home > 通信 >『アセンション館通信』(第575号):『これのこと』3(非二元についてのQ&A)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/04/19(第575号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1. 『これのこと』3(非二元についてのQ&A)

2.いただいたお手紙から:vrmrさん、etzkoさん、Myeongwolさん

3.編集後記

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■ 1.『これのこと』3(非二元についてのQ&A)
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昨日、結構重い樹の枝を持ち上げたりして、今日は腕と手指の感じ
がおかしいです。(^^;)

まあ、力仕事は楽しくもあり、くたびれもする。

このところ、庭は季節の花で綺麗です。

ここは少し標高が高いので、ちょっと季節はずれですが、今は桜と、
桃と、紫ツヅジが満開です。

雪柳はもう終わって、レンギョウも終わりかけですね。

ここからは見えませんが、東端の紫木蓮が開きはじめ、そのしたの
鈴蘭の芽もだいぶ高くなってきました。

まあ、自分で名前を知っているのを全部書いているんですが。(^^;)

他に何度聞いても覚えられないのが結構たくさんあります。

ここがこんなに美しくなるときは、一年中で他にはないです。

少し曇ってきて、風が強くなってきましたね。

あ、また日差しが出てきた、すると一瞬、桜の花びらが半透明にな
って輝くんですよね。

一瞬一瞬、変化する。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

ヒロさんが翻訳されるジョーイ・ロットふうの言い方をするなら、
あるのは「これ」だけ、つまり「これ」しかない。(*^_^*)

その時々の気分も含めて……あるのはこれだけ、これしかない。

これ以上に何かがあるかと追い求めれば、要らぬ苦しみを作ったり
もするかもしれないけれど、でも、それがあるだけ。

これは……避けられない。

これからは……逃げられない。(*^_^*)

悪女の深情けと思う人もいるかもしれないし、観音様の慈悲と思う
人もいるかもしれないけど、それは避けられない。

これにまつわる色々な観念が生じるかもしれないけれど、良くも悪
くもない、それがあるだけ。

だから、諦めよう、という言い方を好むパターンもある。

楽しもう、という言い方を好むパターンもある。

みんなで死のう、という状況もあるかもしれない。

みんなで祝おう、という状況もあるかもしれない。

良くも悪くもない。

ただそうなっているだけ。

いろんな意見、いろんな見解、いろんな解釈が生じるけれど、それ
もただ、そうなっているだけ。

どれも誤解で、どれも理解で、判断基準なんてどこにもない。

誰かの企みかもしれないし、誰の企みでもないかもしれないけれど、
でも、現象のなかに誰かなんて存在できるかしら。

いやー、やっぱ、無理じゃね? (^_-)

現象が現象に気づく可能性なんて皆無なことが、最初から自明なパ
ターンもあるだろうし、見当もつかないパターンもあるだろうし。

それはすべて、ただそうあるだけ。

でももし、知覚される何かが、何かを知覚できる可能性など皆無だ
としたら、現象のなかに誰かがいるというのもまた無理。

現象はただの死物、死物だけが知覚され、死物だけが死ぬことがで
きる。

でも、無理が通れば道理引っ込む。(^_-)

赤信号、みんなで渡れば怖くない。

だからいま、こんな現象世界が起こっている。

------------------------------------
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 
 『私は在る』(p228)
------------------------------------

(-||-)

ヒロさんが翻訳されたジョーイ・ロットの『これのこと』に収めら
れている三番目は「非二元についてのQ&A」という章です。

ウェブサイトに公開されているQ&Aからヒロさんが見繕っ翻訳し
てくださっただけあって、どれもとても面白いです。

たとえば、「すべてを解き明かした人」というQ&Aがあります。

------------------------------------
 ──悟ったとき、それと同時に疑念が消え去ったと言っている人
   たちがいます。それは彼らがすべてを完全に解き明かしたと
   いう意味なのでしょうか。自分とは誰かを本当に知っている
   ということでしょうか。覚者と言われる人たちがたどりつい
   た最終的な答えとはどんなものなのでしょうか。私は本当は
   誰なのでしょうか。

