home > 通信 >『アセンション館通信』(第620号):これが神、実在の内在的な現れ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/02/28(第620号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

今この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こってい
る。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在838名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.これが神、実在の内在的な現れ

2.いただいたお手紙から:しゅうさん(「地震の巻」のこと)

3.編集後記
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■ 1.これが神、実在の内在的な現れ
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今日も晴天ですね。

まだまだ寒いですが、今は温かさに向かっています。

ふふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

いつも読んでくださっている方なら見当がつくと思いますが、
もうあまり書くエネルギーはないのです。

そんなふうに感じられています。

純真な意味の探求エネルギーは尽きているのでしょうね。

“純真な意味の探求エネルギー”とは何かといえば、
“自分が探求している”と思っているエネルギーということです。

起こってくるすべての思考が景色として見られているという、
ネイサン・ギルほどの明晰性はありません。

ですが、何かを知りたいという熱烈な思いもありません。

そういうことはすべてただ起こっているにすぎない、
ということが、ごく日常的な感覚になってしまったようです。

昔は、絶対的な真理というものがあると思っていたし、
自分がそれを求めているのだとも思っていました。

事実、
そんな絶対的真理と言えるような状態もあるのかもしれません。

ですが、もしそれが経験できるものなら、
それもまたひとつの風景であることも間違いありません。

「ホレイショー、天と地の間にはお前の哲学では思いも寄らない出
 来事がたくさんあるのだ」(一幕五場)

というハムレットの台詞の真実は信じられます。

なので、これまで自分が触れたことのある思考が、
真相をついているなどと主張するつもりもありません。

でも、どんな思考も、どんな理解も、
それもまたひとつの風景にすぎないことは明らかです。

そして似たような風景は掃いて捨てるほどあるでしょうが、
まったく同じ風景が存在しないことも明らかでしょう。

というわけで、
いつも最後に引用しているマハラジの言葉、

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421) 
------------------------------------

が指摘している事実は不動のものとして揺るぎません。

思考はつねに現れの一部として、
変化する風景の意味や解釈や説明としてわいてきます。

若いころ、

      <何故にすべては始まってしまったのか?>

という問に捕まったということは、何度も触れたことがあります。

でも、起こることに「なぜ」はありえないことが、
納得されたのです。

あらゆる説明は観念的なものであり、
それは“天気予報”のようなものでもあるからです。

今日比較的温かいのは、
南からの温かい風が吹いているからだ、というような。

マハラジはあるところでで、

------------------------------------
 在ることのなかに平和を探すことが、
 成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、
 在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。
 
 『私は在る』(p435)
------------------------------------

と言っています。

> 在ることのなかに平和を探すことが、
> 成ることの本性そのものであるように、

いまわれわれには、「劇」に小突き回されるのに心底疲れて、
何とかそこから“脱出”したいという風景が展開している。

> 成ることのなかに冒険を見いだすことが、
> 在ることの本性そのものなのだ。

ところがそれと同じほどに、非顕現なかで寛いでいる者は、
顕現の劇の中で夢中になりたがっているのかもしれない。

> この在ることと成ることの交替は不可避だ。

しかも、マハラジはこの「在ること」と「成ること」の交替は
不可避だと言う。

そして、

> だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。

と。

マハラジの「私」が、在ることと成ることの不可避の交替に
突き動かされているわれわれと同じ実体であるのは明白です。

顕現と非顕現以外には何もありえないので。

では、突き動かされているわれわれと、
その彼方に住処があるマハラジの「私」は何が違うのか?

