home > 通信 >『アセンション館通信』(第596号):此岸から彼岸までつづく実在の道



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/09/13(第596号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在866名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.此岸から彼岸までつづく実在の道

2.編集後記
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■ 1.此岸から彼岸までつづく実在の道
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秋ですね。

このごろは秋と言っても、雰囲気はずいぶん変わりましたが。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

自分を人間だと思っているわれわれは、現象のなかで幸せになるこ
とを求めています。

夢見る存在が、夢のなかで幸せになることを望むように。

われわれは知覚対象であるまわりの現象が、自分の望む幸せの形を
反映することを期待するのです。

ところで現象には、いわゆる外界と呼ばれる物的形体と、内面と呼
ばれる想念の二つの側面があります。

この現象の二側面はともに知覚対象です。

一方は五感の対象である物的現象、他方はその物的現象の意味を知
らせてくれている(らしい)心的現象です。

マハラジが「形」と「名前」と呼んだものです。

映画の比喩で言うなら、物的現象はスクリーン上に投影される画面
や音声、心的現象は観客に解釈として起こる想念や感情です。

映画やドラマの場合だと、画面上の物語の展開と、視聴者の内面に
浮かぶ想念や感情には因果関係があるようにも見えます。

画面上に展開される画像や音声の指揮にしたがって、自分が悲しん
だり喜んだりして、物語の創造過程に参加するというように。

現象を外界と内面に分けるのは現代の流行りですが、いつの時代も
そうであったわけではなさそうです。

般若心経には「眼耳鼻舌身意(げんにびぜっしんに)」という表現
があるので、佛陀は知覚の種類として見ていたのでしょう。

「見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・思う」は、もともとは同等
の知覚手段でしかなかったのかもしれません。

でも、現代の流行りでは、「思う」は“内面”として、“外界”を
補足する他の五感とは別格の地位が与えられています。

「意(識界)」に発生するフィーリングや感情は、スピリチュアル
情報によっては“真の自己”の反映とされることもあります。

佛陀が、想念・気分・感情の「意」を、他の「眼耳鼻舌身」の五感
と同格の感覚器官と見なしていたのはとても面白いですね。

そして、これらの知覚器官にはとてもゴミが溜まりやすいのかもし
れません。

もしかすると“使い手”の癖みたいなものがあって、知覚器官には
その癖を敏感に反映するための自己学習機能があるのかも。

コンピュータに「ハードウェア」と「ソフトウェア」という区別が
ありますが、高機能化にしがたって境目が曖昧になるものです。

“使い手”の痒いところに手が届くような感覚器官となると、たく
さんのオプションを装備した個人仕様になるのかもしれません。

ある意味では、それはすべてゴミであり、そこから抜け出すことを
難しくするのではないでしょうか。

「六根清浄」と言って、佛教でこの六つの知覚器官をきれいに保つ
ことをとても大切にするのは、そのためかもしれませんね。

「意」根は浄化されてはじめて、本来の能力を発揮した「第六感」
となるのでしょうか。

第六感とは、浮上する想念・感情が、現象界全体の意識を反映して
いる状態のことなのかもしれません。

もしそれが「慈悲」と呼ばれる意識なのだとしたら、それは慈愛で
ありながら、悲しみでもあるような感情なのでしょう。

さて、われわれ衆生は知覚対象である現象が、自分の望む幸せの形
を反映することを期待しているものです。

でも、それは幸せを求めるとても難しく迂遠な方法でもあります。

なぜなら、現象が変化をやめることはないからです。

ということは、どんなに幸せな状態も、それが現象に依存するもの
であるかぎり、そのままの状態ではありえないということです。

変化は二重の意味で、不可避です。

もし“自分”が現象のなかにいるなら、周囲の環境が変化するのと
同じように、“自分”にも不可避的に変化が起こるからです。

その上“自分”の幸福は、知覚対象であるまわりの現象と、同じく
知覚対象である“自分”の解釈に依存することになります。

ともに変化しつづける現象内の“絵柄”の変化と“解釈”の変化の
なかで、両者の間につかの間の“幸福”という関係性を築く……。

綱渡り的に難しそうな仕事ですが、可能なことなのでしょうか?