 『それのこと』(p151) 
------------------------------------

質問者は立て続けに、こう質問しています。

聞いている質問者の気持ちもとても良くわかります。

自分がこう聞いているんだと思ってもいいですよね。

そしたら、今度はジョーイ・ロットが答えるので、同じように自分
がそう答えているのだと思ってもいいかもしれません。(^_-)

------------------------------------
 いろんな質問が含まれてるね。
 
 まず、「悟ったとき、それと同時に疑念が消え去ったと言ってい
 る人たちがいます。それは彼らがすべてを完全に解き明かしたと
 いう意味なのでしょうか」という点について。
 
 解き明かしたと言ってる人がいるとしたら、僕に言わせればその
 人は勘違いしてる。
 解き明かせる可能性はない。
 解き明かすことのできる人もいない。
 発見があるとしたら、それは、なにも解き明かす必要はないって
 こと、解き明かせるような人は存在してないってことだ。
 それがわかるとこれがすでに平安だってこと、すでに自由だって
 ことに気がつく。
 どんな努力もいらない。

 『それのこと』(p151-152)
------------------------------------

「簡にして要を得た」という表現がありますが、まあ、これなんか
は、その代表じゃないでしょうか。

ジョーイ・ロットがこう言うのを聞いて、その言葉に納得がいった
ら、もうあと何を心配する必要もないんですよね。^^;

でも、そうでもないかもしれない質問者の状態に対して、つづいて
ジョーイ・ロットからはこんな言葉が流れ出します。

------------------------------------
 「解き明かした。私はついに悟った」と言う人がいたら、僕はか
 なり疑うね(笑)。
 それにだいたい、悟りのことなんて誰が気にするっていうんだろ
 う。
 そういうのは負けず嫌いの人と同じだ。
 「私は君よりも特別な人間だ。悟っているんだからね。ものすご
  い修行の結果、悟ったんだ」とか。
 ほかの人から
 「俺も悟ったけど」と言われたら、
 「そうかもしれないが、君のは第一段階の悟りだ。私の悟りは
  第七段階なんだ。はるかに崇高な境地だよ。神秘的な能力だっ
  て私にはいろいろあるぞ」
 とか言う(笑)。
 知ったことか!(笑)
 悟ってる人だとまわりから思われたいとしたら、その点について
 調べてみたらいいかもしれない。
 「私は悟っている」と誰かが言ってるとしても、そんな人が言う
 ことにどうして関心を持ってしまうんだろうっていう点を僕なら
 問題にする。
 特別なものを追いかけてるとしたら、僕の見方ではそれは必ず苦
 しみにつながる。
 特別になる必要なんかない。
 悟る必要はない。
 すべてを解き明かす必要はない。
 すべてを解き明かしたいという強迫的な欲求は苦しみだ。
 解き明かさなきやいけない、もし解き明かせないとしたらそれは
 自分になにか悪い点があるっていう意味で、だから天国には行け
 ないし、地獄で永遠の業火に焼かれることになってしまうんだと
 いうように思い込むことがある。
 その思い込みを信じていると、荒唐無稽な考えがそこからつぎつ
 ぎと生まれる。
 でも、解き明かさなきやいけないことなんてなにもないし、理解
 しないといけないこともなにもない。

 『それのこと』(p152-153)
------------------------------------

じつに、この言葉を生じさせるために、ジョーイ・ロットはたいへ
んな苦難の道を歩まされたわけですよね。

ま、単なる言葉ですけど。

> 「私は悟っている」と誰かが言ってるとしても、そんな人が言う
> ことにどうして関心を持ってしまうんだろうっていう点を僕なら
> 問題にする。

この一連の、ここ↑がツボみたいなもんでしょうか。

だって、その状態は、かならずこう↓なるでしょうから。

> 特別なものを追いかけてるとしたら、僕の見方ではそれは必ず苦
> しみにつながる。

でも、本当に苦しみを通過しないと、たとえ、ジョーイ・ロットが
保証してくれていても、たいてはそんなこと理解されません。

> 特別になる必要なんかない。
> 悟る必要はない。

実際、そうなんですけどねぇ。

------------------------------------
 「自分とは誰かを本当に知っているということでしょうか」とい
 うことだけど、どうだろう。
 「私は自分が誰なのかを本当に知っている」と言う人がいたら、
 僕ならちょっと疑う。
 僕の経験では、見つけだされる自由っていうのは単にこれだから。
 とてつもないことじゃない。
 自分が誰なのかを知るってこととは関係ない。
 自由は、自分とは誰かを定義しようとはしなくなるところにある。
 それも正確とは言えないかもしれない。
 どちらかと言うと、自分が誰かを知ることができる人、知らなけ
 ればいけない人が存在してるとは信じなくなること、それと、な
 にかを定義できる可能性なんて微塵もないんだとわかることかな。
 定義したくたって境界はどこにもない。
 
