home > 通信 >『アセンション館通信』(第582号):わたしにはどんな支えも要らない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/06/07(第582号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在875名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.わたしにはどんな支えも要らない

2.編集後記

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■ 1.わたしにはどんな支えも要らない
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支えを必要としているのは現象だけです。

身体だったり、想念だったり……。

現象に注目している状態では想念は自然に湧いくるのでしょうね。

想念は自然に湧いてくるのだから、それ自体にはじつは支えは要り
ません。

放っておけば自然に消えていって、また別の想念が湧いてくる。

だからそれ自体にはじつは支えは必要ない。

ところがこれが身体にまつわる想念ということになると、少し事情
が違ってくるようです。

身体は五感を装備し、参照できる記憶庫もあって、宇宙戦艦ヤマト
じゃないですが、話が少し大袈裟になる。

いつの間にか、変化が大前提の現象世界のなかで存続するために、
維持とか緊急事態とか、なにか支えが必要な気がしてくる。

何が何のために支えを必要としているのか?

支えの必要ないものが、娯楽を求めて現象に注意を向けていたら、
いつの間にか現象世界の虜になってしまったのか。

いったん現象世界にハマった想念は、繰り返し繰り返し同様の想念
を再生産するのでしょう。

そして抜けられない抜けられないと、騒ぎ立てる。

バカな話とも言えます。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

わたしには、もともとは何の支えも要らないんでしょうね。

つまり、あなたにはもともと何の支えも要らないわけです。

ここで意識がこう話し、ここで意識がそう聴いているだけですから。

話される内容は、知覚の対象なので変化のパターンにすぎません。

話される内容を聞いている存在は変化しません。

話される内容を聞いている存在は現象ではありませんから。

現象はいずれにせよ、現れては消えていきます。

現象はたえざる変化ですから、絶えず出現し、絶えず崩壊していか
なければならない。

この身体はもちろん現象世界の一部ですから、絶えず新陳代謝をつ
づけていて、寿命が来たら崩壊しなければならない。

この身体にかぎらず、現象世界のあらゆる中身は、全体の必要にあ
わせた変化のなかで踊っています。

奏でられる交響曲のひとつのパーツ、ひとときの音色のようなもの
でしょうか。

でもその交響曲を聴いている者は鳴ってはいない。

聴いているのはその背景にある静寂です。

その現象世界の踊りを見ている者は踊ってはいない。

見ている空間は空っぽで不動です。

空っぽというのは、むろん、表現媒体としての変化要素は含んでい
ないという意味です。

空っぽで不動なので、むろん、何の支えも要りません。

空っぽなのに、在る。

無いわけじゃない。

在るけれども、支えは要らない。

どこにも落ちていきようがない。(*^_^*)

砕け散りようもない。

もともと何もない、ただ在るだけです。

なんの役にも立ちません。

何の仕事もないので、まあ、その意味では、楽っちゃ楽です。(^_-)

「世の中に 寝るほど楽はなかりけり

 浮世のバカは 起きて働く」

この江戸川柳は、本当は真実そのものの描写なんでしょうね……。

でもじつは川柳の作者もそれを知らなかったように、夢の住人であ
るわれわれもそれを知らない。

そして、この身体を維持するにはある程度は何かしなければならな
いと信じています。

まあ、夢のなかで割り振られている演技は演じなければならないわ
けです。

そうすることになっているのですから。

この現象世界が現実だと思っている状態を、無知っていうみたいで
すね。

この現象世界は、この瞬間現象しているとは言える。

でも、存在しているとは言えない。

それは、映画で存在しているのは白いスクリーンだけで、その上で
瞬いている映像ではないのと同じだ、と。

こういう言葉に初めて出遭ったときは、その意味がよくわからなか
ったものです。

でも、十年近くも何度も何度も繰り返し聴いているうちに、さすが
の石頭の防衛をも超えて、その意味が染みとおってきました。

なるほど、われわれが向かい合っている現象世界は、たええ間なく
変化する知覚的印象の連鎖にすぎないわけです。

たしかにそれは、存在してはいない。

それが存在しているような気がするのは、現在の知覚的印象をたえ
ず過去の記憶や未来の想像と関連させているからにすぎない。

そして過去の記憶や未来の想像が即座に浮上してくるのは、これま
でそれをたえず反芻して手放さなかったからです。

では、なぜ過去の記憶を手放さなかったのか?

それはけっしてその経験を受け容れなかったからです。

つかのまの映像が作り出す印象を真に受けて、そのままは受け容れ
られなかった、というわけなのでしょう。

経験を受け容れずにそれに抵抗していると、どうもその経験を構成
する知覚的印象はいつまでも反芻されて手元に残るらしい。

かくて一連の記憶の塊、失意の物語が虚構のアイデンティティとな
って、知覚的印象の中心核を構成してしまうらしい。

このこんぐらかった記憶の塊を、ていねいに解いていくしかないの
でしょうね。

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 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
 
 『私は在る』(p259)
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(-_-;)

実際、長年現象にフォーカスしつづけていると、現象自体が自前で
存在しているような気がしてきます。

この身体も分離独立した実体として、自前で存在しているよう誤解
が生じてしまいます。

誰が悪いわけでもなく、そうなるべくして、そうなっているのでし
ょうけど。

誤解する“誰か”が悪いわけではない。

現象のなかに、誤解する当人などいないわけですから。

誤解するようにと、悪意を持って身体をハメた神様がいる、という
わけでもない。(^^;)

