの言葉:
           【第十四章 体験 旅 最終目的地(7)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。

「第十四章 体験 旅 最終目的地」のここでは、ラングフォード
は「意識を愛する法」というメソッドを紹介しています。

「意識を愛する法」とそれにまつわる説明です。

------------------------------------
(本文は配信メルマガでお読みください。)

 『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p159-161)
------------------------------------

今回は、ここまでです。

方便というのは指導者によってとても違うものですね。

同じラマナ・マハルシとニサルガダッタ・マハラジに導かれながら
も、いろいろな顕現の形がありうるものです。

もう残り数ページになりました。

少しずつ、ご紹介していきます。

(-||-)

       ………○…………○…………○………


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■ 3.いただいたお手紙から: 人生に悩む40代さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回、人生に悩む40代さんという方からご投稿をただきました。

早速ご紹介させていただきます。

【件名】: pariさんはじめまして?
------------------------------------
 pariさんはじめまして?
 
 ラメッシの意識は語る発売してすぐに購入したんですが、仕事な
 どでなかなか手が付けれません。
 
 今は、ページ数が少ないという理由から、すでに目覚めている
 ネイサン・ギル(著)
 
 を、少しずつ読んでいます。
 
 ラメッシやほかの覚者たちと根本は同じことを言っているんです
 が、表現が違うと全然違うような感じになります。
 
 ネイサンには「探求を終わらせることができる<あなた>はいな
 い」と言っているのですが、この本は今までの非二元の本と違い
 期待しているとがっくりとしてしまいます。
 
 あなたはいないと言われてもいるようにしか感じられないんです
 からどうしよもないです。
 
 pariさん毎週楽しみにしています。
 
 では失礼します。
 
 人生に悩む40代
------------------------------------

> pariさんはじめまして?

ホントですね、はじめまして。(^_-)

> ラメッシの意識は語る発売してすぐに購入したんですが、

そうだったんですか。

> 仕事などでなかなか手が付けれません。

わかります。^^;

> 今は、ページ数が少ないという理由から、すでに目覚めている
> ネイサン・ギル(著)
> 
> を、少しずつ読んでいます。

そうでしたか。

> ラメッシやほかの覚者たちと根本は同じことを言っているんです
> が、表現が違うと全然違うような感じになります。

ええ、お一人おひとり、違いますよね。

それぞれが源泉から流れ出す作品なのでしょう。

> ネイサンには「探求を終わらせることができる<あなた>はいな
> い」と言っているのですが、この本は今までの非二元の本と違い
> 期待しているとがっくりとしてしまいます。

あはは。(^^;)

> あなたはいないと言われてもいるようにしか感じられないんです
> からどうしよもないです。

あーあ、なるほど。

ネイサン・ギルの『すでに目覚めている』は読んでいませんが、

「探求を終わらせることができる<あなた>はいない」という
メッセージ自体は、わたしにも言えます。

じゃ、ここだけ、わたしの理解でご説明しましょうか。

これは、人生に悩む40代さんがおっしゃるような
「いるようにしか感じられない」
という状態を直接左右するようなことではありません。

ただ単に「探求を終わらせることができる<あなた>はいない」と
いう事実を述べたものです。

もちろん、いわゆるシフト(悟り)が起こったら、そのパターンに
とっては、当然、“感じ”そのものの変化もあるでしょう。

でも、それだけなら、シフト(悟り)が起こっていない我々だって、
自分は「いるようにしか感じられない」と自慢すればいい。(^^;)

それなら単なる経験の自慢合戦で、どうということもありません。

でも、ネイサン・ギルが言っている、「探求を終わらせることがで
きる<あなた>はいない」とは、事実の理解に関することです。

いわゆる覚者たちが、通常理解もされないことを、あんなに何度も
確信を持って語るのは、それが事実だからです。

あなたは誤解している、事実はこうだ、と言っているわけです。

その我々の誤解とは、たとえば、こういうことです。

「私は気づいている」という言い回しがあります。

たとえば、人生に悩む40代さんも「私は気づいている」と言います。

pariパターンも「私は気づいている」と言います。

じゃ、人生に悩む40代さんは、その「気づき」を所有しているので
しょうか?

pariは「気づき」の所有者でしょうか?

