home > 通信 >『アセンション館通信』(第629号):ネイサン・ギルの理解と知



━━━☆☆☆☆━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』
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☆☆     ☆★ 私は在る」に導かれ♪
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                     第629号 2016/05/01
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは
アセンション館主人pariと称する
ある夢の登場人物に浮上している
心象風景の報告です。

何でもないものが、
あらゆるものになってみている。

この瞬間に気づきの内容があり、
それに気づくことが起こっている。

内容は人畜無害、
でも読む人は相当変わってますね。現在842名
──────────────────
◇◇ もくじ ◇◇

1.とても有用な気分

2.編集後記
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■ 1.とても有用な気分
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ぼんやりした天気ですね。

ちょっと曖昧な気分というか……。

まあ、生き物としてはいろいろあります。

ふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ

「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、

いかがお過ごしでしょうか?

現象世界は

登場人物がそこで幸福になるための

舞台ではありません。

ただ、登場人物が

そう思いこむようになっているだけです。

といってもこれは

別に陰謀論ではない。

ただ、そうなっているだけなのです。

マハラジはとても論理的な通路なので、

それをこんなふうに表現します。

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 世界はつねにより良くなるべきだった。
 しかし、それでもそうならなかった。
 未来にどんな希望があるというのだろうか?
 もちろん、
 サットヴァが上昇しているとき、
 そこには調和と平和の期間があった。
 だが、ものごとは
 それ自体の完成によって破壊されるものだ。
 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会は人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、
 ある時点で相対的な完成を遂げ、
 そして衰退し、死を迎えるのだ。
 
 『私は在る』(p437)
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> 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。

なるほど。(@_@)

> それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。

そうか。(-_-;)

> 頂上からすべての道は下へと向かっていく。

それしかないでしょうね。

上昇しつづけたら、

現象世界そのものが消えるしかないのだから。

> 社会は人びとのようなものだ。

(-_-)0

> それは生まれ、成長し、
> ある時点で相対的な完成を遂げ、
> そして衰退し、死を迎えるのだ。

ああ……。

(-||-)

マハラジの弟子のボブさんは

人生の目的を求めて彼の許に来た人たちに

フンコロガシの話をしたそうです。

──────────────────
 フンコロガシは象の糞を丸めて
 小さな玉を作り、そこへ卵を生みつける。
 それから
 一メートルほどの深さの穴を地中に掘り、
 その糞玉を埋めると、
 疲れきったフンコロガシは死んでいく。
 雨季が来て、地面が柔らかくなると、
 卵から孵(かえ)った小さな幼虫たちは
 糞を食べて、さなぎへと成長し始める。
 そして成虫になると、
 地表まで穴を掘って、
 象がいると本能で感じる場所へ
 飛び立っていく。
 
 ある年、干ばつがあって、
 一部のフンコロガシが飛んで行った先に
 象は一頭もおらず、
 そのため彼らは死んでしまう。
 別の方向に飛んで行ったフンコロガシは、
 そこでたくさんの鳥や他の動物たちに
 食べられてしまう。
 ミツアナグマは
 地表一メートル下の幼虫の存在を
 匂いで知ることができ、
 若い幼虫が地表に出てくる前に、
 穴を掘って彼らを食べてしまうことだろう。
 
 で、こうしたことすべての
 背後にある目的は何だろうか?
 フンコロガシの役割は
 ただ卵を生むことだろうか? 
 幼虫は捕食者の単なる餌なのだろうか?
 象の目的は、
 フンコロガシの幼虫が成長するために、
 糞を提供することなのか?
 象が食べた食料の目的は、
 ただ糞となることなのか?
 これで皆さんもおわかりだろうが、
 目的という概念はムダなのだ。
 目的があると言うためには、
 何らかの位置から
 その目的までの距離を測る必要がある。
 あなたは参照点を設定しなければならない。
 参照点なしに、
 あなたは何を言うことができるだろうか?
 
