home > 通信 >『アセンション館通信』(第614号):ネイサン・ギルの「一体性」の定義



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/01/17(第614号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

かつて起こってきたこと、いま起こっていること、起こるであろう
一切は、寸分の狂いなく全知全能の源泉の意志にしたがっている。

したがって、創造もなく、破壊もなく、道もなく、目標もなく、
自由もなく、運命もなく、何も起こっていない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在855名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ネイサン・ギルの「一体性」の定義

2.別メルマガ創刊のお知らせ

3.編集後記

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■ 1.ネイサン・ギルの「一体性」の定義
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今日もいい天気、とても明るいです。

硝子戸の中はとても温かいのです。

いい天気はありがたいです。

(でも、多分、配信されるときはとても寒い日なのでしょう。)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

今日もこうしてこのメルマガを書くことができます。

そういう感想(想念)がいま起こっているだけですが。^^;

ほぼ一生かけて求めさせられたものは、
個人幻想としてはとても居心地の悪い事実(=真理)でした。

全現象は、別になかの個々の登場人物(=個人幻想)を
喜ばせるために起こっているわけではないということです。

なかの個々の登場人物(=個人幻想)は、
たんに全現象の見え方を塩梅する一種のスパイスにすぎません。

それは「聖なる催眠」とも呼ばれ、
現前する見かけを“自分”の立場から解釈させる色眼鏡です。

別にそんな観念を信じなくてもいいわけですが、
どうしてもそういう話を聞くところまで突っ走らされたのです。

劇の登場人物の立場で言うなら、
そういう話を聞くまでどうしても納得できなかった。

そして、いったん聞いてしまったら往生です。

まるで、子供がサンタクロースなどいないことを、
知ってしまったようなものです。

聞かなかったことにして、
まだクリスマスのプレゼントを期待したいと思っても……、
そうは問屋が卸さない。

聞いてしまったものは、聞いてしまったのです。

知ってしまったことは、知ってしまったのです。

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 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、そして自己との関係性における変
 化でもありうる。
 言葉や薬物、あるいはほかのいかなる感覚的、精神的方法で誘導
 された超越状態や幻想も一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、彼の存在全体における深い永
 続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、その証拠は彼が疑えるよ
 うなものではない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、それ以上の証拠
 をあなたは求めるだろうか?
 
 『私は在る』(p376)
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というわけです。

自分の身体も含めて知覚可能なものは気づきの内容です。

「私」という観念もまた、気づきの内容です。

もう一度、ネイサン・ギルに「一体性」の定義を聴いてみましょう。

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 A. つまりここにふたつの概念があります。
   気づきと気づきの内容です。
   これが〈意識〉のふたつの側面、あるいはふたつの相です。
 
 Q. ええ、なるほど。となると、一体性というのは……。
 
 A. ……気づかれているすべてのものに気づいているということ
   です。
   気づきの内容に気づいている気づきです。
   両方が同時に生じます。
   分けることはできません。
   ですから生じる対象を否定しなくてもいいわけです。
   対象も全体のひとつの側面ですから。
 
 Q. そうですか。そうすると、思考についてはどうなるんですか?
   思考は内容の一部だと言っているわけですよね。
 
 A. ええ、気づきの内容のひとつとして現れているのが思考です。
   思考には形がないという性質がありますから、そのせいで見落
   とされることがあります。
   でも、内容の中に現れるひとつのイメージとして思考を扱えば
   いいんです。
   身体の現れと同時に、「私」という思考が生じます。
 
 『すでに目覚めている』(p54-55)
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> A. つまりここにふたつの概念があります。
>   気づきと気づきの内容です。
>   これが〈意識〉のふたつの側面、あるいはふたつの相です。

「気づきと気づきの内容」が「〈意識〉のふたつの側面、あるいは
 ふたつの相」だという説明に特に異論はないですよね。

気づきの内容のない気づきの状態を、マハラジは「絶対状態」と呼
んだのかもしれません。

でも、だからといって、絶対状態に達する個人がいるわけでもない
でしょう。

マハラジが、だから私はあなたとは違うのだ、などと言うはずもあ
りません。

〈意識〉が、気づきと気づきの内容という二面を持つ一つのもので
あることに間違いはありません。

> Q. ええ、なるほど。となると、一体性というのは……。

質問者は、一体性という言葉でネイサン・ギルが何を意味している
のかを確認しようとしています。

> A. ……気づかれているすべてのものに気づいているということ
>   です。

なるほど。

この「気づかれているすべてのものに気づいているということ」が
存在するすべてだ、と。

>   気づきの内容に気づいている気づきです。

これが一体性の定義なら、個人幻想の劇のなかでも万人が一体性で
あることは間違いないでしょうね。

わたしもあなたも一体性です。(^_-)