 『それのこと』(p153-154)
------------------------------------

> 自由は、自分とは誰かを定義しようとはしなくなるところにある。

まさに、そういうことだったんですね。

------------------------------------
 必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
 
 『私は在る』(p27)
------------------------------------

まったく、同じことを言ってる。(*^_^*)

いえ、別に認可証明を引っ張り出してきたつもりじゃありません。

ただ、あまりにも似た表現が出てきたものだから。

ジョーイ・ロットはもう、ニサルガダッタがどう言っているかなん
て気にしてもいないし。

ジョーイ・ロットとニサルガダッタの表現が異なるところだって、
いくらでもあるでしょうね。

> それも正確とは言えないかもしれない。

うん。

> どちらかと言うと、自分が誰かを知ることができる人、知らなけ
> ればいけない人が存在してるとは信じなくなること、

ですよね。

> それと、なにかを定義できる可能性なんて微塵もないんだとわか
> ることかな。

存在しうるたった一つの<気づき>が、異なる【見かけ】を見てい
るだけなのだから。

> 定義したくたって境界はどこにもない。

【見かけ】(現象)に織り込まれた部分に、如何なる分離も独立性
もありえない。

一箇所から、こんなに立て続けに引用させてもらって、悪趣味かと
は思いつつ……。^^;;;

ここ、とっても面白い表現なものですから。

------------------------------------
 それから、「覚者と言われる人たちがたどりついた最終的な答え
 とはどんなものなのでしょうか」っていう点について。
 最終的な答えはいろいろある。
 本当にいろいろ、数えきれないほどある(笑)。
 「最終的な答えがわかった」と言う人がいたら、これも同じこと
 だけど僕は疑う。
 答えと言っても、そもそもそれはどういう意味だろう。
 「これが答えだ」とか言ってるとき、どこに立って、なにを参照
 してるんだろう。
 参照できることはないし、立てる場所もない。
 今あるものがただあるだけで、そこに境界はないし、始まりも終
 わりもないし、なにも見つけられない。
 答えがあるっていう可能性はない。
 
 『それのこと』(p153-154)
------------------------------------

> 最終的な答えはいろいろある。
> 本当にいろいろ、数えきれないほどある(笑)。

ね、とっても面白い表現でしょ。(^_-)

同じことを、こう表現した人もいるのかもしれないし。

------------------------------------
 師や聖者や探求者たち
 彼らはみな違ったことを言う

 『Ashtavakra Gita』(p77-79)
------------------------------------

> 答えと言っても、そもそもそれはどういう意味だろう。

まったくねぇ。

> 「これが答えだ」とか言ってるとき、どこに立って、なにを参照
> してるんだろう。

そうそう。

> 参照できることはないし、立てる場所もない。

これも<いま>のなかに書き込まれているひとつの表現なんでしょ
うね。

> 今あるものがただあるだけで、そこに境界はないし、始まりも終
> わりもないし、なにも見つけられない。

こう聞いていると、ジョーイ・ロットに見えているものが見えてき
ますよね。

> 答えがあるっていう可能性はない。

「答えがあるっていう可能性はない」……。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.いただいたお手紙から:vrmrさん、etzkoさん、Myeongwolさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


