home > 通信 >『アセンション館通信』(第577号):「素粒子」即ちこれ「空間」



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/05/03(第577号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名
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◇◇ もくじ ◇◇

1. 「素粒子」即ちこれ「空間」

2.編集後記

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■ 1.「素粒子」即ちこれ「空間」
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素晴らしい五月晴れですね。

緑が濃くなって、さわやかな風が吹いて。

そうか、いまはゴールデンウィーク真っ最中なんですね。

田舎に住んでいてゴールデンウィークも何も関係ないけど、土曜日
のこの時間が、我が人生の“歩留まり”だなぁ。(-_-)

“我が人生”なんてものは夢のなかにしかないのだけれど。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

我が人生……。

これは言ってみれば、我が想念、といったようなものですね。

現象として起こっている“見かけ”に対する、「私」という虚構の
参照点からの解釈であり物語です。

この解釈を浮上させる「私」という分離独立した実体が、もし存在
しえないのなら、この想念は「私」が分泌したものではない。

これはどんな方法によってかは知らないけれど、どこかから投影さ
れているお仕着せの映画なのでしょう。

あるいはまた、この精神身体機構はラメッシ・バルセカールのいう
「聖なる催眠」の媒体として創造されているのかもしれません。

それなら、この身体は「我が人生」を創造し、解釈と物語を分泌す
る映写機として機能しているのかもしれません。

要するに、そんな解釈がどこから投影されているのか、または精神
身体機構が分泌しているのか、そんなことはわからないわけです。

ラメッシ・バルセカールの喩えで言うなら、コンピュータがそれを
作った人間の思いを推測しても、それは無理というわけです。

ただ、マハラジはこんなことを言っています。

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 たったひとつ、あなたには誤りがある。
 あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
 あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側に
 あるものをあなたの内側にあると見なしているのだ。
 マインドと感情は外側にあるのだ。
 だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
 あなたは世界が外界のものだと信じている。
 だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
 これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけでは
 ない。
 あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
 ほかに道はない。

 『私は在る』(p258)
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> たったひとつ、あなたには誤りがある。

マハラジがこれほどの確信を持って語っていることを、しっかりと
聴いて、受け止めたほうがいいかもしれない。

> あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。

もし、そういう誤解があるのなら、その誤解が正されたら価値観に
何かの変化が起こるかもしれない。

> あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側に
> あるものをあなたの内側にあると見なしているのだ。

これはいったい、どういう意味なのか?

本当は何が外側で、何が内側だと言っているのか?

> マインドと感情は外側にあるのだ。

やっぱり。(-_-;)

第一、マインドも感情も知覚されるものであることは確かだし。

> だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。

そう、それこそが自分だと思っている。(-_-)

しかも、マハラジ言葉をはじめて聞いてから十年も経った今もなお、
湧いてくる想念と感情を“自分”であるかのように感じている。

想念も感情も“自分”じゃないと、昔から聞いているのに。

というか、その意味の“自分”というものは存在していないんだ。

> あなたは世界が外界のものだと信じている。

はい。

そのように感じられるのです。

だからこそ、そこで生き延びるために苦闘しているのですから。

> だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。

【あなたの精神の投影】……。

この【あなたの精神】とは……?

わたしが寝ているときに見る夢は【わたしの精神の投影】だ、とい
うのと同じ意味ですか?

寝ているときにわたしが見る夢が、【わたしの精神の投影】だとい
うことには、完全に同意できます。

寝ているときに見る夢は、個人としてのわたしの【精神の投影】で
あることは間違いない。

では起きているときに見るこの「世界」という外界は、この人生を
夢見た誰かの【精神の投影】という意味かしら。

以前【視聴カプセル『今回の生涯』】というのを書いたけど……。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol287.html#1

そこでセットしたDVDのような意味合いなのか。(-_-)

(ホラホラ、すぐそうやってマインドの空想には夢中になる。(^_-)

 いやいや、努力が必要なときは努力が起こるように、夢中が必要
 なときは夢中が起こるのさ。(^_-) )

そうか、マハラジが言う「外側にあるもの」とは、この【マインド
の空想】のことかな。(-_-)

これは、人がテレビのスイッチを入れるときに目的としているもの、
つまり、娯楽で起動される思考や感情のことかもしれない。

意識しつづけていたいとは、娯楽で発動する【思考や感情】という
出力を味わいつづけていたいということなのかもしれない。

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 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
 のだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 
 『私は在る』(p346)
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(-||-)

【思考や感情】は現象世界の変化だから、厳密に「二元性の原理」
に支配されている。

だから【思考や感情】は、どこまでも新たな分岐の可能性を創造し
つづけて、それ自体のなかに着地点は見いだせない。

しかも、自己同化した対象という【底】に対しての、相対的な変化
しか知覚対象として創造できないというわけか……。

【思考や感情】は、それ自体がいわば“無限乱反射”のシステムだ
から、放っておいて収まるということはありえないんだな。

【思考や感情】は知覚の対象であり、知覚の対象とは変化のこと。

【思考や感情】、つまり、「想念」が落ち着くことはないんだ。

落ち着きとは、その「想念」を「見ている者」のことだから。

なのに世界を現実と見ている我々は、落ち着き処を求めて遮二無二
「想念」に助けを求めるんだよなぁ。

> これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけでは
> ない。

なるほど。

新たな爆発もまた、一場の夢にすぎないのだから。

> あなた自身で考え抜かなければならないのだ。

うむ。(-_-;)

