━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2015/10/25(第602号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。
したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在862名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.一体化するのは主体か対象か?
2.編集後記
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■ 1.一体化するのは主体か対象か?
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今日はいろいろあって、午後になってしまいました。
操られ人形もなかなか忙しいです。(^^;)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
ラメッシ・バルセカールの『意識は語る』は全部で12章ある大部
の本ですが、第3章は「束縛という幻想」という章です。
この章は、知的であることを自認するタイプのマインドに、まさに
推理小説的スリルで挑戦してくる素晴らしくも奇跡的な章です。
リーラ(神の遊び)の最も知的な側面とはこういうものでしょう。
なかに「一体化」という一節があります。
こんなふうにはじまります。
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(質問)主体的な潜在意識は一体化することができるのですか?
いいえ。
どんな「自分」もいません。
存在するすべてはあれやこれやの状態の意識です。
誰が誰と一体化すると言うのでしょうか?
(質問)では、どこでこの一体化は起こっているのでしょうか?
それは主体レベルでしょうか? それとも対象レベルでし
ょうか?
一体化が起こるのは、個人の現象的対象レベルとその人の分離し
た心においてのみであり、そのとき対象物が神の主体性を想定し
て「私が主体である。私は考えることができる。私は知的である」
と言うのです。
こう考えることで、その人は自分自身を残りの世界から切り離す
のです。
『意識は語る』(p181-182)
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> (質問)主体的な潜在意識は一体化することができるのですか?
この質問が引き出した展開はすばらしいものでした。
まず、われわれは自分を主体だと思っています。
だから、この主体性の根拠を、気づきそのものだと思うわけです。
わたしもそう理解していました。
また、あながちそれが間違っているわけでもありません。
この質問者は、エゴというものがいったい何なのかを、理解したい
と思ってこの質問をしているのです。
> いいえ。
> どんな「自分」もいません。
ラメッシ・バルセカールは、質問者が考える「主体的な潜在意識」
というものの存在を否定します。
「主体的な潜在意識」というようなものはいない、と。
> 存在するすべてはあれやこれやの状態の意識です。
ここは、一度はっきりと理解しておくべき観念ですね。
存在するのは「あれやこれやの状態の意識」だけだというのです。
あるのはただ多彩多様な意識の状態だけだ。
そこには「主体的な潜在意識」など存在しない。
どんな“誰か”もいないというのです。
> 誰が誰と一体化すると言うのでしょうか?
であるなら、いったい“誰”が“誰”と一体化するのですか、とい
うこわけです。
> (質問)では、どこでこの一体化は起こっているのでしょうか?
この質問者の気持ちは、とてもよくわかりますよね。
だったら、エゴの根拠である一体化は、いったいどこで起こってい
るのですか、と実際聞きたくなります。
> それは主体レベルでしょうか? それとも対象レベルでし
> ょうか?
それは「気づき」の側から起こっているのですか、それとも、いわ
ば“ホコリ”とも言える対象物の側からですか、と。
わたしなどは、「気づき」が身体に自己同化し、「気づき」がその
自己同化から覚めるのだと思っていました。
でも同時に、そうすると自己同化しない純粋な意識と、自己同化す
る意識がどう違うのかがわからなくなり、混乱してもいました。
> 一体化が起こるのは、個人の現象的対象レベルとその人の分離し
> た心においてのみであり、
ここでラメッシ・バルセカールは、エゴの根拠である一体化は、
「個人の現象的対象レベル」で起こると明言しています。
つまり、それは意識の“ホコリ”のレベル、対象物のレベルで起こ
る、というのです。
“分離を幻想する想念”として起こる、ということですよね。
もちろん、これは観念ですけど、覚者といえども、なかなか誰もが
このように明確に言語化できるわけではないと思います。
> そのとき対象物が神の主体性を想定して「私が主体である。私は
> 考えることができる。私は知的である」と言うのです。
その対象物のレベルで起こった分離を幻想する想念は、
「私が主体である。
私は考えることができる。
私は知的である」
と言って、【神の主体性】を僭称することになるのだと。
> こう考えることで、その人は自分自身を残りの世界から切り離す
> のです。
そのように【神の主体性】を僭称することで、対象物のレベルで起
こった分離幻想が、自分自身を残りの世界から切り離す、と。
なるほど……。(-_-)
そういうことか……。
つまり我々が“自分”と思っているこの“主体感”は、じつは主体
ではなく、対象物のレベルで起こっている想念なんですね。
あ……なるほど。(@_@)
たしかにこれ、想念だわ。
この想念を、われわれは“自分”だと思っている。(-_-)
この意味を、どれほど深く理解するかですね。
とはいえ、われわれは対象物のレベルで起こっている“主体幻想”
なので、理解する主体でもないわけかぁ。(-_-)
ま、このことがどれくらい腑に落ちていくか、ですね。(^^;)
腑に落ちることになっていればですが。
“主体幻想”が努力して理解できるようなことでもないので。
つづいて、質問者はつぎのように聞いていきます。
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(質問)以前あなたは、分離した人と一体化するのは意識である
と言いませんでしたか?
