home > 通信 >『アセンション館通信』(第631号):そこに心配はある



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/05/15(第631号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在845名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.そこに心配はある

2.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.そこに心配はある
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

まわりの風景の緑が深くなってきました。

この季節はこの季節で、なかなかいいですね。

ここはとてもありがたい場所で、

目の前にあるのはほぼ自然だけです。

とはいっても、

“わたし”は大部分の時間、

頭のなかに湧く想念だけに

焦点を合わせているんですけどね。

まったく、バカな話です。

ふ。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

理屈から言うと、

頭のなかに起こる想念も自然現象とも言えます。

想念はわいてきますが、

それをわかせている個人など存在しないわけですから。

すべての知覚対象は一体性のなかから現れています。

でも、

自然はこんなに清々しい(ように見える)のに、

湧いてくる想念はどうしてこんなに息苦しいのか。

たぶん、

自然のなかには誰もいないのに、

頭にわく想念には自分がいるからでしょうね。

自然のなかには風景(見かけ)があるだけです。

でも想念のなかにはドラマがある。

そして虚構の自分は大のドラマ好きです。

ドラマで武装して、

自分を実体化するわけですから。

理屈から言えば、

意識のなかに湧いてくるすべての想念もまた、

自然現象だと思います。

それを起こしている個人など存在しない。

でもなぜか、

起こってくる想念はドラマをたどるんですよね。

そうか……、

ドラマをたどるのが想念という自然現象なんだ……。

──────────────────
 マハルシ
 ……
 純粋な「私」は、二つの状態
 あるいは二つの想念の合間に体験される。
 自我はまず一点をつかんでおいてから
 もう一点を離れる尺取り虫のようなものである。
 その真の本性は、
 対象物あるいは想念との接触を断ち切られたときに明らかになる。
 
 実体をもたないこの幽霊のような自我は、
 ひとつの形態をつかむことによって存在を現わし、
 形態をつかむことで生きつづける。
 つかんだ形態によって養われながら、
 さらに大きくなっていき、
 ひとつの形態を手放しながら別の形態をつかむ。
 だが、探しだそうとすると、それは逃げだしてしまう。
 
 『あるがままに』(p93-94)
──────────────────

> 純粋な「私」は、二つの状態
> あるいは二つの想念の合間に体験される。

想念がないとき純粋な気づきが体験される。

> 自我はまず一点をつかんでおいてから
> もう一点を離れる尺取り虫のようなものである。

わたしという心配は、

つぎの想念をつかんでから前の想念を手放している。

> その真の本性は、
> 対象物あるいは想念との接触を断ち切られたときに明らかになる。

依拠する対象物や想念とのつながりが断ち切られると

わたしという心配の本性が曝露される。

> 実体をもたないこの幽霊のような自我は、
> ひとつの形態をつかむことによって存在を現わし、
> 形態をつかむことで生きつづける。

この身体が自分だと思えるかぎり、

わたしという心配は生き延びられる。

> つかんだ形態によって養われながら、
> さらに大きくなっていき、
> ひとつの形態を手放しながら別の形態をつかむ。

そうやってたくさんの玉ねぎの皮を重ねて

いかにも存在しているふりをして、

ただ心配の妥当性を保証する想念につかみかかる。

> だが、探しだそうとすると、それは逃げだしてしまう。

でも実際は、

意識のなかの過去の記憶と未来への想像以外には、

自分にはどんな実体もない。

でもその虚構の自分が心配を紡ぎだす。

その自分はこの身体を

自分の根拠として掴んでいるから。

──────────────────
 質問者 そもそも、
     なぜ欲望は湧いてくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜなら、あなたは生まれてきて、
 もしあなたが身体の面倒を見なければ
 死んでしまうだろうと想像するからだ。
 身体をもつ存在の欲望が心配の根本原因だ。
 
 『私は在る』(p87)
------------------------------------

まったくです。

これはあまりにも平明で自明ですね。

そして、身体にしろ想念にしろ、

それは気づきのなかに湧いているもので

わたしではないのに。(;_;)

──────────────────
 真の幸福とは、
 まったく自己意識のない状態だ。
 それがもっとも良く表されるのは
 否定によって、
 「何も私には間違ったところはない。
  私には何も心配することがない」
 と言うことだ。
 結局、
 すべてのサーダナの最終的な目的は、
 この確信が言葉上のものでなく、
 実際の常在の体験を根底にした地点に
 到達することなのだ。
 
 『私は在る』(p505) 
──────────────────

(-||-)

ここに到達していないんだよなぁ。

たしかに、心配はある。

でもわたしはその心配ではない。

何が起ころうとも……、

何に気がつこうとも……、

わたしはそれではない。

わたしは

それがそこにあることに気づいている。

──────────────────
 ひとたび生まれたなら、
 あなたは何かに到達する。
 そしてそれを達成したなら、
 再び戻ってくるのだ。
 それゆえ、
 そのような無駄なことはすべてやめるがいい。
 あるがままに在りなさい。
 あなたが誰なのかを知りなさい。
 生まれ、死に、
 生まれ変わることから自由になりなさい。
 そして真我としてとどまりなさい。
 
 『あるがままに』(p122-124) 
──────────────────

> ひとたび生まれたなら、
> あなたは何かに到達する。

たしかに。

意味もなく、

こんなところで彷徨っています。

> そしてそれを達成したなら、
> 再び戻ってくるのだ。

身体を失えば、夢も失う。

> それゆえ、
> そのような無駄なことはすべてやめるがいい。

はい。

> あるがままに在りなさい。

(;_;)

> あなたが誰なのかを知りなさい。

……。(-_-)

> 生まれ、死に、
> 生まれ変わることから自由になりなさい。

(-_-)

> そして真我としてとどまりなさい。

(-||-)

------------------------------------
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
------------------------------------


(-||-)

------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

書き始めたら、なにやら終わってしまいました。

現象世界がすべて創造であり、創造がすべて騒音であるなら、
架空の価値も意味もすべてはその騒音のパターンにすぎない。

なにやら、あまりにも当然のことのようです。

今日は、あっけなく終わったので、まだまだ明るいです。

それではまた。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2015 paritosho
------------------------------------------------------------