> ほかに道はない。

(-||-)

結局、いわゆる自分の【思考や感情】が幸せになることを願う必要
などない、ということなんだ。

【思考や感情】は止めどなく動きつづける。

そういうものなんだから。

そういう【思考や感情】も含めた現象(見かけ、動き)に意識の焦
点(興味)があるのかどうかが、おそらく決定的なんだ。

動くものに興味があるのか、それとも動くものを見ている「私」とは
何か、に関心が向かっているのか。

結局、そういうことになってしまう。

そしてそれがどちらだとしても、別に“誰”が悪いわけでもない。

なぜなら、個別の誰か、つまり、全体から分離し、独立して存在で
きるような、どんな実体も存在しないのだから。

色即是空 (「現象」即ちこれ「空」)

空即是色 (「空」即ちこれ「現象」)

と、仮に知覚対象である「現象」と、知覚する者である「空」を、
分けて表現してみたとしても、それも同じことだ。

「現象」と「空」が、それぞれ別個に、個別に存在できるわけでは
ないのだから。

たとえば、いま「現象」の代わりに「素粒子」という言葉を置いた
とする。

そして、「空」の代わりに「空間」という言葉を置いたとする。

「素粒子」即ちこれ「空間」

「空間」即ちこれ「素粒子」

「素粒子」の振るまい(現象)を見ているのは「空間」です。

ある「素粒子」の振るまい(現象)を、別の「素粒子」の振るまい
(現象)が見られる可能性は皆無です。

原子とは、サンピエトロ大聖堂のドームの真ん中の塩粒(原子核)
と、ドームの外周を回転する塩粒の数千分の一のホコリですから。

依怙贔屓するつもりはないけど、塩粒原子核とホコリ(電子)に、
他の原子の振るまいを察知する能力を求めるのは無理。(^_-)

「素粒子」の振るまいに気づいているのは「空間」でしょう。

でもそれは、「素粒子」と別個に、それとは疎遠な「空間」が在り
うるという意味じゃない。

波立つ「表面」と別個のそれと疎遠な「海」がありえないように。

また「海」と別個に、それから分離独立した波立つ「表面」があり
えないように。

海は表面ではいつも波立ち、海底ではいつでも静かなものです。

波立つ海面も、静かな海底も、ともに同じ海です。

でも“静かな海底”が偉いわけでも、“波立つ海面”がバカなわけ
でもないんですよね。

気づいているのは“静かな海底”とか“波立つ海面”という状態で
はなく、同じ<水>であることですから。

そうでありながら、しかも「現象」は「現象」には気づきえない。

「素粒子」の振るまい(現象)に別の「素粒子」の振るまい(現象)
が気づく可能性は皆無なわけです。

だからこそ、ボブさんはミーティングの最初に次のようにおっしゃ
るのでしょう。

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 私は皆さんの身体に話しかけているのではありません。
 皆さんの身体は、その中の生命の本質がなければ何ものでもあり
 ません。
 また私はどんなマインドに話しているのでもありません。
 意識すなわち気づきがなければ、そこにどんなマインドがあるで
 しょうか?
 もしそこに生命の本質がなかったら、皆さんはどれほどの思考を
 もてるでしょうか?
 ですから私が話しかけているのは、私であるところの「私は在る」
 に対してです。
 私はその存在意識、あるいは気づいている存在に対して話してお
 り──それを皆さんはけっして否定できません。
 あなたが存在していること──まさにそれであり、それ以外では
 ないと──知っていることです。 
 
 https://www.ascensionkan.com/mm/vol510.html#2
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(-||-)

ボブさんがおっしゃるように、それは否定できない事実です。

でもだからといって、この話を聞いた誰もが、ただちに不動の実在
に意識の焦点を合わせる、などということにはなりません。

相変わらず「世界」という【見かけ】の現象に「関心」を持ちつづ
け、【見かけ】が起動する一喜一憂に焦点を合わせつづけます。

それしかないわけですよね。

猫が猫じゃらしに抵抗できないのと同じです。(*^_^*)

つまり、抵抗というのは、ないんですよね。

もちろん、見かけ上の“抵抗”はありますけど。

起こることになっていることが起こるのだと思います。

心底「世界」にうんざりしたら、「世界」に対する“自分”の情動
にもうんざりして、それもどうでもよくなるかもしれません。

そうなると、エネルギーの退潮でしょうか。

エネルギーがある間は、それは蕩尽されなければなりません。

良くも悪くもない、それがただの事実なんでしょうね。

自分の判断、自分の情動に興味がなくなるということが、自然現象
の一部にはあるのでしょう。

そうなったら、この身体が夢のなかでたどる運命にも、関心を持た
なくなるのでしょうね。

だから、そうなりたいかどうかは、まあ、どうでもいいわけです。

源泉の意志以外の意志などありえないのですから。

(*^_^*)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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今日も好き勝手に使った。

何の足しにもならないことのために。

そして、そのことはよくも悪くもない。

ただ、それだけ。

ただの事実。

<いま>が今起こっていることを見ている。

今夜は夕食はまだですがかなり暗くなりました。

ではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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