home > 通信 >『アセンション館通信』(第618号):生の感覚と第七感(あるいは理解不能)



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/02/14(第618号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

今この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こってい
る。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在842名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.生の感覚と第七感(あるいは理解不能)

2.編集後記

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■ 1.生の感覚と第七感(あるいは理解不能)
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わたしもご多分に漏れず、解放されることを望んできました。

楽になりたかったです。

でも、楽になることなんてできません。

楽になりたいなら、
せっせと金儲けに精を出したほうがいいかもしれない。

もし、あなたが望んでそんなことが可能なら。(^_-)

金儲けに精を出して、
楽になれるかどうかも保証のかぎりではないですけど。

不幸にしろ、幸福にしろ、
望んでそんなものを得られる登場人物がいるわけじゃないですから。

あなたにできることなんて何もないんですから。

もとへ、元々解放されることを望んできたわたし、
なんて者が存在するわけじゃないんだから。(^_-)

強いて言うならわたしとは、解放されることを望んでいる
分離の夢(登場人物)を紡ぐための存在の窓でとでも言うか。

と、こういうことを言ってはきたんだけど……。(-_-)

まいっか、実際は何も起こっていないんだ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

わいてくる想念は、注目するかぎり元気になります。

想念が注目のエネルギーを得て舞い上がると、
わたしのようなタイプの夢は、たいてい不安になります。

内臓緊張型に分類されるタイプなのでしょう。

多分分離の夢とは、分離を前提とした解釈を発明し、その解釈に
またエネルギーを注ぐことによって成り立っているのでは。

陰謀論的語彙で言うなら、マッチポンプ、
より庶民的な営業タイプで言うなら、自転車操業です。

でもこの自転車操業、やっている人間にはやめられない。

倒れないためにやるのが自転車操業ですから。(*^_^*)

登場人物としては、疲れきって倒れるまで、やるしかない。

そんなことを選択できる者がいるとしての話ですが。

わいてくる想念を自分の証明と見なすのは、
分離の夢の根底にある根本構造です。

この分離の夢を壊すために、
夢に見られた登場人物にできることなど何もありません。

夢見られている見かけ上の存在が、
何かできることがあると思うのが分離の夢ですから。

とはいえ、これはエンドレスに切ない。(;_;)

どこからともなく【価値観】という想念がわいてきます。

もしも自分になんらかの【価値観】がまだ残っているのなら、
もう木っ端微塵に粉砕したい、といったような気分です。

まあ、【無価値観】が極まっていないだけかもしれませんが。

もう、本当に、言葉じゃどうしようもないのに、
本屋の息子の性で、まだ言葉でなんとかしようとする。(^_-)

でもね、本を開いたら、ちゃんと出てきましたよ。

答えているのはトニー・パーソンズです。

------------------------------------
 答えを求める別の非常に強力な要素は、無価値さの経験です。
 なぜなら、分離感覚は全体から拒否されているという感覚だから
 です。
 ですから、すぐに途方もない無価値感がわき起こり、もちろん、
 たいていの宗教、たいていの「主義」は、そういった無価値感に
 直接的に訴えかけます。
 ですから、それが探求のもう一つの強力な要素です。
 なぜなら、何かになる宗教や教えは、虚偽にもとづいている私た
 ちの夢状態の無価値感をどうやって克服するかを教えているから
 です。
 
 それはそれほど強力なメッセージです──
 「はい、私は無価値です。
  私は無価値に感じます。
  何かが間違っています。
  だから、何か間違ったことをやったのは私に違いありません。
  それを正す方法を私に教えてくれませんか?」
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p80-81)
------------------------------------

> 答えを求める別の非常に強力な要素は、無価値さの経験です。

はい。

> なぜなら、分離感覚は全体から拒否されているという感覚だから
> です。

なるほど。(-_-)

