home > 通信 >『アセンション館通信』(第607号):『つかめないもの』(「気づき」)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2015/11/29(第607号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在855名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『つかめないもの』(「気づき」)

2.編集後記

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■ 1.『つかめないもの』(「気づき」)
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今日もいい天気!

どうも関東地方だけらしいけど、やっぱりいい天気はいい。

人間としてはそうですよね。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

こんなメルマガが書かれているのは、

もちろん、書いている当人(と思っているエネルギー)が

それを望んでいるからでしょう。

と書かれた文字を見なおして、

いやいや、それは本当だろうか、という想念もわいてきます。

望むということ、あるいは望まないということ、

そのどちらも、そのエネルギーの自由になることではない。

なぜなら、そのエネルギー(波動)とは

その想念(波動)を運ぶ媒体にすぎないわけですから。

そのエネルギーが望んでいるわけではないでしょう。

だからここに、

「誰」が、あるいは「何」が“望んでいる”

という問題はありえないわけです。

何かを望むことに関して、マハラジはこんなふうに言います。

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 質問者 自由意志というものはないのでしょうか? 私には欲望
     をもつ自由はないのでしょうか?
 
 マハラジ
 いいや。
 あなたは欲望に強制されるのだ。
 ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。
 だから、そのための言葉もないのだ。
 意志とは拘束、固定、束縛だ。
 
 『私は在る』(p373)
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> いいや。

「いいや」とは、あなたには欲望を持つ自由はない

という意味でしょう。

> あなたは欲望に強制されるのだ。

欲望であるあなたは欲望するしかない。

> ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。

初めて聞いたころは、

よくわからない言葉でしたが、

今となってみればごく当然というか。

> 意志とは拘束、固定、束縛だ。

「意志とは拘束、固定、束縛」……。

これほど決定的な言葉語られていても、

誰もがこんな言葉に興味をもつわけではありません。

そもそも興味をもつ誰かなど存在しない、

というツッコミは別にしてもです。

「意志」が拘束であり、固定であり、束縛であることが

自明に納得できる波動もあれば、

それが真実であることを理解したい波動もあれば、

そのような理解とはかけ離れた波動もあることでしょう。

もし理解という言葉を、

解釈や価値観、確信や信念と同じような意味で使うなら、

理解と思い込みは、まったく同じものとも言えるでしょう。

もし理解という言葉を、

いかなる価値観も解釈も含まないという意味で使うなら、

理解とは、色水に溶け込んだ色ではなく、

その色を溶かしこんだ水なのだと、

言えるのかもしれません。

全現象は、

あたかもさまざまの顔料を溶かしこんだ水のように

あらゆる解釈(誤解)を包含して、

しかも分離不能の全体としてあるだけなのでしょう。

顔料を分離した純粋な水があるわけではない。

ただ、色水という全体のなかに、

色(知覚対象である違い)を見ないで、

自分が水であることを知っている状態があるだけなのでしょう。

いずれにせよ、

現象になかには、

知覚可能な現象が起こらなければならず、

起こるべき行為は起こらなければならなりません。

なぜなら、

それを排除できるようなどんな登場人物もいないからです。

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 あなたに環境を変えることはできない。
 だが、あなたの態度を変えることはできる。
 非本質的なことに執着する必要はないのだ。
 ただ本質的なことだけが正しい。
 本質的なことのなかにのみ平和は在るのだ。

 『私は在る』(p499)
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> あなたに環境を変えることはできない。

なぜなら、あなたが環境なのだから。

> だが、あなたの態度を変えることはできる。

ラメッシ・バルセカールなら、

もしそうなることになっているならば、

と念を押すところでしょうか。

> 非本質的なことに執着する必要はないのだ。

これが、マハラジの語り方ですよね。

われわれが非本質的なことでのみ心配し悩みを深めているから。

> ただ本質的なことだけが正しい。

本質的で普遍的なことだけが実在だからでしょうね。

> 本質的なことのなかにのみ平和は在るのだ。

ただ、われわれはその平和を欲しがらない。

それが起こることになっていないかぎりは……。

「resonanz360」(http://resonanz360.com/)のヒロさんが翻訳され
た『つかめないもの』を少しずつ読んでいます。
http://goo.gl/G3KleK

