home > 通信 >『アセンション館通信』(第583号):何も発見するものはない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/06/14(第583号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.何も発見するものはない

2.編集後記

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■ 1.何も発見するものはない
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山里の風景は雨に曇っています。

まわり全体が白っぽい靄に覆われ、庭の向こう側の景色はほとんど
見えません。

相変わらず色々な想念が湧いてきます。

それらはどうやらこの身体精神機構がもつDNAや条件づけによって
決定されていて、それについてわたしにできることは何もない。

というよりは (^^;)、そのDNAと条件づけを称して“わたし”と言
っているわけでしょう。

そういうもの全体を【見かけ】というなら、【見かけ】はすべて
源泉から流れ出しているのでしょう。

あるいは海中のプランクトンのように、源泉の指揮棒に合わせて
踊っているのかもしれません。

そしてまた、その想念に焦点を合わせたり合わせなかったりする
こと自体も、どうやら源泉から流れ出しているらしい。

現象している身体精神機構としてのわたしに、できることなど何
もない、という想念も含めて……。

要するに、できることなど何もないわけです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

夜眠るとき、朝また目覚めることを、われわれはまったく疑ってい
ません。

もっとも、いちど眠ったら、また戻ってこられるかどうか確信がも
てない、という心配が原因の、重症の不眠症もあるそうですね。

「おぬし、やるな (@_@)」というくらいの見上げた心配性ですね。

たいていの心配性も、この方には脱帽でしょう。

わたしなども、そこまでの心配を思いついたことはない。

いちど眠ってもう戻ってこられないのなら、それ以上の安心がある
だろうか、と思ってしまう。

などと言ってみたところで、「目くそ鼻くそを笑う」程度の、単な
る観念にすぎませんが。(^^;)

そうやって個性などを問題にするかぎり、われわれとは、現象世界
に有機体として現象している対象物なのでしょうね。

物質現象としての身体も、精神現象としての想念も、ともに知覚の
対象であり、【見かけ】の一部にすぎません。

ニューエイジのスピリチュアルエンティティの代表格のひとり、
バシャールも、素粒子は意識だと言っていました。

言い換えれば、想念(思考)とは素粒子だということでしょう。

この素粒子たち、間違いなく全現象世界という大伽藍を作っている
わけですが、その実体は……。

これを無限というべきかゼロと言うべきか。(^^;)

何度か言及したことがありますが、ゲイリー・ズーカフという方が
書いた『踊る物理学者たち』いう本があります。

わたしなどはこの本を読めたとはとうてい言えませんが、でも、と
てもイメージのある本なんです。

ズーカフ氏が物理学者ではないから書けた文章なんでしょう。

たとえば、「素粒子」の項はこんな感じです。

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 素粒子
 
 マクロのレベルからミクロのレベル、つまり非常に小さいものの
 領域へと下っていく過程には二つの段階がある。
 原子のレベルに至るのが第一段階、素粒子のレベルに至るのが第
 ニ段階である。
 顕微鏡まで動員して我々が見ることのできる物体でも何百万もの
 原子を含んでいる。
 原子を野球ボールの大きさにする倍率だと野球ボールは地球の大
 きさになる。
 ぶどうで満杯の巨大なガラス球のイメージで地球を思いうかべて
 みれば、それは原子で満杯の野球ボールのイメージに近い。
 ここから先は第二段階。
 ここには、原子を作り上げている粒子がある。
 原子のレベルと原子以下のレベルの差は非常に大きく、原子レベ
 ルと普通の世界、棒きれや石ころの世界との差と同じくらいであ
 る。
 原子をぶどうの大きさに拡大しても、部屋の大きさに拡大しても
 原子核を見ることはできない。
 原子核を見えるようにするには、何と原子を十四階だてのビルに
 拡大しなければならないのだ!
 そうまでして、ようやく原子核は塩の一粒の大きさになる。
 原子核は電子の数千倍の質量だから、原子核の周囲をまわってい
 る電子は、こんなに倍率をあげでもほこりの粒ぐらいの大きさで
 しかない。
 