そのとおりです。
現象のプロセスとその機能において、その機能が起こるために、
このゲームというかリーラが起こるために、こういった愛と憎し
みの関係が起こるために、意識は個々の機構にそれ自身を一体化
させるのです。
今、あなたが劇を書いていると仮定しましょう。
あなたは六人の登場人物を創造し、そして、その六人すべての人
物を自分で演じているのです。
あなたは一人の登場人物になり、それからあなたが別の登場人物
に話しかけるとき、スポットライトは今話している登場人物とし
てのあなたに当たります。
それからスポットライトが一瞬消え、あなたは別の登場人物にな
ります。
スポットライトが戻り、あなたは二番目の登場人物のように話し
ます。
でも、誰が話しているのでしょうか?
これら六人の登場人物がそこにいるわけではありません。
あなたがそれぞれのパートを演じているのです。
劇を作っているのも、すべての登場人物を演じているのも、ただ
あなただけです。
もしこれらの六人の登場人物が知覚と知力を注入されているとし
たら、彼らは誰がより重要で、誰がより魅力的かをめぐって、お
互いに争い始めることでしょう。
それがまさにこの夢の演劇の中で起こっていることです。
目覚めがあるとき、あなたはただ眺めていることでしょう。
あなたはただ眺めて、観照しています。
『意識は語る』(p181-182)
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> (質問)以前あなたは、分離した人と一体化するのは意識である
> と言いませんでしたか?
そうそう。
あえて「意識」を、観念的に「気づき」と「ホコリ」に分けるなら、
「気づき」が「ホコリ」に一体化する、という意味ですよね。
わたしもそう理解していました。
> そのとおりです。
おお。(@_@)
そういうことでもあるのか……。
> 現象のプロセスとその機能において、その機能が起こるために、
> このゲームというかリーラが起こるために、こういった愛と憎し
> みの関係が起こるために、意識は個々の機構にそれ自身を一体化
> させるのです。
実際に起こっていることはごく単純なことでも、言葉で構造を表現
しようとすると、いろんな側面が現出する。
ただ起こっていることを、観念的に理解しようとすると、こういう
言葉や比喩的叙述が必要になってくるわけです。
> 今、あなたが劇を書いていると仮定しましょう。
小説家とか劇作者になったつもりで想像してみようと。
> あなたは六人の登場人物を創造し、そして、その六人すべての人
> 物を自分で演じているのです。
たしかに、六人の登場人物を創造したら、劇作者は登場人物全員の
台詞を書かなければならないでしょうね。
実際、寝ているときの夢のなかでは、個人としてのわれわれの意識
が、すべての夢の内容を書いているわけでしょうし。
> あなたは一人の登場人物になり、それからあなたが別の登場人物
> に話しかけるとき、スポットライトは今話している登場人物とし
> てのあなたに当たります。
ドストエフスキーならずとも、すべての作家の内面で起こっている
ことはこれでしょうね。
> それからスポットライトが一瞬消え、あなたは別の登場人物にな
> ります。
劇作家の中で起こっていることはこれです。
そして、もし実際は個人というものが存在しないのなら、存在する
何か、つまり意識がこれをしていることになります。
> スポットライトが戻り、あなたは二番目の登場人物のように話し
> ます。
これが非常な高速で自動操縦のように起こっている。
> でも、誰が話しているのでしょうか?
誰がその台詞を創造しているのか?
> これら六人の登場人物がそこにいるわけではありません。
劇作者が脚本を書くとき、登場人物が前もって実体として存在して
いるわけではない。
> あなたがそれぞれのパートを演じているのです。
劇作者がすべての登場人物の台詞を創造している。
> 劇を作っているのも、すべての登場人物を演じているのも、ただ
> あなただけです。
存在しているのは、ただひとり劇作者だけ。
劇団ひとり。(*^_^*) \←……(\/U)
> もしこれらの六人の登場人物が知覚と知力を注入されているとし
> たら、彼らは誰がより重要で、誰がより魅力的かをめぐって、お
> 互いに争い始めることでしょう。
ところがこの【神芝居(リーラ)】のなかでは、登場人物はすべて
「知覚」と「知力」を注入されている。
これが、エライことなのです。(>_<)
> それがまさにこの夢の演劇の中で起こっていることです。
つまり、わたしであり、あなたです。(^_-)
> 目覚めがあるとき、あなたはただ眺めていることでしょう。
この時間のなか、想像と記憶のなかにしかない“物語という夢”か
ら覚めたら、ただ眺めている実在がいるだけ。
> あなたはただ眺めて、観照しています。
どれほどハラハラ・ドキドキする現実も、想像と記憶のなかにしか
ない“物語という夢”にすぎない。
夢から覚めたら、あるのはただ理解だけ。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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推理小説的チャレンジをう少し受けて立つつもりでしたが、今日は
もう時間切れですね。
次の機会にしたいと思います。
夢のなかでお付き合いいただき、ありがとうございました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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