home > 通信 >『アセンション館通信』(第616号):「私は荒れ野にいるんです」



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/01/31(第616号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

ただ何でもないものがあらゆるものになっているだけ。

定義も意味も苦しみも、想像のなか、夢の劇のなかにしかない。

実際は何も起こっていないし、苦しんでいる者もいない。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在849名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「私は荒れ野にいるんです」

2.【「国民生活通貨(絆通貨)」創設案】配信開始してます!

3.編集後記

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■ 1.「私は荒れ野にいるんです」
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さっきまで書いていた自分のコンピュータが
起動しなくなりました。

まあ、もういい加減にやめなさい、ということかもしれません。

そのとおりとは思いつつ、
連れ合いのコンピュータを借りてこうしてまた書いています。

何か言葉を書くことに
さして意味を感じているわけでもありません。

とはいえ、急に他のことをするわけにもいかず、
まあ歩き慣れた道を辿ろうとするだけです。

「だからあなたは駄目なのだ」と言われたこともありますが、
夢のなかの登場人物に何かができるわけでもないでしょう。

夢の物語のなかには、意味もある、苦しみもある。

でも、実際は、何も起こっていない。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

観念の上での昔、人生の意味を考えるようになった頃、
わいてきた想念はこんなことでした。

たとえいつか自分が人生の意味を知り、納得したとしても、
今のこの瞬間の意味を誰がどう補償できるというのか?

今この瞬間に支えられているこの意味を、
無かったことにも、補償することもできないではないか、と。

この論理は、ある意味では(前提された文脈では)鉄壁でした。

ただ、そのときそこでは、
その意味を支えている自分の存在が信じられていただけです。

多くの観念的前提があって、今不満な自分の存在も、
後に納得するかもしれない自分の存在も信じられていました。

でも、事実は、ただそのような想念が湧いていただけでした。

後に「放てば手にみてり」というような言葉も聞こえてきました。

(これは道元さんの言葉(『正法眼蔵』(弁道話))だったんで
 すね。)

でも、「放てば手にみてり」の世界に沈潜することも
起こりませんでした。

と言っても、当時わいていた想念(解釈)と、
今わいている想念(解釈)に、優劣があるわけでもありません。

優劣は、時間幻想のなかでのみ有効な観念です。

定義や意味は、一瞬一瞬、無からわき起こっている。

あらゆる観念は、つねに両極を生み出し、
新たな分裂を生み出すことで現象しているわけです。

あらゆる定義や意味が、その瞬間その瞬間の
全観念構造体に寄与していることは間違いありません。

夢の劇の登場人物が一生かけて紡いできた想念は、
一つの楽器が奏でることができる音色の総体かもしれません。

たぶん、同時にすべての音色を奏でることはできないのでしょう。

あるいはそれでは聞こえないのかもしれない。

劇の中の意味は、劇の中の登場人物にしか演じることはできない。

またその登場人物は、その登場人物の音色しか出せない。

しかも、そうでありながら、その音色は他の登場人物なしには、
意味をもちえないのです。

と……こうやってすぐに観念の物語に入ってしまう。

ネイサン・ギルがこういう状態を説明している言葉がありました。

とっても身にしみます。

まず、状況説明的対話から入りましょう。

なんとなく女性の質問者でしょうか。

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 Q.自分の本質を認識してもまったく何のメリットもないという
 のは、ちょっと道理に合わないような気がします。
 
 A.ええ、「メリット」がありえるとしたら、それは同一化して
 いる登場人物の観点から見ているときだけです。
 
 Q.ということは、それもまた今この瞬間にこの部屋で起こって
 いる劇の一場面にすぎないということを見ればいいわけですね。
 
 A.はい。
 でも登場人物がそれを見るんではありません。
 見られることはあっても、見ている人はいません。
 
 Q.それにはまったく何もメリットがないわけですか?
 
 A.ええ、メリットがあるというのはストーリーです。
 劇なんです。
 
 Q.探求者もいなければ、歩む道もない?
 
 A.ええ。
 それはただの見かけです。
 
 Q.心を躍らせることはもうないんですか?
 