 『ただそれだけ』(p62-63)
──────────────────

これほど論理的に語られては、

どんな言葉も必要ありません。


ボブさんのフンコロガシの話を、

もしフンコロガシ的速度でなぞるなら、

こういうことになるでしょうか。


もし現象世界に(あるいは人生に)、

何らかの目的があると言いたいのなら、

あなたはこのフンコロガシの目的を

説明しなければならないだろう。


そしてもし

個々のフンコロガシに目的はないが、

個々のフンコロガシが貢献する

全生命世界には目的があるのだと

主張したいのなら、

あなたは個々のフンコロガシは

目的のための手段であることを

認めなければならない。


それなら同じように

あなたが自分と信じている

あなたの精神身体構造もまた、

全生命世界の目的に貢献する手段だと

認めなければならないだろう。


そうであるなら、

手段であるあなたに

どんな目的が明かされるはずもなく、

またこの世界が

あなたの幸福のために

存在しているのでないことも自明だろう。

> 目的があると言うためには、
> 何らかの位置から
> その目的までの距離を測る必要がある。

だがそういうことはすべて

あなたが

単なる虚構の参照点でしかない自分という想念を

あたかも何らかの実体でもあるかのように

想像した結果にすぎない。

> あなたは参照点を設定しなければならない。

なぜなら、

あなたが問題と称するものはすべて

存在を僭称した参照点からの

【見かけ】の解釈にすぎないからだ。

もし、あなたの精神身体が

全現象世界の一部でしかなく、

そこから分離して

独立して存在できるものでないなら、

あなたの想像もまた

現象する全現象世界の部分にすぎないと

認めなければならないだろう。

あなたという参照点は、

独自の実体でないだけでなく、

全現象世界なしには、

もともと現象すらしていないものなのだ。

要するに、

あなたという参照点は、

全現象世界の一部として

想像の中に一瞬現れているだけなのだ。

もしその参照点に実体がないのなら、

> 参照点なしに、
> あなたは何を言うことができるだろうか?

まさに、何をか言わんやです。

(-||-)


この想像上のジレンマは

ネイサン・ギルの観点からは

こう語られます。

──────────────────
 思考のストーリーの中では、
 意味を探し求めたり、
 すべてから抜け出せる方法を探したり
 ということが起こります。
 ですが、
 それは今この瞬間に現れている
 ただのストーリーで、
 思考の中にしか存在していない過去や未来に
 出かけていただけだった
 ということに気づくと、
 一体性を求める旅から
 深刻さが抜け落ちます。
 起こっているのは、
 いま現れている気づきの内容に
 ただ気づくということだけです。
 起こっているのは本当にこれだけです。
 これはすでに実在であって、
 すでに一体性なんです。
 
 催眠状態、
 思考のストーリーとの同一化は
 起こっていますが、
 催眠にかかっている人はどこにもいません。
 「私」はただの見かけで、
 起こっていることの一部です。
 すべてはまったく勝手に
 ひとりでに起こっています。
 「あなた」がしていることは何もありません。
 このメッセージは、
 一体性を実現するための
 処方箋ではありません。
 一体性を言い表しているだけです
 
 『すでに目覚めている』(p36)
──────────────────

いま起こっていることはすべて、

> 今この瞬間に現れている
> ただのストーリーで、
> 思考の中にしか存在していない過去や未来に
> 出かけていただけだった

こんなに自明なこと……。(-_-)