分離感覚は全体から拒否されているという感覚かぁ……。

> ですから、すぐに途方もない無価値感がわき起こり、もちろん、
> たいていの宗教、たいていの「主義」は、そういった無価値感に
> 直接的に訴えかけます。

ええ。

「こんな私でも、生きている価値があったんだ」とか。

> ですから、それが探求のもう一つの強力な要素です。

なるほど。

> なぜなら、何かになる宗教や教えは、虚偽にもとづいている私た
> ちの夢状態の無価値感をどうやって克服するかを教えているから
> です。

そういうわけですね。

> それはそれほど強力なメッセージです──
> 「はい、私は無価値です。
>  私は無価値に感じます。
>  何かが間違っています。
>  だから、何か間違ったことをやったのは私に違いありません。
>  それを正す方法を私に教えてくれませんか?」

そうか。(-_-)

> 「はい、私は無価値です。

正しい。

>  私は無価値に感じます。

それでいい。

>  何かが間違っています。

そのとおり。

>  だから、何か間違ったことをやったのは私に違いありません。

はは、それ違う。(^_-)

>  それを正す方法を私に教えてくれませんか?」

それは、メッチャクチャ。(*^_^*)

とはいえ、そのメッチャクチャをやっている人は誰もいない。

マハラジの言葉が反響します。

------------------------------------
 結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと
 確信するあなた自身の信念にかかっているのだ。
 なぜあなたの信念を疑わないのか?
 この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたも
 のだということは疑いないのだ。
 そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。
 
 『私は在る』(p218)
------------------------------------

> 結局、すべてはあなたが見、聞き、考え、感じることが現実だと
> 確信するあなた自身の信念にかかっているのだ。

はい。

> なぜあなたの信念を疑わないのか?

疑うべきはそっちか。

> この世界が意識のスクリーンの上に、あなたによって描かれたも
> のだということは疑いないのだ。

なるほど。

> そして、それは完全にあなたの個人的な世界だ。

はい。

それを誰が提供したのかは別として。

では、その現れている現象世界が何なのかについて、
トニー・パーソンズの表現も聞いてみましょう。

------------------------------------
 質問者 では、トニー、あなたがこれはすべて何もないと言うと
     き、これらの現れ、つまり壁や見かけの人物などのすべ
     ては、ただ幻想ということですか?
 
 幻想という言葉は誤解を生みやすいと思います。
 それは何でもないものが何かとして現れているのです。
 それは現実で同時に非現実です。
 それは何でもないものが壁として現れていて、それは現実に見え
 るすべての機能をもっているのです。
 これは何でもないものが肉体として現れているのです。
 ですから、解放の中ではあらゆるものは何かであり、同時に何で
 もないのです。
 ということで、あらゆるものは、あるがままに見られ、何のベー
 ルもありません。
 ベールとは他のあらゆるものもまた、もう一つの分離した何かに
 すぎないという思考のペールです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p83)
------------------------------------

> 質問者 では、トニー、あなたがこれはすべて何もないと言うと
>     き、これらの現れ、つまり壁や見かけの人物などのすべ
>     ては、ただ幻想ということですか?

この質問者の表現の意味は明らかですよね。

> 幻想という言葉は誤解を生みやすいと思います。

うん。

> それは何でもないものが何かとして現れているのです。

これがトニー・パーソンズという
登場人物の口を通して語られる表現です。

【何でもないものが何かとして現れている】

原著のタイトル『Nothing being everything』そのものです。

> それは現実で同時に非現実です。

はい。

> それは何でもないものが壁として現れていて、それは現実に見え
> るすべての機能をもっているのです。

たしかに。

> これは何でもないものが肉体として現れているのです。

はい。

> ですから、解放の中ではあらゆるものは何かであり、同時に何で
> もないのです。

うん。

> ということで、あらゆるものは、あるがままに見られ、何のベー
> ルもありません。

(-_-)?

> ベールとは他のあらゆるものもまた、もう一つの分離した何かに
> すぎないという思考のペールです。

ああ、ネイサン・ギルが「オーバー」に喩えた観念ですね。

「つまりこの「私」という思考はオーバーみたいなものなのに、
 それ以外のあらゆる思考は「私」の思考になってしまって、こ
 の偽りの主体の観点から解釈されることになります」
              (『すでに目覚めている』p55-56 )
と。

「解放の中ではあらゆるものは何かであり、同時に何でもない」

夢の中でも解放の中でも、あらゆるものは現れている。

------------------------------------
 質問者 あなたは常にあれやこれやの現れがあると言っているの
     ですか? で、その中でさえ‥‥
 
 いいえ、何もありません。
 常に何もありません。
 
 質問者 一つの現れもないのですか?
 
