━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/02/21(第619号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
何でもないものが、あらゆるものになってみている。
今この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こってい
る。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在838名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.本棚に放置されていたとしても
2.いただいたお手紙から:JOJOさん
3.編集後記
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■ 1.本棚に放置されていたとしても
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雨ですね。
雨もいいです。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
スピリチュアル用語に、
「シフト(shift)」という言葉があります。
いろんな意味合いで使われるのでしょうが、
雰囲気的な用法を除けば、その意味合いは明らかです。
劇の中の登場人物から、その劇に気づいている<意識>の側に
移ることを指すのでしょう。
何が? (?_?)
まあ、自覚がです。(*^_^*)
で、シフトしていようがいまいが、
その劇に気づいているということは、つねにあります。
気づいているということは常在(=実在)の実体ですから、
気づきがないということはありません。
唯一の実在<意識>を気づきと気づきの内容の意味で使うなら、
気づきが存在しないということはありえないわけです。
「私は存在しない」と言える登場人物がありえないのは、
そのためでしょう。
ただ、夢見のない熟睡という状態があることからすると、
気づきの内容がないということはあるのでしょう。
気づきの内容がなければ、
働きとしての気づきは起こらないことになります。
つまり、無が存在する。
といっても、何も存在していないのではない。
潜在可能性としての気づきは存在している。
気づきが潜在可能性としてしか存在していないわけです。
これもよくある喩えですが、
気づきの内容は意識の湖の表面の波立ちのように存在している。
意識の湖は気づきで満たされています。
ただし、意識の湖の表面の波立ちがなければ、
気づくべき内容がないのでただ存在の自覚があるだけです。
ニサルガダッタはこれを絶対状態と言っています。
ラメッシ・バルセカールはこれを、
そんなものはないということです、と言っていたようです。
つまり、存在の自覚と言っても、
気づきの内容として気づかれるようなものではない。
熟睡の後で目覚めたとき、
熟睡中に自分が存在していないと思わないようなものです。
存在していないことを心配しない。
存在しなかったかもしれないことも心配しないし、
存在しなくなるかもしれないことも心配しない。
そういうのはすべて観念上の作り話で、
気づきの内容の一場面であることが自明だからです。
心配は、もっぱら劇の中の登場人物にしか起こりません。
でも劇の中の登場人物も、
自分が存在しなかったかもしれないことは心配しない。
よほどユニークな精神病患者でもなければ、
そんな暇つぶしの心配などしないものです。
つまりそういう劇のストーリーはないわけです。
でも、存在しなくなるかもしれないことは心配するかもしれない。
しかしこれは、実際は心配するレベルの話ではありません。
劇の中の登場人物がいつか消えるのは百パーセントの確率です。
百人が百人、
間違いなくこの劇の中から消えてしまうわけですから。
いまだかつて、
いつまでも消えない劇の中の登場人物がいたためしはない。
どんなに心配しても、
いつかは必ずこの肉体は崩壊してしまうことになる。
だから、劇の中の登場人物が、
いつかこの劇の中から姿を消すことは百パーセント確実です。
しかも、それがいつになるのかは、
原則的には、劇の中の登場人物にはわかりません。
だから本当は、これも心配するには当たらないわけです。
でも、心配すべきだから、心配しているわけでもないでしょう。
劇の中では、心配だから心配しているわけです。
ただ、そうなっているとしか言いようはありません。
では、その心配は劇の中でどのように起こるのか?
自分が頑張れば少しは自分の都合に合わせて事態を改善できる、
そんなふうに思われるという形で起こるわけです。
つまり、現象世界という全体の中に、
自由意志をもつ独立した自分という実体がいるように思える。
これが「聖なる催眠」とか「分離の夢」と言われるものです。
まあ、そういう夢を見ているわけです。
誰が? (?_?)