実体は同じです。

おそらく、その自覚だけが違うのでしょう。

われわれは、湧いてくる思考に自分の根拠を求める。

そうして劇の中に入り、登場人物として欲望し、そうふるまう。

そうするなかで、自分のふるまいが
顕現の中に変化を起動できるという思い込みに入る。

現れのなかに自分の根拠があるから、
いつでも必ず現れに振り回される(と幻想する)ことになる。

ところが、現象も(その解釈・意味である)思考も、
その変化をやめることはない。

永遠に繰り出される変化のなかで、
自分という有限の資源は疲弊せざるをえない(と幻想する)。

そして、この悪夢から目覚めたいと思う。

こういう劇が、
ネイサン・ギルのいう自動操縦で展開するわけです。

マハラジは、
------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

と表現します。

あなたは永遠に在る。

現れの中での苦しんでいるあなたは、
観念で作られた牢獄のなかで苦しんでいるにすぎない。

現れに何も期待しないことだ、というようなことでしょうか。

ネイサン・ギルは、こう表現します。

------------------------------------
 思考のストーリーの中では、意味を探し求めたり、すべてから抜
 け出せる方法を探したりということが起こります。
 ですが、それは今この瞬間に現れているただのストーリーで、思
 考の中にしか存在していない過去や未来に出かけていただけだっ
 たということに気づくと、一体性を求める旅から深刻さが抜け落
 ちます。
 起こっているのは、いま現れている気づきの内容にただ気づくと
 いうことだけです。
 起こっているのは本当にこれだけです。
 これはすでに実在であって、すでに一体性なんです。
 
 催眠状態、思考のストーリーとの同一化は起こっていますが、催
 眠にかかっている人はどこにもいません。
 「私」はただの見かけで、起こっていることの一部です。
 すべてはまったく勝手にひとりでに起こっています。
 「あなた」がしていることは何もありません。
 このメッセージは、一体性を実現するための処方箋ではありませ
 ん。
 一体性を言い表しているだけです
 
 『すでに目覚めている』(p36)
------------------------------------

> 起こっているのは、いま現れている気づきの内容にただ気づくと
> いうことだけです。
> 起こっているのは本当にこれだけです。
> これはすでに実在であって、すでに一体性なんです。

こうして現に起こっているこれが、
すでに実在であって、すでに一体性なんだ、というわけです。

古来「神」という言葉で指し示されてきたのは、
こうして現に起こっているこれなのだ、と。

ネイサン・ギルの言葉にたとえば、こんなのがあります。

------------------------------------
 A.……、思考が何かを理解するというのはありえないことです。
   思考は単なるイメージで、何のカもありません。
   セリフの吹き出しなんです。
 
 Q.思考はどこから生じるんですか?
 
 A.それはまったくの謎です。
   生じる内容のすべてについて言えることですが。
   思考は内容の一部として気づきの中にただ現れます。
 
 『すでに目覚めている』(p40)
------------------------------------

>   思考が何かを理解するというのはありえないことです。

こういう言葉に何かを感じるかどうかというようなことを、
選択できる個人がいると思いますか?

こんな言葉には出会わない個人、出会っても何も感じない個人、
この言葉に何かを感じる個人……。

そういういろいろな個人がいるのでしょうか?

こういうことを客観的に証明できる手段があると思いますか?

現に今起こっていることが<永遠>なんだと思います。

つまり、いつか何かが証明されて、顕現そのものが消滅する、
というふうにはなっていない、ということです。

すべてがまったくの不可思議で、
すべてはただあるようにあるだけなのです。

>   思考は単なるイメージで、何のカもありません。

思考が何かを追求できるような主体ではなく、
単なる意味内実の表現媒体にすぎないことは明らかです。

>   セリフの吹き出しなんです。

漫画に絵だけでなく、セリフもついていると、
物語が現れるということです。
 
> Q.思考はどこから生じるんですか?

(-_-)?

