home > 通信 >『アセンション館通信』(第588号):放り投げられた石は



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/07/19(第588号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在868名
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◇◇ もくじ ◇◇

1. 放り投げられた石は

2.編集後記
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■ 1.放り投げられた石は
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意識したいから意識のコンテンツにフォーカスしている。

それは間違いない。

……はずですよね。

けれど、いつの間にかその内容に振り回されてつらくなります。

すると今度は、それを手放したくなる。

でも、本当は、別に手放す必要もない。

放っておけば、消えていくだけですから。

観念の“意味”とか“価値”はすべてクリエーションです。

想像されたもの。

端的に言えば、でっち上げ、捏造品です。

“支え手”がその気になっているから、つかの間“意味”とか
“価値”として存在している、ような気がするだけです。

あるときは、“意味”や“価値”が在るということを懸命に主張し
たがったりします。

そして別の時節には、懸命に“意味”や“価値”など一切ないのだ
主張したがったりする。

不思議なもんですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

このごろ気づいたんですけど、わたしはとっても短距離走のマイン
ドらしいです。

現象にはこれといった変化もないのに、勝手に心理的に突進して、
むやみに右顧左眄し、勝手に反省し、勝手に挫折する。(*^_^*)

そんな感じで、一生やってきたのかなと思います。

いわば物理次元の夢のなかで、メンタル次元の夢の速度で空回りし
ただけ、だったのかもしれません。

なんのことはない。

じつは、何も起こっていなかったんです。

シュタイナー教育ではこの物理次元の速度に子供たちを習熟させる
学習が、意図的にカリキュラムに組み込まれてるそうですね。

木彫とか、フォルメンとか……。

子供たちに少しずつ、物理次元での物事の実現の速度と、そのため
の意志の持続の必要性を、教えるのだそうです。

物理次元では物事が起こるにはそれなりの時間がかかる、というこ
のことを、ビジネス用語では「遅れの法則」というようです。

人間の思い(思考)が物理次元で実現するには、ある程度の期間の
想念の集中と行動が必要だということでしょう。

でも、メンタル体は、なぜそんなものが必要なのか、なぜそもそも
願いを叶える必要があるのか、などと言いたがる。

もしそれが必要なものだったら、なぜ最初からそれは叶っていない
のか、などとと考えるわけです。

まあ、こんなバカなことを考えて、一生を送ってきたんですね。

(*^_^*)

必要なんて、何もなかったんです。

全体の“お遊び”のなかで、pariパターンはそういうバカなことを
考える役割として、夢のなかに創造されたというだけです。

そして、ここでこんなことを書くことも、源泉から流れ出す映画の
なかには含まれているのでしょう。(^_-)

もちろん、こんな話はすべてただの観念です。

でも、pariパターンが一生かけて探求させられた観念です。

その“一生”の持ち主であるpariという実体が存在するわけではな
いけれど、一生心配し悩んだ実績が、夢のなかにはありました。

何を言ってることだか。(^_-)

ま、そういうわけで、問題というのは実在しないんですよね。

問題というのは、観念として一瞬浮上する“自分”が、自ら存在す
るために構築する、同じく観念による虚構の“足場”です。

下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。

嘘も言いつづければ本当になる。

問題という虚構の“足場”を絶え間なく創造(想像)しつづければ、
しまいには“自分”もいることになる。

そして“自分”というようなものは存在しない、と聞いて、意味が
わからなかったりするわけです。

知覚構造は思考(想像)でできているので、感覚器官はその思考を
実現するために最適化されてきたのでしょう。

そこから入ってくる感覚情報にフォーカスしつづけ、それにエネル
ギーを投入しつづけるかぎり、現象世界は在るかのように見える。

エネルギーの投入がやめば、早晩、消えなければならない。

夢へのエネルギーの投入がやむかどうかは、夢のなかの登場人物の
手中にはないのでしょう。

すべての意識フォーカスが【見かけ】に向かっていれば、現象世界
に取り込まれて、それに拘束されるしかないのでしょう。

興味があるのに、興味がないふりをしても仕方がないですから。

どれだけ“無事に耐えられるか?”みたいな話です。

元々“無事に耐える”当人などいないわけでしょうが。

全体に織り込まれたエネルギーの退潮があるだけでしょうね。

すべてはリーラのシナリオどおり。

御心のままに、です。

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 私たちは夢を見ているだけなのだ。
 真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
 私たちは目覚めているという夢を見ている。
 私たちは眠っているという夢を見ている。
 三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
 すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定
 のものとして在ることの奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者とし
 て想像することは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
 
