home > 通信 >『アセンション館通信』(第601号):あなたはまだ読んでいない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/10/18(第601号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在864名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.あなたはまだ読んでいない

2.いただいたお手紙から: Kenさん

3.編集後記
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■ 1.あなたはまだ読んでいない
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急に雲間から日差しが出て、雨に濡れた庭木を照らし出しました。

少し青空が出てくるのかな……。

すべてが自然の流れのなかで振動しているのに、ただ心だけが落ち
着かない……。(^_-)

いや、その落ち着かない心もまた、自然の流れの一部です。

あるべき姿以外の、何ひとつありえないのだから。

今ある姿とは別の姿を願うこと、これが仕事としてマインドに課さ
れた役割なのでしょう。

それに疲れて果て、飽き果てるもよし、まだまだ元気に幻想のなか
に別の絵柄を求めつづけるもよし。

現象世界のなかに、全体から分離した行為主体などいないのですか
ら、今起こっている以外のことが起こる可能性はありません。

抵抗する想念も、おとなしくなる想念も、ただ全体の指揮にしたが
って配達されているだけです。

pariパターンの場合は、そのような想念が知的理解の領域で配達さ
れていて。その内部で消費されているのでしょう。

といっても、それに責任のあるpariという行為主体が現象のなかに
存在しているわけでもない。

ただ、もう少し安心を配達してくれればいいのに……という物欲し
げな想念が配達されているというだけです。

はは、何のこっちゃ。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

「思えば遠くへ来たもんだ」という歌詞がありますが、遠くへ来た
誰かがいるわけでもありません。

全体に逆らって遠くへ来られる分離した行為主体が、現象のなかに
存在できるわけではないので。

なんて無粋を言ってると、時間がいくらあっても足りません。^^;

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 あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
 あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
 それが事実を変えることはない。
 運命のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上に絵を
 描いていく。
 あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
 ーンでもあるのだ。
 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
 その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
 その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
 だ。
 
 『私は在る』(p498) 
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> あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。

こんな言葉が、こんなふうに響きはじめる日が来ようとは……。

> あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
> それが事実を変えることはない。

こういう言葉が頼もしく感じられるようになるんだよなぁ。

> 運命のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上に絵を
> 描いていく。

わたしの注意が絵柄の何処かに向けられている。

> あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリ
> ーンでもあるのだ。

わたしは注意を向けて鑑賞する人であり、その可能根拠であり、見
られた絵柄であり、映しだすスクリーンでもある。

> 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。

TSUTAYAの棚からそのDVDを取り出したのもわたしなのだと。

しかし全体の指揮に逆らってそれを決められる、独立した行為主体
であるわたしもいないわけだ。

> その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。

現象世界全体が……ゲームなんだ。

> その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるの
> だ。

そのゲームが難しいものであるほど、剥がれる虚飾も大きく、感じ
られる安堵も大きかったということか。

でもそれ全体が夢であることも事実で、じつはその間、実際は何も
起こっていない……。

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 精神的レベルのなかに真我を探し求めるのは不毛なことだ。
 探求をやめなさい。
 そして見なさい。
 それは今ここに在る。
 あなたも承知のように、それは「私は在る」なのだ。
 あなたがすべきことは、自分自身を意識の領域内に在るものと見
 なすことをやめることだけだ。
 
 『私は在る』(p166)
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> 精神的レベルのなかに真我を探し求めるのは不毛なことだ。
> 探求をやめなさい。

そういえば、もうずっと「精神的レベルのなかに真我を探し求め」
たりはしていないなぁ。

> そして見なさい。
> それは今ここに在る。

そう、いまこうして現象を見ている人がいる。

> あなたも承知のように、それは「私は在る」なのだ。

はい。

否定しがたく存在しているこの存在感。

> あなたがすべきことは、自分自身を意識の領域内に在るものと見
> なすことをやめることだけだ。

それはもう、していないみたいなんだけど、ただもう少し心配がな
い方がいい、とか思っているかも。

といっても、そんな想念を選べるわたしがいるわけでもない。

……。

ラメッシ・バルセカールの『意識は語る』に「知的理解の重要性」
という一節があります。

とても面白いというか、逆説的な一節です。

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 知的理解の重要性

 質問者 もし悟った人がトラに追いかけられるとしたら、彼はそ
     のとき分離を感じるのでしょうか?