 現れがあり、同時にないのです。
 しかし、常に何もないのです。
 分離の夢がもたらすものは、時間と物語、前と後、そして他とは
 独立している何かが常にあるという確信への信仰です。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p84)
------------------------------------

> 質問者 あなたは常にあれやこれやの現れがあると言っているの
>     ですか? で、その中でさえ‥‥

存在とは、永遠にあれやこれやの現れがあるということなのか?

聞きたくなります。

> いいえ、何もありません。

え、何もないんですか?(@_@)

> 常に何もありません。

常に何もない!?(-_-;)

> 現れがあり、同時にないのです。

どういうこと?

> しかし、常に何もないのです。

うーむ。(-_-;)

> 分離の夢がもたらすものは、時間と物語、前と後、そして他とは
> 独立している何かが常にあるという確信への信仰です。

たしかに。(-_-)

------------------------------------
 質問者 では、たとえば熟睡中、それはそれ自体がもう一つの現
     象ではないでしょうか?
 
 あるものすべては、何でもないものがあらゆるものであることで、
 ですから、あらゆるものは何でもないものなのです。
 これは決して理解されることはありません。
 それは本質的に、まさにその本質によって、不可知なのです。
 
 熟睡は何もない存在です。
 現象は存在の中か、何もない中で起こりますが、どちらも同じこ
 とです。
 ですから熟睡中では、何でもないものが起こっているように見え
 るわけです。
 しかしながら、それも何でもなく、かつあらゆるもので、空っぽ
 で、かつ充実です。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p84)
------------------------------------

> 質問者 では、たとえば熟睡中、それはそれ自体がもう一つの現
>     象ではないでしょうか?

そんなことはともかく、熟睡から二度と再び醒めなければ、
もうそれでいいと思ってしまうんだけど……。

それもひとつの観念、今現在の存在の夢なんだなぁ。
 
> あるものすべては、何でもないものがあらゆるものであることで、
> ですから、あらゆるものは何でもないものなのです。

言葉の意味はわかりますよ。

> これは決して理解されることはありません。

アチャ!(>_<)

> それは本質的に、まさにその本質によって、不可知なのです。

思考に置き換えることはできない、と。

> 熟睡は何もない存在です。

はい。

> 現象は存在の中か、何もない中で起こりますが、どちらも同じこ
> とです。

「存在の中」と「何もない中」が同じということは、
「存在」は「何もない」と同じということですね。

> ですから熟睡中では、何でもないものが起こっているように見え
> るわけです。

ふーん。

> しかしながら、それも何でもなく、かつあらゆるもので、空っぽ
> で、かつ充実です。

要するに、理解不能ということだ。(*^_^*)

意味そのものを木っ端微塵にしているんだ。

意味は自意識の物語の中でわき起こるのだから。

------------------------------------
 質問者 自意識には何も悪いところはないと思います……
 
 はい、もちろん、存在の中には悪いことは何もありません。
 単一性の中にどうして悪いことがありうるでしょうか?
 
 質問者 なぜなら、花は咲き、人間は……
 
 花は自分を意識していません。
 私は今まで自分を意識している花に出会ったことがありません。
 しかし、自意識の物語の中でわき起るのは、正しいことと間違っ
 ていることがあるという考えです。
 私たちが分離する瞬間、私たちはそれが間違っていると思い、私
 たちは「間違っている」のです。
 私たちが分離する瞬間、見かけの二元論が起こります。
 「天国や完全性と呼ばれているどこか他の場所があるのだろうか?
  なぜ私は完全性の中にいないのだろうか?
  何かが間違っていて、もし何かが間違っているとすれば、その
  ときには何か正しいことがあるに違いない。
  だから、私は間違っていることを正すために、正しいことを探
  さなければならない。
  だから、私は仏教徒とか何かになることにしよう」。
 そういった考えがそこにある瞬間、そのときすべての善悪のドラ
 マが解き放たれるのです。
 あなたは原因と結果、正しいことと間違っていること、カルマと
 輪廻転生、時間、空間、分離、道をもちます。
 こういったすべてが、私は個人であり、ここよりよい場所がどこ
 かにあるという実に重要な考えを強化します。
 もしあなたがすべての宗教を見るならば、それらはここよりよい
 どこかの場所についてです。
 宗教はすべてこれがそれであることを否定しています。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p89-90)
------------------------------------