ジョーン・トリフソンという方の文章は

とても行き届いています。

そのためか、

どの部分、どの文章を取り上げるというのが、

とても難しいのです。

ジョーン・トリフソンの文章は、

あたかもホログラムでもあるかのように、

どの章も、またそのなかのどの部分も、

つねに全体を映し出そうとしているかのようです。

どの章もすばらしいですが、

なかでもとりわけ包括的な「気づき」という章があります。

この章では、

スピリチュアル用語についての、

ジョーン・トリフソンの

きわめて包括的な定義が聞けるのがいいです。

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 非二元についてはいろいろな本があって多くのことが語られてい
 ますが、気づきや意識という言葉は人によって異なる意味で使わ
 れています。
 さらに、同じ人であっても使う場面によって違う意味を持たせて
 いることもよくあります。
 これは混乱につながってもおかしくはありませんが、混乱はいつ
 でも地図の中にしかなく、土地そのものとは関係ないということ
 を思い出すのは役に立ちます。
 
 意識という言葉を使うときに私がその言葉で指しているのは、目
 が覚めているときの生という映画、知覚したり考えたりできるも
 のすべて、この現象としての現れ全体です。
 気づきという言葉を、私はふたつの違った意味で使っています。
 ひとつはすべてに浸透している存在の根拠、もうひとつは注意の
 背後にある光という意味です。
 どちらの場合も指しているのは同じ気づきで、どの側面を強調し
 ているかが違うだけです。
 注意という言葉には、気づきの焦点をどこかに絞る、あるいは特
 定の対象に気づきを向けるという意味を持たせていて、それに対
 して気づきという言葉は、焦点も対象もないという意味で使って
 います。気づきはすべてを見守り、すべてを含んでいます。
 <ここ・今>の別名です。

 『つかめないもの』(p125-126) 
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なんという行き届いた説明でしょう。

「意識」「気づき」「注意」といった言葉に

ジョーン・トリフソンが託している意味合いが、

とても客観的な用法として伝わってきます。

【意識】

・目が覚めているときの生という映画、知覚したり考えたりできる
 ものすべて、この現象としての現れ全体

【気づき】

・ひとつはすべてに浸透している存在の根拠

・もうひとつは注意の背後にある光という意味

じつに周到な定義ですね。(@_@)

この定義を知れば、

これを基準にしたいと思う人は多いかもしれません。

つづく部分は

「瞑想」という言葉に対するありがちな誤解を

ていねいにほぐしています。

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 気づきがあまりにみごとに幻想を溶解させてしまうために、気づ
 きを深めることに集中している先生たちの中には、気づきさえあ
 ればありとあらゆる問題を解決できると考えている人たちもいま
 す。
 悟りは人間のあらゆる欠点を魔法のように消し去ってしまうとか、
 十分に瞑想したり自分の(本当の性質)に目覚めさえすれば、鬱
 や不安や依存のような問題は永遠に消えてしまい、その後は一生
 幸せに暮らせるはずだと信じている人はたくさんいます。
 そしてもしそうならなかったとしたら、つまり問題が消えずに現
 れ続ける場合には、自分はだめな人間だと感じます。
 あるいは、人間的な弱さや不完全さがまだ残っているみたいだか
 らあのグルは偽物だ、などと考えることもあります。

 『つかめないもの』(p133)
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悟りに対するこのような幻想のほうが、

むしろ一般的ですよね。

そして、

このような一般的文脈を説明したうえで、

ジョーン・トリフソンは次のように言います。

そして、これこそが彼女の独壇場であり、

わたしなどが彼女からいちばん聞きたい言葉です。(-_-)

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 実際には、気づきだけでは解消できない生理的、化学的、神経的、
 心理的、医学的、社会な状態はいくらでもあります。
 悟りというのは、そうしたあらゆる問題が一瞬で解決してしまう
 という意味ではありません。
 悟りとは、生のどんな状態も表現も非個人的な現れであって、そ
 こに永続する実体はないと、ただ見ることです。
 悟りはそうしたことすべてを、境界のない愛と優しさで見ます。
 悟りは闇の中に光を見ます。
 そして悟りは、闇を避けるために光の中に隠れたりはしません。
 全体性はすべてを含んでいます。
 光も闇もです。
 自然界では、出だしからのつまづきは頻繁に起こり、淘汰も激し
 く、短命に終わったりまったく成長しないまま死んでしまう個体
 も数知れません。
 一度も花開くことなく枯れてしまう花もあります。
 大きくならないうちに消えてしまう波もあれば、高くそびえてか
 ら派手に崩れる波もありますが、そのすべては同じ海がしている
 ことです。
 そのすべては自然のプロセスの一部です。
 大きくならずに消えてしまうとか、一度も花を閲かせずに終わる
 というのは、ひとつの分離した断片と同一化している場合には悲
 劇的で恐ろしく不公平に聞こえますが、全体の観点からするとそ
 のすべてがダンスを構成しているのです。