 ヴァチカンにあるサンピユニ大聖堂のドームの直径は十四階分あ
 る。
 ドームの真中に塩を一粒置き、ドームの外周を回っているほこり
 の粒がある、と恕像してほしい。
 原子以下のレベルの粒子たちはこんな尺度にある。
 そしてまさにこんな領域では、ニュートン力学はあてはまらず、
 素粒子のふるまいを説明するのに量子力学が必要なのである。
 素粒子たちはほこりの粒のような「粒」ではない。
 両者の差は大きさだけではない。
 ほこりの粒はものであり物体である。
 素粒子はものでイメージできない。
 だから素粒子を物体として考えることはあきらめなければならな
 い。
 量子力学的な見方をすると、粒子は「存在への傾向」「生ずる傾
 向」である。
 この傾向の強さは確率で表現される。
 原子より小さい粒子を「量子」というが、これはもともと一定量
 (どれほどか)を意味している。
 しかし、それが何の量なのかを考えることは思弁的な問題であっ
 て、こうした問いを立てることがそもそも無意味なのだと感じて
 いる物理学者は多い。
 宇宙の究極的物質を追い求めることは幻想へ向かう十字軍かもし
 れないのである。
 原子以下のレベルでは質量とエネルギーは絶えず相互転換してい
 る。
 量子物理学者たちは両者が相互転換する現象に慣れているので、
 量子の質量をエネルギーの単位で測定するのが通例である。
 一定の条件の下で原子以下のレベルの現象が実際に起こる傾向は
 確率で表わされるから、問題は統計学のもの(物ではない、念の
 ため)となる。
 
 『踊る物理学者たち』(p71-72) 
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どうですか、ずいぶんイメージがあるでしょ。

> ぶどうで満杯の巨大なガラス球のイメージで地球を思いうかべて
> みれば、それは原子で満杯の野球ボールのイメージに近い。

こうなるとわたしなどには個数を数える気も起こりません。(^^;)

物理学者はスケールを考えるから、ここまで言えるのでしょうが。

これは原子の大きさのイメージです。

次は、原子核の大きさのイメージ。

> 原子をぶどうの大きさに拡大しても、部屋の大きさに拡大しても
> 原子核を見ることはできない。

ふーむ。

> 原子核を見えるようにするには、何と原子を十四階だてのビルに
> 拡大しなければならないのだ!

十四階だてのビル全体は、どうも空っぽらしいのです。

> ヴァチカンにあるサンピユニ大聖堂のドームの直径は十四階分あ
> る。
> ドームの真中に塩を一粒置き、ドームの外周を回っているほこり
> の粒がある、と恕像してほしい。
> 原子以下のレベルの粒子たちはこんな尺度にある。

まあ、こういうわけでした。

これ↑を読んだから、こう↓書いたわけですよね。

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 『踊る物理学者たち』の著者ゲイリー・ズーカフ氏の比喩を借り
 れば、十四階建てのビルほどの直径があるサンピエトロ大聖堂の
 ドームの真ん中に塩を一粒置いたような原子核を中心にして、ド
 ームの外周をその原子核の数千分の一の質量であるほこりの粒の
 ような電子が回っている、といったような案配のものであるらし
 い。

 いくら物質が生きていると考えたくても、その広大なサンピエト
 ロ大聖堂のドームの外周を、まさかその在るか無きかのほこりの
 粒が自らの意志で飛び回っていると思う者はいないはずだ。
 
 『21世紀への指導原理 OSHO』(p249) 
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16世紀に完成したサン・ピエトロ大聖堂のドームの内径は、42メー
トルだそうです。

その真ん中にある塩粒大の原子核とドームの外周を気配のように飛
び回っている電子というのが、原子のイメージだというんです。

要するに、生きているのはこの塩粒とホコリではなく、空間の方だ
ということでしょうね。

だから、このわれわれの身体が生きているわけじゃない。

これはもう自明じゃないか。(-_-;)

とまあ思ったんですよね。

といっても、生きる心配が消えたわけじゃないですが。(*^_^*)

まあ、現象世界には見かけ上いろんなパターンが創造されるわけだ
から、pariパターンがそうだったというだけのことですね。

重要視されなければ、それはただそれだけのことで……。

ところで、ハイゼンベルクの不確定性原理というのは、これまでの
物理的世界の存在自体を脅かすような発見らしいですね。

不確定性原理とは、運動している粒子の位置と運動量を同時に正確
に測定することはできない、というものですよね。

これだけ聞いたのでは、わたしなどには何がそれほど驚くべきなの
かわかりません。

でも、これは素粒子レベルではニュートン力学が通用しないという
ことを意味していて、これが潜在的に大変なことらしいです。

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 我々が観察しているものが実際に何であれ、運動量や位置が確定
 できるとしても、そのどちらに焦点を当てたいのかは、そのとき
 そのときに選ばなければならない。
 ともあれ「運動する粒子」に関しては、「あるがまま」の姿を見
 ることはできず、見たいと思う仕方でしか見られないということ
 になるのである。
 
