home > 通信 >『アセンション館通信』(第592号):『意識は語る』(「一体化」)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/08/16(第592号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在870名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『意識は語る』(「一体化」)

2.編集後記
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■ 1.『意識は語る』(「一体化」)
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言葉を綴るためには、いくらかはそこで綴られる言葉に価値を感じ
ていることが必要なのかもしれません。

綴る言葉というものが湧いてくる想念の表現にすぎず、エゴの延命
機能しかないのかもしれないなどと思われてくると……。(^^;)

まあ、変なものではあります。

といっても、それはごく一時的な感想で、またすぐ真面目に夢のな
かの役割を演じます。

それもこれも、起こるべきことが起こっているだけ。

上手く立ちまわることができる分離独立したエゴが存在するという
わけでもありません。

いずれにしろ夢のなかのことです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

思うに、わたしは論理的に考えるということのパワーを信じてきた
のだと思います。

論理性は論理展開自体に含まれている矛盾を発見できるはずだと。

それはそれで間違いないようにも思えます。

ただ、論理性が有効なのは、論理のなかだけかもしれませんね。

たとえば、どのように推測すればいいか、どのように学習すればい
いかのアルゴリズムを設定されたコンピュータがあるとします。

彼には、それを作った人間の内面は推測できるでしょうか?

コンピュータはただ、外部から与えられた刺激(入力)に対して、
応分の反応をし、作られたように動作するだけです。

pariパターンも波動宇宙に織り込まれたバイオコンピュータでしょ
うから、自分の役割を演ずる以外にできることなどありません。

人間がこの身体とそこに浮上する想念を自分だと思いこむ仕掛けに
ついて、わからないなりに納得したいような感じがありました。

納得したいという欲望自体、無明そのものなのでしょう。

しかしその無明が、源泉から流れ出していることも確かです。

ラメッシ・バルセカールの『意識は語る』に、「一体化」という、
項目があります。

ラメッシは質問者の問に答えて、可能なかぎり言葉で説明しようと
していると思います。

その項目の直前に、前の項目のこんな言葉が置かれています。

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 悟りが起こったあとでもラマナ・マハルシのように、もし誰かが
 彼を「バガヴアーン」と呼べば、ラマナは応えました。
 もし誰かが「マハラジ」と呼べば、マハラジは応えたものです。
 ですから、肉体との一体化があり、それは肉体の中で機能するあ
 る種の操作的要素との一体化です。
 たとえば、あなたが道路上で車を運転しているときのように、行
 為者としての「自分」という感覚なしに機能している操作的要素
 と同じ種類のものです。
 ある距離の問、「自分」がほとんど存在していないということが
 頻繁にあります。
 あなたは到着し、すると突然、自分が到着したことがわかります。
 操作的要素が運転していたのです。
 つまり、運転していたのはその操作的要素だったのですが、でも
 そのとき、機能している操作的要素と自分の一体化がなかったの
 です。
 ですから、一体化は続きますが、分離した行為者としてではあり
 ません。
 抜け落ちるのは実体化です。
 もはや分離した行為者はいないのです。
 残念ながら、あなたは辞書の中に、entitificationという単語を
 見つけられません。
 
 『意識は語る』(p180-181) 
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意味は明瞭ですよね。

「entitification」という言葉は、身体精神機構が全体から分離・
独立した「実体」として幻想されることを意味する言葉です。

ラメッシ・バルセカールの造語だそうです。

「一体化」という項目は、この後に置かれています。

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 一体化
 
 質問者 主体的な潜在意識は一体化することができるのですか?
 
 いいえ。
 どんな「自分」もいません。
 存在するすべてはあれやこれやの状態の意識です。
 誰が誰と一体化すると言うのでしょうか?
 
 質問者 では、どこでこの一体化は起こっているのでしょうか?
     それは主体レベルでしょうか? それとも対象レベルで
     しょうか?
 
