home > 通信 >『アセンション館通信』(第615号):『何でもないものが あらゆるものである』



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/01/24(第615号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

ただ存在の遊びがあるだけ、だから何も起こっていない。

もしわたしが苦しいのなら、そんな劇を楽しんでいるのでしょう。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在849名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.『何でもないものが あらゆるものである』

2.メルマガ【「国民生活通貨(絆通貨)」創設案】本日創刊!!

3.編集後記

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■ 1.『何でもないものが あらゆるものである』
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これを書いている今日も寒い日です。

こうして土曜だけは、夢の物語のなかで自分が自分に許した
マインド無礼講の日なのです。

夢の物語のなかには、意味もある、苦しみもある。

でも、実際は、何も起こっていない。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

夢の中ではだいぶ時間が経ってしまいましたが、
十年ほど前、一週間に一日土曜だけは道楽に使おうと思いました。

地球はアセンションして新しい時代が来ると思っていたからです。

だから、そのことを宣伝しようと思ったのでした。

自分にはそんなことを宣伝する何の資格もないと知りながら、
それでもそんお先棒担ぎをしたくなった。

馬鹿なことともいえますが、
そうしないことはできなかったわけでしょう。

当時何となく信じていたことは、これからは各人の思い込みが
途方もなく分裂・分散していくのだろうということでした。

まあ、そういうストーリーの夢だったのでしょう。

今も、相変わらずそのストーリーの夢を見つづけています。

何も変わってはいません。

ただ、当時と少し違うことがあるとしたら、
当時は自分がいると思っていたことくらいでしょうか。

というと、じゃ今は自分がいるとは思っていないのか、
ということになります。

わたしが見られている夢では恩寵も何も起こっていないので、
相変わらず、自己幻想が解除されてはいません。

なので、あたかも自分がいるかのような夢はつづいています。

ただ、現象のなかに現象を動かすことができるような、
現象から分離・独立した実体がいるとは思っていないだけです。

劇の登場人物としてのわたしは、現象のなかで
何とか自分に都合よく現象を動かしたいものだと思っています。

そうしないことができないからです。

このことは、現象のなかに現象を動かすことができるような
分離・独立した実体がいない、何よりの明証ではないでしょうか。

わたしだって、そんなつまらないことで頑張りたくない。(*^_^*)

自己幻想から完全開放された
超越的な役回りをやってみたいものだと思っていました。

思っていました、というと、
今は思っていないのかということになります。

思っているにも、思っていないにも、浮上してくる思いを、
別に自分の思いだとは思っていないだけです。

もちろん、習慣的にしょっちゅうそう思いますけど。(^^;)

つまり、自分の思いを選択できるわたしなどいない
ということを知っているだけです。

それはただ起こってくる。

この肉体精神構造に配給されたDNAと条件づけに指示されて、
わたしが思うことはただ湧いてくるのです。

以前は、その湧いてくる思いを自分だと思っていた。

そして、そういう自分は、まわりの現象からは
分離・独立した実体なのだと思っていた。

でも、そんなアホなことはありえないことが
わかってしまった。(>_<)

これは、よく言われる、子供がサンタクロースがいないことを
知ってしまったようなものです。

いるという考え方もある、いないという考え方もある、
というようなわけにはいかない。

なぜなら、いないことがわかってしまったからです。(*^_^*)

わたしには、自分に湧いてくる思いを選択できる
自由も可能性もありません。

ただ、この肉体精神構造に配給された
DNAと条件づけに指示されて、思いが湧いてくるだけです。

だから、たとえ、金持ちはいいなあ、自分がもっと賢かったら、
金持ちになれただろうに、などと思っても、その可能性はない。

また、そんな思考が湧いてこない自由も可能性もないのです。

これは、端的な事実なので、否定のしようがない。

昔は、人生の意味が、とても気になったものです。

わたしの場合は、「目的」という言葉よりは、
「意味」という言葉のほうが自然でした。

陽子的であるよりは、中性子的であったからかもしれません。

あるいは、ラメッシ・バルセカールふうに言うなら、
筋肉緊張型であるより内臓緊張型であったからかもしれません。

平たく言えば、肉食獣の遺伝子よりも、
草食動物の遺伝子を多く組み込まれていたからかもしれません。

こういう分類好きの思考が浮かぶのも、
誰の選択でもなく、ただ縁起にしたがって湧くだけです。

もともと、意味というのは、
見かけの現象のなかに立場がありえてこそ成り立つものです。

もし、見かけの現象のなかに分離独立した立場がありえないなら、
そもそも意味などありえません。

立場とはすなわち、
見かけの現象を定義づけできる根拠のことです。

そして、ニサルガダッタが教えてくれるように、

------------------------------------
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に
 努力することなく帰り着くだろう。
 