 『私は在る』(p207) 
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> 私たちは夢を見ているだけなのだ。

(-_-)

> 真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。

はい。

> 私たちは目覚めているという夢を見ている。
> 私たちは眠っているという夢を見ている。
> 三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。

起きて見る夢、眠って見る夢、夢のない夢。

> すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。

はい、知覚対象はすべて夢ですね。

> 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。

知覚対象である現象世界に単なる想像以上のものがあると見なすこ
とで、意識は奴隷状態を創造する。

> ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定
> のものとして在ることの奴隷になってしまう。

“自分”は現象世界のなかの知覚対象物だと自覚すれば、奴隷状態
が完成する。

> あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者とし
> て想像することは奴隷状態の本質なのだ。

知覚対象世界に織り込まれた特定の登場人物としての自覚こそが、
奴隷状態という意識の本質。

> 実際には、私たちに物語はない。

実際には、不動の永遠として実在するものに物語はない。

> 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。

実在するのは変化もせず、発展もせず、崩壊もしない絶対の主体。

> すべてを夢と見て、動じずにいなさい。

知覚可能なものはすべて夢、想像、観念と知って、揺らがない。

でも、この身体のなかで築かれたこの信念、この確信も、身体を失
うことで、また水泡に帰すのでしょうね。

そしてまた新たな身体に魅せられ、再誕生を望むのでしょうか?

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 真の再誕生とは自我として死に、霊性として再生することである。
 これがイエスの礫(はりつけ)と復活の真意である。
 霊性、真我、源のなかに溶け去り、身体としての感覚が消え去る
 まで、新しい身体はつねに手に入るだろう。
 放り投げられた石は再び源に戻り、落ち着くまでつねに動きのな
 かにある。
 頭痛は頭痛が起こる以前の状態に戻るまで苦しみを与えつづける。
 生命と再誕生への渇望は、絶対的な存在、サットである生命の本
 質そのもののなかに本来備わっている。
 本質的に不滅であるにもかかわらず、はかない道具でしかない身
 体との偽りの同一化によって、意識はそのはかなさと同化してし
 まう。
 それが誕生の連鎖という結果をもたらしたのである。
 だが、いかに果てしなく身体が転生を繰り返そうとも、いつかは
 終焉がおとずれ、唯一永遠の真我に明け渡すときが来るのだ。
 
 『あるがままに』(p340-341)
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> 真の再誕生とは自我として死に、霊性として再生することである。

ああ……。

新たな身体への自己同化は、夢のつづきであって、真の再誕生では
ないのですね。

「真の再誕生とは自我として死に、霊性として再生すること」……。

そういうことだったのか。

(-||-)

> これがイエスの礫(はりつけ)と復活の真意である。

そうだったのか。

> 霊性、真我、源のなかに溶け去り、身体としての感覚が消え去る
> まで、新しい身体はつねに手に入るだろう。

わかりました。

身体としての感覚が消え去るまで、霊性、真我、源のなかに溶け去
らないかぎり、つねに新しい身体に魅せられるのか。

> 放り投げられた石は再び源に戻り、落ち着くまでつねに動きのな
> かにある。

「放り投げられた石は再び源に戻り、落ち着くまでつねに動きのな
 かにある」……。

そのエネルギーが尽きるまでは、放物線軌道を描くしかない。

そうだよなぁ。(-_-;)

> 頭痛は頭痛が起こる以前の状態に戻るまで苦しみを与えつづける。

そうか。

> 生命と再誕生への渇望は、絶対的な存在、サットである生命の本
> 質そのもののなかに本来備わっている。

形あるものへの渇望は、絶対存在、サットである生命の本質そのも
ののなかに、本来備わっている……のか。

> 本質的に不滅であるにもかかわらず、はかない道具でしかない身
> 体との偽りの同一化によって、意識はそのはかなさと同化してし
> まう。

意識は、形あるもののはかなさと同化してしまう……のか。

> それが誕生の連鎖という結果をもたらしたのである。

はい。

形あるもののはかなさへの同化と、誕生の連鎖は、まったく同じこ
との二つの言い方ですものね。

> だが、いかに果てしなく身体が転生を繰り返そうとも、いつかは
> 終焉がおとずれ、唯一永遠の真我に明け渡すときが来るのだ。

ああ……そういうことだったのですね。(-_-)

そうか……。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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■ 2.編集後記:
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無意味に長い時間をかけることは、起こりませんでした。

起こることになっていることが、起こるだけです。

今日はまだお昼です。

台風は過ぎ去り、ときどき微かな雨が降っています。

永遠の今のなかの、ひとつの場面です。

では、ごゆっくり。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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