home > 通信 >『アセンション館通信』(第595号):抵抗を認識しているのは誰か



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/09/06(第595号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在867名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.抵抗を認識しているのは誰か

2.いただいたお手紙から: ゆうきさん

3.編集後記
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■ 1.抵抗を認識しているのは誰か
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秋になりましたね。

山里に吹く風は涼しくなりました。

秋日和というような天気でもないけれど。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

マインドは価値観に護られて体面を保っています。

ところが護ってくれるはずの価値観が崩壊すると、寄る辺がなくな
ります。

思考を紡ぐこと自体に価値が感じられないのだから、ひたすら無心
でいればいいのですが、それはマインドが望むことではない。

だから、まだこうして悪あがきをしているわけです。(^^;)

でも、いまさら価値観を担ごうとは思っていないし、どうやらそれ
はもう不可能らしいということも感じています。

一瞬の思考が、つかの間の気分になり、それが感情として沈着して
いくというのが、マインドのいわば成熟の過程でしょう。

それはすべて起こっていることです。

言い換えるなら、それは現象世界、佛語でいう「色」です。

(「佛」という漢字は、「人+弗」、「人+ではない」を意味する
 文字らしいので、気取って「佛」にしておきます。^^; )

そして、そういう起こっていることの背景に、現象すべてを可能に
している気づく能力(実在)が在ります。

あらゆる現象を映しだしている鏡、いかなる歪曲(=解釈)も加え
ずにただ見ている真のパワー、つまり真我です。

われわれの気づく能力は、もちろん、この真我に淵源しています。

「真我に淵源している」と言って、「真我だ」と断定しないのは、
われわれが自分を人間と見なしていると前提してのことです。

でも、われわれが主観的にどう自覚していようとも、われわれの
気づく能力は、事実は、真我そのものです。

(われわれの肉体がこの気づく能力の所有者でないことは、様々の
 臨死体験報告などで客観的に証明されていますよね。)

ただ、どういうわけか、われわれは自分が真我であることを認めた
がらない。(^^;)

なぜか?

前回、ゲームに夢中になって、父親にゲーム機を壊された中学生の
話をしました。

たとえ、それがどれほどハラハラ・ドキドキのシンドイ場面の連続
であろうと、夢を見ている(夢中の)人は起こされたくないのです。

夢中の人間は、死に物狂いで目覚めさせられることに抵抗する。

どうしてなんだろうと思いますよね。(*^_^*)

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 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望む
 のだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、
 解放はありえない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
 
 『私は在る』(p346) 
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アチャ!(>_<)

まあ、そういうわけなのです。(*^_^*)

わたしは、ニサルガダッタの表現に出会うまで、こういうことを、
こういうふうに明確に言ってくれる方に出会いませんでした。

というか、こういう言葉に出会うだけの縁(マインドの状態)が、
なかったのだと思います。

棲んでいる波動帯がまったく異なれば、遭遇など起こりえないわけ
ですから。

覚者といえども、いや覚者なら当人も認めているのでなおさらです
が、ニサルガダッタという個人がいるわけではありません。

すべて自然に起こっていること、自然現象です。

自分は自然現象ではない、と思い込んでいる夢の世界に、自然現象
と自覚した言葉が射し込んできたということでしょうか。

でも、われわれに起こっていることも、自然現象です。

実際は、起こるべくして自然に起こっている。

起こるべくしてというのは、現象宇宙(波動世界)のなかで、縁に
したがって起こっているということです。

現象宇宙は因縁因果の世界、縁起の世界です。

われわれの前に現前しているのも、その縁起の世界なのだけれど、
どういうわけか、我々はそれを自分が起こしていると思いたがる。

まあ、だからこそ、夢中にもなれるわけですが。(^^;)

ゲーム機を壊され、大好きなゲームの世界を奪われて、茫然自失し
ている中学生を想像してみてください。

pariパターンの窮状も、察して余りあるところがあります。(^_-)

その言葉が人様に通じるかどうかは別にして、【自分なりの論理】
で、【自分なりの言葉】を紡ぐことに熟練してきたんですよ。

それが、【自分の表現】だと思っていたからです。

それが全部自然現象だなんて。(;_;)

こんな可哀想なことがありますか。

わたしは断固、神を恨む!! ("V ̄)

あはは。(*^_^*)

事実は、pariパターンが書かされている文章が、すべて自然現象なの
は自明です。

自分の思考パターン、気分の基調低音、母親の DNAを引き継いでいる
ことは間違いない。

それがどんなパターンかも知らないうちから、それが自分だと教えら
れ、信じこまされてきただけでした。

マハラジ流の激辛メッセージをもうひとつ。

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 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 
 『私は在る』(p436)
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> 生命への執着は不幸への執着だ。

なぬ! (@_@) ⌒★?