 『私は在る』(p27) 
------------------------------------

すべて定義は、身体を根拠にしているのです。

定義とは、見かけの現象のなかでこの肉体精神構造が
分離独立した実体である、という前提ではじめて可能になります。

もし、見かけの現象のなかに分離独立した実体など
存在しえないことが明らかなら、どんな立場もありえない。

どんな立場もありえないなら、どんな定義づけも可能ではない。

どんな定義もありえないなら、どんな意味もありえない。

わかりきったことです。

だから、わたしのなかで意味の探求は終わりました。

この哲学頭にとっては、意味の探求が終われば、
主要な仕事は終わったわけです。

メインエンジンの燃料は燃え尽きました。

もちろん、すべて夢の劇のなかでの話です。

いずれにせよ、湧いてくる思いは湧いてくる。

いずれにせよ、そのことに何の意味もないわけです。

湧いてくる思いに意味はある、という場面もあれば、
湧いてくる思いに何の意味もない、という場面もある。

夢の劇のなかの登場人物としては、
個人幻想が解除される場面を見てみたいような気分はあります。

でも、それより何より、
今夢を見ているのがその同じ存在だということがわかっている。

だって、その存在以外に何も存在しないからです。

すべては存在の遊び、それをしている者は誰もいないのです。

わたしというこのパターンは、ありがたいことにというか、
不可抗力でというか、とても信じやすい。(*^_^*)

このところしばらく、ネイサン・ギルの先生にも当たる
トニー・パースンズの文章を読んでいました。

『何でもないものが あらゆるものである』(木悠鼓訳、ナチュラ
ルスピリット刊 )という本です。

このごろ読む本はほとんど、resonanz360のヒロさんか木悠鼓さん
の翻訳された本ですね。

ネイサン・ギルがとても了解しやすかったので、
気を良くしてトニー・パースンズも読んでみようと思ったのです。

そんなに難しくもないだろうと。

ところがトニー・パースンズは、わたしにとっては
ネイサン・ギルほどすぐにはしっくり来ませんでした。

なにか、あまりにも取りつく島がなかった。^^;

トニー・パースンズの語法は、
ネイサン・ギルと同じではなかったわけです。

質問者がどんなことを聞いても、
あるのは存在だけです、の一点張りで、他はあまり取り合わない。

じゃ、その存在というのは何なんだと思って読むと、
何でもないものがあらゆるものになっているだけだ、と言います。

ちょっと手のつけようがなくて、しばらく放っておきました。

ここで木悠鼓さんが「何でもないもの」と訳しているのは、
英語では「nothing」です。

amazonの書評には、あの「何でもないもの」は、
単に「無」と訳してほしかったという意見などもあるようです。

ところがですね、少し間を空けてまた開いてみると、
これがいつの間にか意味がわかってくる。

すると「何でもないものがあらゆるものになっている」という
木悠鼓さんの訳語が、いつの間にか自然になっているんです。

そんな何ひとつ言っていないような言い回しが、
逆にそれ以上のレトリックがすべて無用な物語だと思われてくる。

ほんとに不思議ですね。

一挙に見晴らしが良くなってしまう。

こんな感じです。

------------------------------------
 解放の全ポイントは、物語とは何の関係もないということです。
 解放は物語にかかわらずシンプルにあるのです。
 解放が存在するすべてです。
 そして、その解放の中で物語の現れが起こります。
 それは「探求を超えたものを探し求める探求者の現れ」とでも言
 えるでしょう。
 ですから、何の関係もないのです。
 心は以前に起こったことと、今、表現されていることが関係ある
 と考えるのが好きなことは、私も知っています。
 しかし、以前に起こったことは解放とは何の関連もありません。
 あなたはワンネスに忍び寄ることはできません。
 あなたはあらゆることの近くに動くことはできません。
 ただあらゆることだけがあります。
 その間あなたは存在へ忍び寄ろうとしたり、近づこうとしたり、
 存在への道に沿って動こうとしたりしますが、存在の方向へ動こ
 うとしているあなたが、すなわち存在なのです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p43)
------------------------------------