前回質問をいただいたvrmrさんから、メールをいただきました。

ご本人のご了解を得てご紹介させていただきます。

vrmrさんはメルマガではなく、サイトをご覧になっているようです。

【件名】: 第574号拝見いたしました!vrmrです。
------------------------------------
 pari館長殿
 
 お疲れ様です。vrmrです。
 表題の記事のUPを拝見させていただきました。
 大歡喜自在童子のお話、そして私の問へのお答え。
 記事を拝見したあとで父の長年の苦悩への私の想いが晴れたよう
 な清々しさがしました。
 記事をよく理解した上で新たな気持ちで、父に答えられるよう努
 力してみます。
 取り急ぎですが、誠にありがとうございます。
 本当にお手間を頂き、感謝!です。
------------------------------------

> 大歡喜自在童子のお話、そして私の問へのお答え。
> 記事を拝見したあとで父の長年の苦悩への私の想いが晴れたよう
> な清々しさがしました。

お役に立てたのなら、良かったです。(^^)/

> 記事をよく理解した上で新たな気持ちで、父に答えられるよう努
> 力してみます。

あまり、お父様に話せる内容ではないかもしれませんが。

> 取り急ぎですが、誠にありがとうございます。
> 本当にお手間を頂き、感謝!です。

ご質問いただき、ありがとうございました。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


今回は、嬉しいことに、複数の方からいただいておりまして、
お二人目、etzkoさんからもご投稿いただきました。

では、早速ご紹介させていただきます。

【件名】: pariさーん、^^/
------------------------------------
 ラングフォードさんの翻訳、ついに終わってしまいましたね〜。
 1年近く連載されていたと思いますが、毎週本当に楽しみにして
 おりました。
 pariさんはいつも謙遜なさるけど、pariさんはなぜかいつも私に
 とってタイムリーで、今回のお仕事も素晴らしかったです。
 お礼に?それを受けた私の恥ずかしい1年をざっと振り返りまし
 た…^^;
 →うわー、これはやばぃ。やっとニサルガ師匠の言う真我へ至る
 道の本命来たキタッ!
 →これをやり遂げるために、まず身辺整理が必要だろうb あと数
 か月したら本格的にこのメソッドでうんぬん…
 →しかし、アレもコレも全てを諦め、何年もメソッドに沈潜せね
 ばならぬ思うと…←まだやってもいないのにふさぎ込むようにな
 る。爆
 →そんな閉塞感のなか、raptさんという新進気鋭のキリスト教系
 陰謀論blogにも魅せられる。
 (不二一元論の前提となるであろう)ヒンドゥー等の二元論は悪
 魔崇拝と断罪されorz…
 →一方ニサルガ師匠んとこのラメッシ先生は、それこそ修練ナン
 センス論を説かれている(?_?)3
 →なぜこんなことがありえるっ?全くワケが分からん=3 ラング
 フォードとどっちがニセモノか?もうカンベンしてくれっ(\
 /”)と激オコムードに!
 →ジョーイ・ロットさんの軽いノリで少し気が晴れるも…
 →もう何がなにやらっ (ノ-_-)ノ~┻━┻
  もしやこれがサレンダーの境地か? (>_<)\
 
 でも、今回のメルマガでpariさんより華麗なる着地点をもらいま
 した。
 「師や聖者や探求者たち 彼らはみな違ったことを言う
 『Ashtavakra Gita』」
 >これは、本当でした。
 >ほんとに、みんな違うことを言うのです。(>_<)
 >そしてまさに、現象世界とはそのための仕組みでした。
 >すべてが一目瞭然に見えているのなら、そして現象世界のあら
 ゆる
 >細部が一瞬で整合するなら、現象世界はありえません。
 そうなんですね…
 >現象世界とは、喜怒哀楽を起こすための、想像のなかで、喜
 び、怒り、哀しみ、楽しむための場所です。
 そして、節操がないのは先生たちではなく、正にこの私という一
 連の欲望と想像の産物でした。。。(´°ω°)チーン
 いまはなんだかぼぉっとして、嵐のあとの静けさといいますか…
 >ひとたび『これのこと』3(非二元についてのQ&A)もたらすことができな
 い、
 >と絶対の確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や
 見
 >解に注意を払わず、真実とともにのみ生きるだろう。
 >『私は在る』(p131)
 よく噛みしめてみます。
 