このメッセージを聞いてすぐ納得する人はほとんどいないでしょう。

> 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。

なんで?! (?_?)

> 私たちの本性とはそんなものなのだ。

えー、聞いてないよ、そんなこと! (>_<)

(*^_^*)

でも、このメルマガを読みつづけてこられたあなたは、これが事実
であることを感じはじめているでしょう。

でもわれわれは、自分は苦痛を与えたいとも、苦痛を受けたいとも
望んでいない、と思う。

そうじゃないんですか、マハラジ師匠!

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 無知であることで、私たちは無実なのだ。
 行為のなかで、私たちは有罪だ。
 私たちは知らずに罪を犯し、理解することなく苦しむのだ。
 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から
 抜けだすことだ。
 なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こ
 すからだ。
 
 『私は在る』(p434)
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> 無知であることで、私たちは無実なのだ。

てことは、実際は無実じゃないってこと? (@_@)

> 行為のなかで、私たちは有罪だ。

あちゃ。(>_<)

いや……、そうかも。(-_-)

> 私たちは知らずに罪を犯し、理解することなく苦しむのだ。

なるほど。

じゃ、どうすれば……。

> 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から
> 抜けだすことだ。

(-_-;)

【唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から抜けだす
 こと】……。

記憶の罠に執着しつづけないこと……。

> なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こ
> すからだ。

そうか……。

いや……、たしかに、そうかも。(-_-)

ボブさんはマハラジから、記憶から紡がれた「自分」という観念か
ら抜け出すことを教わったんだなぁ。

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 私たちが不幸で、心理的苦しみに束縛されているのも当然です。
 もし私たちが自分の思考を選択することができるなら、そもそも
 なぜ私たちは不幸な思考を抱いているのでしょうか?
 
 そもそもなぜ私たちは怒りの思考や恐れの思老を抱いているので
 しょうか?
 つまり、それはすべて例の自己中心ないしエゴとの関係の問題な
 のです。
 その抵抗に目を向け、その抵抗を認識してください――それがあ
 なたにできるすべてです。
 その認識の中で、自分がそれをどこから認識しているか見てくだ
 さい。
 あなたはそれを対極的な場から認識しているはずです。
 もし完全に抵抗しているなら、あなたはそれに気づきません。
 完全に怒っているとき、あなたは怒りに気づきません。
 なぜなら、あなたは完全にその中に埋没しているからです。
 しかし、抵抗の認識は、非抵抗の観点からのものです。
 その瞬間、あなたはそこから出ています。
 そして、習慣からそのパターンがまた生じてきたとしても、再び
 それを認識してください。
 
 『ただそれだけ』(p140-p141) 
------------------------------------

> もし私たちが自分の思考を選択することができるなら、そもそも
> なぜ私たちは不幸な思考を抱いているのでしょうか?

あ、なるほど。(@_@)

> そもそもなぜ私たちは怒りの思考や恐れの思老を抱いているので
> しょうか?

たしかに。

これは、「何故にすべては始まってしまったのか?」と同じたぐい
問だわ。(@_@)

> つまり、それはすべて例の自己中心ないしエゴとの関係の問題な
> のです。

そうくるか。

> その抵抗に目を向け、その抵抗を認識してください――それがあ
> なたにできるすべてです。

おお、「それがあなたにできるすべて」、覚者たちの好きな台詞。

で、その中身は?

【その抵抗に目を向け、その抵抗を認識してください】

自分が自然現象に抗っていることに気づいてください。

> その認識の中で、自分がそれをどこから認識しているか見てくだ
> さい。

ん? (?_?)

> あなたはそれを対極的な場から認識しているはずです。

ええ、その抵抗は、認識しているわたしに起こっています。

> もし完全に抵抗しているなら、あなたはそれに気づきません。

そりゃ、そうですね。

> 完全に怒っているとき、あなたは怒りに気づきません。

はい。

> なぜなら、あなたは完全にその中に埋没しているからです。

ええ、わかります。

> しかし、抵抗の認識は、非抵抗の観点からのものです。

ほお。

抵抗を認識しているのは非抵抗の観点……。(-_-)

> その瞬間、あなたはそこから出ています。

あっ、そういうことか。(@_@)

なるほど、その外にいる者しかそれを認識できない。

> そして、習慣からそのパターンがまた生じてきたとしても、再び
> それを認識してください。

あああ、それを認識している者はそこから出ている。(@_@)

グースイズアウト(鵞鳥は出ている)か!

