home > 通信 >『アセンション館通信』(第634号):【自我】は心配を食べて生きている



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/06/05(第634号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在845名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.【自我】は心配を食べて生きている

2.編集後記
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■ 1.【自我】は心配を食べて生きている
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今年ももう六月ですね。

わたしはそれについては何の責任もありません。

とくに押した覚えもありません。

無実です。(*^_^*) (\アホか!(\/U) )

だから、

なんの責任も感じなくてもいいと思います。

(誰も、お前の責任など問うておらんわい。)

むしろ、被害者と言ってもいいかもしれない。

なんか押しまくられている感じがする。(;_;)

(バカか、お前は!(\/U) )

わたしは、断固反対する!

こんな横暴は許されない。

断固、反対! 断固、反対!

(こいつ、ほんまバカや……。)

今年ももう終わってしまうんじゃないかと思うと、

もう、心配で、心配で。(T_T)

(こいつ、キチガイや……。)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

先日、ニケに起こされて……。

あ、言いましたっけ、

以前、昼間だけ預かっていた近所の猫が、

いつの間にか夜も自宅に帰らなくなって、

託児所のはずのわが家の住人になったって。

どうも、元の主人の彼が、

留守中ニケが寂しくないようにと別の猫も飼いはじめたのが

良くなかったみたいです。

なんか、嫉妬したのか、

全然実家に帰らなくなって、

いつの間にやら我が家の猫になってます。

それで、そのニケが明け方まだ薄暗いうちに、

こっちの様子をうかがいながら、

ちょっと遠慮がちの鳴き声を出すんです。

その声に気づいた人間が

外に出してやるというわけです。

もちろん、こちらはまた寝るんですけどね。

それで起こされた方は

時々すぐには寝つけないことがあります。

で、先日もすぐには寝つけなくて、

寝床のなかでぼんやりしてました。

色々な想念が湧いてきて、

真面目にいろいろ物思いに入ったりして。

ただこういう朝方は、

普段の昼間とも少し違うんですよね。

当人は起きているつもりでも、

やっぱりまだ半分眠っていてぼんやりしています。

いろいろ湧いてくる想念を何となく見ています。

こういう想念は自分が製造しているわけじゃない。

ひとりでにただ湧いてるだけなんだ、とかなんとか、

まあ、そんな聞いたふうなことを思ってました。

あらゆる想念は

ひとりでに自分のなかから湧いてくる……。

するとふと、

すべての観念は自分のなかから湧いているのに、

どうして自分がその観念で心配する必要がある?

という想念が湧いてきました。

あらゆる観念は自分のなかから湧いている。

だったら、

なんで自分がその観念で心配する? (?_?)

これは別に

論理的観念というわけでもありません。

あらゆる観念の源は自分だというのに、

自分がその観念で心配する必要がどこにある?

理屈も何もありませんが、

ただ、そんな想念が湧いてきたわけです。

そうしたら、

われながらそれがヒットだったらしく、

不思議に、バカみたいに気が楽になりました。

この駄洒落のような観念で、

その日一日、ニヤニヤしていました。

あらゆる観念の源は自分だというのに、

自分がその観念で心配する必要がどこにある、って。

とは言っても、

その思いが、ずっとつづくわけでもなかったですが。

その翌日には普通に戻ってましたから。

どうも、自我というのは、

一瞬一瞬、立場を変えるみたいですね。

そして、基本的に、

心配するのが正しい、という立場を主張するわけです。

あらゆる想念、あらゆる観念は、

その瞬間湧いているつかの間の想念です。

われわれは、もちろん、

その瞬間湧いている【その想念】が【自分】だと思う。

みんな、そう思うようにずっと訓練してるし、

まわりじゅう全員がそうだから、

結局、それが現実という意味での事実になります。

でもじつは、

その瞬間湧いている【想念】が

【自分】だなんてことはないわけです。

その瞬間湧いている【想念】は、

事実、その瞬間の風景にすぎない。

それは【自分】じゃないです。

実際は、【その想念】は、

すでに【自分】がいるから

その【自分】に起こっているわけです。

なぜといって、【その想念】は

知覚されてはじめて現れることができるわけですから。

そして【その想念】を

知覚しているものこそが【自分】です。

こんな当たり前のことを、

これまでどれほど【自分】に言い聞かせてきたことか。

でも、じつは、

説得される【自分】なんていないんですよね。

いつの瞬間にも起こっていることは

その瞬間の【想念】が湧いているだけです。

そしてつねにその【想念】に気づいている背景がある。

記憶を参照したもっともらしい

後付けの物語のような【想念】も湧いてくる。

問題も心配も

その一瞬一瞬わいてくる【想念】のなかにしかありません。

そこにはどんな【自分】もいないのに、

一瞬一瞬、立場を変えた【想念】が起こって、

【自分】がいるようなふりをする。

一瞬一瞬の【想念】を受け取っているかぎり

【自分】は安泰で、心配は健在です。

こうやってしょっちゅう立場を変える

【自分】という言葉は曖昧ですね。

やっぱり、

【真我】と【自我】という言葉のほうが

わかりやすいかなぁ。

【自我】はとにかくサバイバルに懸命です。

【自我】は心配を食べて生きているわけだから。

【真我】は生き延びる必要がない。

【真我】しか存在してはいないのだから。

世界は【自我】を根拠に現象している

だから世界が在るかぎり

【真我】は在りえない。

世界にはまったく何の意味もないんですよね。

世界に意味を求めなければ。

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 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 
 『私は在る』(p436)
──────────────────

(-_-)

生命への執着は不幸への執着だ。

【自我】は私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。

【自我】の本性とはそんなものなのだ。

(-||-)

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 いかなる代価を支払ってでも、
 真剣にその夢が終わってほしいと
 一心に願う日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、
 その夢自体への興味を失うことだ。
 
 『私は在る』(p525)
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【自我】が紡ごうとする

不安と心配の物語に興味を失うこと。

御心のままに……。

(-||-)

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 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
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(-||-)

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 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
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……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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結局、神の意志だけが行われているのだ、

と考えるのは好きですね。

もちろん、何らかの現象に対する

批判がましい気分が湧くこともあります。

でも、結局、

神の意志だけが行われているのだ、と思うと、

その神のリーラの登場人物の意見に

いったい、どんな意味がある?

と思われてきますしね。(*^_^*)

今日は東京に出かけたので昏くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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