 ラメッシ
 あなたはアディ・シャンカラチヤリヤ(シャンカラ)の話を聞い
 たことがありますか? 
 彼が道を歩いているとき、王がマハット(象使い)に命じて象を
 シャンカラチヤリヤに突撃させました。
 それでシャンカラチヤリヤは走って、ある家に避難しました。
 その夕方、王は彼に尋ねました。
 「もしすべてが幻想なら、なぜあなたは象から逃げたのですか?」
 シャンカラチヤリヤは冷静に「シャンカラチヤリヤと呼ばれてい
 るこの肉体精神機構は幻想の一部で、彼が避難したのもまた幻想
 の一部でした」と王に説明しました。
 
 まさにたいていの人たちにとって困難が生じるのはここです。
 ある時点で人間は
 「はい、私はこれを理解することができる。
  私は本当にこれを理解することができる。
  事実、私はこれが何らかの幻想にすぎないとずっと感じてきた
  し、今そのことを確信している」
 と言うかもしれません。
 それでも、彼にはある質問があります。
 彼はこれが幻想であると理解していますが、しかし、彼にはまだ
 質問があります。
 これは何を意味しているのでしょうか?
 それは単にすべては幻想であると理解している人が、その幻想の
 中で何かを調査したいと思っているということです。
 それは、その人が自分自身以外のあらゆることを幻想だと受け入
 れていることを意味しています。
 それが全問題です。
 
 『意識は語る』(p351-352) 
------------------------------------

> 質問者 もし悟った人がトラに追いかけられるとしたら、彼はそ
>     のとき分離を感じるのでしょうか?

これ、いかにもわれわれがしそうな質問です。(^_-)

悟った人でも、いざとなったら、幻想世界のリアリティに圧倒され
て引きずり込まれ、分離を感じるのではないか?、と。

> ラメッシ
> あなたはアディ・シャンカラチヤリヤ(シャンカラ)の話を聞い
> たことがありますか?
> 彼が道を歩いているとき、王がマハット(象使い)に命じて象を
> シャンカラチヤリヤに突撃させました。

このお話は、いろんなヴァリエーションで聞くことがあります。

> それでシャンカラチヤリヤは走って、ある家に避難しました。
> その夕方、王は彼に尋ねました。
> 「もしすべてが幻想なら、なぜあなたは象から逃げたのですか?」。
> シャンカラチヤリヤは冷静に「シャンカラチヤリヤと呼ばれてい
> るこの肉体精神機構は幻想の一部で、彼が避難したのもまた幻想
> の一部でした」と王に説明しました。

こういう見事な解説を聞くのは初めてです。

Oshoの本でもいくつか読んだことがあるけど、なにかずいぶん違っ
た印象だったような。

まあ、Oshoの場合は、そのときどきで変奏を変えるから。

> まさにたいていの人たちにとって困難が生じるのはここです。

ですよね。

実際、外側から見れば、悟っていても悟っていなくても、何も違わ
ないとも言えるわけですから。

> ある時点で人間は
> 「はい、私はこれを理解することができる。
>  私は本当にこれを理解することができる。
>  事実、私はこれが何らかの幻想にすぎないとずっと感じてきた
>  し、今そのことを確信している」
> と言うかもしれません。

はい。

この台詞ならわたしも言える。(^_-)

> それでも、彼にはある質問があります。

というわけです。

> 彼はこれが幻想であると理解していますが、しかし、彼にはまだ
> 質問があります。

はい。

> これは何を意味しているのでしょうか?

(-_-)?

> それは単にすべては幻想であると理解している人が、その幻想の
> 中で何かを調査したいと思っているということです。

ぷ!(>_<)

こりゃ厳しい。(*^_^*)

> それは、その人が自分自身以外のあらゆることを幻想だと受け入
> れていることを意味しています。

そういうことか。(-_-)

> それが全問題です。

なるほど。

この対話は、つづいて次のように展開されます。

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 質問者 その人は説明を欲しがり、自分ではその説明は幻想の一
     部ではないと考えるわけですが、どんな説明も幻想の一
     部でなければならないのではないでしょうか?
 
 ラメッシ
 はい。
 そして、どんな説明も自分はその幻想から分離しているという彼
 の信念を、確認することでしょう。
 もし彼が、すべてのことが幻想だと本当に理解するなら、肉体精
 神機構としての自分も幻想の一部であると理解することでしょう。
 そして、その肉体精神機構を通じて何が起こるにしても、それも
 幻想全体の一部です。
 ですから、もしあらゆることが幻想なら、どうして質問がありえ
 るでしょうか?
 
 質問者 あなたのすべての本を読むことに、何の意味もないので
     しょうか?
 
 ラメッシ
 まったく何もありません。
 もしあなたがそれを読む必要性を見つけなければ、まったく何も
 ありません。
 でも、もしその必要性があるなら、あなたはそれらを読むことで
 しょう。
 そして、それらを読んで、もしあなたが本当にポイントを理解し
 たなら、それらをもはや必要としないという結論に到達すること
 でしょう。
 本を読んで、観念を理解したら、もはやそれらは必要ないという
 結論にあなたは達します。
 でも、あなたが読んでいる間それらは必要です。
 さもなければ、きわめて正直に言えば、あなたはそれらを読んで
 いないことでしょう。
 あなたはそのことに実際何の選択もありません。
 
 『意識は語る』(p352-353)
------------------------------------

> 質問者 その人は説明を欲しがり、自分ではその説明は幻想の一
>     部ではないと考えるわけですが、どんな説明も幻想の一
>     部でなければならないのではないでしょうか?