>   両方が同時に生じます。

気づきの内容が生じるとき、それに気づく気づきも生じている。

>   分けることはできません。

分けることはできない。

>   ですから生じる対象を否定しなくてもいいわけです。

そういうわけですね。

>   対象も全体のひとつの側面ですから。

対象も、それに気づいている気づきも、ともに全体のひとつの側面
です。

> Q. そうですか。そうすると、思考についてはどうなるんですか?
>   思考は内容の一部だと言っているわけですよね。

たしかに、思考を別立てで確認したくなる気持ちもわかります。

> A. ええ、気づきの内容のひとつとして現れているのが思考です。

思考は知覚の対象ですものね。

>   思考には形がないという性質がありますから、そのせいで見落
>   とされることがあります。

はい。

>   でも、内容の中に現れるひとつのイメージとして思考を扱えば
>   いいんです。

たしかに、ひとつのイメージですね。

>   身体の現れと同時に、「私」という思考が生じます。

身体の現れと同時に、「私」という思考が生じる……。

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 Q.「自分」 という思考ですね。
 
 A.「自分」、そうです。
 
   あっちにあるあの身体ではなく、ここにあるこの身体と一緒に
   生じるように見えるために、「自分」という思考は身体として
   の生を構成する不可欠な要素に自動的になってしまいます。
   疑問を持たれることはありません。
   オーバーを着て、それからオーバーを着ていることを忘れてし
   まうようなものです。
 
 Q.偽りの主体ですね。
 
 A.そうです。
  「私」という思考が生じて、それがこの特定の身体と同時に起
  こるように感じられると、偽りの主体が現れます。
  でもそれは実在してはいません。
  心理的な自己感覚と呼ばれるものです。
  つまりこの「私」という思考はオーバーみたいなものなのに、
  それ以外のあらゆる思考は「私」の思考になってしまって、こ
  の偽りの主体の観点から解釈されることになります。
 
 『すでに目覚めている』(p55-56)
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こうして説明されると、とても平凡な説明のようにも聞こえます。

ま、実際、ネイサン・ギルにとっては、とても平凡なことなのでし
ょうね。

> Q.「自分」 という思考ですね。
> 
> A.「自分」、そうです。
> 
>   あっちにあるあの身体ではなく、ここにあるこの身体と一緒に
>   生じるように見えるために、「自分」という思考は身体として
>   の生を構成する不可欠な要素に自動的になってしまいます。

だから、気づきのなかに身体として生じていた形と一緒に「自分」と
いう思考が生じると、自然に自分の身体になってしまう、と。

>   疑問を持たれることはありません。

それが自分の身体であることを一瞬も疑わない。

実際は、自分が身体を所有しているわけではなく、身体という形体と
「自分」という思考が同時に気づきのなかに生じているだけなのに。

>   オーバーを着て、それからオーバーを着ていることを忘れてし
>   まうようなものです。

この比喩は、ネイサン・ギル的な何かの必然性があるんでしょうね。

オーバーというのは、中の身体をすっぽりと包み込んでしまうとい
うニュアンスなのでしょうか……。

一緒くたにひとまとめにして、すべて自分のものにしてしまう、み
たいなニュアンスなんでしょうか。

> Q.偽りの主体ですね。
> 
> A.そうです。
>  「私」という思考が生じて、それがこの特定の身体と同時に起
>  こるように感じられると、偽りの主体が現れます。

この身体の皮膚の内部が自分という感覚が生まれてしまう。

>  でもそれは実在してはいません。

実際は、自分が身体を所有しているわけではない。

気づきのなかに、身体という形体現象と自分という思考現象が同時
に生じているだけ。

>  心理的な自己感覚と呼ばれるものです。

この身体現象と思考の同時発生で、心理的な自己感覚が生まれる。

漫画も絵だけでは迫力がないけれど、吹き出しに台詞が入ると物語
がはじまる。

>  つまりこの「私」という思考はオーバーみたいなものなのに、
>  それ以外のあらゆる思考は「私」の思考になってしまって、こ
>  の偽りの主体の観点から解釈されることになります。

ああ、やっぱりそういうニュアンスみたいですね。

「私」という思考は、単にその瞬間に現れている思考にすぎないの
に、それ以外のあらゆる思考を自分の思考にしてしまう。

そしてそれ以外の思考を「私」の物語の補強材料にしてしまう。

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 Q.そうやって二元的になるんですね。主体と対象に分かれて。
 
 A.まさにそのとおりです。
  でも実際には主体と対象はなくて、二元性もありません。
  思い出してほしいのは、気づきと気づきの内容という概念は、
  主体と対象という意味で使っているわけではないということで
  す。
  全体性の側面ですから分けることはできません。
 
