━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/04/10(第626号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
何でもないものが、あらゆるものになってみている。
この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在841名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.知覚可能なものすべてが汚れ
2.編集後記
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■ 1.知覚可能なものすべてが汚れ
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今日は暖かい日ですね。
いろんな気分がわいてきます。
でも、あまり気にする必要はない。
そういうふうに教わっています。
真面目に受け取らなくてもいいどころか、
まったく受け取らなくてもいいと教わっているんですから。
ふふ、無責任。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
「私は在る」噺に、お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
昔はなんとなく、自分が幸せ(な気分)になることに、
意味があるんだと思っていました。
つまり、ある意味で、
世界は自分の幸せのためにあるんだと思っていたわけです。
そのことを疑ってはいなかったのですが、
ただそれだと、どうも不思議なことがあったわけです。
世の中には不幸せな人がいます。
わたしの身近では、母などはとても不幸な人でしたね。
というか、自分でいつも、
自分はとても不運な人間なんだと主張していました。^^;
男の子であるわたしは、
母の不幸には自分にも責任があるような気がしたものです。
ま、それはいいのですが、
いずれにしろ、世の中には不幸せな人はいます。
そして、もうひとつ、これも子供のころですが、
なぜか近くに宮沢賢治の童話がありました。
当時は気がつきませんでしたが、
たぶん父が用意していたのだと思います。
気がついたら、宮沢賢治の価値観が
自分の価値観のような気分になっていました。
後に「農民芸術概論綱要」を読んでこんな言葉も知りました。
【世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない】
そして、こういうことが本当だと思うようになっていた。
宮沢賢治は宮沢賢治なのだから、
もちろん、この価値観はこの価値観でいいのです。
でも、もしこの価値観に本気で共振したら、
その人間は幸せにはなりにくくなるかもしれません。
ただ……、こんなことを書きながら、
その論理展開の背後にまた別の思考が奔る……。
なんとも言えないようなところがあります。
で、ある時から、
じつは時間というものは存在しないという観念を知りました。
すべては<いま>のなかにあると。
ここで“すべて”と言ったのは、むろん現象の意味です。
全現象は<いま>のなかの変化として現れている。
つまり、宮沢賢治も、賢治に感動した自分も、
これを書いている自分も、すべて<いま>のなかで現象している。
そういうことが、
理屈として納得できる、というのではありません。
ただ、そうでなければおかしいという、
いわば“感情論理エネルギー”とでも言うべきものがある。
もちろん、
個人としての精神身体構造は現象世界のなかにあります。
だから、この精神身体構造は
その運命のなかでもがいたり幸福を求めたりするでしょう。
この精神身体構造に、あるていど幸福(な気分)が
訪れるかもしれないし、訪れないかもしれない。
でも、なんというか、
そういうことは意識の彩りとしていま現れているだけです。
それらの様々な価値観の担い手として
様々な個人が過去現在未来の時空のなかに想像されている。
視野に入るかぎりのこれらの様々な価値観やその担い手は、
今の意識空間のなかの彩りとして現象している。
それらの多様な意識の担い手が、
すべて幸福になるというようなことはありえないのです。
現象としての幸福は、
現象としての不幸との対比の中にしかありえないのだから。
──────────────────
私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
私たちは対比によって魅せられているのだ。
このために対立するものと、
それらの表面上の分裂を必要としている。
しばらくの間それらを楽しみ、
それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙を切望するのだ。
宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
『私は在る』(p434)
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> 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
物語中毒ですよね。
> 私たちは対比によって魅せられているのだ。
はい。
> このために対立するものと、
> それらの表面上の分裂を必要としている。
たしかに。
> しばらくの間それらを楽しみ、
> それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙を切望するのだ。
(*-_-*)
> 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
> あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
(-||-)
もともと世界というのは、なかで発現している個々人が、
幸せになるための仕組みではない。
これは自分の中に投影されている余興としての劇です。
発現している個々人がただ幸せになるための舞台も、
そのような欲望があれば、きっとこの劇のなかにあるでしょうね。
何かを客観的な事実として体験したければ、
いずれにしろ、かなりの思い込みを抱えなければならない。
その“思い込み”のなかに、
そのエネルギーが体験できる“苦楽の振幅”が包含されている。
すべては、われわれが寝ているときに見る
個人の夢と同じようなものです。
あるやり残した記憶の塊が
エネルギーとして残っているのでしょう。
その欲望というかエネルギーの塊があるかぎり、
いずれは表現に向かわなければならない。
表現はもちろん、必ず気づきとセットになっているわけです。
気づかれなければ、表現ではありえないわけですから。
どんな表現もなにがしかの思いこみ、
なにがしかの汚れをまとわなければ、体験することはできません。
つまり、何か果たしたい欲望があるということは、
それを体験できるだけの思い込みを抱えなければならない。
それを体験できるだけの汚れを抱えなければならない。
──────────────────
マハラジ
完全な鏡の本性とは、
あなたには見ることはできないということだ。
何であれあなたが見ることができるものは、
汚れであらざるをえない。
それに背を向け、捨て去りなさい。
質問者 知覚可能なものすべてが汚れなのでしょうか?