この質問者の方、ずいぶん理解が早いですね。(@_@)

その場の即答で、これだけの応答ができるのですから。

> ラメッシ
> はい。
> そして、どんな説明も自分はその幻想から分離しているという彼
> の信念を、確認することでしょう。

そういうことを……意味するわけか。

> もし彼が、すべてのことが幻想だと本当に理解するなら、肉体精
> 神機構としての自分も幻想の一部であると理解することでしょう。

ということですね。

> そして、その肉体精神機構を通じて何が起こるにしても、それも
> 幻想全体の一部です。

たしかに。

このpariパターンに今起こっていること、今こうしてメルマガを書
いていることは、すべて幻想の一部です……。

夢のなかでメルマガを書いている。

……という場面が展開している。

> ですから、もしあらゆることが幻想なら、どうして質問がありえ
> るでしょうか?

あらゆることが幻想だと理解されているなら。(-_-;)

これが幻想であることを知っている意識は、その幻想に質問はしな
いでしょうなぁ。(^_-)

> 質問者 あなたのすべての本を読むことに、何の意味もないので
>     しょうか?

お、この質問者の方、本当に回転が速い。(@_@)

> ラメッシ
> まったく何もありません。

うん。

> もしあなたがそれを読む必要性を見つけなければ、まったく何も
> ありません。

ですね。

> でも、もしその必要性があるなら、あなたはそれらを読むことで
> しょう。

はい、おっしゃるとおりです。

> そして、それらを読んで、もしあなたが本当にポイントを理解し
> たなら、それらをもはや必要としないという結論に到達すること
> でしょう。

「もし本当にポイントを理解したなら」……。

理解しつつある過程なんだ。(*-_-*)

> 本を読んで、観念を理解したら、もはやそれらは必要ないという
> 結論にあなたは達します。

たしかに。

小学校の教科書、もう持ってないもんなぁ。(-_-)

> でも、あなたが読んでいる間それらは必要です。

いま、わたしが何度も繰り返して読んでいるように。

> さもなければ、きわめて正直に言えば、あなたはそれらを読んで
> いないことでしょう。

グサリ。(*@_@*)

まだわたしは読んでいないわけだ。(*-_-*)

> あなたはそのことに実際何の選択もありません。

やったー! \(^-^)/

(*^_^*)

というわけで……まだ『意識は語る』を読んでるこの夢の登場人物
は、そこで語られていることを理解していないようです。(^_-)

読むたんびに初めての行に出遭うんだものなぁ。

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 質問者 一方で、観念について考えるせいで、その後も長い間、
     観念が必要になります(笑)。
 
 ラメッシ
 はい、そのとおりです。
 これはきわめて本当のことです。
 なぜなら、考えないことはあなたの手中にないからです。
 あなたがこれについて考え始めるとき、これが巻き込まれるとい
 うことです。
 その巻き込まれることが観照されるとき、考えることが切り離さ
 れ、しだいに止まります。
 観照が多かれ少なかれ続くと、この考えることはますます少なく
 なり、ついには止まります。
 
 『意識は語る』(p353)
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> 質問者 一方で、観念について考えるせいで、その後も長い間、
>     観念が必要になります(笑)。

ま、わたしの状態だわさ。

> ラメッシ
> はい、そのとおりです。

うん。

> これはきわめて本当のことです。

そうそう。

> なぜなら、考えないことはあなたの手中にないからです。

知ってた。(*^_^*)

> あなたがこれについて考え始めるとき、これが巻き込まれるとい
> うことです。

ですね。(;_;)

> その巻き込まれることが観照されるとき、考えることが切り離さ
> れ、しだいに止まります。

おお……。

> 観照が多かれ少なかれ続くと、この考えることはますます少なく
> なり、ついには止まります。

御心のままに。(-||-)

あ、御心だけが行われているんだった。

在るのは意識だけ。(-_-)

あれ、じゃ、どうしてあくせくする必要があるんだっけ。(@_@)

あ、それが御心だからか……。(*^_^*)

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 2.いただいたお手紙から:Kenさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


前回ご質問をいただいたKenさんからご返事をいただきました。

【件名】: 
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 pariさん
 
 ありがとうございました。
 
 また何かあれば、投稿します。
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> ありがとうございました。

こちらこそです。

お陰さまで、夢のなかでノリノリで書くことができました。

> また何かあれば、投稿します。

はい、何かありましたら、いつでもどうぞ。(^人^)

ありがとうございました。

m(_ _)m

       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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今日は晴れ間が出ていますね。

お昼に終わりました。

さて、今日は夢のなかで何をすることになっているのか。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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