 通信に綴られるpariさんの気づきや覚者たちのことばは、私のよ
 うな下根の迷妄も少しづつ砕いて下さってるような。
 これからもpariさんの優しい語り口で、私は在る噺、ずっーと聞
 いていたいなんて甘えも浮上したり…^^
 長々と失礼しました。
 (-||-)
------------------------------------

etzkoさん、ご投稿とても嬉しかったです。(^^)/

> ラングフォードさんの翻訳、ついに終わってしまいましたね〜。

そうですねぇ。

チビチビ訳してましたけど、それでもやっぱり終わりますね。

> 1年近く連載されていたと思いますが、毎週本当に楽しみにして
> おりました。

そうでしたか。

じゃ、etzkoさんにはとても合ったんですね。

> pariさんはいつも謙遜なさるけど、pariさんはなぜかいつも私に
> とってタイムリーで、今回のお仕事も素晴らしかったです。

きっと、マインドのタイプが似てるんでしょうね。(^^;)

> お礼に?それを受けた私の恥ずかしい1年をざっと振り返りまし
> た…^^;

おお、それは素晴らしい!(@_@)

> →うわー、これはやばぃ。やっとニサルガ師匠の言う真我へ至る
> 道の本命来たキタッ!

そうそう、はじめてラングフォードを読んだときは、わたしもそん
なふうに感じました。

> →これをやり遂げるために、まず身辺整理が必要だろうb あと数
> か月したら本格的にこのメソッドでうんぬん…

なるほど。(^_-)

> →しかし、アレもコレも全てを諦め、何年もメソッドに沈潜せね
> ばならぬ思うと…←まだやってもいないのにふさぎ込むようにな
> る。爆

はは。(^^)/

でもそれ、演るしかないんですよね。

そうなっているんですから。

> →そんな閉塞感のなか、raptさんという新進気鋭のキリスト教系
> 陰謀論blogにも魅せられる。

そうなんですか。

陰謀論って、その気(け)のある人には面白いですものね。

> (不二一元論の前提となるであろう)ヒンドゥー等の二元論は悪
> 魔崇拝と断罪されorz…

ほお。

> →一方ニサルガ師匠んとこのラメッシ先生は、それこそ修練ナン
> センス論を説かれている(?_?)3

なるほど。

> →なぜこんなことがありえるっ?全くワケが分からん=3 ラング
> フォードとどっちがニセモノか?もうカンベンしてくれっ(\
> /”)と激オコムードに!

etzkoさん、怒っちゃったわけですね。

> →ジョーイ・ロットさんの軽いノリで少し気が晴れるも…

なるほど。

それだけでもジョーイ・ロットは素晴らしいですね。

> →もう何がなにやらっ (ノ-_-)ノ~┻━┻
>  もしやこれがサレンダーの境地か? (>_<)\

うーむ。

> でも、今回のメルマガでpariさんより華麗なる着地点をもらいま
> した。

(?_?)

> 「師や聖者や探求者たち 彼らはみな違ったことを言う
> 『Ashtavakra Gita』」
> >これは、本当でした。
> >ほんとに、みんな違うことを言うのです。(>_<)
> >そしてまさに、現象世界とはそのための仕組みでした。
> >すべてが一目瞭然に見えているのなら、そして現象世界のあら
> >ゆる細部が一瞬で整合するなら、現象世界はありえません。
> そうなんですね…

あ、なるほど。

> >現象世界とは、喜怒哀楽を起こすための、想像のなかで、喜
> >び、怒り、哀しみ、楽しむための場所です。
> そして、節操がないのは先生たちではなく、正にこの私という一
> 連の欲望と想像の産物でした。。。(´°ω°)チーン

ああ、そういうことでしたか。

> いまはなんだかぼぉっとして、嵐のあとの静けさといいますか…

場面は変わりますものね……。

> >ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、
> >と絶対の確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や
> >見解に注意を払わず、真実とともにのみ生きるだろう。
> >『私は在る』(p131)
> よく噛みしめてみます。

なるほど。

> 通信に綴られるpariさんの気づきや覚者たちのことばは、私のよ
> うな下根の迷妄も少しづつ砕いて下さってるような。

その【下根の迷妄】が自分だというのなら、そういうことになりま
すかねぇ。

> これからもpariさんの優しい語り口で、私は在る噺、ずっーと聞
> いていたいなんて甘えも浮上したり…^^

いやー、pariパターンは相当のオッチョコチョイですから、きっと
また舞い上がって、書き続けるでしょう。(*^_^*)

