━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/01/02(第612号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。
したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在857名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.気づきと気づきの内容として在る
2.編集後記
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■ 1.気づきと気づきの内容として在る
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明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。<(_ _)>
正月二日にこれを書いています。
一日、二日と素晴らしい天気ですね。
いい天気はありがたいです。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
いろいろな想念が湧いてきます。
何かが納得できて、もう二度と再び想念に振り回されたりしないよ
うになりたいものだ、といった想念がわいてきたりもします。
にもかかわらず、催眠が効いているかぎり、動揺する想念が自分だ
と思っているのですから世話はありません。
“できることは何もない”とか、“そもそも現象のなかに何かをで
きる誰も存在していない”という台詞も知っています。
しかし、はたしてこの台詞を知っていれば何かいいことがあるので
しょうか? (^^;)
そもそも、この台詞を知っていることが何かの役に立つような誰も
存在していないというのに?(^_-)
いやー、すべては冗談ですね。
「できることは何もない」という台詞があるように、「思いつづけ
ていることが実現する(物質化する)」という台詞もあります。
どちらの台詞を信じていても、その信じている通りのことが起こる
かもしれません。
あるいは、起こらないかもしれません。(*^_^*)
何が起こっても、あるいは起こらなくても、起こることを左右でき
るようなどんな個人も存在していません。
とまあ、言葉だけはいろいろ知っているのですが、言葉だけ知って
いても仕方がないようでもある。
では言葉だけ知っていても仕方がない、というのは誰にとって仕方
がないのか?
仕方がないと言っている、その人はいるのか?
実際はそんな人はいないんだよな、という想念もわいてきます。
こんなことをいくら考えても、つまり湧いてくるこんな想念をいく
ら追っても意味はないよな、という想念もわいてきます。
どこまで行っても、起こってくる想念に焦点を合わせているだけで
す。
では、起こってくる想念に焦点を合わせている誰かがいるのか?
いや、起こってくる想念に気づくことが起こっているだけです。
そのへんの感じをネイサン・ギルの言葉で語ってもらいます。
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Q.今この瞬間に焦点を合わせているのは何なのですか?
A.今現れているものに気づくということ──気づき──が起こっ
ています。
気づさと現れの両方が、今あるということなんです。
「焦点」という言葉は、現れには気づいているけれども、気づ
いているという側面がそれと一緒には認識されていないという
意味で使っています。
イメージだけに焦点が合っているということです。
それが催眠状態、もしくはマーヤと呼ばれるものです。
焦点を合わせている主体はどこにもありません。
『すでに目覚めている』(p259)
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> Q.今この瞬間に焦点を合わせているのは何なのですか?
これぞまさに、今聞きたかったことです。
> A.今現れているものに気づくということ──気づき──が起こっ
> ています。
はい、わかります。
> 気づさと現れの両方が、今あるということなんです。
なるほど。
> 「焦点」という言葉は、現れには気づいているけれども、気づ
> いているという側面がそれと一緒には認識されていないという
> 意味で使っています。
あーあ、その表現はよくわかります。
> イメージだけに焦点が合っているということです。
はい。
> それが催眠状態、もしくはマーヤと呼ばれるものです。
なるほど、そういうことなんですね。
【イメージだけに焦点が合っているということ】……、
それが【催眠状態、もしくはマーヤ】か。
> 焦点を合わせている主体はどこにもありません。
おお、そういうことか。(-_-)
質問者は、pariパターンのようにすぐに分かったようなふりはせず
に、ちゃんと念を押してくれています。
これがとてもありがたかったですね。
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Q.気づきが見落とされていると言っていますが、それはどういう
意味なんですか?
A.気づきが見落とされていると言っても、それは目に見えたりす
るような何らかの「もの」が見落とされているという意味では
ありません。
気づきがあるおかげですべてが現れているわけですが、内容の
側面だけに焦点が合っていると、気づきがあるということがそ
れと同時には認識されなくなります。
気づきと気づきの内容の両方があるという単純な認識が、ここ
で見ることとか知とか呼んでいるものです。
知とは、内容とだけ同一化するのではなくて、気づきと内容と
して──と言っても、主体と対象という意味ではありませんが
──存在するということです。
これが一体性、今あるということなんです。
『すでに目覚めている』(p260)
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> Q.気づきが見落とされていると言っていますが、それはどういう
> 意味なんですか?