いや、覚者はそう言わないようです。

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 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 
 『私は在る』(p457) 
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やっぱり。(>_<)

> あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
> そして私は、そんなものはないと言っているのだ。

マハラジでなくても、そんなことを言いたくなります。

だって、一瞬掴んだと思った幸福も、たちまち変化の波に晒されて
いるわけですから。

赤ん坊のころあれほど簡単に手に入れられた賞賛も、成長するにつ
れてそのハードルはどんどん高くなっていきます。

同じことができてもまわりの大人は驚かなくなるし、褒めてくれな
くなります。

だから、自分でもそれでは満足できなくなる。

そんななかで、どうやって幸福を追求したらいいのでしょう?

「眼耳鼻舌身意」の六根を通じて得られる感覚世界の印象から、ど
うやって幸福という状態を紡いだらいいのでしょうか?

外界から得られる印象を、どうやって幸福という内面の想念に結実
させることができるのか?

現象のなかでの幸福の追求には、いくつかの戦略がありそうです。

(1)一つ目:ピッチャー型

“自分”の思い(“解釈”)に合わせて、“絵柄”を変えようとす
るストレートな戦略です。

「引き寄せの法則」などと言われるのがその代表でしょう。

上手くいくかもしれません、いかないかもしれません。(^^;)

ただ上手くいけばいくほど、その上手くいった状態への執着と依存
は強まりそうです。

いずれにせよ、その幸福が永続することはありえません。

(2)二つ目:キャッチャー型

現象している“絵柄”に合わせて、“自分”の思い(“解釈”)を
変えようとする戦略です。

我慢する、目をそらす、夢を見る、などと言われる方向性です。

上手くいくかもしれません、いかないかもしれません。(^^;)

ただ、上手くいっても、いかなくても、あまり満足度は高くない。

いずれにせよ、その幸福が永続することはありえません。

(3)三つ目:ハイブリッド型

そのときどきに“絵柄”を変化させようとしたり、とちゅうで諦めて
“自分”の思い(“解釈”)を変えようとする日和見戦略です。

たいていの人は大なり小なりこれをやります。

pariパターンなどはこれが専門のようです。(*-_-*)

たいていは上手くいきません。

たとえ、上手くいっても、あまり満足度は高くない。

いずれにせよ、その幸福が永続することはありえません。

なので、そのうち、いくらなんでもこれは、おかしすぎる、という
気がしてきます。

そうすると、聞こえてくるのがこんな声です。

------------------------------------
 あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているの
 がわからないだろうか?
 ほかの方法を試してみなさい。
 苦痛と快楽に無関心でありなさい。
 求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あな
 たのすべての注意を払いなさい。
 すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを
 悟るだろう。
 何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたを
 かき乱すのだ。
 障害を避けなさい。
 ただそれだけだ。
 探す必要はないのだ。
 すでにもっているものを探すことはない。
 
 『私は在る』(p258)
------------------------------------

> あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。

それは確かです。

> いつも幸福と平和を追い続けているのだ。

ええ、もちろん。

> あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているの
> がわからないだろうか?

え?!(@_@) ⌒★?

そんな……。

> ほかの方法を試してみなさい。

どんな? (?_?)

> 苦痛と快楽に無関心でありなさい。

オー、ノー!

> 求めず、拒まず、永遠に存在する「私は在る」のレベルに、あな
> たのすべての注意を払いなさい。

そんなこと、できるわけないっしょ。(>_<)

> すぐにあなたは平和と幸福があなたの本性そのものであることを
> 悟るだろう。

ほんとにぃ?

> 何か特定の経路を通してそれを探しだそうとすることがあなたを
> かき乱すのだ。

そうなの?