> 質問者 自意識には何も悪いところはないと思います……

ま、自意識を味わっている状態から見て、
それが素敵な状態とも見えないけれど。(^^;)

> はい、もちろん、存在の中には悪いことは何もありません。

ふむ。

> 単一性の中にどうして悪いことがありうるでしょうか?

なるほど。

> 質問者 なぜなら、花は咲き、人間は……

ふふ。

> 花は自分を意識していません。

そう、楽な現象形態。

> 私は今まで自分を意識している花に出会ったことがありません。

ええ。

> しかし、自意識の物語の中でわき起るのは、正しいことと間違っ
> ていることがあるという考えです。

はい。

> 私たちが分離する瞬間、私たちはそれが間違っていると思い、私
> たちは「間違っている」のです。

ああ、そういうことなんですね。(@_@)

> 私たちが分離する瞬間、見かけの二元論が起こります。

はい。

> 「天国や完全性と呼ばれているどこか他の場所があるのだろうか?
>  なぜ私は完全性の中にいないのだろうか?
>  何かが間違っていて、もし何かが間違っているとすれば、その
>  ときには何か正しいことがあるに違いない。

ですよね。

>  だから、私は間違っていることを正すために、正しいことを探
>  さなければならない。
>  だから、私は仏教徒とか何かになることにしよう」。

ふふ。

> そういった考えがそこにある瞬間、そのときすべての善悪のドラ
> マが解き放たれるのです。

わかります。

> あなたは原因と結果、正しいことと間違っていること、カルマと
> 輪廻転生、時間、空間、分離、道をもちます。

うん。

> こういったすべてが、私は個人であり、ここよりよい場所がどこ
> かにあるという実に重要な考えを強化します。

ああ、これが価値観なんだ。

> もしあなたがすべての宗教を見るならば、それらはここよりよい
> どこかの場所についてです。

大部分の宗教は……。

いや、全部かなぁ……。

> 宗教はすべてこれがそれであることを否定しています。

これがそれだ、という禅の最先端が宗教なのかどうか。

------------------------------------
 質問者 トニー、心はどうやってもそれを見ることができないの
     ですね。
 
 はい。
 心はそれを見ることができません。
 なぜなら、心は単に心の仕事をしている最中であり、心の機能と
 は分割し、前後に動くことです。
 それは動くだけなので、だから静寂を理解できないのです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p90)
------------------------------------

> 質問者 トニー、心はどうやってもそれを見ることができないの
>     ですね。

(-_-)

> はい。

……。

> 心はそれを見ることができません。

はい。

> なぜなら、心は単に心の仕事をしている最中であり、心の機能と
> は分割し、前後に動くことです。

わかります。

> それは動くだけなので、だから静寂を理解できないのです。

たしかに。

------------------------------------
 質問者 そのとき、どこかで見られたものの、ある種の記憶があ
     りますが、それが心ですか?
 
 境界がなく、不可知のそれを記憶しょうという試みです。
 言葉は決してそれを表現できません。
 心はただこれを概念化することができるだけです。
 
 質問者 それは心が介入するような感じ……
 
 心はどうしても静寂を知ることができません。
 なぜなら、静寂が動いているからです。
 
 質問者 まさに、はい……そういうことなんです(笑)。それは
     ただあまりに近すぎて、つまり、それはただここにある
     のです。
 
 ある意味で、それが近いことをあなたが考え始める瞬間、それが
 別の何かや、別のものであると考えることへ戻ってしまうのです。
 それはこれです。
 それは生の感覚です。
 そしてある意味でそれは、あなたが到達できる一番近いものです。
 生の感覚以外何もなく、それが存在です。
 それは非常に直接的なこれであり、他のどんなものからも認識さ
 れえないのです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p91)
------------------------------------

> 境界がなく、不可知のそれを記憶しょうという試みです。
> 言葉は決してそれを表現できません。

はい。

> 心はただこれを概念化することができるだけです。

わかります。(*-_-*)

> 質問者 それは心が介入するような感じ……
> 
> 心はどうしても静寂を知ることができません。
> なぜなら、静寂が動いているからです。

(@_@) ⌒★?