【人生に悩む40代】さんという実体が存在していて、その実体が、
自分の「気づき」を所有しているのでしょうか?

もし人生に悩む40代さんが実体として存在していて、自分でそれを
知っているのなら、いかなる心配も起こりえないでしょうね。

自分に実体があり、自前で存在しているのなら、その存在を脅かす
ものは何もありえないわけですから。

でも、実際は、我々は心配している。(^^;)

それは、じつは“自分”が単なるイメージで、観念操作で取り繕わ
なければならないと知っている(思い込んでいる)からです。

我々人間は言葉を使わなければなりません。

その言葉は習慣で形成されるわけですから、それ自体が観念です。

我々が「私は気づいている」というのは単なる語法です。

“自分”という実体が存在していて、その実体が自分の「気づき」
を所有しているわけではない。

その逆に、実際は存在しているのはその「気づき」のほうで、その
「気づき」のなかに“自分”という想念が湧いている。

言い換えると、【人生に悩む40代】さんの「気づき」と、pariの
「気づき」とは、まったく同じものだということです。(*^_^*)

そして「気づき」のなかで【人生に悩む40代】さんの身体や、pari
の身体が生成され、記憶が蓄積されて物語が生成されるだけです。

そして、そのこと自体も、個々の【人生に悩む40代】さんやpariの
手柄ではなくて、意識の一人芝居のほんの小景にすぎません。

現象のなかの我々は、「自分」がいるとしか思えないし、その自分
が何かをできると想像し、誤解するようになっています。

でもそれは、我々に事実その能力があるからではなくて、ただそう
思うようになっているからにすぎません。

これは、最近の地上の科学もそういう結論に達しているようです。

とまあ、いったようなことが『意識は語る』には書かれているよう
なんですよね。

自惚れた我々も、バカな我々も存在しない。

ただ、無人の映画館で、スクリーン上に誰も見ていない映画が上映
されているのでしょう。

「創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、自由もなく、
運命もなく、何も起こっていない」とラマナが言ったそうです。

> pariさん毎週楽しみにしています。

いやー、お陰で演説しちゃいました。(*^_^*)

> では失礼します。

ご投稿、嬉しかったです。(^^)/

> 人生に悩む40代

初恋にワクワクする十代も、人生に悩む40代も、いいですよね。

もちろん、なくてもいいんだけど、でも、

「関心をもっているのはあなたなのだ!」

というわけですから。(^_-)

ありがとうございました。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


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■ 4.「ご投稿・情報提供」:はるさん
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『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


今回、本当に久しぶりにはるさんから情報のご提供がありました。

早速、紹介させていただきます。

【件名】: こんにちは。
------------------------------------
 みなさん、こんにちは。
 
 西久保はるひろです。このような会を主催しています。
 http://blog.goo.ne.jp/hs33_001
 
 このメルマガのタイトルである「アセンション館通信」の意義・
 目的を明確にする意味から、また偏向を生じさせないバランスの
 観点からも、下記のような情報を伝えておくことが役立つと思い
 投稿しました。お役に立てば幸いです。
 
 http://aishanorthinjapanese.blogspot.pt/
 活路の見付け方 パート434 2015年2月24日
 
 CCからのメッセージ(チャネラー)アイシャ・ノース
 
 皆さんの内では多くのことが変化し、もう戻ることはできなくな
 っていることでしょう。いつもながら、内なる転換に伴う外的現
 象はなかなか見えないかもしれません。ですが皆さんの頭につい
 ている、その目という名の穴を通して見えるものは実際にそこで
 把握し得るもののほんの数パーセントにしか及びません。
 ですからもう一度思い出していただきたいのですが、皆さんの目
 の前にあるものだけがすべてはないのです。
 この「現実」というわずかな表面的提示を超越して見る方法があ
 ります。それはハートを通して見るということです。ですがもう
 ご存知の通り、ハートと言っても主に皆さんの物理的乗り物とい
 うショーを仕切っている、実際の心臓のことではありません。
 ハートとは皆さんのある部分ですが、物理的乗り物の中にはあり
 ません。ただハートはその乗り物と交流してゆくことを選択した
 ので、皆さんも物理的制限を超越してものごとが見え始めてくる
 ことでしょう。
 
