home > 通信 >『アセンション館通信』(第590号):夢のなかで“何者か”に成ること



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/08/02(第590号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.夢のなかで“何者か”に成ること

2.編集後記
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■ 1.夢のなかで“何者か”に成ること
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夏ですね。

暑くなりました。

比較的涼しいこの山里のなかでも、昼間は普段開け放っているガラ
ス戸を閉じて、クーラーを使うことがあります。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

普段あまり人と会ったりすることはありません。

最近、たまたま近くに住んでいる方で、子供のころの境遇や現在の
興味関心に、かなり共通点がある方(女性)と知り合いました。

その方はアメリカのワシントンDCに自宅があるのですが、ときどき
完全に独りになるために日本の山のなかにくるのだそうです。

先日お宅に呼ばれて、連れ合いと二人で行ってきました。

かなりの距離の斜面を車で登っていった先に、まわりに人の気配が
途絶えたあたりに一軒家がありました。

車をお使いにならない方なので、普段はこの長い坂道を歩いていら
っしゃるのでしょう。

なかに招じ入れられると、入り口からそのまま家のすべてが見渡せ
るこじんまりした室内でした。

部屋から半透明の簡単な屋根が付いたサンデッキに出ると、たまた
ま降りだした俄か雨であたりが涼しくなりました。

樹々に囲まれたそのサンデッキで、色々面白い話を伺いました。

ご主人の仕事の関係で世界中色々なところで生活したことがあるそ
うですが、どこの写真でも“現地人”に見えるそうです。

怖いという感覚があまりなく、どこに住んでもすぐにそこが好きに
なり、その土地に馴染んで、そこに溶け込むのだそうです。

ふとした断食の話題から、自分は強引に断食させられたという珍し
いお話を聞きました。

京劇の記録写真を取っていた方の友人だったとかで、その方といっ
しょに中国に招かれたことがあるそうです。

国賓扱いだったのか、宮廷料理というのをご馳走されたのだとか。

宮廷料理というのは爬虫類でも何でも食材の原型をとどめた料理な
のだそうです。

あまり食べられなかったそうです。

そしてその中国旅行から日本に帰って来たとき、体の調子がおかし
くなりその家に独りで篭ったそうです。

顔と首の区別かつかないほど頸部が腫れ上がり、喉が塞がって一週
間ほど水も喉が通らなかったそうです。

それでも出るものは出て痩せていったそうです。

もう自分はこのまま死ぬのかもしれないとは思ったものの、頭は澄
み切って、特に苦しくはなかったとか。

そして一週間ほどして、やっと少し喉に隙間ができて、小さじ一杯
の水を三十分ほどかけて口に入れたそうです。

心配した友人がそこにたずねてきてくれて、まったく形相の変わっ
た彼女に出会ったのだそうです。

そして話してみると、彼女は自分が天才になったことを知ったそう
です。

相手の言うことが、まったく考えることなく何でも分かるのだそう
です。

相手の方も驚いて、色々な質問をしたそうです。

ところが、食事ができるようになると、日に日に馬鹿になって、す
ぐにもとに戻ってしまったのだとか。(*^_^*)

それからご主人を見とった話、お父様を見とった話など、いろいろ
伺いました。

そろそろお暇しようかというころ、室内に席を変えてお茶をいただ
いたのですが、そこでふとこんなことを言われました。

「人生ってやっぱりいいものですよね」と。

読んでいる本や価値観など、多くの点で共通点があるようだけど、
わたしにはそういうことは言えないなぁ、と思いました。

「もういちど、このエゴの夢のなかに入って来たいとは思いません
ねぇ」とご返事せざるをえませんでした。

そう答えるまで、少し時間が経って話題が別のことに移っていたの
で、シャーラの通訳が必要になっていました。

「これ、さっきの人生はいいものですね、に対する返事です」と。

世界のなかで“何者か”に成ること、それが人生だと思います。

それが良いことか良くないことか、そんなことを決められるような
客観的規準が意識のなかに存在するとは思えません。

知覚可能な意識現象に関するかぎり、それはすべて現れであって、
存在ではないわけですから。

人生はいいものだという観点と同じように、人生は望ましくないと
いうのも、単なる観点です。

意識現象のなかには、どんなことについても、つねに対立する観点
が現れているはずです。

だから、現象世界で“何者か”に成ることについても、肯定的観点
もあれば否定的観点もあるでしょう。

あなたは、今は、どう思われますか?

「人生ってやっぱりいいものだ」と思われますか?

それとも、

「もういちど、このエゴの夢のなかに入って来たいとは思わない」
という観点のほうに親和性を感じますか?