> A.それはまったくの謎です。

うん。

>   生じる内容のすべてについて言えることですが。

はい。

>   思考は内容の一部として気づきの中にただ現れます。

了解です。

どんな構造説明も、
劇を説明するための天気予報としてはありうるでしょう。

でも、結局、
なぜ今日が晴れであるのかを解説できる存在がいるわけがない。

ところが、そんな解説がなくても、
わたしが今、存在していることは間違いない。

そして、その存在の一部として、
気づきの内容が起こっているのも間違いないわけです。

それをわたしは、誰にも保証してもらう必要がない。

私は在る。

そしてそのことを自分で知っている。

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 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、
 自己の真の本性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、
 幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが智慧なのだ。
 
 『私は在る』(p523)
------------------------------------

> あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
> あなたに言おう。
> これが幸福の秘密なのだ。

このこと以外は、すべて道楽、遊び、劇なのです。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------


(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 2.いただいたお手紙から:しゅうさん(「地震の巻」のこと)
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


      ………○…………○…………○………


今回しゅうさんから、メールをいただきました。

しゅうさんがどなたであるかは、
ご自身で説明してくださっています。(^^;)

では、早速ご紹介します。

【件名】: 10数年ぶりにメールしました
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 pariさんお久しぶりです。といっても、もうお忘れでしょうが、
 以前、釈迦に説法で「田舎の学問より京の昼寝」の話をした者で
 す。今回メールをしたきっかけは、pariさんに是非解説していた
 だきたい、とふと思ったことがあったからです。多分、誰かの差
 し金でしょう(笑)
 
 何の解説かと言うと、神の胸=歓喜、神の頭=歓喜を永続させる
 ための愛と膨大な体験知(叡智=不完全の経験群)、に関してで
 す。
 
 神の子宮=私は在る=ヴォイド=エンソフの海=常に全てがゼロ
 クリアーされている万物の根源、に関する解説はもう十分された
 のではないでしょうか?
 
 つきましては、日月神示の「じしんの巻」を参照ください。
 http://hifumi.uresi.org/17.html
 
 気が向いた時で結構ですので、解説よろしくお願いいたします。 
------------------------------------

しゅうさん、ご投稿ありがとうございました。

> pariさんお久しぶりです。

お久しぶりです。(^^)/

> といっても、もうお忘れでしょうが、

たしかに。(*^_^*)

> 以前、釈迦に説法で「田舎の学問より京の昼寝」の話をした者で
> す。

ああ、わかりました。

“釈迦に説法”はなしとして、そんなことがあったような。

> 今回メールをしたきっかけは、pariさんに是非解説していた
> だきたい、とふと思ったことがあったからです。

いったいどんなことでしょう?(?_?)

> 多分、誰かの差し金でしょう(笑)

さあて……。

> 何の解説かと言うと、神の胸=歓喜、神の頭=歓喜を永続させる
> ための愛と膨大な体験知(叡智=不完全の経験群)、に関してで
> す。

おお、そういうお話ですか。

> 神の子宮=私は在る=ヴォイド=エンソフの海=常に全てがゼロ
> クリアーされている万物の根源、に関する解説はもう十分された
> のではないでしょうか?

そうなんですね。

> つきましては、日月神示の「じしんの巻」を参照ください。
> http://hifumi.uresi.org/17.html

ああ、これは大変な情報量ですね。

> 気が向いた時で結構ですので、解説よろしくお願いいたします。 

解説などということはできるわけもありませんが。

ただ、こういう情報を見せられると、こんな感想がわきます、
というようなことは、申し上げられるかもしれません。

「ひふみ神示」は、スペースプレゼンツ発行の『○一二三』と、
コスモテンパブリケーションの『ひふみ神示』を持っていました。

昔、声を出して読んでいたのは『○一二三』のほうでした。

それには「地震の巻」は、岡本天明氏が筆写された19枚の
色紙の絵のような写真しか掲載されていませんでした。

それで、現在はこうしてどなたかが解読なさったのかな、
と思って、手持ちの『ひふみ神示』の方を確認してみました。

すると、『ひふみ神示』の方には、
ちゃんと文字がありました。(*^_^*)

> 多分、誰かの差し金でしょう(笑)