 この回りくどい言い方で私達は何を伝えようとしているのでしょ
 う?単に、皆さんはできるだけ頻繁に、思いつく限り多くの場で
 身体の限界を超えるという課題が与えられる、ということです。
 おわかりでしょう、皆さんのマインドが課してくる限界はまだそ
 の肉体という境界線の中に閉じ込められています。皆さんがそれ
 を超えようとしない限り、この乗り物によって割り当てられた小
 さな作付スペースが皆さんを制御し続けることになります。
 どういう意味か、って? 第一に、超越と言っても何も皆さんの
 有形部分から完全に切り離されてくださいと奨励しているわけで
 はありません。そんな風に考えようとする人がまだいますからね。
 そういう人にとってはこの「うつせみ」を離れてシンプルにエー
 テルへと流れてゆくのが何よりなのです。
 
 そうですね、その場合そもそも皆さんがなぜここにいるか、その
 理由を大きく誤解しているとだけ言っておきましょう。皆さんは
 この地球の一部となることを選び、その肉体という存在の内に入
 って姿を現しました。この長期にわたるプロセスを完了させ、こ
 の物理的乗り物をこれっきり脱いでまた元来た場所へと戻ること
 を自らに許可するためにここにいるのではありません。実際、
 物理的乗り物の中に入ってここに「存在する」ためにいるわけで
 すが、その中に居ながらにしてその乗り物の限界を「超えて」変
 容することが目的なのです。
 
 つまり、皆さんの役割は「新しい」人間となること。表面的に見
 るとあらゆる点でその物理的乗り物は昔のままに見えるかもしれ
 ませんが、エネルギーレベルで見ると大きく異なった別物となる
 でしょう。皆さんはさらにもう一度多次元存在になるためにここ
 にいます。しかも、その物理的乗り物の「中に」居るままで、で
 す。その物理的乗り物の中にいてこそ、皆さんはこの惑星の
 「外見」を変えるために必要な変化を現実として起こすことが可
 能となります。つまり皆さんは「本当の皆さん」を変えることに
 よってのみ、この惑星全体を変えることになります。しかしこの
 物理的な形をとってここに「存在する」必要性を理解できなけれ
 ば、この惑星を変えることなどできません。ええ、まさに言葉通
 りの意味で、です。目覚めるとは完全にそこにいる、ということ
 です−身体の中に。マインドの中に。自らのエネルギーの中に。
 いついかなる時も、すべてにおいてです。
 
 ですから皆さんの上昇は深遠です。その肉体の中に収まったまま
 歩き回っている間に上昇は起きるのですから。ただし、このプロ
 セスには不可欠部分があり、それは感情をその身体から引き離す
 ということです。怠慢にもしくは無神経に扱ったり、思いやりを
 持たないという意味ではありません。そもそも皆さんの身体があ
 ってこそ、このすべてが実現しているのですから。お伝えしたい
 のはつまり、身体の制限を超えて考えてゆかねばならないという
 こと。そして、皆さんのアイデンティティはその物理的乗り物と
 はまったく関係ないということに気づかねばなりません。なぜ
 この点が大切なのでしょう?
 なぜなら、この惑星上で皆さんが経験してきたことはすべて、そ
 の身体の中から味わってきました。そのため、皆さんのアイデン
 ティティというものは皆さんに見えるもの、鏡に映るものに左右
 されます。皆さんのマインドからすれば、それこそが皆さんであ
 り他の誰でもありません。しかしこれからはその顔・手足・体も
 ろもろを超越したものを見る訓練を自ら行ってゆかねばなりませ
 ん−そのためには内に入ることです。繰り返しますが、皆さんの
 求めるものは内です。ですが十分に内に達しさえすれば、皆さん
 は真にどれほど深遠であるかがわかることでしょう。皆さんは無
 限なる存在であり、私達がハートと呼んでいるもの以外にホーム
 (故郷)はありません。皆さんのハートはあの光の小さな点で、
 皆さんの振動に合わせて設定されています。存在するものの中で
 唯一、あの署名(サイン)となるメロディを携えています。そこ
 に皆さんのハートがあるのです。皆さんのハートは光のフォトン、
 任務を与えられてあの壮大でキラキラ輝く特異点の集まりの大海
 から分裂していった特異点です。その任務とは、皆さんの周波数
 がこのいつ終わるとも知れぬ旅で出会った他の特異点達の周波数
 と交流してゆくと何が起きるか、それを探究することです。
 