マハラジ
すべては汚れだ。
質問者 世界全体が汚れなのですか?
マハラジ
そのとおりだ。
質問者 何とひどい! では宇宙は何の価値もないのですか?
マハラジ
それは途方もない価値をもっている。
それを超えていくことによって、
あなたはあなた自身を実現するのだ。
『私は在る』(p144)
──────────────────
> 完全な鏡の本性とは、
> あなたには見ることはできないということだ。
映し出す自分を見ることはできない。
> 何であれあなたが見ることができるものは、
> 汚れであらざるをえない。
自分ではない。
> それに背を向け、捨て去りなさい。
はい。
> 質問者 知覚可能なものすべてが汚れなのでしょうか?
(^_-)
> マハラジ
> すべては汚れだ。
(-||-)
> 質問者 世界全体が汚れなのですか?
はじめて聞いたときは驚くよね。
> マハラジ
> そのとおりだ。
でも、こう言ってもらう必要がある。
> 質問者 何とひどい! では宇宙は何の価値もないのですか?
プ!(>_<)
> マハラジ
> それは途方もない価値をもっている。
> それを超えていくことによって、
> あなたはあなた自身を実現するのだ。
(-||-)
マハラジの「私は在る」という感覚に固執する方法も、
マハルシの「真我探求」も、同じことですよね。
マハルシは、「真我探求」についてこう言っています。
──────────────────
質問者 あなたは探求によって真我を実現できると言われますが、
何がこの探求の特徴なのでしょうか?
マハルシ
あなたは心である。
あるいは、あなたは心だと考えている。
心とは想念以外の何ものでもない。
さて、あらゆる特定の想念の背後には、
「私」という普遍的想念がある。
それがあなた自身である。
この「私」を第一の想念と呼ぶこととしよう。
この「私」という想念を心に保ちなさい。
そしてそれが何なのかを見いだすために問いただしなさい。
この問いがあなたの注意を強固に引きとどめるようになったとき、
他には何も考えることができなくなるのだ。
質問者 私が「私」という想念を心に保とうとするとき、他の想
念が来ては去っていきます。しかしそこで「私は誰か?」
と自分に尋ねると、どんな答えもやってきません。この
状態のなかにとどまることが修練なのでしょうか?
マハルシ
これは人びとがしばしば犯す誤りだ。
あなたが真剣に真我を探求するときに起こることとは、
「私」という想念が消え去り、
探求を始めた「私」ではなく、
深淵から別の何かが現れ、あなたをつかむのである。
『あるがままに』(p102-104)
──────────────────
> 質問者 あなたは探求によって真我を実現できると言われますが、
> 何がこの探求の特徴なのでしょうか?
>
> マハルシ
> あなたは心である。
はい、間違いありません。
> あるいは、あなたは心だと考えている。
認めます。
> 心とは想念以外の何ものでもない。
はい。
> さて、あらゆる特定の想念の背後には、
> 「私」という普遍的想念がある。
「私は在る」という存在感覚がある。
> それがあなた自身である。
はい。
> この「私」を第一の想念と呼ぶこととしよう。
わかりました。
> この「私」という想念を心に保ちなさい。
それが、わたしが自認する自分だから。
> そしてそれが何なのかを見いだすために問いただしなさい。
(-_-)
> この問いがあなたの注意を強固に引きとどめるようになったとき、
> 他には何も考えることができなくなるのだ。
そういうことなんですね。
それが起こるまではまだ始まっていないわけだ。
> 質問者 私が「私」という想念を心に保とうとするとき、他の想
> 念が来ては去っていきます。しかしそこで「私は誰か?」
> と自分に尋ねると、どんな答えもやってきません。この
> 状態のなかにとどまることが修練なのでしょうか?
>
> マハルシ
> これは人びとがしばしば犯す誤りだ。
(-_-)O
> あなたが真剣に真我を探求するときに起こることとは、
はい。
> 「私」という想念が消え去り、
(-_-)
> 探求を始めた「私」ではなく、
> 深淵から別の何かが現れ、あなたをつかむのである。
(-_-)
わかりました。
(-||-)
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あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
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(-||-)
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永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
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……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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というのを作らせていただきました。(^^;)
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■ 2.編集後記:
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今日は、暖かい日でした。
庭が色づいてきています。
すぐ目の前のピンクのチューリップ。
南の端の黄色いレンギョウ。
その上のピンクの花桃。
わずかに風に揺れています。
今日は早く終わりました。
それではまた。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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