> 長々と失礼しました。
> (-||-)

ありがとうございました。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


今回はまた、Myeongwolさんという方から、はじめてのご投稿を
いただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】: エゴと『私』
------------------------------------
 > 何度も何度も、わたしが素通りした言葉でした。
 > 
 > と書くと、あたかも“わたし”という実体があるかのような
 > 表現になってしまう。
 
 pariさんの理解されている文章を読んでいますと、フムフ
 ムと共感しているこの頃ですが、こちらが投稿の場という
 ことですので、この私のパターンが“ん”と思いましたこと
 を投稿させていただきます。
 
 まず、何かを感知したり、見たりする“元”があり、そこに
 意識が留まって、周りの何事かを知覚して、印象を味わっ
 ているならば、それはすなわち『私』であり、私的な存在
 として、情報処理機として存在している、“気づき”が捕ら
 われている(望んでいるが)ということになると思います。
 
 あらゆる現象や存在(性)は、それぞれ見地の違う意識の
 場でしょうから、これまた『私』だらけで、それらはそこ
 から何事かを知覚・認識しているので、『エゴ』とも言え
 ると思います。『エゴ』だらけ‥現象世界(ショー)。
 
 同様に“気づき”の始まりの視点・感点も『エゴ』の始まり
 であり、やはり物事を知覚する・知ろうとする『私』の始
 まりだと私の情報処理機が理解をして申しております。
------------------------------------

> > 何度も何度も、わたしが素通りした言葉でした。
> > 
> > と書くと、あたかも“わたし”という実体があるかのような
> > 表現になってしまう。

あ、これは前回のわたしの文章ですね。

> pariさんの理解されている文章を読んでいますと、フムフ
> ムと共感しているこの頃ですが、こちらが投稿の場という
> ことですので、この私のパターンが“ん”と思いましたこと
> を投稿させていただきます。

はい。

> まず、何かを感知したり、見たりする“元”があり、そこに
> 意識が留まって、周りの何事かを知覚して、印象を味わっ
> ているならば、それはすなわち『私』であり、私的な存在
> として、情報処理機として存在している、“気づき”が捕ら
> われている(望んでいるが)ということになると思います。

うーむ。

さて、どうでしょう……。

でも、おっしゃる観点は了解しました。

> あらゆる現象や存在(性)は、それぞれ見地の違う意識の
> 場でしょうから、これまた『私』だらけで、それらはそこ
> から何事かを知覚・認識しているので、『エゴ』とも言え
> ると思います。『エゴ』だらけ‥現象世界(ショー)。

あ、なるほど。

先にまずそこに立って、そういう観点しかありえないという
前提での論点ということですね。
 
> 同様に“気づき”の始まりの視点・感点も『エゴ』の始まり
> であり、やはり物事を知覚する・知ろうとする『私』の始
> まりだと私の情報処理機が理解をして申しております。

わかりました。

Myeongwolさんのおっしゃることは了解いたしました。

たしかに、そう思われるわけですよね。

だいぶ忘れてしまっていましたが、自分もそんなふうに思っていた
のかな、とも思います。

とはいっても、Myeongwol さんのおっしゃる観点は、思考なり学習
なりを積み重ねた概念で、じつは事実ではありません。

【何かを感知したり、見たりする“元”】
【そこに意識が留まる】
【印象を味わっている】
【『私』】
【私的な存在】
【情報処理機として存在している】
【“気づき”が捕らわれている】
【私の情報処理機が理解をし】

こういうものはすべて言葉であり、観念なんです。

Myeongwol さんがもし哲学科の学生で、指導担当者にこうではない
かと尋ねたのなら、指導者はそれなりの返答をなさるでしょう。

でもいわゆる探求というのは、こういう観念で頭がガッチャガチャ
になった状態が、もう嫌でたまらんということなんです。

なので、Myeongwol さんが上に述べられたような概念を真実として
護りたいということなら、それを邪魔する方は誰もいません。

どうぞ、ということになります。(^^;)