 Q.それは素晴らしい。主体も対象もないということがそうやって
  わかるんですね。
 
 A.ええ、気づきはどんなものでもないもので、気づきの内容はあ
  らゆるものです。
  でも「私」という思考が生じると──何でもないものとあらゆ
  るものではなく──、自分は「何か」なんだと考えてしまいま
  す。
 
 『すでに目覚めている』(p56)
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> Q.そうやって二元的になるんですね。主体と対象に分かれて。

「私」という思考がオーバーみたいになって、そのオーバーの中と
外を、主体と客体みたいに二つに分けてしまう。

> A.まさにそのとおりです。
>  でも実際には主体と対象はなくて、二元性もありません。

でも実際には、こちらにある身体も向こうにある身体も、同じよう
に気づきの中に現れている形体にすぎない。

あるのは気づきと気づきの内容だけ。

あるのは気づきの内容すべてに気づいている気づき、つまり〈意識〉
だけ。

>  思い出してほしいのは、気づきと気づきの内容という概念は、
>  主体と対象という意味で使っているわけではないということで
>  す。

気づきと気づきの内容は、一体性の両側面で、片方だけで存在でき
るわけではない。

>  全体性の側面ですから分けることはできません。

在るのはそれだけで、それ以外は何もないので、それで全体性とい
うような表現をするんでしょうね。

> Q.それは素晴らしい。主体も対象もないということがそうやって
>  わかるんですね。

主体や客体は物語を想像するには必要な要素だけど、気づきの内容
のなかにそういう区別が存在するわけではない。

> A.ええ、気づきはどんなものでもないもので、気づきの内容はあ
>  らゆるものです。

非顕現の気づきはどんなものでもないもの、気づきの内容、つまり
顕現はあらゆるもの。

その両者はあくまでも〈意識〉、一体性、全体性、存在の両側面。

>  でも「私」という思考が生じると──何でもないものとあらゆ
>  るものではなく──、自分は「何か」なんだと考えてしまいま
>  す。

でも、気づきの内容として「私」という思考が生じると、気づきの
内容が別の内容に気づいているかのような幻想が生じる。

そして、自分は気づきの内容(顕現)のなかの「何か」なんだとい
う偽りの自己感覚が生じる。

在るのは全体性だけだということ、言葉は変ですが、自分は全体性
なんだということが、こうして明かされたわけです。

自分が全体性だなんて、表現は変ですが、でも、個人が幻想だとい
うことは、これ以上どうしようもないほどわかりますね。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

あなたは在る。

ほかのすべてはあなたの現れにすぎない。

(-||-)

ネイサン・ギル風に言うなら、

「あなたはあらゆるものとして現れている、なんでもないもの」

となるのかもしれません。

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.別メルマガ創刊のお知らせ
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こんな感じで、自分が書く文章を、
自分が書いているとも思えなくなってきました。

現れのなかに現れを左右できるような独自のエネルギーなど
存在しないことが自明になってくるようなのです。

そうなると、ゼンマイが緩んでくるとはよく言ったもので、
このメルマガを書くエネルギーが退潮してくるようでもあります。

もはや探求している自分などいないことが見抜かれているので。

だから、知りたい自分はもういません。

知りたいエネルギーは燃え尽きたんでしょうね。

このメルマガはもう少し書き継ぐことになっているのなら、
惰性でもう少し続くのだろうと思います。

それで、もうひとつ別のメルマガを書かされるみたいです。

昨日、もうひとつのメルマガ創刊の申請をしました。

メルマガのタイトルは、
【「国民生活通貨(絆通貨)」創設案──隷属の国から別品の国へ】
といいます。

要するに、
【日本版ベーシック・インカム】の広報宣伝媒体です。

これからますます生産効率は上がっていくわけだから、
誰でも当たり前に生活できていいじゃないか、ということです。

そして、日本からそれをはじめなければ、
話がはじまらないじゃないか、と。(*^_^*)

まぐまぐは即座に申請を承認してくれました。

昨日できた登録フォームはこのURL↓です。
http://www.mag2.com/m/0001671045.html

メルマも申請してありますが、まだ審査中です。

発行周期は週一以上にはなるだろうと思っています。

こちらのほうはまだエネルギーが感じられます。

もしよければ、ご購読ください。

なるべくなら流行らせたいので、よければ人にも勧めてください。

どうぞよろしくお願いします。<(_ _)>


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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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現れがショーであることが
じょじょに実感となってくるようです。

でも同時に、
まだまだ現れのなかで溺れかかってもいます。

いつもすべての現れは
この瞬間に浮上している想念によって色づけられる。

漫画が、吹き出しの台詞によって物語に変化するように。

何でもないものが、
語られた物語のなかで何者かになるのです。

何でもないものが
あらゆるものであることを夢見ている。

今日ももう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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