意識がです。(*^_^*)
意識がいろんな視点(夢の登場人物)になって、
この夢を見ている。
夢の登場人物によっては、こんな話をいちど聞いたら、
それでもう疑いが残らない……そんなタイプもいたかもしれない。
あまりにも、それが当前だから。
でも、それじゃ、あんまり当前すぎて面白くない、
というのでもっとこんぐらかったタイプもでてくる。
それで、たとえば、劇の中でこんな話を十年も書きつづけて、
しかもまだ一向に腰が定まらない登場人物もいるわけです。(^_-)
でも、心配するのは、ほんとに理屈に合わないんですよね。
それに、どんなに夢の劇に溺れても、
それで劇の中の状況を改善できるわけではないんです。
でも夢のなかではそうは思えない。
頑張れば少しは何とかなるのかという気がする。
そうなっているわけです。
それが「分離の夢」、「聖なる催眠」ですから。
夢の劇の状況に溺れるということが、
劇の中で何かをできると思う登場人物であることなのです。
劇の中の登場人物にどんな自由もありません。
それは漫画に書かれた絵と吹き出しの台詞のように決まっている。
劇の中の登場人物はそれに合わせてしか動けない。
ただ、その漫画を読んでいる者はどうか?
もちろん、入れ込んでいれば、夢中になれます。
でも、その漫画が作り話であることが透けてきて、
夢中になるエネルギーが途切れてくることはあるかもしれない。
何ひとつ、本当だとは思えなくなることは、
ありうるかもしれない。
ネイサン・ギルのこんな説明が、
本当にそのとおりだと、思えてくることがあるかもしれない。
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Q.思考はどこから生じるんですか?
A.それはまったくの謎です。
生じる内容のすべてについて言えることですが。
思考は内容の一部として気づきの中にただ現れます。
Q.当然ながらここで問題なのは、マインドがそういう思考をひと
まとめにして時間の流れにそって並べて、勝手なストーリーを
ひねり出すということですよね? そういうことじゃありませ
んか?
A.マインドは存在していないんです。
思考の連続がマインドと呼ばれているだけであって、思考をど
うこうしたりストーリーをひねり出したりできるマインドとい
う存在があるわけではないんです。
連続しているように見える思考は、それ自体がすでにストーリ
ーです。
Q.つまり思考がストーリーを編み出しているというわけですか?
反対に。
A.思考は実際のところ何もしていません。
思考は単なるイメージで、連続して現れるせいでストーリーに
なっているように見えるだけです。
Q.そして思考がどこから来るのかはわからず、それは完全な謎だ
と。
A.そうです。
Q.じゃあ何をしょうが無駄だっていうことですね!
でも、誰が思考をつなぎ合わせているというわけですか?
A.「私」という思考が既成事実になってしまうと、生じる思考の
連続が、実体と継続性のある「マインド」という名前のひとつ
の存在をかたちづくつているように思えてきます。
プロペラみたいなものです。
止まっていると、2本か3本の羽根に見えます。
でも回転しだすと──連続する思考の見かけと同じです──、
ひとつの存在のように見えるんです。
Q.ストーリーですね。
A.そうです。
それが「マインド」と呼ばれるものの正体で、本当はマインド
というものは存在していません。
生じる思考が連続しているように見えているだけです。
思考の中でかたちづくられるストーリーには、ずらずらと並ぶ
言葉の連なりが生み出す小説のストーリーとまったく変わらな
い程度の現実性しかありません。
小説に夢中になることもあるでしょうが、それは小説を手にと
って読んだときだけです。
本棚に放置されていたとしても別におかしくないわけです。
『すでに目覚めている』(p40-42)
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> Q.思考はどこから生じるんですか?
いつもちゃんと湧いてきますよね。
> A.それはまったくの謎です。
やっぱり。
> 生じる内容のすべてについて言えることですが。
【これ】は完璧な神秘なんですね。
> 思考は内容の一部として気づきの中にただ現れます。
ええ、それはよくわかります。
> Q.当然ながらここで問題なのは、マインドがそういう思考をひと
> まとめにして時間の流れにそって並べて、勝手なストーリーを
> ひねり出すということですよね? そういうことじゃありませ
> んか?
