home > 通信 >『アセンション館通信』(第580号):いつかは想念に興味が湧かないときも



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/05/14(第580号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在873名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.いつかは想念に興味が湧かないときも

2.いただいたお手紙から:いっせい さん

3.編集後記

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■ 1.いつかは想念に興味が湧かないときも
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五月はもうじき終わりますね。

だからというわけではありませんが、相変わらず、目に見える光景
もマインドも搖動しています。

この搖動しているものが気になるのは誰なんでしょうね? (^_-)

生きている間は、いろんな思いが湧いてきます。

生きている間というのは、ここではこの身体という有機体が機能し
ている間という意味ですが。

むろん、実際にこの“身体”が<生きている>わけではない。

身体は見かけの世界に属していて、ニサルガダッタふうの比喩では
“ほこりの微少片”であり「死物」です。

今ふうに言うなら「素粒子」とでもいうべきでしょうか。

要するに、現象世界を表現するための意識の内容物、換言すれば、
“搖動するもの”でしょうか。

それが夢の内容ですよね。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

お気づきの方もいるでしょうが、ある時期からこのメルマガの趣旨
にラマナ・マハルシの言葉を拝借しています。

【創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、自由もなく、
 運命もなく、何も起こっていない。】

と。

もしかしたら、pariさん、いつからそんな偉そうなことを言うよう
になったの、と思われた方もいるかもしれません。

言葉の使い方って、ほんとに人様々ですものね。

多様性を表現するための仕組みが現象世界ですから。

たとえば、【悟っている】という言葉ひとつとっても、人によって
ずいぶん、意味合いは変わります。

またその前提自体が、人によって異なるだろうと思います。

たとえば、

1)悟っている人と、悟っていない人がいる。

と思っている人。

あるいは、

2)誰もが悟っている、ただ、自分で知っているか、知らないかの
  違いがあるだけだ。

と思っている人。

あるいは、

3)そもそも、悟りなんてものはない。
  現れはすべて、源泉の意志にしたがっている。

と思っている人。

ま、こういうのが人の理解と言えるかどうかは別としてですが。

大雑把に見ても、「悟り」という言葉の前提だけでも、これぐらい
の開きはありそうです。

そして、同じ人だって、その時々の状況や気分で、これらの表現を
自在に使い分けるかもしれませんし。

だから言葉を使うことには、ある意味では、誤解の坩堝(るつぼ)
みたいなところがあります。

ただ、こういうことは言えるかもしれませんね。

1)悟っている人と、悟っていない人がいる。

この表現が理解できる人には、2)3)の表現が何を言っているの
かわからない人がいるかもしれません。

それから、

1)悟っている人と、悟っていない人がいる。

2)誰もが悟っている、ただ、自分で知っているか、知らないかの
  違いがあるだけだ。

このふたつの表現の意味がわかって、でも最後の3)の表現だけは
どうも意味を結ばないという人もいるかもしれません。

ただし、

3)そもそも、悟りなんてものはない。
  現れはすべて、源泉の意志にしたがっている。

この表現の意味がわかる人は、この言葉とまったく相反するとも思
える1)と2)の意味も理解できるのではないでしょうか。

つまり、言葉が指し示す意味の背景には、その表現が前提している
スコープ(視野の範囲)みたいなものがあると思います。

pariパターンの場合、言葉としては1)2)3)が何を言っている
のかはわかります。

と同時に、言うまでもなく、自分がラマナやマハラジと同じ状態で
ないことも、よく承知しています。

なにしろ、放っておけば無心に戻ってしまうのではなく、四六時中
湧いてくる想念に焦点が合っているわけですから。(*^_^*)

でも、土曜日が来ると、無礼講になって、こんな話題で言葉を綴っ
てもいいことに自分でしています。

そして、そのモードに入った途端に、

【創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、自由もなく、
 運命もなく、何も起こっていない。】

ということが、何となく当然みたいな気がしちゃうんです。^^;;

実際、生きているのはこの気づいている「空間」であって、多様な
見かけを作っている「素粒子」でないのは自明なので。

だから、つい、

【◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇】には

【したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
 自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。】