 一体化が起こるのは、個人の現象的対象レベルとその人の分離し
 た心においてのみであり、そのとき、対象物が神の主体性を想定
 して「私が主体である。私は考えることができる。私は知的であ
 る」と言うのです。
 こう考えることで、その人は自分自身を残りの世界から切り離す
 のです。
 
 『意識は語る』(p181-182)
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> 質問者 主体的な潜在意識は一体化することができるのですか?

この質問のなかに、われわれ人間の混乱した意識状態が見事に集約
されて表現されていると思います。

質問者は、われわれと同じく自分はいると思っています。

その自分とは現象界のなかに現象している自分です。

この身体として現れている自分、しかも主体性である自分です。

エゴとして現れる前の“意識的実体”を、「主体的な潜在意識」と
いう言葉で指し示そうとしているのだと思います。

> いいえ。
> どんな「自分」もいません。

どんな「自分」もいない。

とても単純で、言葉としてはとてもわかりやすい。

(ただ飲み込みにくいだけです。(*^_^*) )

> 存在するすべてはあれやこれやの状態の意識です。

これは“顕現しているすべて”はとか、“知覚されるすべて”は、
のほうが言葉としては明確かもしれません。

ただ、ラメッシ・バルセカールの語法では、ホコリが舞い上がって
いる状態も、澄みきった状態も、意識の状態にすぎません。

存在するのは意識だけ、という語法だから、こういう言い方になる
んでしょうね。

> 誰が誰と一体化すると言うのでしょうか?

この言葉が、細胞の隅々にまで浸透しますように。(-||-)

> 質問者 では、どこでこの一体化は起こっているのでしょうか?
>     それは主体レベルでしょうか? それとも対象レベルで
>     しょうか?

こういうことを、いちどしっかり伺っておきたかったです。

質問者に感謝ですね。(-||-)

エゴというのは対象レベルで発生するという観念も、非顕現が顕現
に自己同化するという観念もありそうです。

誰が知りたがるのか?、なんて突っ込まれそうですけど。(*^_^*)

さて、ラメッシ・バルセカールはどう観念化するのか?

> 一体化が起こるのは、個人の現象的対象レベルとその人の分離し
> た心においてのみであり、そのとき、対象物が神の主体性を想定
> して「私が主体である。私は考えることができる。私は知的であ
> る」と言うのです。

うん。(-_-)

「個人の現象的対象レベル」って、まあ身体のことでしょうね。

それと「その人の分離した心」……。

「その人の分離した心」って、知覚対象である身体現象を分離実体
を想像した上で、そこに浮上する想念群という感じでしょうか。

まあ、人間の身体現象とそこに浮上する想念群のあいだに仮想され
るのが「自分」という観念だと。

それは両方とも知覚される現象的対象物なのだけれど、その対象物
のなかで神の主体性が僭称されるのだ、ということでしょうか。

> こう考えることで、その人は自分自身を残りの世界から切り離す
> のです。

そして、そう考えることで、その想念は、その想念自体を“自分”
として、残りの現象世界から切り離す、と。(-_-)

この質問者は編集者でしょうか、それまでのラメッシの言葉を詳細
に追跡してきているようです。

その質問に合わせて、ラメッシという人格をとおして語る意識は、
他のグルが話さないような老婆親切を語ります。

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 質問者 以前あなたは、分離した人と一体化するのは意識である
     と言いませんでしたか?
 