うん。
> A.マインドは存在していないんです。
はい。
> 思考の連続がマインドと呼ばれているだけであって、思考をど
> うこうしたりストーリーをひねり出したりできるマインドとい
> う存在があるわけではないんです。
了解です。
> 連続しているように見える思考は、それ自体がすでにストーリ
> ーです。
はい。
> Q.つまり思考がストーリーを編み出しているというわけですか?
> 反対に。
ちょっと擬人化がすぎるかも。
思考という独立人格があるわけじゃないので。
> A.思考は実際のところ何もしていません。
はい。
> 思考は単なるイメージで、連続して現れるせいでストーリーに
> なっているように見えるだけです。
映画なら音声部分ですね。
> Q.そして思考がどこから来るのかはわからず、それは完全な謎だ
> と。
>
> A.そうです。
はい。
> Q.じゃあ何をしょうが無駄だっていうことですね!
もし、それが納得できるのなら。
> でも、誰が思考をつなぎ合わせているというわけですか?
誰もいないんじゃないでしょうか。
> A.「私」という思考が既成事実になってしまうと、生じる思考の
> 連続が、実体と継続性のある「マインド」という名前のひとつ
> の存在をかたちづくつているように思えてきます。
はい。
> プロペラみたいなものです。
(-_-)?
> 止まっていると、2本か3本の羽根に見えます。
はい。
> でも回転しだすと──連続する思考の見かけと同じです──、
> ひとつの存在のように見えるんです。
わかりました。
> Q.ストーリーですね。
>
> A.そうです。
> それが「マインド」と呼ばれるものの正体で、本当はマインド
> というものは存在していません。
一瞬一瞬に現れている思考にすぎない、と。
> 生じる思考が連続しているように見えているだけです。
はい。
> 思考の中でかたちづくられるストーリーには、ずらずらと並ぶ
> 言葉の連なりが生み出す小説のストーリーとまったく変わらな
> い程度の現実性しかありません。
だんだん、そんな気がしてきちゃいました。(*^_^*)
> 小説に夢中になることもあるでしょうが、それは小説を手にと
> って読んだときだけです。
ええ。(@_@)
> 本棚に放置されていたとしても別におかしくないわけです。
ああ……。(*_*) ⌒★?
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Q.催眠状態が生じるか生じないかについても、まったくコントロ
ールできないと言ってもいいですか? ただ起こることなので
しょうか?
A.そうですね、ええ。
Q.それから、見かけの上でものごとが展開することに対しても、
何もコントロールはできない。
A.ええ。
単に展開しているだけです。
Q.では、私はこういうことをするつもりですとか、するつもりは
ありませんとか言ったりするのは……
A.それは思考のストーリーです。
と言っても、「あなた」の思考のストーリーだというわけでは
ありません。
今この瞬間に現れたり起こったりしている思考のストーリーだ
というだけです。
Q.つまり私たちにできるのは、すべてを起こるままにしておくこ
とだけなんですね。
A.起こることを「あなた」がそのままにするわけではありません。
すでに起こっているんです。
もしかしたら「私」の土台が崩されることがあるかもしれませ
んし、ないかもしれません。
Q.こういうことは全部何度も何度も何度も聞いているんですが、
それでもまだ何かをするということが起こります。そういうの
は間違っている気がします。
A.それはすべて思考のストーリーです。
この劇の中では、何度も何度も聞かなければいけないという考
えが出てくるかもしれません。
それがこういうトークの性質です。
自分の本質を思い出すということ、はじめから目覚めだけ──
一体性だけがあるんだというのを思い出すということが繰り返
しただ起こるんです。
『すでに目覚めている』(p42-44)
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> Q.催眠状態が生じるか生じないかについても、まったくコントロ
> ールできないと言ってもいいですか? ただ起こることなので
> しょうか?