> 解放の全ポイントは、物語とは何の関係もないということです。

これこそが「解放」というものでしょうね。(^_-)

トニー・パースンズは「悟り(覚醒)」とか「真我実現」
といった表現は使わないようです。

まあ、在るのは解放だけだということなら、
悟ったり、実現したりできる人はいないわけですが。

> 解放は物語にかかわらずシンプルにあるのです。

夢の中で苦しんでいるというのは別にかまわないわけです。

誰が存在するわけでもなく、
存在が在るだけなので、それは存在の娯楽なのです。

> 解放が存在するすべてです。

実際は、解放しか存在していない。

まあ、何をか言わんやで、実際そのとおりなわけです。(*^_^*)

> そして、その解放の中で物語の現れが起こります。

そう、その解放のなかに、夢が起こっている。

> それは「探求を超えたものを探し求める探求者の現れ」とでも言
> えるでしょう。

上手いこと言いますね。

> ですから、何の関係もないのです。

解放は、見かけの物語とは何の関係もない。

> 心は以前に起こったことと、今、表現されていることが関係ある
> と考えるのが好きなことは、私も知っています。

いやー、一生楽しんできましたよ。(^_-)

> しかし、以前に起こったことは解放とは何の関連もありません。

まったく。

> あなたはワンネスに忍び寄ることはできません。

はは。

> あなたはあらゆることの近くに動くことはできません。

解放のなかに夢が浮かんでいるだけです。

その夢のなかの登場人物がどうやって解放に近づけるの? (^_-)

> ただあらゆることだけがあります。

はい、すべての夢として。

> その間あなたは存在へ忍び寄ろうとしたり、近づこうとしたり、
> 存在への道に沿って動こうとしたりしますが、存在の方向へ動こ
> うとしているあなたが、すなわち存在なのです。

(-||-)

他には何も存在していないのだから。

------------------------------------
 分離した個人という夢の中で、あらゆることはユニークに起こり
 ます。
 なぜなら、それしか存在しないからです。
 ですから、その夢の中でその見かけの探求者にとって、あらゆる
 ことは完全にユニークです。
 解放の中でもまだそのユニークさがあります。
 違いは、それが起こっているその中に、誰もいないということで
 す。
 それはただ起こっているのです。
 そしてまた見られることは、それはユニークさとしてわき起こっ
 ている何でもないものである神秘です。
 それは完全に理解不能です。
 誰もおらず、全分離が抜け落ちる解放の中で、わき起こっている
 ように見えるユニークな二元性の祝福がまだあることは、決して
 理解されえません。
 しかし、その二元性が存在の遊びとして見なされます。
 ですから、そのとき見かけの二元性は祝福されているのです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p49-50)
------------------------------------

> 分離した個人という夢の中で、あらゆることはユニークに起こり
> ます。

これは事実として、夢のなかの登場人物全員が、
つまりわたしもあなたも知っていることです。

> なぜなら、それしか存在しないからです。

これ以外には何もない。

> ですから、その夢の中でその見かけの探求者にとって、あらゆる
> ことは完全にユニークです。

夢の中ではそのユニークさを自慢しあうわけです。

> 解放の中でもまだそのユニークさがあります。

おお、解放の中にもそのユニークさはあるわけだ。

> 違いは、それが起こっているその中に、誰もいないということで
> す。

たしかに。

pariパターンにはその解放は起こっていないけれど、
でも、そこに誰もいないはずだということはわかる。

> それはただ起こっているのです。

はい。

> そしてまた見られることは、それはユニークさとしてわき起こっ
> ている何でもないものである神秘です。

「ユニークさとしてわき起こっている何でもないもの」……。

> それは完全に理解不能です。

ただ実際にそうあるだけ。

> 誰もおらず、全分離が抜け落ちる解放の中で、わき起こっている
> ように見えるユニークな二元性の祝福がまだあることは、決して
> 理解されえません。

はい。

> しかし、その二元性が存在の遊びとして見なされます。

(-||-)

> ですから、そのとき見かけの二元性は祝福されているのです。

わかりました。

------------------------------------
 質問者 だったら、私たちもまだ祝福しているのですか?
 