 A.心を躍らせることはあるかもしれませんし、ないかもしれま
 せん。
 心を躍らせるという言葉が意味しているのは、たいていの場合は、
 未来に起こる出来事としてずっと投影され続ける目覚めや悟りに
 対する希望なんです。
 せき立てられるように集中的にいろいろなミーティングに行って
 みたり、新しい本を手に入れたり、輪廻からの解脱を目指したり
 します。
 
 『すでに目覚めている』(p218-219) 
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> Q.自分の本質を認識してもまったく何のメリットもないという
> のは、ちょっと道理に合わないような気がします。

これ、たとえ口には出さなかったとしても、
ほとんどすべての探求(経歴)者の思いじゃないでしょうか。

> A.ええ、「メリット」がありえるとしたら、それは同一化して
> いる登場人物の観点から見ているときだけです。

じつに誤解の余地のない正確かつ端的な説明です。

> Q.ということは、それもまた今この瞬間にこの部屋で起こって
> いる劇の一場面にすぎないということを見ればいいわけですね。

ちょっと未練がましいけど仕方がない……という感じ。

> A.はい。
> でも登場人物がそれを見るんではありません。

見るという「知」は、登場人物によって起こっているのではない。

> 見られることはあっても、見ている人はいません。

いつもここに戻される。

> Q.それにはまったく何もメリットがないわけですか?

質問者は未練を捨てきれません。(^_-)

> A.ええ、メリットがあるというのはストーリーです。
> 劇なんです。

【メリットがあるというのはストーリーです】。

> Q.探求者もいなければ、歩む道もない?

質問者は何度でも確認せざるをえません。

> A.ええ。
> それはただの見かけです。

親切にも、無慈悲です。

> Q.心を躍らせることはもうないんですか?

ぷ。(> <)

> A.心を躍らせることはあるかもしれませんし、ないかもしれま
> せん。

まったく、愛想のかけらもなし。

> 心を躍らせるという言葉が意味しているのは、たいていの場合は、
> 未来に起こる出来事としてずっと投影され続ける目覚めや悟りに
> 対する希望なんです。

これ、ただ的確なだけ、とも受け取れますが、
でも実際に受け取ることが必要ですね。

> せき立てられるように集中的にいろいろなミーティングに行って
> みたり、新しい本を手に入れたり、輪廻からの解脱を目指したり
> します。

……。(*-_-*)

まあ、ここまでが対話の状況説明です。

ここで質問者が溢れ出る思いの丈を述べるわけです。

まあ、口には出さねど、やつがれなども……。(^_-)

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 Q.それでも、ここでこうやって椅子に座っていると、この瞬間
 に起こっていることについての満たされない感じが生じてきます。
 人生を通して今までずっといろいろなものをつめ込まれてきまし
 た。
 期待とか、希望とか、道とか、探求とか、あらゆる種類の筋書き
 とか。
 でも実際には何もないわけです。
 そうすると、味気なさだけが残ります。
 そうですね、実際これはまったくの味気なさです。
 徹底的な惨めさと言ってもいいくらいです。
 あまりいいものじゃありません。
 
 A.あなたが味気なさと呼んでいるものは、じつはやすらぎと気
 安さです。
 それはいつでもずっとここにあったものですが、今はそこから探
 求、希望、前進、進歩といった「心を躍らせる」何かが抜けてい
 ます。
 登場人物との同一化が完全に崩れるということが起こっていると、
 最初は、ただあるということにくつろぐだけで十分だとは思えな
 いかもしれません。
 それから、その味気なさには、大海を航海するスリル満点の探検
 という冒険を失ったことを悲しんでいるという側面もあります。
 探求の対象となっているのはここにずっとある気楽さで、それ以
 外にはありえません。
 ところが、気楽さとしてくつろぐかわりに、気楽さを対象として
 探し求めるスリル満点の探求に没頭するということが起こります。
 
