━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2015/03/29(第572号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。
したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在865名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.『これのこと』
2.ラングフォードの言葉:【第十四章 体験 旅 最終目的地(11)】
3.編集後記
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■ 1.『これのこと』
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人生にも“旬”みたいなものがあるのかもな、と思います。
つまり、何かをするために生きているみたいな感じのことです。
気がついたら、どうもその“旬”を過ぎちゃったみたい。(^^;)
あはは。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
こんなメルマガですけど、結構長く書いてきました。
原稿料になるわけでもない、頼まれているわけでもない、質問され
たわけでもないのに、書いてきたわけです、考えてみれば。^^;;
これ、そうとう“自己中”でないと書けないと思いませんか。
自分に関して、その“自己中”の一点が揺らぐことがありうるとは、
思っていませんでした。
そんなことは考えたこともなかった、という意味ですけどね。
ところが、この“自己中”という架空の中核に水でも入り始めたの
か、なんか少し崩れてきているような気がするんです。
このpariパターンという身体が辿る人生やそこに起こる想念に対す
るトータルな関心という意味では、なにかが崩れてきている。
このpariパターンは、いかなる意味でも特別ではないし、たいして
上品でもないし、なんかごく月並みで。(^^;)
夢のなかのただの一人の配役で……。
まあ、たいして特別でもなかったお陰で、こんな想念が湧いている
だけかもしれませんが。
このpariパターンという有機体とそこに湧く想念が紡ぐ人生こそが
自分だという信念は、そんなにいいものじゃないです。
“自他”の比較というのか、いつも惨めになるための空想上の理由
を懸命に探しては、惨めになりたがるだけで。
まるで、pariパターンだけは例外的に優遇された状況でなければな
らない、とでも信じているかのようです。
そして【人がいいことに (^^;)】、そういう想念をすべて“自分”
の能力、“自分”の責任だと思っていました。
いつでも“自分”が意図すれば何かができるという確信があって、
この幻想上の惨めさを増幅再生産しているのです。
とまあ、こんなことを言っても、すっかりその迷妄が晴れたとか、
そんなことを言ってるわけでもないんですけど。
なにしろ、pariパターンは、いつでも土曜日だけは“無礼講”にな
っちゃうので。(*^_^*)
これぐらい、羽目を外しちゃった状態が頃合いかもしれません。
じつは、resonanz360のヒロさんから新しい訳書ジョーイ・ロットの
『それのこと』を贈っていただきました。
この本は自分でも買うつもりだったんですが、アマゾンで予約注文
を入れとかなくて、得しちゃいました。(^^;)
ジョーイ・ロットの弾け方というのは、ヒロさんが惚れ込むのもわ
かりますね。
アメリカはずいぶん多くの先生を輩出していますが、このジョーイ
・ロットはちょっとアメリカ以外からは現れないのでは。
乱暴を演じさせたら、アメリカに勝る土地柄はないかもしれません。
スピリチュアルの先生たちは大なり小なりみなさん極端ですが、こ
のジョーイ・ロットという方もずいぶん過剰で極端な方ですね。
ラメッシ・バルセカールふうの言い方をするなら、こんな知見を書
かせるために、ジョーイ・ロットの人格が造られるのでしょう。
なにしろ、否定のエネルギーが半端じゃない。
ちょっとEOさんを思い出してしまいました。
『これのこと』には二冊の著書と、ビデオシリーズからのQ&Aが
盛り込まれているそうです。
その著書の一冊のタイトルはこんな感じらしいです。
You're Trying Too Hard: The Direct Path to What Already Is
訳書では「しなくてもいい努力 今すでにあるものへの直接の道」
という“章タイトル”として訳されています。
そのなかにいくつもの“項目”が置かれていますが、それがすべて
「しなくてもいい努力」として、それぞれ見事に粉砕されます。
相変わらず引用させていただきますが、こんな具合です。
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信じること
信じられないかもしれないけど、なにかを信じることにはまった
く意味がない。
信じるというのは単に信じるってこと。それだけ。
でも僕らが生きている世界では、信じることにとてつもなく大き
な価値が置かれているように見える。
だから、信じていることの催眠にかかっている人がほとんどだと
しても特に不思議はない。
信じるのは別に悪いことじゃない。
ただ、あるということの単純さと信じることはまったくどんな関
係もないというだけだ。
だから、あるということの単純さを見つけだすために、つまり自
由を探すために、なにかを信じてそれにしがみつくとしたら、そ
れは誤った戦略だし間違いなく失敗する。
『それのこと』(p30)
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こうヒロさんに翻訳されると、まるでジョーイ・ロットが日本語で
しゃべっているような気がしちゃいますよね。(*^_^*)
ジョーイ・ロットが色々な観念の目眩ましを振り払って見つけたも
の、それを表す言葉が「あるということの単純さ」です。
本のなかでジョーイ・ロットは「これ」という指示代名詞も多用し
ています。
だから、ヒロさんは本書のタイトルを『これのこと』にしたのでし