 見かけの二元性、つまり私たちが見るこの世界、この夢は、その
 とき誰でもないものによって祝福されているのです。
 
 質問者 二元性と非二元性としてですか?
 
 二つがあるわけではないのです。
 ワンネスが二つの見かけとして起こるのです。
 
 質問者 それは神秘、逆説です。
 
 はい。
 あなたは決してそれを理解しないことでしょう。
 なぜなら、あなたはそこにいて、それを理解しょうとしているか
 らです。
 誰もいないとき、存在だけがあります。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p49-50)
------------------------------------

> 見かけの二元性、つまり私たちが見るこの世界、この夢は、その
> とき誰でもないものによって祝福されているのです。

そして、それを絶対に納得したくない夢の登場人物にとっては、
それは了解不能でしかない。

> 質問者 二元性と非二元性としてですか?
> 
> 二つがあるわけではないのです。
> ワンネスが二つの見かけとして起こるのです。

【ワンネスが二つの見かけとして起こる】……。

見かけのなかでまだ“遊びたい者”を邪魔する存在はいない。

> 質問者 それは神秘、逆説です。
> 
> はい。
> あなたは決してそれを理解しないことでしょう。

なぜ?

> なぜなら、あなたはそこにいて、それを理解しょうとしているか
> らです。

(^^)/

> 誰もいないとき、存在だけがあります。

(-||-)

次がなかなか面白い。

------------------------------------
 質問者 それは心がない状態ではありませんか?
 
 いいえ。
 考えることはまだ起こります。
 間違っていることは何もないのです。
 解放においても、あらゆることが起こる可能性があります。
 考えることも含めて否定されることは何もありません。
 考えることがワンネスからどういうわけか切り離されている、
 という考え全体が無知です。
 存在するのは存在が考えていることだけです。
 「私はお茶が一杯飲みたい」、「私は破産するだろう」、「彼女
 は私を愛していない」などです。
 思考が起こります。
 一つの思考が起こり、別の思考が起こり、また別の思考が起こり
 ……それは思考が起こっているのであり、また考えることが起こ
 っていないときもあります。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p51)
------------------------------------

> 質問者 それは心がない状態ではありませんか?

やっぱり、無心こそが素晴らしいのではありませんか?

> いいえ。
> 考えることはまだ起こります。

はは。

> 間違っていることは何もないのです。

このメッセージが最初良くわからなかたのです。(^^;)

でもこれが、トニー・パースンズという夢の登場人物をつうじて
表現された、ユニークなメッセージです。

> 解放においても、あらゆることが起こる可能性があります。

はい。

> 考えることも含めて否定されることは何もありません。

了解。

> 考えることがワンネスからどういうわけか切り離されている、
> という考え全体が無知です。

はは。

トニー・パースンズにかかっては、
ラメッシ・バルセカールも形無しですね。(^_-)

まあ、それは単なる夢のなかのゴシップの一場面ですけど。

いずれにせよ、

------------------------------------
 師や聖者や探求者たち
 彼らはみな違ったことを言う
 
 『Ashtavakra Gita』(p77-79) 
------------------------------------

というわけなので、傷つける者も、傷つく者もいません。

> 存在するのは存在が考えていることだけです。

そうか。

> 「私はお茶が一杯飲みたい」、「私は破産するだろう」、「彼女
> は私を愛していない」などです。

わかりました。

> 思考が起こります。
> 一つの思考が起こり、別の思考が起こり、また別の思考が起こり
> ……それは思考が起こっているのであり、また考えることが起こ
> っていないときもあります。

ああ、そういうことですね。

つぎのメッセージはトニー・パースンズをとおして表現された
時間についてのメッセージです。

------------------------------------
 質問者 今まで一度もあなたのことを問いたことのない誰かが、
     もし私にあなたが何を言っているのかを尋ねるとしたら
     ……そのポイントは何で、彼は何を話しているのかと尋
     ねるとしたら、私なら彼はこの瞬間の受容について話し
     ていると言うことでしょう。
     私はそれをそう認識しています。私の認識は間違ってい
     るでしょうか、それとも正しいでしょうか?
 
