━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2015/09/27(第599号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。
したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在865名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.行為は現象を超越しない
2.編集後記
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■ 1.行為は現象を超越しない
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久しぶりの秋晴れです。
清々しい秋晴れは嬉しいものです。
新しく誕生してくる子供たちは何の記憶にも思考にも妨害されずに
この世界をそのまま受け容れるんでしょうね。
我々が子供だったときそうだったように。
いつの間にか記憶と判断が埃にように溜まって、【見かけ】の上に
無用な観念のフィルターをかぶせるのでしょう。
それが夢を見ているということなのでしょうが。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
マインドはいつも知ったかぶりをしたい。
そして決定的な結論を【見かけ】の上にかぶせたがる。
どんな決定的な結論も半日と保たずに変化していくのに、それでも
やっぱり結論を出したがるわけです。
必ずしもpariパターンだけの特殊性でもないでしょう。
昔、インドに行った時、先輩たちが教えてくれたものです。
迷子になってインド人に道を聞くときは、注意した方がいいと。
インド人は必ず道を教えてくれが、指示どおりに行けば必ず目的地
に行き着けるというわけではないからと。
どうしてですか(?_?) と聞くと、彼らは自分が知らない道でも教え
るからだ、というのです。
騙すんですか(?_?) と聞くと、いや、騙すというより、たんに知ら
ないと言えないみたい、という先輩の教えでした。(^_-)
ふっふ。(*^_^*)
当時はそんなこともあるのかと呆れましたが、でも考えてみると、
これはインド人だけでもない。
マインドはいつでも、知ってる、わかってる、と言いたい。
知らない状態では、落ち着けないわけです。
たぶん、【見かけ】を解釈して【知ってる】状態を模索するのが、
マインドの存在理由というか、価値観なんでしょうね。
でも、このマインドの価値観は、なかなかやっかいです。
現象という【見かけ】を自分の観点で解釈して【知ってる】状態を
模索すると、必ず何らかの不都合な真実が見つかるものです。
するとその不都合な真実を排除するのが“正しく”、許容するのは
“間違っている”ことになる。
それで、排除できればいいかもしれないけど、排除される方の立場
では、それは“間違って”いたりする。
そんなこんなの“知ったかぶり”にハマった頃には、【見かけ】も
変わっているし、自分の観点だって変わっていきます。
でも、【見かけ】を解釈して【知ってる】状態を模索する価値観だ
けは、そう簡単には変わらない。
いつもあたかも何かを知っているかのような態度を取りたがる。
知らない道でも教えてしまうインド人を、どうのこうの言えたガラ
じゃありません。
でも、道を聞かれて知らないのに教えてしまうインド人は、少なく
ともひとつ賢いところがある。
それは、どうせ困るのは自分じゃないと、それだけは確実に知って
いることです。(^_-)
ところが、いろいろ【見かけ】を解釈して【知ってる】状態を模索
するマインド(自分)のほうは、それほど賢くない。
その結果、困るのが誰かを、はっきり意識していない。(^_-)
【見かけ】を勝手に解釈して、自分なりの幸福を求めたりすると、
不都合な真実や足りないものは必ず見つかります。
だから、その不都合な真実を修復したり、足りないものを補ったり
すること自体は、避けられないのはわかります。
避けられないのはわかるけど、でも目的を達成できる可能性はある
んでしょうか?
というのは、不都合な真実も足りないものも、そう断じた解釈も、
そういうものはすべて現象世界のなかにあるからです。
それらはすべて【見かけ】と“その解釈”のなかにあります。
われわれは通常、現象世界を自分の外にある対象として意識して、
自分はあたかもその外にいる主体のように感じています。
その感覚が世界と自分の分離幻想となって、その他の幻想すべてを
支えているのでしょう。
でも【見かけ】が知覚対象なら、その【見かけ】の解釈もやっぱり
知覚対象です。
だって、知覚されてこその解釈ですから。
ということは、単に身体が世界の中にあるだけでなく、この自分と
いう感覚も、自分の判断もすべて世界の中にあるわけです。
だから眼前に現象している世界が【見かけ】なら、その【見かけ】
の“解釈”もまた、その【見かけ】のなかにあることになる。
【見かけ】の解釈(想念、感情)を“自分”と見なしているなら、
【見かけ】も“自分”もともに【見かけ】のなかということです。
こんな話、いくら理屈で言ってもしようがないようなものですが、
でもその理屈というか事実を、自分に浸透させたい感じはある。
で、浸透とか、感じとか言っても、それもすべて【見かけ】です。
だって、知覚されてこその、浸透であり、感じですから。
つまり、自分に浸透させたいと言っても、それも知覚されてこその
感覚なのだから、それもやっぱり【見かけ】のなかにある。
ふふ、だんだん自分の居所がなくなってきた。(*^_^*)
ところで、ラメッシ・バルセカールの『意識は語る』にこんな記述
あります。
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質問者 『アイ・アム・ザツト私は在る』とあなたの本を読んで
いて、あなたもマハラジも両方、悟りが起こる前はとて
も普通で二元論的な人たちであったように思えます。
ラメッシ
まったくそのとおりです!