こういうことって、わかりきっているような気がして、質問するこ
とを思いつかないものです。
ところが、これを聞いてくれたおかげで、ネイサン・ギルから引き
出された言葉が素晴らしいです。
> A.気づきが見落とされていると言っても、それは目に見えたりす
> るような何らかの「もの」が見落とされているという意味では
> ありません。
はい、わかります。
> 気づきがあるおかげですべてが現れているわけですが、内容の
> 側面だけに焦点が合っていると、気づきがあるということがそ
> れと同時には認識されなくなります。
たしかに。
> 気づきと気づきの内容の両方があるという単純な認識が、ここ
> で見ることとか知とか呼んでいるものです。
おおーお!(*_*) ⌒★?
これは素晴らしい!
ここにじつに普遍的な不動の真理が言語化されています。
すべての現象は、「気づきと気づきの内容の両方がある」からこそ
起こっている。
この一見、単純きわまりない認識が、やがてはすべての誤解を溶か
す愛の溶媒になるのかもしれません。
ネイサン・ギルが「見ること(=seeing)」とか「知(=knowing)」
と言っているのはこの単純な認識のことだそうです。
> 知とは、内容とだけ同一化するのではなくて、気づきと内容と
> して──と言っても、主体と対象という意味ではありませんが
> ──存在するということです。
知とは、内容とだけ同一化するのではなく、
<気づきと気づきの内容として存在する>
ということ。
グルジェフが使ったという、対象に向かう前向きの矢印と、それに
気づいている自己へ向かう後ろ向きの矢印が意識することです。
> これが一体性、今あるということなんです。
気づきと気づきの内容として存在することが「一体性」「今ある」
ということなのか……。
すごい話……。(@_@)
うーん、今年は春から縁起がいいぞ。(*^_^*)
佛陀の「八正道」やキリストの「奇跡のコース」と比べると、
滅茶苦茶シンプルなような。
さらにこの質問者の聞き出す能力は素晴らしいですね。
内容とだけ同一化するのではなく、という言葉の裏をとるというか、
「気づき」という側面だけとの同一化についても確認しています。
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Q.気づきの側面と同一化するということもありえますか?
A.ええ。
劇の一部として、気づきとだけ同一化して、気づきの内容から
離れて眺めるという状態も起こりえます。
伝統的な霊性の世界では、そういう状態が目標とされがちです。
頑張って、できるだけ早く頭のてっぺんから抜け出なさい!
内容から離れて気づきに入るのだ、と。
Q.これは内容から抜け出すという話ではないわけですか?
A.僕たちの本質は一体性、気づきと内容の両方です。
抜け出すことはできませんし、その必要もありません。
Q.でも何が違うんですか?
A.ストーリーによる催眠状態が見抜かれると、探求による収縮と
緊張がゆるみます。
気楽さがあります。
抜け出たいという欲求は起こりません。
Q.気楽さということについて話していますが、それは感情とかそ
ういったものが消えるという話ではないんですね? 感情がも
う生じなくなるといった話ではありませんよね?
A.この気楽さには、以前と変わらないような現れのパターンも含
まれているかもしれませんが、そこから抜け出そうとする動き
はもうありません。
どれも「私」の感情でも「私」の思考でもなくなっています。
『すでに目覚めている』(p260-262)
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> Q.気づきの側面と同一化するということもありえますか?
たしかに、これもありえるわけです。
> A.ええ。
> 劇の一部として、気づきとだけ同一化して、気づきの内容から
> 離れて眺めるという状態も起こりえます。
ありますよねぇ。
読みようによっては、ラマナ・マハルシやニサルガダッタの言葉は
そうも取れるかもしれません。
マイケル・ラングフォードは完全にそれかもしれません。
> 伝統的な霊性の世界では、そういう状態が目標とされがちです。
pariパターンなども現象から逃れたいばかりに、そんなことを夢想
しました。
> 頑張って、できるだけ早く頭のてっぺんから抜け出なさい!