 登場人物としての同一化が崩れる際に、場合によっては「私」が
 完全には見抜かれないことがあって、そうすると「私」があると
 いう思い込みと一緒に不完全さの感覚、全体ではないという感覚
 が起こります。
 でも、全体性を探そうとする動きが起こると、すぐにその動きの
 本質は見抜かれます。
 全体性を探すなどということがありえないとわかって、「私」は
 また崩壊してしまうんです。
 このことは荒れ野にいる状態と呼ばれたりもしますが、まさにそ
 の考えにまた思考が焦点を合わせて、劇の中で待機の劇が起こり
 ます。
 「私は荒れ野にいるんです」というのは、探求のひとつの形態で
 す。
 
 『すでに目覚めている』(p218-219)
------------------------------------

うーむ。(-_-;)

> Q.それでも、ここでこうやって椅子に座っていると、この瞬間
> に起こっていることについての満たされない感じが生じてきます。
> 人生を通して今までずっといろいろなものをつめ込まれてきまし
> た。
> 期待とか、希望とか、道とか、探求とか、あらゆる種類の筋書き
> とか。
> でも実際には何もないわけです。
> そうすると、味気なさだけが残ります。
> そうですね、実際これはまったくの味気なさです。
> 徹底的な惨めさと言ってもいいくらいです。
> あまりいいものじゃありません。

ここでこれが言える方は女性かなぁ……。

男はこういう場面では格好をつけるから、なかなかこう正直には言
えないものです。

以下は、誰でもない方の言葉です。

> A.あなたが味気なさと呼んでいるものは、じつはやすらぎと気
> 安さです。

(@_@)

たしかに、そういうことだったんですね。(-_-;)

やりきれなさと思われているものも、じつはやすらぎと気安さ。

> それはいつでもずっとここにあったものですが、今はそこから探
> 求、希望、前進、進歩といった「心を躍らせる」何かが抜けてい
> ます。

たしかに、それは間違いない。

> 登場人物との同一化が完全に崩れるということが起こっていると、
> 最初は、ただあるということにくつろぐだけで十分だとは思えな
> いかもしれません。

そういうものかもしれません。

> それから、その味気なさには、大海を航海するスリル満点の探検
> という冒険を失ったことを悲しんでいるという側面もあります。

なるほど。

すべての物語を失うわけだもの。

> 探求の対象となっているのはここにずっとある気楽さで、それ以
> 外にはありえません。

そうか。(-_-)

> ところが、気楽さとしてくつろぐかわりに、気楽さを対象として
> 探し求めるスリル満点の探求に没頭するということが起こります。

わかります。

> 登場人物としての同一化が崩れる際に、場合によっては「私」が
> 完全には見抜かれないことがあって、そうすると「私」があると
> いう思い込みと一緒に不完全さの感覚、全体ではないという感覚
> が起こります。

わたしなどにはこのパターンの可能性もありかも……。

> でも、全体性を探そうとする動きが起こると、すぐにその動きの
> 本質は見抜かれます。

そうなんだよなぁ。

もう探求には、本気にはなれない。

> 全体性を探すなどということがありえないとわかって、「私」は
> また崩壊してしまうんです。

まったく。(/_;)

> このことは荒れ野にいる状態と呼ばれたりもしますが、まさにそ
> の考えにまた思考が焦点を合わせて、劇の中で待機の劇が起こり
> ます。

ああ、これだこれだ。(@_@)

> 「私は荒れ野にいるんです」というのは、探求のひとつの形態で
> す。

もう知らん。(> <)

まあ、これで整理はついたわけです。

「私は荒れ野にいるんです」かぁ。(*-_-*)

すべてはただ夢のなかの劇に対する未練ですよね。

執着すべきものなど何もないことをよく知っているのに。

全人生をかけてその劇の無意味さから逃げ惑ってきたのに……。

といっても、その無様をやっている自分がいるわけではない。

なにしろ……、

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------


(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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ただ、今回は同時には出せませんけど。

明日書きます。

夢のなかのお話です。

よろしくお願いします。<(_ _)>


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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Windows 7をWindows10にバージョンアップしてから、
コンピュータが立ち上がらないことが何度もありました。

とても心配なことなんだけど、
いまいち本当には心配しない。

仕方がないという感じです。

夢の物語の登場人物にできることは何もない、
というのが一番の救いです。

今日はずいぶん暗くなりました。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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