home > 通信 >『アセンション館通信』(第593号):無知が悲しみをもたらす



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/08/23(第593号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在867名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.無知が悲しみをもたらす

2.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.無知が悲しみをもたらす
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

曇り空が変に薄明るかったりすると、微かに心が動きます。

こういう心の動きは何なんでしょう?

別になんということもないのだけれど、画家が風景に心を動かすよ
うに、微かな光の加減に気分が呼応するのでしょうか。

台風が二つ近づいているのだとか。

こうしてマインドはつねに変化に注目し、何かを期待するものなの
でしょう。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

知覚は変化を捉えるもの、心は変化に応ずるものです。

知覚は現象の変化を映しだし、心はその変化を解釈しようとする。

そして成長とか進化という神話を創造するのでしょう。

もちろん、変化のなかには“成長”もあれば“進化”もあるに違い
ありません。

言葉の城で組み立てれば、造れないものなどありませんから。

セイラー・ボブ・アダムソンによれば、ニサルガダッタはボブさん
の足の下からすべての観念を蹴りだしてしまったそうです。

ボブさんは、拠って立つ足場をすべて失ってしまった。

ボブさんほど幸運でないわれわれの場合、生身のニサルガダッタに
足下のすべての観念を蹴りだしてもらうわけにはいきません。

なのでわれわれは、自分でそれをやらなければなりません。

でも成長や進化とはまったく無縁のこんな仕事は、成長神話が大好
きなマインドがやりたがるはずがないのです。

pariパターンは、ひたすらマインドを酷使することを運命づけられ
ているのでしょう。

おそらく、もう一瞬もマインドを使いたくないというところまで、
マインドを使い倒すしか道はないのでしょうね。

一生“自分”を否定する道を歩まなければならないとは。(;_;)

こんな言葉で空元気でもつけるより仕方ありません。(^_-)

------------------------------------
 ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。
 
 『私は在る』(p536) 
------------------------------------

> ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。

こうですからねぇ。(-_-;)

> 自己主張は束縛だ。

意味するところは、わかるんですよ。

たしかに、自己主張こそ、“旬の夢”の徴(しるし)ですよね。

> 疑うことと否定することがなくてはならない。

これが“賞味期限切れ近くの夢”の徴(しるし)でしょう。

> それは反抗の本質だ。

ここで語られている反抗は、夢のなかで反抗したり、夢に嫌悪感を
もったりすることではないでしょうね。

夢に注意の焦点を奪われないことだと思います。

焦点を奪われっぱなしのpariパターンの台詞でもないけど。(^^;)

> そして反抗することなしに解放はありえないのだ。

夢に違和を持つことなしに、解放はありえないのだから。

でも、ラメッシ・バルセカールが正解したように、マハラジは人生
という夢に反抗しなさいと教えたのではないとも言える。

人生という夢に対する違和が起こり、それに反抗する過程が起こら
ずには解放はありえない、と描写しているだけだと。

夢に同調するかぎり、夢のなかに投影される現象に対応し、状況に
合わせて変化し、成長し、進化しなければなりません。

そうすれば、何かを達成する夢にはありつけるかもしれない。

でも、むろん、夢から醒めることなどありえません。

夢(のなかで起こること)に興味を持ち、夢に対応し、そこで変化
しながら、夢から醒めようとしても、それはできない相談です。

ふいに、なぜこれほどの惨めさがあるのだろう、という思いが湧い
てきます。(;_;)

------------------------------------
 無知が悲しみをもたらす。
 幸福は理解にともなって起こるのだ。
 
 『私は在る』(p548)
------------------------------------

> 無知が悲しみをもたらす。

そうか。

> 幸福は理解にともなって起こるのだ。

【幸福は理解にともなって起こる】……。

つまり、pariパターンにはまだ理解が起こっていないわけだ。

だから、そのことを知らせるために、何度でも、惨めさと悲しみが
押し寄せなければならないんだなぁ。

ずいぶん気楽になったような気もするけど、幸福とは言えないかも
なぁ。

------------------------------------
 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
 あるいは不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によ
 って遠い未来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のも
 のとして使われるためにそこにあることが明らかになるまでは、
 自由という目的を心に保ちなさい。
 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。
 あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇
 気だ。
 
 『私は在る』(p538)
------------------------------------

> マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
> あるいは不幸にするのだ。

ああ、ここでは「幸福」という言葉の意味合いが違う。

これは、幸福と不幸の幸福だ。

> マインドへの隷属に反抗しなさい。

……。

> あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。

これがまだ肚に入っていないんだな。(-_-)

> そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。

やっぱりこれか……。

> あなたがすでに自由であること、そして自由とは苦しい努力によ
> って遠い未来に獲得される何かではなく、永久にあなた自身のも
> のとして使われるためにそこにあることが明らかになるまでは、
> 自由という目的を心に保ちなさい。

(;_;)

> 解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。

ああ……。

> あなたがすでに自由であると信じ、それにしたがって行為する勇
> 気だ。

(-||-)

------------------------------------
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知
 らなければならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知
 る者でも在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
 
 『私は在る』(p539)
------------------------------------

> あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知
> らなければならないのだ。

やっぱり、ここにきてしまう。

> 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。

けっきょく、そういうことだよなぁ。

自分を知るためにすぐにマインドを参照してしまう。

> だが、そうではないのだ。

はい。

観念としてはわかっているのです。

> マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。

はい。

> それは記憶に傷跡を残すのだ。

たしかに。

> あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。

けっきょく、いまもまだそうなのか。

> 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。

そうか。

> それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。

参照するものではないんだ。

> あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知
> る者でも在る。

はい。

> 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。

まず在る者であること。

それが知ること。

参照することではない。

------------------------------------
 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であ
 れあなたが知覚するものに実在性を与えるのだ。
 この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほか
 のどのときにも起こることはない。
 なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。
 「在ること」は今だけに適用するのだ。
 
 『私は在る』(p547-548)
------------------------------------

> 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であ
> れあなたが知覚するものに実在性を与えるのだ。

わたしは自分が【知覚するものに実在性を与え】てしまう。(-_-;)

> この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほか
> のどのときにも起こることはない。

わかります。

> なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。

たしかに。

> 「在ること」は今だけに適用するのだ。

「在ること」とは、今に在ること。

すると、わたしは常に自分が【知覚するものに実在性を与え】る。

------------------------------------
 一切の外的なものに価値がなくなり、ハートにそのすべてを放棄
 する用意があるとき、ひとつの霊的な成熟のレベルに到達された
 のだ。
 そのときこそ実在はチャンスを得、それをしっかりとつかむ。
 もし遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去
 ることを望まないことが原因なのだ。
 
 『私は在る』(p533)
------------------------------------

> 一切の外的なものに価値がなくなり、ハートにそのすべてを放棄
> する用意があるとき、ひとつの霊的な成熟のレベルに到達された
> のだ。

pariパターンはまだその成熟レベルに到達していないのか。

だからマインドを参照して自分を確認しようとしているわけだ。

> そのときこそ実在はチャンスを得、それをしっかりとつかむ。

そうか。

> もし遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去
> ることを望まないことが原因なのだ。

【遅れがあるとしたら、マインドが見ること、あるいは捨て去るこ
 とを望まないことが原因】……。

原因まではっきりしている。(*-_-*)

------------------------------------
 (存在の感覚以外のすべてから)注意を退けなさい。
 ものごとが去来するにまかせなさい。
 欲望や思考もまた、ものごとなのだ。
 それらを無視するがいい。
 遙かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆わ
 れてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。
 ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。
 あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を
 露にしていくだろう。
 それはすべてとても容易なことだ。
 誠実で忍耐強くありなさい。
 ただそれだけだ。
 無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気
 づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマイン
 ドの状態だ。
 結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。
 
 『私は在る』(p513)
------------------------------------

> (存在の感覚以外のすべてから)注意を退けなさい。

ここで、もたついているんだな。

> ものごとが去来するにまかせなさい。

ひとつひとつ、実在化してしまっているわけか。

> 欲望や思考もまた、ものごとなのだ。

【欲望や思考もまた、ものごと】。

まだ、これが腑に落ちていなかったわけか。

> それらを無視するがいい。

(-||-)

> 遙かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆わ
> れてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。

はい。

> ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。

(-_-)

> あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を
> 露にしていくだろう。

(-_-) ⌒★?

> それはすべてとても容易なことだ。

(-_-)

> 誠実で忍耐強くありなさい。
> ただそれだけだ。

(-||-)

> 無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気
> づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマイン
> ドの状態だ。

自分の今の状態がよくわかりました。

> 結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。

ありがとうございました。

<(_ _)>

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

自分が彷徨っている場所と、ニサルガダッタの言葉とのギャップが
よくわかりました。

まあ仕方ない。

まずは今いるところから。

しかし、何も失っていない。

ただ余計なホコリをかぶっているだけ。

今日はすっかり暗くなりました。

ではお休みなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2015 paritosho
------------------------------------------------------------