 そのとおりです。
 現象のプロセスとその機能において、その機能が起こるために、
 このゲームというかリーラが起こるために、こういった愛と憎し
 みの関係が起こるために、意識は個々の機構にそれ自身を一体化
 させるのです。
 今、あなたが劇を書いていると仮定しましょう。
 あなたは六人の登場人物を創造し、そして、その六人すべての人
 物を自分で演じているのです。
 あなたは一人の登場人物になり、それからあなたが別の登場人物
 に話しかけるとき、スポットライトは今話している登場人物とし
 てのあなたに当たります。
 それからスポットライトが一瞬消え、あなたは別の登場人物にな
 ります。
 スポットライトが戻り、あなたは二番目の登場人物のように話し
 ます。
 でも、誰が話しているのでしょうか?
 これら六人の登場人物がそこにいるわけではありません。
 あなたがそれぞれのパートを演じているのです。
 劇を作っているのも、すべての登場人物を演じているのも、ただ
 あなただけです。
 もしこれらの六人の登場人物が知覚と知力を注入されているとし
 たら、彼らは誰がより重要で、誰がより魅力的かをめぐって、お
 互いに争い始めることでしょう。
 それがまさにこの夢の演劇の中で起こっていることです。
 目覚めがあるとき、あなたはただ眺めていることでしょう。
 あなたはただ眺めて、観照しています。
 
 『意識は語る』(p182-183)
------------------------------------

> 質問者 以前あなたは、分離した人と一体化するのは意識である
>     と言いませんでしたか?

この前にラメッシは、対象レベルでエゴが発生するという意味のこ
とを答えているわけです。

それに対して質問者は、しかし「意識している」のは非顕現ではな
いのか?、と聞いているわけです。

> そのとおりです。

ラメッシ流にかぎらず、元々個人が存在するわけではないので、こ
う答えることになりますよね。

ただ、ここは逆にも言えて、ニサルガダッタは反対側から「理解は
マインドの開花」とも表現しています。

「あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ」(『私は在る』(p330) )

とも。

聞き手の波動に応じて覚者の方便も変わるのかもしれません。

でも、同じことだというのもわかります。

さて、ラメッシ・バルセカールしか語らないような言葉というのは
これからの部分です。

> 現象のプロセスとその機能において、その機能が起こるために、
> このゲームというかリーラが起こるために、こういった愛と憎し
> みの関係が起こるために、意識は個々の機構にそれ自身を一体化
> させるのです。

「聖なる催眠」の舞台裏ということでしょうか。

> 今、あなたが劇を書いていると仮定しましょう。

はい。(-_-)

> あなたは六人の登場人物を創造し、そして、その六人すべての人
> 物を自分で演じているのです。

ふーむ。

> あなたは一人の登場人物になり、それからあなたが別の登場人物
> に話しかけるとき、スポットライトは今話している登場人物とし
> てのあなたに当たります。

(-_-)

> それからスポットライトが一瞬消え、あなたは別の登場人物にな
> ります。

カシャカシャと瞬時に切り替わる。

> スポットライトが戻り、あなたは二番目の登場人物のように話し
> ます。

それが夢ってものなのでしょうか。

> でも、誰が話しているのでしょうか?

たしかに。(?_?)

> これら六人の登場人物がそこにいるわけではありません。

おお……。

> あなたがそれぞれのパートを演じているのです。

個人意識とはまた別のレベルで。

> 劇を作っているのも、すべての登場人物を演じているのも、ただ
> あなただけです。

うーむ。(-_-)

> もしこれらの六人の登場人物が知覚と知力を注入されているとし
> たら、彼らは誰がより重要で、誰がより魅力的かをめぐって、お
> 互いに争い始めることでしょう。

そうか。

「知覚と知力を注入されている」というところがミソか。

人間以外の動物は知覚しか注入されていない。

ただ人間だけが、知覚と知力を注入されている。(-_-;)

> それがまさにこの夢の演劇の中で起こっていることです。

これが夢の夢たる所以か。

> 目覚めがあるとき、あなたはただ眺めていることでしょう。

はい。

> あなたはただ眺めて、観照しています。

わかりました。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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引用文が大半のこんな文章を書いているのですから、とうてい、
自分が書いているなどとは思えませんし、思ってもいません。

現象世界に対する興味や責任感の名残がつづく間は、こうして波動
宇宙に織り込まれたパターンへの同化が継続するのでしょう。

焼尽するまではこれがつづくのでしょう。

今日は明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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