無理なわけだ。(-_-)

> 質問者 まさに、はい……そういうことなんです(笑)。それは
>     ただあまりに近すぎて、つまり、それはただここにある
>     のです。
> 
> ある意味で、それが近いことをあなたが考え始める瞬間、それが
> 別の何かや、別のものであると考えることへ戻ってしまうのです。

そうか。

> それはこれです。

⌒★?

ああ、ここで別のものを求めないのか……。

> それは生の感覚です。

これか……。

> そしてある意味でそれは、あなたが到達できる一番近いものです。

ふーむ。

> 生の感覚以外何もなく、それが存在です。

生の感覚……が……存在。

(-||-)

> それは非常に直接的なこれであり、他のどんなものからも認識さ
> れえないのです。

(-||-)

------------------------------------
 心は存在するすべてについて、あなたに語ることができます。
 そして、そこに座って、あなたにこんなことを言う人たちがいる
 ことでしょう。
 「あるものすべては存在です。
  誰もいません。
  あるものすべては今、起こっていることです」。
 ですから、それは概念化することができますが、実際にそれは完
 全に感じられるものです。
 それは実際に描写できないくらいに内部で生きられるのです。
 あなたはそれを描写できません。
 それは人を感服させるほど脈動し、生きています。
 
 質問者 生きている、そうなんです、生きているんです。なぜな
     ら、私は心が常に戻って来ることに非常に関心をもって
     いるからです。
 
 でも最後には、心もただ存在で、心の仕事をやっているだけだと
 いうことが理解されます。
 それは完全にくつろいでいます。
 それはただもう一つのものです。
 それは実際は第七感です。
 五感があり、感情の第六感があり、そして第七感が考えることで
 す。
 ですから、考えることは第七感です。
 それは敵ではありません。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p92-93)
------------------------------------

> 心は存在するすべてについて、あなたに語ることができます。

存在のいろんな表情を言葉として表現する。

> そして、そこに座って、あなたにこんなことを言う人たちがいる
> ことでしょう。

(-_-)?

> 「あるものすべては存在です。
>  誰もいません。
>  あるものすべては今、起こっていることです」。

ええ。

> ですから、それは概念化することができますが、実際にそれは完
> 全に感じられるものです。

感じることが起これば。

> それは実際に描写できないくらいに内部で生きられるのです。

内部で生きられることが起これば。

> あなたはそれを描写できません。

描写はできないのか。(-_-)

> それは人を感服させるほど脈動し、生きています。

ふーん。

> 質問者 生きている、そうなんです、生きているんです。なぜな
>     ら、私は心が常に戻って来ることに非常に関心をもって
>     いるからです。

体験の世界だなぁ。

> でも最後には、心もただ存在で、心の仕事をやっているだけだと
> いうことが理解されます。

最後には……、
心もただ存在であるだけ、そして心の仕事をやっているだけ。

間違っているものは何もない。

> それは完全にくつろいでいます。

最後には……。

> それはただもう一つのものです。

何でもないものが何かになっているだけ。

それも存在のひとつの風景。

> それは実際は第七感です。

第七感!? (@_@)

> 五感があり、感情の第六感があり、そして第七感が考えることで
> す。

そうか、考えることで、それ以外では体験できないことを
体験しているのか。(*^_^*)

ラメッシ・バルセカールの表現と違うところ。

> ですから、考えることは第七感です。

なんと、まあ……。

> それは敵ではありません。

いろんな観点といろんな言葉が存在の表情になっているだけか。

そして、すべてに何の意味もない。

------------------------------------
 質問者 では、心を取り去りましょう。心をわきにやりましょう。
 
 さて、誰が心をわきにやるんですか?
 夢見る人は心をわきにやることはできません。
 なぜなら、夢見る人が夢見ているからです。
 心は物語作家です……「私はワンネスを探し求めている夢見る人
 である」。
 心といったようなものはないのです。
 あるのはただ考えることだけです。
 一つの思考があり、また別の思考、それからまた別の思考がある
 とあなたは考えます。
 心などというものはないのです。
 しかし思考の一つが、「私は分離した一人の人間である」なので
 す。
 それから別の思考が、「私は『これよりよい」と呼ばれているど
 こかへ行くことができる」です。
 こうやって物語制作が起こるのです。
 