> 深刻さが抜け落ちます。

もちろん、

意識の焦点が外を向いているかぎり、

外界の変化に合わせて

それなりに

身体内の感覚的変化は起こります。

それにどれくらいの

重要性を与えるかを別にすれば、

> 起こっているのは、
> いま現れている気づきの内容に
> ただ気づくということだけです。

まったくです。

> 起こっているのは本当にこれだけです。

そのとおりです。

> これはすでに実在であって、
> すでに一体性なんです。

それがすでに気づきの内容として

起こっているわけですから。

> 催眠状態、
> 思考のストーリーとの同一化は
> 起こっていますが、
> 催眠にかかっている人はどこにもいません。

そう、

そういう気づきの内容が起こっていて

それに気づくことが起こっているだけです。

そのなかのどこにも、

分離した独立存在を

主張できるような者はいない。

どんな肉体も、

まわりの環境から分離して

独自に存在することなどできないし、

どんな想念も、

【見かけ】への解釈としてでなけば

起こることもできない。

> 「私」はただの見かけで、
> 起こっていることの一部です。

まったくです。

> すべてはまったく勝手に
> ひとりでに起こっています。

わたしが動かしているわけではない。

わたしという想念が、

波しぶきの一部として浮上しているだけ。

> 「あなた」がしていることは何もありません。

わたしの手柄でもなければ、

わたしの罪でもない。

> このメッセージは、
> 一体性を実現するための
> 処方箋ではありません。

わかっています。

> 一体性を言い表しているだけです

了解です。


さて、

そういうことすべてを前提したうえで、

マハラジのこの言葉は、

どんなふうに聞こえるか?

──────────────────
 「何も私ではない」が第一段階だ。
 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。
 そのどちらも「そこに世界が存在する」
 という観念にかかっている。
 この観念もまた放棄されたとき、
 あなたはあるがままの
 非二元性のあなたとして残る。
 今ここで、あなたはそれなのだ。
 だが、あなたの視野は
 自己に関する偽りの観念によって
 妨げられているのだ。
 
 『私は在る』(p537)
──────────────────

> 「何も私ではない」が第一段階だ。

pariパターンは

いまこのあたりをたゆたっているのかなぁ。

> 「すべてが私だ」がつぎの段階だ。

とても、

こうは言えないものなぁ。(*-_-*)

> そのどちらも「そこに世界が存在する」
> という観念にかかっている。

まだ世界だけを見ているのに、

何をか言わんや。

> この観念もまた放棄されたとき、
> あなたはあるがままの
> 非二元性のあなたとして残る。

はい。

> 今ここで、あなたはそれなのだ。

わかりました。

> だが、あなたの視野は
> 自己に関する偽りの観念によって
> 妨げられているのだ。

そのとおりです。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------

(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


    ………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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普段乗ってもいない自動車の

免許更新の時期が近づきました。

それで慌てて泥縄で

運転の練習をはじめていたのですが、

最近、ふと思い立って、

いつもの一周の運転の終わりに、

近くのガラ空きの駐車場に入って

車庫入れの練習をしようとしました。

そしてわざわざ

一列ずっと空いている列を狙って、

車を入れようとして、

なんと、反対側の列に

たった一台駐車していた車のバンパーに

さわってしまった。(>_<)

ちょうど休憩していた相手の方が

見に来たその目の前で、

車を離そうとして、

今度は丁寧にそのバンパーカバーを

落としてしまいました。(*^_^*)

いやはや……。

それから、警察を呼んだり、

保険会社に電話をしたり……。

てなわけで、

マハラジ流で言うところの

「とても有用な気分」を味わってます。(^_-)

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 質問者
 告白しなければなりません。
 私は今日、反抗的な気分でやってきました。
 航空会社から粗雑な扱いをされたのです。
 そのような状況に直面すると、
 すべては疑わしく思われ、
 すべてが無駄なように見えてしまいます。
 
 マハラジ
 それはとても有用な気分だ。
 すべてを疑い、すべてを拒絶し、
 他者から学ぶことを望まないこと。
 それはあなたの
 長いサーダナ(修練)の成果なのだ。
 つまり、人はいつまでも
 学ぶばかりではないということだ。
 
 『私は在る』(p265)
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ははははは。(*^_^*)

> それはとても有用な気分だ。

やった!

> すべてを疑い、すべてを拒絶し、
> 他者から学ぶことを望まないこと。

おお。(@_@)

> それはあなたの
> 長いサーダナ(修練)の成果なのだ。

イェイイェイ!

> つまり、人はいつまでも
> 学ぶばかりではないということだ。

(-||-)

今日も早く終わりました。

それではまた。

<(_ _)>


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【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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