ああ、EOさんを思い出します。
> 内容から離れて気づきに入るのだ、と。
たしかに。(-_-;)
> Q.これは内容から抜け出すという話ではないわけですか?
“内容から抜け出すという話”、のようにも聞こえますよね。
> A.僕たちの本質は一体性、気づきと内容の両方です。
なるほど。(-_-;)
> 抜け出すことはできませんし、その必要もありません。
そうか……。(-_-)
> Q.でも何が違うんですか?
うん。(-_-)?
> A.ストーリーによる催眠状態が見抜かれると、探求による収縮と
> 緊張がゆるみます。
ほう。
> 気楽さがあります。
なるほど。
> 抜け出たいという欲求は起こりません。
そうか、抜け出たいという欲求は、気づきの内容との過剰な同一化
の反作用なのかも。
> Q.気楽さということについて話していますが、それは感情とかそ
> ういったものが消えるという話ではないんですね? 感情がも
> う生じなくなるといった話ではありませんよね?
この方、じつに質問のツボを心得ている。
> A.この気楽さには、以前と変わらないような現れのパターンも含
> まれているかもしれませんが、そこから抜け出そうとする動き
> はもうありません。
なるほど。
テレビの画面が一時的な気づきの内容であることが自明なら、テレ
ビのチャンネルを変えようとか消そうとする衝動は消えるのか。
> どれも「私」の感情でも「私」の思考でもなくなっています。
「私」は単なる画面の中の登場人物にすぎないわけか。(-_-;)
ま、今日はメチャクチャすごいことを教わったので、もう終わりに
してもいいんですが。(^^;)
あと、別に何も起こらなくてもいいんだ、という話を少し。
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Q.ずっと話を聞いていてわかったんですが、自分は目覚めている
んだという認識が起こっても何も変わらないということがここ
では言われているわけですね。
A.思考のストーリーの催眠にかかっていてもかかっていなくても、
はじめから目覚めだけがあります。
ですから、どんな現れも変わる必要はありません。
催眠がかかっていないときには、気楽さがただあるんです。
何も違いはないように思えるかもしれませんが、それは徐々に
理解が進んで、それが最終的には溶け去って知になるという形
でストーリーが現れたためです。
理解とは知が思考という形で現れたものだと言ってもいいかも
しれません。
『すでに目覚めている』(p266)
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> Q.ずっと話を聞いていてわかったんですが、自分は目覚めている
> んだという認識が起こっても何も変わらないということがここ
> では言われているわけですね。
そういう聞こえ方もあるわけでしょうね。
> A.思考のストーリーの催眠にかかっていてもかかっていなくても、
> はじめから目覚めだけがあります。
この「目覚め」と訳されている言葉は「awakening」でしょうか。
普通、目覚めなさいと言われる言葉ですよね。
でも、ネイサン・ギルによると、登場人物が迷っていようが悟って
いようが、はじめから目覚めだけがあるんだ、と。
彼の言い方は、ひとつには、はじめから目覚めることができるよう
な誰も存在していない、というのがあるのかもしれませんね。
> ですから、どんな現れも変わる必要はありません。
これ、メチャクチャ、ありがたいじゃないですか。(-||-)
> 催眠がかかっていないときには、気楽さがただあるんです。
ああ……。
> 何も違いはないように思えるかもしれませんが、それは徐々に
> 理解が進んで、それが最終的には溶け去って知になるという形
> でストーリーが現れたためです。
なるほど。
(-||-)
> 理解とは知が思考という形で現れたものだと言ってもいいかも
> しれません。
「理解とは知が思考という形で現れたもの」……。
じつに、明晰ですね。
ありがとうございました。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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はい。
(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
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■ 2.編集後記:
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ネイサン・ギルの定義によれば、「見ること」「知」「一体性」と
は、気づきと気づきの内容として存在すること、です。
さすがは「Clarity」の著者ですね。
明晰のきわみとしか言いようはありません。
ありがたいことです。(-||-)
今日はすっかり暗くなりました。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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