 解放の全ポイントは、物語とは何の関係もないということです。
 解放は物語にかかわらずシンプルにあるのです。
 解放が存在するすべてです。
 そして、その解放の中で物語の現れが起こります。
 それは「探求を超えたものを探し求める探求者の現れ」とでも言
 えるでしょう。
 ですから、何の関係もないのです。
 心は以前に起こったことと、今、表現されていることが関係ある
 と考えるのが好きなことは、私も知っています。
 しかし、以前に起こったことは解放とは何の関連もありません。
 あなたはワンネスに忍び寄ることはできません。
 あなたはあらゆることの近くに動くことはできません。
 ただあらゆることだけがあります。
 その間あなたは存在へ忍び寄ろうとしたり、近づこうとしたり、
 存在への道に沿って動こうとしたりしますが、存在の方向へ動こ
 うとしているあなたが、すなわち存在なのです。
 
 『何でもないものが あらゆるものである』(p42-43)
------------------------------------

> 質問者 では、心を取り去りましょう。心をわきにやりましょう。

はは、そんなことができるなら。

> さて、誰が心をわきにやるんですか?

まったく。

> 夢見る人は心をわきにやることはできません。

ですよね。

> なぜなら、夢見る人が夢見ているからです。

はい。

存在は夢見がち。(^_-)

> 心は物語作家です……「私はワンネスを探し求めている夢見る人
> である」。

まったく。

> 心といったようなものはないのです。

はい。

> あるのはただ考えることだけです。

わかります。

> 一つの思考があり、また別の思考、それからまた別の思考がある
> とあなたは考えます。

はい。

> 心などというものはないのです。

はい。

> しかし思考の一つが、「私は分離した一人の人間である」なので
> す。

そうか。

> それから別の思考が、「私は『これよりよい」と呼ばれているど
> こかへ行くことができる」です。

はは。

> こうやって物語制作が起こるのです。

わかりました。

> 解放の全ポイントは、物語とは何の関係もないということです。

おお……。

(-||-)

> 解放は物語にかかわらずシンプルにあるのです。

そうなんですね。

たとえ、わたしがどれほど惨めな物語に熱中していても。

> 解放が存在するすべてです。

はい。

> そして、その解放の中で物語の現れが起こります。

わかりました。

> それは「探求を超えたものを探し求める探求者の現れ」とでも言
> えるでしょう。

なるほど。

> ですから、何の関係もないのです。

わかりました。

> 心は以前に起こったことと、今、表現されていることが関係ある
> と考えるのが好きなことは、私も知っています。

はい、たしかに。

> しかし、以前に起こったことは解放とは何の関連もありません。

はい。

それも解放の上で起こっているひとつの物語。

> あなたはワンネスに忍び寄ることはできません。

物語の中から物語の外に脱出できる者がいるわけではない。

> あなたはあらゆることの近くに動くことはできません。

あなたは存在が夢見た存在の現れ。

> ただあらゆることだけがあります。

すべては何でもないものがあらゆるものになっている存在の姿。

> その間あなたは存在へ忍び寄ろうとしたり、近づこうとしたり、
> 存在への道に沿って動こうとしたりしますが、存在の方向へ動こ
> うとしているあなたが、すなわち存在なのです。

解放を求めているあなたが、すなわち解放なのです。

物語は解放の上で起こっていて、
開放されるべき実体が夢の中に存在するわけではない。

物語は解放とは何の関係もありません。

存在するのは存在だけ、存在するのは解放だけ。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

はい。

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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今日は、ずいぶん暖かな日でした。

五月並みの陽気とか。

いまもこうして、コンピュータが動いてくれています。

ありがたいことです。(-||-)

暖かい曇り空の下で、今日も意味もなく長々と書きました。

これを書いたというのかどうか。(*^_^*)

お休みなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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