まさにそうです!
でも、違いがあります。
マハラジは彼のグルが最初に、「すべては夢で、非個人的出来事
で、あなたは全体が機能するための単なる道具にすぎず、独立し
た実体としてのどんな『あなた』もいない」と言ったのを聞いた
とき、それを受け入れたと言いました。
それについて何の疑問ももたなかったのです。
こういうことは非常にまれにしか起こりません。
私の場合、そういった受容性はありませんでした。
『意識は語る』(p394)
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> マハラジは彼のグルが最初に、「すべては夢で、非個人的出来事
> で、あなたは全体が機能するための単なる道具にすぎず、独立し
> た実体としてのどんな『あなた』もいない」と言ったのを聞いた
> とき、それを受け入れたと言いました。
「すべては夢なのだ。
すべては非個人的出来事であり、
あなたは全体が機能するための単なる道具にすぎない。
独立した実体としてのどんな『あなた』もいない」
こんなことを、友人に誘われた、それまで一面識もなかったグルか
ら言われて、それをマハラジは受け容れたんですね……。
マハラジが初対面のグルから言われた言葉を、このように具体的に
書いている資料を、この『意識は語る』以外には知りません。
> それについて何の疑問ももたなかったのです。
そんなことは、まあ、めったに起こることじゃない。
> こういうことは非常にまれにしか起こりません。
でしょうね。
控え目に言っても、平均的な人格からはかけ離れています。
> 私の場合、そういった受容性はありませんでした。
ラメッシには、そういった受容性はなかったそうです。
でも、ラメッシが平均的だったかといえば、そうも言えない。(^^;)
上述の部分につづいて、ラメッシはこんなふうに言っています。
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質問者 即座に、ですか?
ラメッシ
ラマナ・マハルシとマハラジの場合は、即座にでした。
あなたに誤解させたくないのですが、公に知られていないいくつ
かの場合もあることでしょうし、知られていないところでも、ま
た起こりえるでしょう。
公になることと実際に起こることは何の関係もありません。
ある悟りの場合、ある肉体精神機構はある理由で有名になります。
また他の肉体精神機構にとっては、それが起こって非常に気楽に
やっていくこともありえます。
彼らは知っていますし、理解もしています。
でも、彼らはそのことを気にしません。
なぜなら、もはや「彼ら」がいないからです。
彼らは名声にも財産にも、そのような何にも関心がありません。
私の場合はマハラジほど、そのプロセスは早くはありませんでし
た。
しかし、私が想像するに他の多くの場合に比べれば、よりスムー
ズでよりシンプルでした。
私は物心ついて以来、すべては夢で、それゆえ、どんな方法をも
ってしても、人生におけるプロセスを早めるために自分にできる
ことは何もないという直観的感覚をもっていました。
『意識は語る』(p394-395)
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> 私の場合はマハラジほど、そのプロセスは早くはありませんでし
> た。
ラメッシ・バルセカールは、ずっとラマナ・マハルシのところに行
きたいと望みながら、実際はそれは起こらなかったそうです。
> しかし、私が想像するに他の多くの場合に比べれば、よりスムー
> ズでよりシンプルでした。
そのように刻印された肉体精神機構だったんでしょうね。
> 私は物心ついて以来、すべては夢で、それゆえ、どんな方法をも
> ってしても、人生におけるプロセスを早めるために自分にできる
> ことは何もないという直観的感覚をもっていました。
なんと! (@_@)
これもまた、地上の平均的人格像とはかけ離れていますね。
マハラジの許で覚醒して、このような言葉を夢のなかに届けるため
に用意された肉体精神機構だったのでしょう。
『意識は語る』には「カルマ」という段落があります。
そこでラメッシは質問者の問にこんなふうに答えています。
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カルマ
質問者 以前あなたは、肉体精神が行為の結果を実現しているこ
とについて、何かお話になりました。言い換えるなら、
意識を通じて思考が来て、肉体精神は行動を起こすので
す。その結果についてそれは何も知りません。でも、肉
体精神は結果を得ます。すべてが現象の中にあり、その
何も現象を超越していません。
ラメッシ
そのとおりです。
その何も現象を超越していません。
しかし、何が起こるにしろ、それは対象としての肉体精神機構を
通じて起こる行為です。
意識はある行為を生み出すために対象物を必要とします。
ですから、それはある特徴をもった対象物を生み出し、それはま
さにその行為を生み出すのです。
あなたはある目的のために創造されたコンピュータ・プログラム
をもっていて、入力する瞬間にどんな出力になるかを知っていま
す。
意識は、それが創造したコンピュータを知っているので、思考を
通じて入力を送り、まさにどんな行為が起こるかを知っています。
ですから、何十億という他の行為といっしょになって、これらの