ょうね。
ジョーイ・ロットが見つけた「これ」「あるということの単純さ」
以外は、だからすべて無用な観念の呪縛として否定されます。
ジョーイ・ロットぐらい極端に観念で苦しんだ人だからこそ、この
すばらしい破壊のエネルギーが起こっているのだと思います。
上記の項目は次のようにつづきます。
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信じるのは悪いことじゃないとは言っても、自分が信じているこ
とに執着すると、あるということの単純さがはっきりとは見えな
くなる。
なにを信じていでもそれは単なる思考か観念で、真実と取り違え
られているだけだ。
どんな思考も観念も真実とは違う。
そこに誤りがある。
もっと言うと、直接の経験の中には思考も観念も見つからない。
聖人や先生の中には、あるということの単純さが認識できたとき
心が静かになったという(まざらわしい)ことを言う人たちがい
るけれど、僕はそれをいぶかしく思っていた。
まざらわしいと言うのは、そういう言い方は誤解のもとだから。
思考を静かにしたり止めたりできるという考えにつながりかねな
い。
思考は止められない。
でも直接の経験にとどまることはできる。
それはたった今できる。
思考や名前やラベルや概念を答えとして受け入れるのをただ拒否
する。
避けることができないものにとどまろう。
なにが起こっていても。まったく今あるとおりのこれにただとど
まるだけだ。
直接の経験。
ここではどんな思考も見つけることはできない。
どんな信念も見つからない。
これは信じることよりも前にある。
信じることを超えている。
これは今すでにあるものだ。
なにを信じたとしても、それによって今すでにあるものが与えら
れることはない。
信じることがなにかにつながるとしたら、それは、いつでもここ
にある現実という明噺さ、概念とは関係ないこの明噺さを見えな
くするってことだけだ。
『それのこと』(p30)
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ひとつの項目(ここでは「信じること」)の全体が、こんなふうに
展開されるのです。
> なにを信じていでもそれは単なる思考か観念で、真実と取り違え
> られているだけだ。
この言葉にどれほどの思いが込められているか。
> どんな思考も観念も真実とは違う。
人間は自分が掴んだ観念の価値を信じているので、この当然のこと
が理解されるまで、途方もない手間隙がかかるんですよね。
> 思考は止められない。
これを聞いて、多くの人が安心します。
> でも直接の経験にとどまることはできる。
> それはたった今できる。
これがジョーイ・ロットの発見なんでしょうね。
他に逃げ場がなくて、彼が座り込んだ場所だと思います。
> 思考や名前やラベルや概念を答えとして受け入れるのをただ拒否
> する。
もう余計な解釈で無用に苦しむだけのエネルギーが残っていない。
> 避けることができないものにとどまろう。
この言葉は、禅語ふうに言うなら作家(さっけ)ジョーイ・ロット
を通じて生まれた言葉でしょう。
「避けることができないものにとどまろう」
何も好んでそれ以上に苦しむのか、と。
> なにが起こっていても。まったく今あるとおりのこれにただとど
> まるだけだ。
> 直接の経験。
ただこれ。
> ここではどんな思考も見つけることはできない。
> どんな信念も見つからない。
直接の経験には、どんな信念も見つからない。
> これは信じることよりも前にある。
> 信じることを超えている。
> これは今すでにあるものだ。
> なにを信じたとしても、それによって今すでにあるものが与えら
> れることはない。
なるほど。
> 信じることがなにかにつながるとしたら、それは、いつでもここ
> にある現実という明噺さ、概念とは関係ないこの明噺さを見えな
> くするってことだけだ。
つまり、何も信じなくていい、ということですね。
そう言われたら、困ったりして。(^_-)
まあ、各項目の流れは、こんな感じです。
要するに、全部「しなくてもいい努力」。
そして、何をやっても、「あるということの単純さ」とは「まった
くどんな関係もない」とジョーイ・ロットは言うのです。
ジョーイ・ロットがアメリカ人である意味は、次のような表現に現
れます。
「正しい系統」という項目には、こんなことが書いてあります。
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正しい系統
へんてこなゲームをしていたことがある。系統ゲーム。
「自分の先生は間違いなく正しい系統を継いでいるだろうか」と
いうゲームだ。
……
ガンガジには権威のあかしがある。
なんといっても名前がガンガジだ。
それだけで権威があるってことがわかる。
ガンガジの先生のH・W・L・プンジャ、通称パパジは、ラマナ・マ
ハルシの直弟子だったとされている。
ラマナ・マハルシは完全な認識を得た存在(どんな意味かはわか
らないけど)として広く知られている。
おやおや。
これがどれだけ無意味なことかわかるだろうか。
僕は、本当はどうなのかなと思っていた。
確信が持てなかった。
たしかに、ニサルガダッタとラマナが本物だってこと(実際には
「本物」はいない。あるのはこれだけ)に疑問はなかった(実際
はちゃんと検討しないでそう思い込んでいただけだ)。
なんと言っても、五千万人のエルヴィスファンが間違ってるなん
てことはありえない。
でも、ラメッシは晩年ちょっとおかしくなったとも言われている。
最後の数年に教えていたのは「正統」の非二元じゃなかったとい
う話もある。
それから、パパジもずっと明噺だったわけじゃない。
それだけじゃなくで、パパジはかなり胡散臭い弟子たちを世の中
に何十人も送り出している。
『それのこと』(p30)
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まあ、こんなことを言ってから、こう断言します。
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じゃあ、どうしよう。
完璧な系統を継いでいる完璧な先生はどこにいるんだろう?