とおっしゃるのは、お前、読んでおらんぞ、
と、どなたかがおっしゃったのかもしれません。

まあ、それはそれとして……ですが。

http://hifumi.uresi.org/17.html
ここ↑に書かれているようなことは、
事実としてはそのとおり、たぶん、あるのだろうと思います。

それを知悉している波動帯にとってはそれは自明のことで、
誰に証明してもらう必要もないような当然のことでしょう。

でもそれは、われわれのような地上人というか
別の波動帯にいる者にはわかりようのないことです。

つまり、われわれ地上人が何の気もなく、
蟻を踏み潰し、蚊を叩き落とすようなものだと思います。

そのとき、蟻の身であるお前にはわからんであろうなれど、
踏み潰す地上人にはそれなりの理由があるのじゃ、と。

まあ、そのようなお話かもしれません。

たとえば、短い「第七帖」を引用すれば、こんなふうです。

------------------------------------
 第七帖 (三八四)
 地上には、地上の順序があり、法則がある。
 霊界には、霊界の順序があり、法則がある。
 霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、
 そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。
 また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。
 しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、
 歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。
 その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、
 その完成から次の完成へと弥栄する。
 故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、
 歓喜するのである。
 これが、生命の本体であって、限られたる智によって、
 この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに
 感ずる場合もある。
 しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して
 必要の悪とし、必然悪として生かすのである。
 生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのであ
 る。
 本来 悪はなく闇はなく、
 地獄なきことを徹底的に知らねばならない。
 これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である。
 一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、
 極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。
 更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。
 地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感
 じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、
 二の天界は悪に感じられる場合が多い。
 悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、
 この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、
 地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない。
 悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、
 或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果であると云う平面
 的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白とな
 り、己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、
 その考えが悪的であることを知らねばならぬ。
 来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はな
 くなる。
 しかし、それが最高の理想郷ではない。
 更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、
 努力しなければならぬ。
 
 『ひふみ神示』第17巻 地震の巻 第七帖(三八四) 
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(-||-)

こういうたぐいの文章を、
感動して大声で読み上げていたこともあります。

そのような時節もまた、今の中にあるのでしょう。

そして現在の気づきの内容は、こういうたぐいの文章が、
さほど親切だとも感じられない場面が起こっています。

そして、こんな言葉↓のほうが、
しっくりする親切な言葉と思われる劇が起こっているんです。

------------------------------------
 Q.舞台裏にいる巨大な知性としての神を探し求めているんです。
 
 A.ええ、でも舞台裏の知性なんてものはありません。
   これが神です。
   これが伝統的に神と呼ばれてきたものです。
   これが神、一体性、(意識)、実在の内在的な現れです。
   この部屋を埋めている登場人物たちとして現れているんです。
   これがそれです。
   全体性を探し求めなくなって、気楽さがあきらかになると、
   神や一体性や悟りを探し求めるのは滑稽に感じられます。
   そんな必要はないからです。
   すべては、あるようにあります。
   はじめから問題はありません。
 
 『すでに目覚めている』(p95)
------------------------------------

すべての物語や構造は観念のなかにあります。

観念、それはちっとも悪いものではありません。

でも、<何故にすべては始まってしまったのか?>という問いは、
それを満足させる観念を求めるエネルギーではなかったようです。

いま自分が存在することは明らかです。

他の誰にも、そのことを保証してもらう必要はない。

なにしろ、自分で知っているんですから。

そしてまた、顕現という気づきの内容にも気づいている。

この顕現という「気づきの内容」は、
その本質上、永遠に変化しつづけます。

もしその構造に興味を持つことが起こるなら、
「地震の巻」がずっとリアルに感じられる劇が起こるでしょう。

そういう説明に深遠な意味があると感じられるでしょうから。

そういう劇もまた今の中で起こっていると思います。

ただ、現在展開している風景は少し違うようです。

今は自分が探求しているのだと思っていない。

その意味では、ゼンマイが緩んでしまったようです。

まあ、そんな感じでしょうか。

あまりお役に立てなくて。

しゅうさん、ご投稿嬉しかったです。

ありがとうございました。m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:
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今夜も、暗くなるまで書いてしまいました。

ニュースを見たり、ブラタモリを見たりもしましたけど。

生きている間は、いろいろありますね。

できることは何もない、という思いが湧くときが、
ふっとゆるみますね。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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