 それは間違っていませんが、正しくもなく、それがそこで認識さ
 れたことです。
 しかしこれは、ともに物語である受容も瞬間も超えています。
 ここで提言されつつあることを受け入れることができる人は誰も
 おらず、そしてどんな瞬間もないということです。
 どういうわけか一つの瞬間は、他の瞬間も含むのです。
 どんな瞬間もないのです。
 それは今ここにいるという考えのようなものです。
 ここにいることができる人は誰もおらず、どんな今もありません。
 そして、これを受け入れることができる人も誰もいません。
 私はあなたがこれを受け入れることを提案しているわけではあり
 ません。
 なぜなら、この認識では、分離したどんなあなたもおらず、為す
 必要があることは何もないからです。
 分離した実体がもはやいないとき、存在するのはただこれだけで
 あることが見られるのです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p54-55)
------------------------------------

> それは間違っていませんが、正しくもなく、それがそこで認識さ
> れたことです。

この的確さ。

> しかしこれは、ともに物語である受容も瞬間も超えています。

夢のなかの物語とは全く無関係に解放は在る。

> ここで提言されつつあることを受け入れることができる人は誰も
> おらず、そしてどんな瞬間もないということです。

いかなる瞬間も夢のなかの物語の中にしかない。

> どういうわけか一つの瞬間は、他の瞬間も含むのです。

あらゆる夢のなかの物語は、解放のなかに浮かんでいる。

> どんな瞬間もないのです。

どんな瞬間も夢の中にしかない。

> それは今ここにいるという考えのようなものです。

あなたは自分が今ここにいると思っている。

> ここにいることができる人は誰もおらず、どんな今もありません。

すべては解放のなかに起こっている夢の物語。

> そして、これを受け入れることができる人も誰もいません。

夢の物語の中の誰がこれを受け入れることができるというのか。

> 私はあなたがこれを受け入れることを提案しているわけではあり
> ません。

わかっています。

受け入れられるどんなわたしも存在しないのだから。

> なぜなら、この認識では、分離したどんなあなたもおらず、為す
> 必要があることは何もないからです。

夢の物語の中に何かをできるどんな誰かもいない。

> 分離した実体がもはやいないとき、存在するのはただこれだけで
> あることが見られるのです。

在るのは唯一存在だけ。

あらゆるものとして在る何でもないものだけ。

------------------------------------
 質問者 あなたはトニー・パーソンズとしてこれに到達したので
     すか?
 
 私は絶対的に到達しませんでした。
 それが私の話していることの全ポイントです。
 ここで伝えられていることは、トニー・パーソンズとは何の関係
 もありません。
 トニー・パーソンズはこれに到遷しませんでした。
 そこがポイントです。
 トニー・パーソンズはもはや存在せず、その意味で、探求者であ
 り、夢見る人です。
 しかし、私はどこにも到着していません。
 到着すべきどんなところもなく、どんな人もいません。
 しかし、これが存在するすべてです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p55-56)
------------------------------------

> 質問者 あなたはトニー・パーソンズとしてこれに到達したので
>     すか?

この方、とても上手に質問しましたね。

まあ、答はわかっているようなものだけれど、
でもトニー・パーソンズに言わせてみるのは大事なことです。

> 私は絶対的に到達しませんでした。

うん。

> それが私の話していることの全ポイントです。

わかります。

> ここで伝えられていることは、トニー・パーソンズとは何の関係
> もありません。

そうでなくちゃ。

> トニー・パーソンズはこれに到遷しませんでした。
> そこがポイントです。

了解です。

> トニー・パーソンズはもはや存在せず、その意味で、探求者であ
> り、夢見る人です。

そのとおり。

> しかし、私はどこにも到着していません。

夢の登場人物が夢から出られるわけがない。

> 到着すべきどんなところもなく、どんな人もいません。

解放のなかに夢が浮かんでいるだけ。

> しかし、これが存在するすべてです。

何でもないものがあらゆるものとして現れているだけ。

最後にもう一つだけ行きましょう。

------------------------------------
 質問者 目覚め、自己実現、解放というような異なる描写に対し
     て、あなたはどう解釈していますか?
 