系統は無意味だ。
本当に。
嘘じゃない。
あきらめよう。
伝授なんてない。
魔法みたいなスピリチュアルエネルギーなんてない。
あるのはこれだけ。
ほかにはなにもない。
どんな系統もこれを与えてくれることはない。
これは今あるものだ。
なにか別のものを探しまわるのはさっさとやめよう。
『それのこと』(p36-37)
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> 系統は無意味だ。
これ、すばらしいですね。
一度ジョーイ・ロットが言ったら、誰でも賛成したくなります。
でも、インド人や日本人には、最初にこれは言えない。(*^_^*)
> 本当に。
> 嘘じゃない。
> あきらめよう。
丁寧です。
> 伝授なんてない。
うん。
> 魔法みたいなスピリチュアルエネルギーなんてない。
エネルギー関係の感受性がないpariパターンなどは、まったく異論
がありません。
> あるのはこれだけ。
うん。
> ほかにはなにもない。
やっぱり、これを言わせるにはアメリカンパターンが必要です。
「好ましい変化」という項目では、ジョーイ・ロットは自分が座り
込んだ場所をこんなふうに表現しています。
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好ましい変化だけを望んでいるその人はどこにいるだろう。
不変の源泉に逃げ込みたいと思っているその人はどこだろう。
考えている人はどこにいる?
観察している人はどこ?
見ている人は?
自分を自分と呼んでいるその人はどこにいるだろう。
だいぶ前のことだけど、僕はそういうことをすべて理詰めで解こ
うとしたことがめる。
当時かなり筋が通っているように思えたのはこんな考えだった。
もしすべてが変化しているのであれば(実際そうだってことはま
ったく明白だ)、こういう問いに答える唯一の方法は、少なくと
も自身に対してはまったく動いていない地点に立つことだと。
そうやって僕は逃げようとした。
逃げ場はない。
逃げようとするのをあきらめよう。
その逃げかたを考えだしてから、僕の苦しみは最低でも5年は長引
いた。
苦しみが終わったのは、ついに不変の源泉に逃げ込むのに成功し
たからじゃない。
苦しみが終わったのは、これがあるだけだってことが腑に落ちた
からだ。
これと別のなにかなんてない。
逃げ場はない。
すべてから切り離されて存在している個人はいない。
動いていない地点はない。
不変の源泉なんてない。
あるのはこれだけだ。
これを不変の源泉と呼んだっていい。
どんな名前でも同じだから。
でも名前が指しているのはなにかじゃない。
これだ。
どんな名前も嘘だ。
至高の御名であっても。
括弧で囲んで〈源泉〉、〈スピリット〉、〈意識〉、〈神〉、
〈ブラフマン〉と呼んだとしでも。
あるのはこれだけだ。
ただ見てみれば、まさに今これは明白だ。
『それのこと』(p48-49)
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> 苦しみが終わったのは、ついに不変の源泉に逃げ込むのに成功し
> たからじゃない。
> 苦しみが終わったのは、これがあるだけだってことが腑に落ちた
> からだ。
> これと別のなにかなんてない。
ジョーイ・ロットというエネルギーパターンには、こんなふうに起
こったんでしょうね。
でも、別のパターンがこの台詞を聴けば収まる、というわけにもい
きません。
足掻くべきときは、足掻くしかしょうがないんですよね。
> 逃げ場はない。
ジョーイ・ロットにこう言われて、納得がいくエネルギーもあるか
もしれないけど……。
何かをどうにかできる誰かがいるわけじゃないから。
だから、ジョーイ・ロットもこう書くしかないんだけど。
どの演技パターンもその演技で生きられている。
これも観念だけど。(^^;)
ジョーイ・ロットはこうして拘束が外れ、爆発的な表現が現れるこ
とになった。
でも、他のパターンがこの言葉を聞いて拘束が外れる、ということ
は、まあ、起こらないわけですよね。(-_-)
そのパターンなりの表現で生きられるしかないわけだから……。
そして誰もいなくなる。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.ラングフォードの言葉:
【第十四章 体験 旅 最終目的地(11)】
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『The Most Direct Means to Eternal Bliss』
(『永遠の至福への最も直接の手段』)の順次紹介をつづけます。
ここではヒンドゥー教に触れているようです。
まあ、こういう表現が現れる場面もあるのでしょうね。
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(本文は配信メルマガでお読みください。)
『The Most Direct Means to Eternal Bliss』(p164-166)
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今回は、ここまでです。
次回が本当に最後になります。
(-||-)
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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今日は生活的に少し変わったエネルギーが流入した日でした。
ジョーイ・ロット氏が言うように、ただ「これ」以外は何もないは
ずですが、それ以外の余計な観念で迷うんですよね。
今日はすっかり昏くなりました
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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