 ハイゼンベルクが言うように、
 
  我々が観測しているのは自然そのものではなく、我々の問い方
  に応じて見えてくる自然である。
 
 不確定性原理を厳密に考えるならば、我々の周囲の世界と無縁の
 「我が道」は存在しないことがわかる。
 そこで生ずる疑問はまさしく「客観的」実在の存在に関するもの
 であり、相補性や相互関係としての粒子の概念の問題の場合と同
 様である。

 『踊る物理学者たち』(p184-185)
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もしかして、地上の科学は客観的物理世界は存在しないかもしれな
い、ということを発見してしまったのでしょうか。

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 シュレーディンガー方程式によれば、宇宙は、知覚されない限り、
 無限に多くの可能性を生みだしつづけている。
 しかし、知覚されてしまうと、その効果たるや直接的かつ劇的で
 ある。
 被観測系の波動関数はすべて収縮して一つだけが残り、それが実
 となる。
 一つの可能性が現実になって他の可能性が消滅してしまうのはな
 ぜなのか、誰にもわからない。
 この現象を支配している唯一の法則は統計的なものである。
 つまり、なりゆきまかせなのである。

 『踊る物理学者たち』(p135)
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> シュレーディンガー方程式によれば、宇宙は、知覚されない限り、
> 無限に多くの可能性を生みだしつづけている。

このメッセージ、どこかで聞いたことがある気がしませんか?

知覚された宇宙が無限だとするなら、知覚されない未知なる宇宙は
さらにその無限倍なのだというような……。

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 自己の視点から見れば、世界は既知であり、至高なるものは未知
 だ。
 未知は既知に誕生を与え、しかも未知としてとどまる。
 既知は無限だが、未知は無限大の無限だ。
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
 に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
 してとどまるのだ。
 
 『私は在る』(p85)
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> 既知は無限だが、未知は無限大の無限だ。

ほとんど文盲と言っているマハラジが、この『踊る物理学者たち』
を読んでいないことだけは確かでしょう。(^^;)

いったい誰がこんな言葉を発しているのか。

> 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないよう
> に、至高なるものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知と
> してとどまるのだ。

至高なるものは人間を含む多様な有機体を手段に、すべてを既知と
して確定しながら、自身は未知としてとどまるのでしょうか。

ところで、この文脈ではわれわれ人間は、既知を確定して現象世界
を顕現させるための道具です。

すべてを既知にしながらそれ自身は未知としてとどまる至高なるも
のは、既知として現れた現象世界に興味があるのでしょうか?

いや、恐らく、既知として現れた現象世界に興味をもつのは、無限
の可能性を既知にするための手段、つまり人間でしょう。

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 欲望をもち、恐れ、苦しむのはあなたではなく、環境と影響によ
 ってあなたの身体に築かれた個人なのだ。
 
 『私は在る』(p442) 
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そして、身体に築かれた個人のドラマに興味をもっているかぎり、
個人であることから解放されることはないでしょう。

ただ、自分が現象を確定する手段(DNAと条件づけ)であることが、
はっきり理解できたら……。

自分が現実を創造するための眼鏡(DNAと条件づけ)、運命そのも
のであることが自明になったら……。

そして、自分にできることなどなにもないこと、いや、自分などと
いう実体が存在しないことが自明になったら。

そうしたら、その運命に興味を失うかもしれません。

誰もが違う眼鏡と違う運命をもって、違う現実に直面し、違うドラ
マを創造している。

そこにどんな意味もない。

ただのドラマ、作り話。

現象のなかに何ひとつ発見すべきものなどない。

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 質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこには何も発見するものはないということを発見する。
 あなたはただ、あなたなのだ。
 ただそれだけだ。
 
 『私は在る』(p47)
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> そこには何も発見するものはないということを発見する。

マハラジらしい言い方。

> あなたはただ、あなたなのだ。

はい。

> ただそれだけだ。

わかりました。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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いつまでこんなことをしているのか。

今日もすっかり昏くなりました。

ではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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