そういうことになりますよね。
> A.そうですね、ええ。
ええ。
> Q.それから、見かけの上でものごとが展開することに対しても、
> 何もコントロールはできない。
それを納得したいですよね。
劇の中の登場人物としては。
> A.ええ。
> 単に展開しているだけです。
はい。
> Q.では、私はこういうことをするつもりですとか、するつもりは
> ありませんとか言ったりするのは……
ふ。^^;
> A.それは思考のストーリーです。
はい。
> と言っても、「あなた」の思考のストーリーだというわけでは
> ありません。
わかります。
> 今この瞬間に現れたり起こったりしている思考のストーリーだ
> というだけです。
はい、そういう意味ですよね。
> Q.つまり私たちにできるのは、すべてを起こるままにしておくこ
> とだけなんですね。
「起こるままにしておく」「私たち」がいるわけではなく、
「起こるまま」が「私たち」。
> A.起こることを「あなた」がそのままにするわけではありません。
ええ。
> すでに起こっているんです。
はい……。
> もしかしたら「私」の土台が崩されることがあるかもしれませ
> んし、ないかもしれません。
そういうことかぁ。
> Q.こういうことは全部何度も何度も何度も聞いているんですが、
> それでもまだ何かをするということが起こります。
まったく、おっしゃるとおりです。(-_-)
> そういうのは間違っている気がします。
ははは。(^^;)
> A.それはすべて思考のストーリーです。
そういうことですね。
> この劇の中では、何度も何度も聞かなければいけないという考
> えが出てくるかもしれません。
なるほど。
> それがこういうトークの性質です。
はい。
> 自分の本質を思い出すということ、はじめから目覚めだけ──
> 一体性だけがあるんだというのを思い出すということが繰り返
> しただ起こるんです。
わかりました。
ありがとうございました。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
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■ 2.いただいたお手紙から:JOJOさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
今回JOJOさんという方から、初めてメールをいただきました。
ただしこのメルマガにではありません。^^;;
じつは、前にもご紹介した、もうひとつのメルマガ
──【日本型ベーシック・インカム】実現への超具体論
「国民生活通貨(絆通貨)」創設案──
にいただいたのです。
(夢の劇の中でストーリーのままに
いろいろ小突き回されています。
小突き回されるわたしがいるわけじゃないけど。(*^_^*) )
まだ、向こうにはお手紙コーナーがないものですから、
宣伝も兼ねて、ここでご紹介させていただきます。
【件名】: Re: 資本主義が役割を終えたらしい兆候
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発行者さまへ
はじめまして。JOJOと申します。
アセンション館通信を長く読ませていただいてる中で、
こちらのメルマガも購読させていただいてます。
今回のメッセージは、とても感動しました。
特に以下の部分です。
家族の中に生まれてきた赤ん坊が
生存できるのは、
けっして彼または彼女が
お金を持って生まれてきたからではなく、
家族全員の喜びと未来を担って
生まれてきたからに他ならないからだ。
あらゆる社会において、
メンバーはつねに交代していく。
しかし、
同時代を生きる者たちが
その知恵と技術と生きる歓びを共有しながら
生きていくことに変わりはないのだ。
「国民生活通貨(絆通貨)」とは、
この当たり前の人間社会における
メンバー間の「絆」を形にしたものだ。
絆通貨のコンセプト、ここに要約されているように感じました。
引き続き、期待してメルマガ購読させていただきます。
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JOJOさま、ここでご紹介させていただきました。
ありがとうございました。m(_ _)m
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『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 3.編集後記:
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今夜は、雨風が強くなりましたね。
長い時間文章を書いていると、
頭がボーッとして、首が痛くなるようになりました。
まあ、歳ということでしょうか。
生きている間は、いろいろありますね。
少しずつ、何もしないで、
ただ放っておけるようになるのでしょうか。
といっても、自分がそうできるようになるという意味ではなくて、
そういうストーリーになっているのか、という意味ですが。
まあ、わかりません。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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→ メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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