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 あなたがそれを味わい始めると、もはや、向こうに何かが進行し
 ていて、それに責任がある一人の私がいるという間違った信念に
 とらわれ続けることはなくなります。
 その信念が見抜かれるとき、あなたは二度と再びそれを信じるこ
 とができません。
 たとえ、習慣が湧き起こり、その信念にまた少しの間とらわれる
 としても、その認識が繰り返しあれば、その信念はやがてすっか
 り消え去ることでしよう。
 私たちはこの思考やあの思考に働きかける必要はないのです。
 なぜなら、まさに思考に働きかけることそのものが、何らかの実
 体が自分を完璧にしようとする試みなのですから。
 それは不可能なことです。
 なぜなら、あなたの本質はすでに完璧そのもので、二番目のない
 一なるもの、純粋な知性エネルギーだからです。

 『ただそれだけ』(p141)
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> あなたがそれを味わい始めると、

抵抗を認識している者は抵抗の外にいる、ということを味わい始め
ると……、

> もはや、向こうに何かが進行していて、それに責任がある一人の
> 私がいるという間違った信念にとらわれ続けることはなくなりま
> す。

眼前に展開するドラマに私という個人が責任がある、という間違った
信念に執着しつづけることはできなくなる。

> その信念が見抜かれるとき、あなたは二度と再びそれを信じるこ
> とができません。

一度気づきのなかでドラマが起こっていることが感じられてくると、
二度と再びそのドラマを同じように信じることはできなくなる。

> たとえ、習慣が湧き起こり、その信念にまた少しの間とらわれる
> としても、その認識が繰り返しあれば、その信念はやがてすっか
> り消え去ることでしよう。

また何度も旧来のパターンが繰り返すとしても、認識している者が
そのドラマの外にいるのは事実なのだから。

その認識が繰り返しあれば、眼前のドラマに覆い尽くされることは
やがては消えてしまう。

> 私たちはこの思考やあの思考に働きかける必要はないのです。

はい。

> なぜなら、まさに思考に働きかけることそのものが、何らかの実
> 体が自分を完璧にしようとする試みなのですから。

ああ、なるほど。

観念による創造物(自己幻想)が、新たな観念によって自己修復を
試みているだけなのだから。

> それは不可能なことです。

どんなに修復を試み続けても、観念による努力で観念による創造物
が完璧になることはありえない。

> なぜなら、あなたの本質はすでに完璧そのもので、二番目のない
> 一なるもの、純粋な知性エネルギーだからです。

すべてのドラマを展開しそれを見ているあなたは、すでに完璧その
もので、存在する唯一の純粋な知性エネルギーなのだから。


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 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、
 あるいは不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
 
 『私は在る』(p538)
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ありがとうございます。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.いただいたお手紙から:ゆうきさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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今回、ゆうきさんという方から、はじめてのご投稿をいただきまし
た。

早速、ご紹介させていただきます。

【件名】: 「私は在る」の本について
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 pariさん、今回もグッと来ました。
 今週の「油切れ」と言う表現や、以前の文章の「足場」という比
 喩などとてもイメージが沸き易いと感じます。
 
 実は、昨年から「私は在る」の本を買おうかどうかと迷っていま
 す。pariさんのサイトの中で原文のみを読むと、どうにも頭に入
 りにくいのです。ニサルガダッタ師が何言ってるのか分からず、
 3回くらい読み返し、ボンヤリ分かったつもりになりつつもモヤ
 モヤが残る、という感じ。一方でpariさんのメルマガだと、解説
 付きなので非常にありがたいです。つまり私にはまだ師の本は早
 いということなんだな、と。そう感じてます。
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ゆうきさん、ご投稿とても嬉しかったです。(^^)/

> pariさん、今回もグッと来ました。

え、そうでしたか。^^;

> 今週の「油切れ」と言う表現や、以前の文章の「足場」という比
> 喩などとてもイメージが沸き易いと感じます。

あれ、嬉しいな。(^^;)

> 実は、昨年から「私は在る」の本を買おうかどうかと迷っていま
> す。

そうなんですか。

> pariさんのサイトの中で原文のみを読むと、どうにも頭に入
> りにくいのです。

ほう。

> ニサルガダッタ師が何言ってるのか分からず、
> 3回くらい読み返し、ボンヤリ分かったつもりになりつつもモヤ
> モヤが残る、という感じ。

あ、なるほど。

> 一方でpariさんのメルマガだと、解説付きなので非常にありがた
> いです。

え、それは嬉しいな。(*^_^*)

> つまり私にはまだ師の本は早いということなんだな、と。
> そう感じてます。

ゆうきさん、素直にほめていただいて、とても嬉しかったです。

また、ご投稿くださいね。(^^)/

ありがとうございました。

Love   pari

       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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今日はまだまだ明るいです。

まあ、惰性というか自分のために書いているんですが、感想をいた
だけるとやはり嬉しいですね。

ニサルガダッタ……。

モーリス・フリードマンさんが『I AM YHAT』を出してくださらな
かったら、世界はマハラジの言葉に触れられなかったんですね。

そして福間巌さんが翻訳してくださらなかったら、少なくとも、
わたしは知ることができなかったでしょうし。

不思議なもんですね。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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