もしその人が神様なら、神様しかいないわけですから。

もしその人がわたしなら、わたししかいないわけですから。

もしその人があなたなら、あなたしかいないわけですから。

存在するのが誰であれ、いずれにせよ、

> 世界のなかの対象物はたくさんあるが、それを見る目はひとつだ。

というわけです。

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 質問者 源はたくさんあるのでしょうか、それとも、ひとつがす
     べてのためにあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはあなたがそれをどの側から、どう見るかによる。
 世界のなかの対象物はたくさんあるが、それを見る目はひとつだ。
 高次のものは低次のものにとってつねにひとつとして現れ、高次
 のものにとって低次のものは多数として現れる。
 
 『私は在る』(p84)
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(-||-)

われわれは夢のなかで、この身体としての自分が自前で存在してい
ると思っています。

だから自分が努力すれば、自分の運命を切り開くことができると。

ちょうど映画のなかの登場人物が、努力によって彼の道を切り開い
ていくように。

でもそれは、映画の筋がそうなっているからです。

映画のなかの登場人物が、彼の努力によって映画の筋から逸脱でき
るわけではない。(^_-)

映画のなかのすべての登場人物にそんなことを許したら、映画なん
て作れっこないです。(*^_^*)

この現象世界について、なぜそんな映画のアナロジーみたいなこと
が言えるのか?

それはわれわれ現象世界の登場人物たち、この身体によって区別さ
れる登場人物たちが、知覚の対象物だからです。

知覚の対象物である登場人物に虚構の主体性をもたせるのは、ドラ
マの作り手にとっては楽しい創造作業かもしれません。

でも、作られた登場人物たちが自分の主体性を想像したら、それは
ちょっとバカげています。

なんにせよ、知覚の対象物はわたしではありえない。

それは、あなたではありえません。

でもわれわれは、この身体である自分が主体なのだと言いたい。

このどうしようもなくパラドキシカルな事態を、ヒンドゥー世界で
古来「リーラ」(神の遊び)と呼び慣わしてきたのでしょう。

この、いわば自ら意図した誤解を、ラメッシ・バルセカールは、
“聖なる催眠”と言ったのだと思います。

ラメッシ・バルセカールは“神様語法”を採用していますが。

もちろん、こういうのはすべて単なる観念です。

でも、実際、自分はこの身体である、とイメージしたとたんに、
“苦しみ”が実体化するのは事実です。

この身体は、現象世界に織り込まれた絶えず変化しつづけるつかの
まの現象にすぎません。

その誕生も成長も崩壊も、すべて物質的に内蔵されたセンサー機能
によって指揮されているに違いありません。

なにしろわたし自身は、ときどき思い出したように心配するだけで、
身体の生存のためのどんな指揮も取ったことはないので。(^^;)

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 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 
 『私は在る』(p354)
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……。(-||-)

われわれがどれほど簡単に物語世界に入っていくか、そして世界の
リアリティをどれほどたやすく真に受けるかは、まさに驚きです。

どれほど作り物のドラマが好きなことか……。

そしてその作り物のドラマのなかで、どれほど容易く悩み、悶え、
苦しみ、恨み、妬み、狂喜乱舞することか……。

そして自らそれほどたやすく真に受けた作り話に責任転嫁して、ま
すますその作り話を実体化していくことか……。

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 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 
 『私は在る』(p436)
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> 生命への執着は不幸への執着だ。

(-_-;)

> 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。

……。

> 私たちの本性とはそんなものなのだ。

そうなのか……。

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 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」
 と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 
 『私は在る』(p362)
------------------------------------

> はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。

なるほど。

> それから、「私は在る」が個人となる。

おお……。

> 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。

たしかに。

> 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。

よかった。

> そしてグルは彼に言うのだ。
> 「あなたは個人ではない。
>  あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。

(-_-)

> 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。

(-||-)

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 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
 のだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 
 『私は在る』(p346)
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> 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。

はい。

> あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
> のだ。

わかります。

> この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
> 解放はありえない。

(-_-;)

> 私たちは罠にはまったままなのだ。

(-||-)

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 あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、まず悟
 るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならな
 いからだ。
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚え
 ておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。
 
 『私は在る』(p178)
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> あなたがあなたを含むすべての証明なのだということを、まず悟
> るべきだ。

(?_?)O

> あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。

え?

> なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならな
> いからだ。

ああ。

> あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚え
> ておきなさい。

なるほど。

> あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。

たしかに。

> あなたは時間を超えた存在、そして気づきなのだ。

そうか。

わたしにはどんな支えも要らないんだ。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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一週間のなかで土曜日がいちばん気分がイイです。

なんか、いちばん言いたい放題をやっている。

生き物として表現に矛盾がないです。

十年一日のごとくマハラジの言葉をなぞっていると、だんだん、
その意味がわかってきたからです。

やっと、変な意味不明の言葉とは思えなくなってきた。

こんな一生もあるんですね。

もう一度最初から辿りたいとは思わないけど。

はは、バカなことを。

今日は家にひとりです。

すっかり昏くなりました。

ではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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