なんて書いてしまうのです。

ただ、「したがって」と、これは“知的理解”ですよという、暗黙
のメッセージを入れておいたりするわけです。

ラマナ・マハルシの場合は、理屈ではないので、「したがって」な
とどいう言い訳がましい表現は、むろん、入れないでしょう。

身体機能を残しながらも、放っておけば、覚者の言う「自然状態」
(無心)に戻ってしまう奇跡的状態からの表現ですから。

というわけで、文字面としては同じ言葉にも、軽重はいろいろ異な
ります。

でも、それが事実だということがわかっている、という側面も確か
にあるんですよね。

ボブさんは、海が青く見えても、われわれは海の水が青くはないこ
とを知っている、と言います。

だから、青い水を汲みに海にはいかないだとう、と。

で、ここが微妙なところなんですよね。

わたしの場合、確かに青い水を汲みに海に行くことはありません。

海の水が青くはなくて、透明なのを体験的にも知っているので。

ところが、「色即是空 空即是色」については、海の水が青くはな
いのを知っているように、知っているとは言えない。

この身体が、空なるものの単なる「見かけ」、空間のなかの素粒子
にすぎない、と知的には理解できる。

でも理解できると言いながらも、同時に四六時中、湧いてくる想念
にフォーカスし、この身体の生存のために気をもんでいる。

とは言いながら、このpariパターンの場合は、死ぬのが恐ろしいと
いう感じはありません。

二十代のころ、その感覚は超えたような気がします。

死ぬのが怖くないのなら、あと心配することなど何もないようなも
のですが、どうなんでしょう?

相変わらず、生活の心配をしていたりします。(*^_^*)

先日しばらくぶりに会った友人は、「不食」にとても興味をもって
いました。

もう、生活の心配をするのが億劫になってきたんでしょうね。

それも、とてもよくわかります。

よく、ニューエイジ系のスピリチュアルでも、「安全」というのは
幻想だということを言いますよね。

「安全」なんてものはない、あるのは変化だけだと。

だから自分自身を思うさま表現して、成功に向かって、クリエイテ
ィブに今回の生涯を楽しもう、と。

そういうのも、わかります。

pariパターンにもそういう時期がありましたから。

ただ、pariパターンの場合は、人生を楽しむ“旬”を過ぎているの
か、そういう欲望の燃焼に燃え上がることはできないらしい。

そんなこんなで、何が正しいとか、正しくないとか、そういう思い
はあまり湧かないんですよね。

みんな、やることになっていることをしているだけだと思うので。

つまり、個々の素粒子が自分の意志で自分の動く方向を決める、な
どということはありえない、と思っているわけです。

現象世界全体を指揮するコンダクターの指揮棒に合わせて、すべて
の素粒子が踊りながら波動宇宙を構成していると思っています。

だから、その意味では、人殺しなんかの役どころなくて、ほんとに
良かった(^^)/、と思っているわけです。(^^;)

と同時に、この身体がしなきゃならないことは、しなきゃならない
とも思っている。

だから、自分に湧くそういう思いが正しいとか正しくないとか、そ
んなこと言えませんよね。

それが“自分の思い”とも言えないわけですから。

湧いて来るべき思いが、湧いているだけです。

でもですね、いつか、マハラジが言う「配達を受け取らない」とい
うことも起こってくるのかな、とも思うんです。

pariパターンに湧いてくる現在のこの思いで、いつまでも、湧いて
くる想念に注意を向け続けるというのも、不自然な気がして。

いつかは、湧いてくる思いにそう興味がわかないという状態も、く
るのかもしれませんね。

“癖”とか“習慣”とか“努力”とか、色々な言葉がありますが、
すべては【私という想念】のバリエーションなんですよね。

ラマナ・マハルシがそう教えてくださっていますから。

で、こういう賢者たちの言葉が真実かどうかは、その言葉を受け取
った者にそのあとで起こることが証明してくれると思います。

マハラジがこう保証してくれていますから。

------------------------------------
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
 続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
 うなものではない。
 
 『私は在る』(p376) 
------------------------------------

(-||-)