わたしは、あるときまでは、“自分の思い”こそが大切なのだと、
思っていました。

そしていま、“自分の思い”というのは、単に“配達された想念”
に注意を向けている、というだけのことだと思っています。

その“自分の思い”への執着が、つづく間はつづくのでしょう。

でも、いつかその“自分の思い”への執着が、つづかなくなるのか
もしれません。

あるいは、もっとダイナミックに、その“自分の思い”という幻想
が、いっきょに崩壊する時がくるのかもしれません。

自分の観点も他人の観点も、自分の思いも他人の思いも、どちらも
波動宇宙を構成する不可欠の部分でしょう。

どれもこれも単なる意識現象だと言ってもいい。

深遠なる神秘の意識現象です、と言っても同じことです。

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 あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人
 に尋ねなければならない。
 だから言っているのだ。
 あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。
 あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるの
 だ。
 
 『私は在る』(p398) 
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> あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人
> に尋ねなければならない。

なるほど。

それは確かですね。(-_-)

> だから言っているのだ。

(-_-)?

> あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。

(@_@) ⌒★?

まさか……。

> あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるの
> だ。

まさか、とは思うけど、でもマハラジが嘘をつくとも思えないし。

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 それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなか
 で、無意味に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされ
 てしまうだろう。
 ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないの
 だ。
 しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべ
 ての争いや葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の
 仕事となるだろう。
 あなたは自由になれることを知っている。
 そして今、それはあなたにかかっているのだ。
 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、
 つねに失い、悲しみに暮れるか、あるいは全身全霊で、何を加え
 ることも、何を取り去ることもない永遠の完成の状態を探求しに
 出かけるか、どちらかだ。
 そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。
 それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなっ
 たからなのだ。
 
 『私は在る』(p349)
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> それ(真我の実現)なしには、あなたは果てしない苦しみのなか
> で、無意味に欲望と恐れを繰り返しながらそれらに食い尽くされ
> てしまうだろう。

うーむ。(-_-;)

まあ、食い尽くされるものもないのだろうけど。

> ほとんどの人びとは苦痛に終わりがありうることさえ知らないの
> だ。

たしかに。

> しかし、ひとたび彼らがその良い知らせを耳にしたならば、すべ
> ての争いや葛藤(かっとう)を超えていくことがもっとも緊急の
> 仕事となるだろう。

もしその“良い知らせ”が聞こえたエネルギーならだけど。

> あなたは自由になれることを知っている。

はい。

> そして今、それはあなたにかかっているのだ。

ここでは元気づけが起こっている。

> 永遠に空腹で、渇き、切望し、探し求め、手探りし、つかみ取り、
> つねに失い、悲しみに暮れるか、

(>_<)

> あるいは全身全霊で、何を加えることも、何を取り去ることもな
> い永遠の完成の状態を探求しに出かけるか、どちらかだ。

どんな物語もありえないところへ。

> そのなかではすべての欲望と恐れは不在だ。

はい。

> それらがあきらめられたからではなく、それらに意味がなくなっ
> たからなのだ。

たしかに。

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 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
 すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足している
 ことは、非常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須
 の状態なのだ。
 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
 私を信じてほしい。
 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になること
 が至福なのだ。
 
 『私は在る』(p267)
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> 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。

そうか。

> 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。

(>_<)

> すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足している
> ことは、非常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須
> の状態なのだ。

そうなんだなぁ……。(-_-)

> 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。

はい。

> 私を信じてほしい。

(-_-)?

> 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になること
> が至福なのだ。

やっぱり。

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 しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り
 歩きを続けるだろう。
 しかし、この時期は過ぎていく。
 そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ること
 だろう。
 心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるもの
 だ。
 それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
 なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠く
 へと航海をはじめたことを意味するからだ。
 古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていない
 とき――これが無執着だ。
 もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
 しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
 教えを思い出しなさい。
 何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということ
 を。
 
 『私は在る』(p268)
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> しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り
> 歩きを続けるだろう。

はい。

> しかし、この時期は過ぎていく。

ほんとですか。

> そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ること
> だろう。

ふーん。

> 心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるもの
> だ。

はい、それはわかります。

> それはもっとも望まれる瞬間なのだ。

え?! (@_@) ⌒★?

> なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠く
> へと航海をはじめたことを意味するからだ。

うーむ。

> 古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていない
> とき――これが無執着だ。

無執着かぁ。

まだゴミだらけだなぁ。(-_-)

> もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。

そうなんだ。

> しかし、本当に何も恐れることはないのだ。

ええ、そういう気持ちになることもあります。

> 教えを思い出しなさい。

(?_?)

> 何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということ
> を。

ああ……。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 2.編集後記:
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現象世界のなかの“何か”になるから、立場を持てる。

立場を持つから、その立場での体験ができる。

その立場で体験をするから、物語を紡ぐことができる。

でも、その物語はすべて、単に記憶をつないだ観念的創造物でしか
なかった、そしてじつはどこにも実在していなかった。

だから、じつはこの瞬間にエネルギーが注がれなければ、たちまち
消えるしかない運命のものだった。

と、そんなことが理解されてしまうと……、もうその物語に以前と
同じような意味で、本気になることはできなくなります。

本気のエネルギーが注がれなければ、物語はほころびはじめます。

これは、どうしようもない事実ですね。

この先どうなっていくのかは知りませんが、もう本気で“自分”の
物語に入れこむことはできなくなったようです。

あとはただ、こちらで押さなくても、夢の次のページが開くだけの
ことでしょう。

今日は明るいうちに終えました。

<(_ _)>

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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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