行為がその瞬間の機能の全体性を作り上げることでしょう。
『意識は語る』(p401-402) http://goo.gl/nb19Ch
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> 質問者 以前あなたは、肉体精神が行為の結果を実現しているこ
> とについて、何かお話になりました。
この質問者の方がラメッシの言葉を覚えていて問題にしているのは、
人間が行う「行為(カルマ)」についてのことのようです。
> 意識を通じて思考が来て、肉体精神は行動を起こす……
人間の行為は意識を通じて与えられた思考によって起こる。
> その結果についてそれは何も知りません。
ただ、その結果までは伝えられていないので何も知らない。
> でも、肉体精神は結果を得ます。
しかし、その結果を受けるのは人間のほうだ。
> すべてが現象の中にあり、その何も現象を超越していま
> せん。
それらの行為はすべて現象のなかにあり、どんな行為も現象を超越
してはいない。
ちょっと不思議な問とも言えますが、何かを感じてこう質問してい
らっしゃるんでしょうね。
ラメッシは次のように返答します。
> その何も現象を超越していません。
どんな行為も現象を超越してはいない。
行為は現象を超越しない。
> しかし、何が起こるにしろ、それは対象としての肉体精神機構を
> 通じて起こる行為です。
源がどんな行為を起こすにしろ、それはそのために用意した肉体精
神機構を通じて起こさなければならない。
> 意識はある行為を生み出すために対象物を必要とします。
何かの現象を起こすには、そのための対象物が必要だから。
> ですから、それはある特徴をもった対象物を生み出し、それはま
> さにその行為を生み出すのです。
その現象を生じさせるために、源は何らかの特徴をもった対象物を
用意する。
> あなたはある目的のために創造されたコンピュータ・プログラム
> をもっていて、入力する瞬間にどんな出力になるかを知っていま
> す。
人間が何らかの目的を持って特定のコンピュータを作り、意図した
出力を得るために必要なデータを入力するように。
> 意識は、それが創造したコンピュータを知っているので、思考を
> 通じて入力を送り、まさにどんな行為が起こるかを知っています。
意識は自分が創造したすべてのコンピュータを知っていて、必要な
行為を起動するためにどんな入力を送ればいいか知っている。
> ですから、何十億という他の行為といっしょになって、これらの
> 行為がその瞬間の機能の全体性を作り上げることでしょう。
人間の行うどんな行為も、その瞬間の宇宙の森羅万象に織り込まれ
た必須のパーツの一部分にほかならない。
ニサルガダッタ・マハラジは、その師シッダラメシュバール・マハ
ラジから次のように伝えられて、即座に受け入れたそうです。
「すべては夢なのだ。
すべては非個人的出来事であり、
あなたは全体が機能するための単なる道具にすぎない。
独立した実体としてのどんな『あなた』もいない」
(-||-)
このメッセージを即座に受け容れる人格も、受け入れられない人格
も、すべては全体が機能するための単なる道具にすぎない。
源は我々を通じて、そのすべてを楽しんでいるのかもしれない。
わたしがもしいま夢のなかで苦しんでいるなら、同時にそのゲーム
を楽しんでいるわたしも、その彼方の無もあるのかもしれない。
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あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
……
運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がス
クリーン上に絵を描いていく。
あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
ーンでもあるのだ。
運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
だ。
『私は在る』(p498)
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ふーむ。(-_-)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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あがいたりもするけれど、わたしは大丈夫……。(^_-)
なにしろ、できることは何もない。
そう知っていてなおかつ、自由意志があるかのごとく、夢のなかで
藻掻き、色目を使い、油を売る。
あたかも自分が苦しむ者であるかのように。
そして、その他にありようはない。
なぜなら現象のなかにあるわたしは、けっして現象を超えることは
できないから。
知覚対象であるわたしにできることは何もないから。
わたしは映画、わたしは映画のなかの登場人物、わたしは鑑賞者、
わたしはフィルム、わたしは光、わたしはスクリーン。
そのどれもがわたしだそうだけれど……。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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