> 障害を避けなさい。

う。

> ただそれだけだ。

む。

> 探す必要はないのだ。

(-_-)

> すでにもっているものを探すことはない。

……。(-_-;)

とうてい、納得できないと思えたこんな言葉ですが……。

ただですね……、一度こういう言葉を聴いてしまうと。

もう、聞かなかった昔に戻ることはできないのも事実です。

だいいち、現象世界での幸福の追求は、何をやっても、そんなに
上手くいかなくなります。

なぜなら、どこかでその価値を信じていないので、物理次元に何か
を起動できるほどのエネルギー集中が起こらないのです。

いつも現象世界に焦点を合わせているくせに、それすらも上の空に
なります。(;_;)

何をやっても上の空です。

そんなに深刻に悩む能力もない。

そんなに本気で現象世界での幸福を追求する能力もない。

じゃ、ピッタリ内面を向くかと言えば、そういうわけでもない。

ポジティブでもない、ネガティブでもない。

ときどき、ああこんなふうにして一生が過ぎていくんだな、という
想念がよぎります。

いわゆる“自分”というものについて自慢できるようなものは何も
なくなります。

眠っていて見る夢と、こうして目覚めている時に見る夢には、どん
な違いがあると思いますか?

最近、こんなことを思いました。

眠っているときに見る夢だと、「あ、これは夢だな」と思うと、そ
れだけで、夢から醒めるんです。

でも、起きているときに見る夢は、「これは夢だ」と思っても、そ
の夢から醒めません。

だって、四六時中「これは夢だ」という気がしていても、やっぱり
醒めませんものね。(^^;)

きっと、眠っていて見る夢は個人意識が見る夢で、起きているとき
に見る夢は集団意識が見ている夢だからかもしれません。

とか言っても、それももちろん単なる観念ですが。(*^_^*)

マハラジは、世界は存在するのかしないのかと問われて、こんなこ
とを言っています。

------------------------------------
 質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しない
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がス
 クリーン上に絵を描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
 ーンでもあるのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
 だ。
 
 『私は在る』(p498)
------------------------------------

> 質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しない
>     のでしょうか?

うん、聞きたくなりますよね。

> あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。

へー。

> あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
> それが事実を変えることはない。

ふーん。

> 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がス
> クリーン上に絵を描いていく。

なるほど。

> あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
> ーンでもあるのだ。

じゃ、全部なんだ。

> 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。

へー、なんちゃってスピリチュアルみたい。

> その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。

やっぱり。

> その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
> だ。

ふーん。

じゃ、期待しよっと。(*^_^*)  \←……(\/U)

ただね、油を売ってますが、幸せになる方法は知っているんです。

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 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自
 己の真の本性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと
 知ることが智慧なのだ。
 
 『私は在る』(p523)
------------------------------------

> あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。

はい。

わたしは、自分の存在を証明できるのは自分しかいないことを知っ
ています。

だから、自分の存在を自分以外の何物にも負っていないことを。

自分が存在することを、他の誰に保証してもらう必要もない。

誰かがわたしの存在を否定しても、わたしはただ黙ってそれを無視
することができます。

自分が存在することを、わたしは知っているから。

ちょっとした問題は、ただわたしがこの身体の幸福も願ってしまう
未練が残っているだけです。

> あなたに言おう。
> これが幸福の秘密なのだ。

はい。

> あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自
> 己の真の本性に関するあなたの無知によるものなのだ。

そうなんですね。

> 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと
> 知ることが智慧なのだ。

着地点はここしかないと、納得しはじめてはいるのです。

「私は在る」だけは、此岸から彼岸までつづく実在の道ですから。

ありがとうございます。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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久しぶりの晴天ですね。

夕暮れていく感じが、昔運動会で見たような空です。

観念なのか何なのか、夢のなかの風景という感覚だけは、深まって
いくようです。

不思議なもんですね。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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