 『つかめないもの』(p123-124) 
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> 実際には、気づきだけでは解消できない生理的、化学的、神経的、
> 心理的、医学的、社会な状態はいくらでもあります。

こういう言葉を語るために、

ジョーン・トリフソンほどの適格者はいないかもしれません。

> 悟りというのは、そうしたあらゆる問題が一瞬で解決してしまう
> という意味ではありません。

はい。

> 悟りとは、生のどんな状態も表現も非個人的な現れであって、そ
> こに永続する実体はないと、ただ見ることです。

わかりました。

> 悟りはそうしたことすべてを、境界のない愛と優しさで見ます。

そうか。

> 悟りは闇の中に光を見ます。

闇を見ながら……そこに光を見る。

> そして悟りは、闇を避けるために光の中に隠れたりはしません。

ああ。(*-_-*)

> 全体性はすべてを含んでいます。

はい。

> 光も闇もです。

わかります。

> 自然界では、出だしからのつまづきは頻繁に起こり、淘汰も激し
> く、短命に終わったりまったく成長しないまま死んでしまう個体
> も数知れません。

なんと真実であることか。

> 一度も花開くことなく枯れてしまう花もあります。

そうですよ。

> 大きくならないうちに消えてしまう波もあれば、高くそびえてか
> ら派手に崩れる波もありますが、そのすべては同じ海がしている
> ことです。

(-||-)

> そのすべては自然のプロセスの一部です。

はい。

> 大きくならずに消えてしまうとか、一度も花を閲かせずに終わる
> というのは、ひとつの分離した断片と同一化している場合には悲
> 劇的で恐ろしく不公平に聞こえますが、全体の観点からするとそ
> のすべてがダンスを構成しているのです。

そう……これは本当です。

ただ、どちら側に自己同化しているかだけの違いですね。

ありがとうございました。

(-||-)

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 どの瞬間にも自己が存在していないことに気づくと、すべてがそ
 れぞれのやりかた、それぞれのペースで起こるのをそのままにし
 ておけるようになります。
 いずれにしてもそのようにしか起こらないわけですが。
 「いまここ」にいようとする努力がすべて落ちて、それとともに、
 今あるものを現在の状態から変えなければいけないと思っている
 その人も消え去ります。
 そして、明るく輝きながら脈打っている生き生きとした性質に目
 覚めますが、それは雨や車の音、紅茶の味、涼しいそよ風、日差
 しに照らされて輝きながら風に踊る緑の葉、青空を飛んでいく白
 い雲、走りすぎていく真っ赤な消防自動車、鳴り響くサイレンと
 して現れています。
 これが平凡な生の非凡な奇跡です。
 それはいつでも手に入るものですが、今ここにしかありません。
 
 『つかめないもの』(p134-135)
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> どの瞬間にも自己が存在していないことに気づくと、すべてがそ
> れぞれのやりかた、それぞれのペースで起こるのをそのままにし
> ておけるようになります。

いかなる瞬間にも

けっして自己は存在していない。

そのことに気がつけば、すべてを起こるがままにしておける。

ああ……。

必ずいつか、それが起こるんですね。

> いずれにしてもそのようにしか起こらないわけですが。

わかりました。

> 「いまここ」にいようとする努力がすべて落ちて、それとともに、
> 今あるものを現在の状態から変えなければいけないと思っている
> その人も消え去ります。

おお……。

> そして、明るく輝きながら脈打っている生き生きとした性質に目
> 覚めますが、それは雨や車の音、紅茶の味、涼しいそよ風、日差
> しに照らされて輝きながら風に踊る緑の葉、青空を飛んでいく白
> い雲、走りすぎていく真っ赤な消防自動車、鳴り響くサイレンと
> して現れています。

それは……いま……わたしのまわりにも現れている。

> これが平凡な生の非凡な奇跡です。

はい。

> それはいつでも手に入るものですが、今ここにしかありません。

ありがとうございました。m(_ _)m

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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はい。

(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
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■ 2.編集後記:
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今日は午後一時から

亡くなられた原節子さんの追悼記念ということで、

NHKのBSプレミアムで

『東京物語』の

デジタルリマスター版の放映がありました。

じっくり見ました。

世界中の映画評論家たちがトップあげる

世界の名画の頂点です。

すべて知っている画面ですが、じつに完璧でした。

ありがとうございました。<(_ _)>

というわけで、今日は昏くなりました。

では、良い休日をおすごしください。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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