そして、湧いてくる想念についても、そんなに気に病む必要もない
らしいんですよね。

ボブさんが、こう言ってくれています。

------------------------------------
 質問者 どうやって考え事を止めるのですか? 思考はやむこと
     のない車の流れのように思えますが。
 
 ボブ
 もし思考が何の中で起こっているかが理解されるなら、思考を止
 める必要がありますか?
 雲は何の中で起こっているのでしょうか?
 雲は空間の中にあるのではないでしょうか?
 あなたは空間を認識するために雲を止めなければならないでしょ
 うか?
 それとも、空間はいつもあり、雲が現れる背景であることを理解
 するでしょうか?
 重要なのは、考え事を止めようとすることではありません――大
 事なのはただ、自分が本当は何であるかを理解することです。
 あなたは本質そのものであって、その上に現れる思考や観念など
 ではないのです。
 
 質問者 では、考えることには問題がないわけですね。問題を起
     こしているのは、考えることを自分がやっているという
     意志の感覚を持った、分離した自分という思考なのです
     ね?
 
 ボブ
 そのすべてが、「それは自分」だと考えているもう一つの思考群
 ではありませんか?
 問題なのは、思考=実体への信念です。
 思考は他のあらゆることと同じように、ただ自然に起こっている
 ものだと理解するとき、そこには考える人も実体もまったく存在
 しません。
 
 『ただそれだけ』(p136-p137) 
------------------------------------

(-||-)

ね、完全に理解できるでしょ。

これ以上、なんの問題があるんでしょう。

まあ身体としては、それなりにあくせくしながら、決められた運命
を歩みましょうか。(^_-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………



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■ 2.いただいたお手紙から:いっせい さん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回は、いっせいさんという方からご投稿をいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】: 
------------------------------------
 ジョーイ・ロットの『これのこと』のメルマガをr360ブログ経由
 で読ませていただいたのですが、
 
 <(_ _)>お忘れでしょうが、以前メールにてお話しをさせていた
 だいた者です。
 
 私は→今でも色々な“私”や“真理”や“真我”などに対しての
 “お品書き”を→前よりそんなに真剣ではなく、集中出来ないの
 で…(^_^;)、、読んでしまうのですが、
 
 やっぱりそれでも→『I'am That』マハラジの言葉がやっぱり、
 いつでもしっくりきてしまうのです。
 
 しかし、最近『気づきの視点に立ってみたら』、『すでに目覚め
 ている』‥その次の翻訳本も‥などに→この同一化している
 「私」の知覚である。食事でもある→「知ること」の味わいを
 しています。起こっている?ん・許可している?…?(^_^;)
 
 まあその“気づきの内容”の・ストーリーの成り行きで、
 pariさんのメルマガを本当にお久しぶりに見れて懐かしく思いま
 した。
 
 『これのこと』のメルマガの最期の方で、マハラジの言葉があり
 ましたので、
 
 今の私成りの理解の仕方を書いてみました。
 
 
 私は“在る”→としか、より正確な理解をさせられる説明が出来
 ず、他のすべて(すべての現れに見えるもの)は、→『私』の
 意識の“表”れ“たち”に過ぎない。
 
 或いは、この自己同一化している→ある『私』の対象の感覚の
 認識の仕方に過ぎない。と理解をしている→
 
 →あるマインド(感覚の情報処理機)を
 
 →気づきの内容としている/憑依ししている→ある方面から
 自動的に流れ込んでいる/到来している/放たれている気づき、
 エネルギーなど。
 
 または、気づきがある対象の『何か?』の感覚に対して放った
 /認識しようとして放った意識?/光のような、触手のような、
 目線のような、
 
 センサーの類いの、自動的な働き‥と、このとある
 『私/マインド/情報処理機・認識機』は→理解しているよう
 なのですが、
 
 色々な表現が浮かびますので(^_^;)、一般的にはややっこしく
 て、長〜い!のですが、pariさんのわかる範囲で結構ですから、
 是非感想をお願いしたいです。<(_ _)>
 