でも、もし、Myeongwol さんが嵌っている状態が好きではないので
したら、お伝えできることはあります。

上に【】に入っている言葉を見てください。

全部タダの言葉です。

何の意味もありません。

それらの概念を事実として、その概念で構築した監獄のなかで苦し
まなければならない理由は、何もありません。

と同時に、それらの概念を事実として、苦しんだり、楽しんだりし
ていけない理由も、何もないんです。(^^;)

しかし、お前の使う言葉も同じ、何の意味もないただの言葉じゃな
いか、と言われるなら、まさにそのとおりです。

ただ、こんぐらかりを解くために使っているのか、当然のこととし
て疑わずに使っているのか、という違いはあるかもしれません。

わたしは無用に苦しんで、道元さんに惹かれ、Oshoの弟子になり、
ニサルガダッタの言葉を知り、ラマナを再認識しました。

新しい翻訳本でラメッシ・バルセカールやセイラー・ボブ・アダム
ソン、そしてジョーイ・ロットも知りました。

すると、彼らが何を言っているのかが、わかってきました。

ラメッシ・バルセカールは方便として観念も多用しますが、ボブさ
んやジョーイ・ロットはあまり使いません。

彼ら全員が言っているのは、人間が苦しんでいるのは実際は存在し
ていないただの観念のためだ、ということです。

揚げ足を取るようでまったく気が進みませんが、Myeongwol さんが
おっしゃる次のような表現……。

【同様に“気づき”の始まりの視点・感点も『エゴ』の始まり
 であり、やはり物事を知覚する・知ろうとする『私』の始
 まりだと私の情報処理機が理解をして申しております。】

意味はわかりますよ。

でも、全然、事実じゃないですよね。(^^;)

【私の情報処理機】、ただの言葉、観念ですよね。

そういう観念が一瞬浮上したというだけで、そういうものがあるわ
けではない。

【私の情報処理機】なんて、見ることすらできません。

そんな難しいこと言わないで、ただ目に見えるリンゴを示して、
「これは私のリンゴだ」と言ったとしましょうか。

でも、それですら単なる観念です。

Myeongwol さんにはそれが自明でも、そのことを知らない人には、
それがMyeongwolさんのリンゴであることはわからない。

たとえば、Myeongwolさんの弟さんがそのリンゴを自分のリンゴだ
と思っていたら、弟さんには賛成できない概念でしょう。

0歳の赤ん坊には、それがリンゴであることすらわからない。

「私のリンゴ」って、事実じゃないんです。

そういうものは、学習され、思い込まれた単なる概念です。

そして、赤ん坊には苦しみはない。

でも、「【私の情報処理機】って、ただの言葉、観念ですよね」と
言われたら、それで苦しみが発動することはありえるのです。

【私の情報処理機】という言葉を「自分の」言葉だと思っていれば、
そういうことも起こりうるわけです。

現象のなかには、いかなる「私」も「私のもの」も存在しません。

それは単なる虚構の概念だ、ということを覚者方は語っています。

で、調べてみると、「個人」という概念は、

  存在感(「私は在る」)を、身体現象に結びつけること

で起こっているのです。

【存在感】は否定できない不動の事実として存在します。

でも、それが「私は在る」という概念に翻訳されると怪しくなる。

それが、つかの間の身体現象に結びつけられると、「個人」という
概念になります。

それこそが苦しみの根源となるまったくの虚構です。

そうすると「私」が「自分の情報処理機」を所有しているかのよう
な幻想が起こり、しかもそれを事実のように思い込むんです。

現象世界では、どんな独立性も、分離性も、幻象できません。

「私」という、分離した独立の実体など存在できないのです。

もちろん、こういう言葉も、すべて観念です。

ただ、事実を指し示すために使われている観念です。

意味が通じていればいいですが。

Myeongwolさん、ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 3.編集後記:
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朝起きるとき、夢を見ていることがわかります。

あ、こうしてずっと現象に焦点を合わせて、夢を見ているんだなぁ、
と思います。

虚構のドラマに焦点を合わせて、情動を動かしているんですよね。

眠っているときも、起きているときに溜め込んだ情報を、何らかの
形で解放処理しなければならないのかもしれません。

ま、わかりませんが。

今夜もけっこう遅くなりました。

ではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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