 私は「目覚め」と「解放」という言葉を使います。
 なぜなら、私はそれ以外に使う言葉を思いつかないからです。
 しかし、目覚めとか解放などというものはないのです。
 いずれにせよ、何も起こつっていないからです。
 ただ存在の遊びがあるだけで、だから何も解放される必要がない
 のです。
 つまり探求者にとっては、これらはただの言葉にすぎません。
 これらの単なる概念的な教えは、探求者が抱える見かけのジレン
 マを明らかにしませんし、それらはすべてのなかで最も強力なも
 の、エネルギー的要素を完全に無視しています。
 目覚めはエネルギー的転換です。
 それはこれの……起こっていることの生の感覚です。
 それは感じられているものの本質の内部にある贈りものです。
 あなたは概念的な考えを永遠に繰り返すことができますが、でも考
 えはこれに関する物語です。
 私にとっての目覚めとは、分離した個人がいるという夢、あるいは
 信念や経験からの見かけの目覚めとして、私が見ているものを描写
 するのに最も近い言葉です。
 しかしながら、目覚める人は誰もいません。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p55-56)
------------------------------------

> 質問者 目覚め、自己実現、解放というような異なる描写に対し
>     て、あなたはどう解釈していますか?

夢の中でこんな確認が起こっています。

> 私は「目覚め」と「解放」という言葉を使います。

はい。

> なぜなら、私はそれ以外に使う言葉を思いつかないからです。

はい。

> しかし、目覚めとか解放などというものはないのです。
> いずれにせよ、何も起こつっていないからです。
> ただ存在の遊びがあるだけで、だから何も解放される必要がない
> のです。

これが、トニー・パースンズをとおしてメッセージですね。

> つまり探求者にとっては、これらはただの言葉にすぎません。

ええ。

> これらの単なる概念的な教えは、探求者が抱える見かけのジレン
> マを明らかにしませんし、それらはすべてのなかで最も強力なも
> の、エネルギー的要素を完全に無視しています。

なるほど。

頭でわかったような気になってもダメだと。

> 目覚めはエネルギー的転換です。

なるほど。

> それはこれの……起こっていることの生の感覚です。

はい。

いずれにせよ、
何でもないものがあらゆるものになっているだけですよね。

> それは感じられているものの本質の内部にある贈りものです。

はい。

> あなたは概念的な考えを永遠に繰り返すことができますが、でも考
> えはこれに関する物語です。

わかります。

> 私にとっての目覚めとは、分離した個人がいるという夢、あるいは
> 信念や経験からの見かけの目覚めとして、私が見ているものを描写
> するのに最も近い言葉です。

ええ。

> しかしながら、目覚める人は誰もいません。

ですよね。

すべての定義は、分離の夢の中でしか意味を持ちえないのだから。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

あなたは在る。

ほかのすべてはあなたの現れにすぎない。

(-||-)

ネイサン・ギル風に言うなら、

「あなたはあらゆるものとして現れている、なんでもないもの」

となるのかもしれません。

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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なるべくなら流行らせたいので、よければ人にも勧めてください。

夢のなかのお話です。

どうぞよろしくお願いします。<(_ _)>


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■ 3.編集後記:
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夢の物語のなかの登場人物にできることは何もない。

いまこのことが一番の安心を与えてくれるようです。

夢のなかの物語にエネルギーが向かうかぎり、
その物語が実体として浮かび上がる。

夢のなかの物語へのエネルギーが燃え尽きれば、
その物語の実体性は消失していく。

トニー・パースンズふうに言えば、
何でもないものがあらゆるものになっているだけ。

般若心経ふうに言えば、空即是色。

森羅万象は無であり、
無が森羅万象になって遊んでいるだけ。

夢の中にはそんなメッセージが意味を持つ登場人物も、
何の意味も持たない登場人物もいる。

いずれにせよ、
夢の物語のなかの登場人物にできることは何もない。

今日ももう暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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