━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/03/27(第624号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
何でもないものが、あらゆるものになってみている。
この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在841名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.知的理解のゴール
2.編集後記
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■ 1.知的理解のゴール
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今日は午後から晴れましたね。
春になると何かが動きだして、
何かを期待するような思いが湧いてくるものです。
つまり、不安と失望の種が仮初めの冬眠を終えて、
蠢動をはじめるということなのでしょう。
ふ。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
ネイサン・ギルに、
「どんなイメージにもほかのイメージを生み出す力はありません。
劇の中ではそう思われているというだけです」
『すでに目覚めている』(p131)
という言葉があります。
現象が存在の中に現れる夢であることが自明な明晰性の中では、
このことは真実なのだろうと思います。
ネイサン・ギルにとってはこれは紛れもない真実でしょう。
明け方に見た寝覚めの夢を思い出しても、夢の登場人物の動きが
夢の次の場面を創造しているのでないことは明らかですから。
寝て見る夢が、個人の記憶の参照・編集から生まれるなら、
目覚めの現実は集合意識の参照・編集から生まれるのでしょう。
しかし、そんなことを理屈で理解しても、
「どんなイメージにもほかのイメージを生み出す力はありません」
という確信が生まれるわけでもありません。
ネイサン・ギルにそう保証されたからといって、
この目覚めの夢のなかでまったく無努力ではいられません。
なんやかや、現在の夢の場面の中で、
しなければならないことをするしかない。
努力しなければならない時は、努力しなければならないわけです。
いや、自分は努力しない、と頑張ったって、
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試してみるがいい。
しなければならないことをするのだということを、あなたはすぐ
に理解するだろう。
『私は在る』(p373)
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というわけです。(^_-)
この身体に自己同化しているかぎり、
“自分”の身体の生存のための努力をしないわけにはいかない。
そしてその努力感が積もり積もって、いつか
何のためにこんな努力を、という思いが起こらざるをえない。
するとやがては、
<何故にすべては始まってしまったのか?>
というような問が起こらざるをえない。
探求が起こってしまった以上、
そこで始まった探求者は終わりまで行かなければなりません。
いつまでも本など読んでいてはいけない、と聞かされながらも、
ついまた手近にある本に手が出るというわけです。(*-_-*)
今日開いたところに出てきたのはこんな言葉でした。
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質問者 真我探究は、シャーストラ(聖典)に述べられているよ
うに五つの鞘(コーシャ)を放棄していくことではあり
ませんか?
マハルシ
「私」という想念が起こったあとに、身体、感覚、心といった鞘
との偽りの同一化が起こる。
「私」がそれらと誤ったつながりを結んだため、真の「私」は見
失われてしまった。
不純な「私」から純粋な「私」へと移行するために、聖典はこの
放棄について言及している。
しかし、正確には非真我を放棄することではなく、真我を探しだ
すことを意味しているのである。
真我とは無限の「私」である。
この「私」は完全である。
それは永遠である。
それは原因も結果ももたない。
もうひとつの「私」は生まれて、そして死んでいく。
それは、はかないつかの間のものである。
絶えず変化しつづける想念が誰に現れるのか見てみなさい。
それらは「私」という想念が立ち現れたあとに起こることがわか
るだろう。
「私」という想念を捕まえなさい。
そうすれば静かになる。
「私」という想念の源をたどりなさい。
そうすれば、ただ真我だけが残るだろう。
『あるがままに』(p132)
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> 「私」という想念が起こったあとに、身体、感覚、心といった鞘
> との偽りの同一化が起こる。
「聖なる催眠」とか「分離の夢」と言われるものですね。
> 「私」がそれらと誤ったつながりを結んだため、真の「私」は見
> 失われてしまった。
はい。
> 不純な「私」から純粋な「私」へと移行するために、聖典はこの
> 放棄について言及している。
了解です。
> しかし、正確には非真我を放棄することではなく、真我を探しだ
> すことを意味しているのである。
あ、なるほど。(@_@)
> 真我とは無限の「私」である。
はい。
> この「私」は完全である。
はい、「不生不滅 不垢不浄 不増不減」と聞いています。
> それは永遠である。
はい。
> それは原因も結果ももたない。
それを引き起こすこともできなければ、
それは何の結果も残さない。
> もうひとつの「私」は生まれて、そして死んでいく。
はい。
身体は誕生し、そしてやがて滅びていく。
> それは、はかないつかの間のものである。
わかります。
> 絶えず変化しつづける想念が誰に現れるのか見てみなさい。
湧きおこりつづける想念が、誰に対して現れるのか?
> それらは「私」という想念が立ち現れたあとに起こることがわか
> るだろう。
朝目覚めて、「私」という想念が起こってから、
その「私」にそのほかのさまざまな想念が起こってくる。
> 「私」という想念を捕まえなさい。
ああ……そうか……。
理解は「私」という想念に対して浮かぶ思考の形でしかないから、
「私」という想念には何もできないわけか。
知的理解とは、
静けさに向かうための準備以上のものではありえないわけだ。
「私」という想念の尻尾をつかめるためには、
それだけの静けさに至っていなければ話は始まらないのだから。
そういうことか。
> そうすれば静かになる。
はい。
> 「私」という想念の源をたどりなさい。
わかりました。
> そうすれば、ただ真我だけが残るだろう。
まずそれほどに静かになりなさい、という意味だったんですね。
知的理解のゴールとは、
静けさに向かう決心の意味だったのか。(*-_-*)
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.編集後記:
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書き始めたら、なにやら終わってしまいました。
現象世界がすべて創造であり、創造がすべて騒音であるなら、
架空の価値も意味もすべてはその騒音のパターンにすぎない。
なにやら、あまりにも当然のことのようです。
今日は、あっけなく終わったので、まだまだ明るいです。
それではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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