home > 通信 >『アセンション館通信』(第622号):できることはすべて為し終えた



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/03/13(第622号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

今この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こってい
る。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在840名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.できることはすべて為し終えた

2.編集後記
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■ 1.できることはすべて為し終えた
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春にはなったけど、今日は寒々しい天気。

そしてこういう外界の見かけに、こういう気分が起こっている。

そういう汚れに注目しなければ、わたしはただ在るだけ。

ふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

劇の中で起こることは、いつものとおり起こっています。

外界の風景も、自動的にわいてくる想念も。

ただ以前は自動的に起こっていたある種の価値観というのか、
その気分が大切にされている感覚はあまりわきません。

聖なる催眠、あるいは分離の夢は、もちろん起こっています。

わいてくる思考をことさら尊重する価値観は壊れましたが、
かと言って、まだ思考は風景の一部にはなっていません。

思考は思考として、気分は気分として、
ある程度の注目を自動的に引き寄せているようです。

ただここ数年、アドヴァイタ系の言葉を読み続けているので、
それが第二の“習い性”になってしまって。(*^_^*)

自分に湧いている思考なのに、
自分の思考だなどとは、まったく思えなくなっています。

これはまさに、マハラジのいう「配達」ですね。

配達は受け取らなくてもいいみたいですが、
まだ受け取らないことが習い性にはなっていない。

でも自分の思考だと思えなければ、
あまり尊重する気も起こらないみたいですね。

エゴだか何だか知らないけれど、現金なものです。

あ、それから、できることは何もないということが、
わかればいいなと思ってきました。

そしたら、ほんとに、
できることは何もないと、いう気がしてきた。(*^_^*)

これまた、現金なもんですね。(^_-)

信じやすいタイプの人というのがいますよね。

たとえば、経験の足りない子供とか。

それで言うと、わたしはとても信じやすいタイプみたいです。

ずっと同じ種類の話を聴きつづけていると、
ほんとにそんな気がしてくるタイプみたいです。

まあ、あまり疑り深いほうじゃなくて、助かりました。

今わいてくる思考は、自分がいないということが、
エネルギー的にも解ればいいなという思考です。

これは、まあ、シフトが起こればいいな、みたいな話なので、
ちょっと図々しですかね。^^;

しかし、わいてくるだから仕方がない。

できることは何もないという感じも起こっています。

まあ、そういう思考が配達されているようです。

わたしが割り振られていたのは、
かなりマインド派の役回りだと思います。

その上昔ある友人に、「きっとどこかで感じるのを避けるために
ハートを閉じたんですね」と言われたくらいですから。

とても音楽好きのハートの人でした。

自分でも、なんだか言い当てられたような気がしたものです。

信じやすいタイプだからそう思っただけでなく、
なんとなく思い当たるフシが無きにしもあらずだったからです。

というわけで、
自分には理解の道しかないだろうと思っていました。

そんな思い込みを持っていたので、マハラジの

「私が教える道は、理解を通して至る太古からのシンプルな解放の
 道だ」(p540)

という言葉に出会ったときは、これこそ自分の道だと思いました。

そしてそこに書いてあった目安は、こういう内容でした。

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 あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえ
 ず、何であれ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとた
 び理解したなら、より深い自己実現への唯一の方法として、すべ
 ての自己同一化を断ち切ることだろう。
 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットの
 ように進歩するのだ。
 あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもそ
 の両方に気づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。

 『私は在る』(p537)
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> あなたが知覚可能、想像可能なものは何ひとつあなたではありえ
> ず、何であれ、意識の領域に現れるものは自己ではないとひとた
> び理解したなら、

少なくとも劇の中では、このことは理解しました。

疑うべき根拠などまったくなかったので。

> より深い自己実現への唯一の方法として、すべての自己同一化を
> 断ち切ることだろう。

これがまあ、自然過程として起こっているでしょうね。

> 否定することによって、文字どおりあなたは、まさにロケットの
> ように進歩するのだ。

この【まさにロケットのように】というのにはしびれました。

> あなたが身体のなかにもマインドのなかにも存在せず、しかもそ
> の両方に気づいていると知ることは、すでに自己知識なのだ。

(-||-)

だから、この「自己知識」はすでに定着しています。

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 実在は出来事ではなく、起こることでもない。
 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、
 体験は体験として見なさい。
 そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。

 『私は在る』(p208)
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> 実在は出来事ではなく、起こることでもない。

はい、わかっています。

> 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。

了解です。

> 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、
> 体験は体験として見なさい。

わかりました。

> そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。

(-||-)

つまり、劇の展開としては、

「できることはすべて為し終えた」わけです。

むろん、わたしが「為し終えた」わけではないでしょうが。

新たにわいてくる画面に合わせて、

これからも踊らされることが起こるだけなです。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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ほんとに、書くことがなくなっていくようです。

ま、夢の登場人物には、夢の先の展開はわかりません。

永遠に、今の中に新たな画面がわいてくるだけなのでしょう。

月に二回ほどバスで街の歯医者に行きます。

すると三つある歯科治療椅子のひとつに掛けて待っている間、
目の前の画面にディズニーアニメが放映されています。

目を開けていればもちろん見えるんですが、
別に真面目に見るほどのものでもありません。

まあ、あんな感じでしょうか。(*^_^*)

心配してもしなくても、できることは何もないと思えてくると、
まあ、楽といえば楽ですね。

きょうはごくごく短くて、終わりですね。

このごろ何回か、サイト掲載をしなかったために、
先頭の号数を間違えていました。

今度書いたものは、正しいと思います。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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