 そしていま、皆さんはこの惑星地球に旅をしてきました。人間の
 身体の中に入り、他の人間の身体や動物、植物、その他ここに見
 られるありとあらゆる限りない生命体すべての中に収まった他の
 存在達と交流するためです。皆さんにとっての今回の任務はシン
 プルです:皆さんの最も奥の部分、その光の特異点は全創造物に
 おいて表に出てくる他に居場所はありません。その最も奥の部分
 の皆さんが表に現れてくることを許し、皆さんにも周りのすべて
 の人々にもその輝かしい姿を見せてください。そうなって初めて、
 他の人々も自分の内なる火をようやく解放することができるので
 す。この人間の身体という奇跡の中に居る間に輝かしい炎が燃え
 るのを許すこと、そうして初めてこの惑星で物理的な器の中に収
 まっている生命のすべての種も再び命をフルに吹き返すことがで
 きるのです。
 
 ですから、自分は単なる肉体に過ぎないという自身に対する概念
 を手放し、布切れを捨てるがごとくその物理的乗り物から抜け出
 したいという一切の古い概念も消し去ってください。もしそれが
 皆さんの選択であるなら、ここに来ることで既に選んできた道の
 りから身をひくことになり、皆さんの仕事は未完となるでしょう。
 それよりは、新しいバージョンの人間としてもう一度始めるでし
 ょう。自分自身に忠実であり続けてください。そして皆さんの人
 間のすべての部分から光を輝かせてゆきたいという皆さんのその
 衝動に忠実であり続けてください。皆さんのあの一つの部分、皆
 さんである部分が再び生き返らせるのです。そのために本当の皆
 さんに対してYESと言い、皆さんという存在の豊かさを受け入
 れてください。そうすれば皆さんは果てしなく無限に広がってい
 て境界などないのだということがわかります。そしてもう二度と
 ホームを失ったように感じることはありません。その時にわかる
 のです、ホームは皆さんのハートにある、ハートこそ光の在り処
 だと。さあ、その光をここに在らしめる時がきています。
------------------------------------
 
はるさん、紹介させていただきました。
 
全角29文字で改行していただくようお願いします。
 
ではよろしくお願いします。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

すべては神の意志に従って起きている。

幻想上の個人にできることは何もない。

この「できることは何もない」というのが安心の根拠ですね。

「できることは何もない」のだから、個人にできるのは「諦める」
ことだけです。

もちろん、「やるか」「やらないか」の選択肢もありません。

選択できるかのような幻想があるだけです。

まあ、やりたいこと、あるいはやらなければならないことを、やる
だけです。

でも、結果についてはどんなコントロールも持っていない。

“嫌だ”とか“楽だ”とかいう想念は浮かび上がってきます。

それについても、どんな選択肢もありえません。

出来事はすべて、ただ受け容れ、受け流すだけ。

逆らっても仕方がないけど、逆らうことが起こるなら、それもまた
仕方がない。

起こることはすべて、神の意志に従って起きているのですから。

今日は、すっかり昏くなりました。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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