            いっせい
------------------------------------


> ジョーイ・ロットの『これのこと』のメルマガをr360ブログ経由
> で読ませていただいたのですが、
> 
> <(_ _)>お忘れでしょうが、以前メールにてお話しをさせていた
> だいた者です。

ああ、わかりました。(^^)/

その節は、とてもそっけないご返答をしてしまって。

> 私は→今でも色々な“私”や“真理”や“真我”などに対しての
> “お品書き”を→前よりそんなに真剣ではなく、集中出来ないの
> で…(^_^;)、、読んでしまうのですが、

はい。

> やっぱりそれでも→『I'am That』マハラジの言葉がやっぱり、
> いつでもしっくりきてしまうのです。

わたしもマハラジの言葉がとても好きです。(^^)/

> しかし、最近『気づきの視点に立ってみたら』、『すでに目覚め
> ている』‥その次の翻訳本も‥などに→この同一化している
> 「私」の知覚である。食事でもある→「知ること」の味わいを
> しています。起こっている?ん・許可している?…?(^_^;)
> 
> まあその“気づきの内容”の・ストーリーの成り行きで、
> pariさんのメルマガを本当にお久しぶりに見れて懐かしく思いま
> した。

そうでしたか。

ありがとうございます。

> 『これのこと』のメルマガの最期の方で、マハラジの言葉があり
> ましたので、
> 
> 今の私成りの理解の仕方を書いてみました。

はい。

> 私は“在る”→としか、より正確な理解をさせられる説明が出来
> ず、他のすべて(すべての現れに見えるもの)は、→『私』の
> 意識の“表”れ“たち”に過ぎない。
> 
> 或いは、この自己同一化している→ある『私』の対象の感覚の
> 認識の仕方に過ぎない。と理解をしている→
> 
> →あるマインド(感覚の情報処理機)を
> 
> →気づきの内容としている/憑依ししている→ある方面から
> 自動的に流れ込んでいる/到来している/放たれている気づき、
> エネルギーなど。
> 
> または、気づきがある対象の『何か?』の感覚に対して放った
> /認識しようとして放った意識?/光のような、触手のような、
> 目線のような、
> 
> センサーの類いの、自動的な働き‥と、このとある
> 『私/マインド/情報処理機・認識機』は→理解しているよう
> なのですが、

なるほど。

> 色々な表現が浮かびますので(^_^;)、一般的にはややっこしく
> て、長〜い!のですが、pariさんのわかる範囲で結構ですから、
> 是非感想をお願いしたいです。<(_ _)>

ええと、どういうことについて【是非感想をお願い】されたのか、
いまいち、良くわからなくて。(^^;)

“気づきの内容”に対するいっせいさんの理解の仕方や色々な表現
を、わたしがどう思うか、というようなことでしょうか?

もし、そういう意味だとすればですが……。(-_-)

“気づきの内容”自体は、知覚されるすべてですから、その内容を
どう分類したところで、それはごくごく観念的なことですよね。

または、文化的とか、方言的と言えるかもしれません。

それは現象世界の地域や時代によって、また個々のパターンによっ
ても異なるでしょうから。

自分が使っている方言と似ている表現に出逢えば、そのとおり、と
思うでしょうし、あまり違えば、よくわからないかもしれません。

ラマナ・マハルシふうに言うなら、どれも【私という想念】の表現
形態ということになると思います。

いずれにしろ、それは、どの理解の仕方が正しいくて、どれが正し
くないとかいうような、ことではないだろうと思います。

こう言いながら、これは、いっせいさんのご質問に答えているのだ
ろうかと、心もとないのですが。(^^;)

要するに、“気づきの内容”とは知覚されるすべてであり、あまり
問題にする必要もない、と覚者方はおっしゃっているようです。

“気づきの内容”が重要であるとは、夢を見ているということだと
思います。

あまりお役に立たなくて。(^^;)

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


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■ 3.編集後記:
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こうしてメルマガを書くときは、とっても幸せです。

だんだん、幸せにも興味を失っていくのかなぁ。

お任せするしかないですね。

すべては、御心のままにです。

今日はまだまだ明るいです。

ではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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