home > 通信 >『アセンション館通信』(第635号):源泉が現れ、源泉が味わっている



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/06/12(第635号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在845名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.源泉が現れ、源泉が味わっている

2.いただいたお手紙から: アドヴァイタのオッサンさん

3.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.源泉が現れ、源泉が味わっている
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

庭の樹々が風に揺れています。

六月の風……なかなかいいですね。

ちょっと極端な表現に聞こえるかもしれませんが、

こういうの全部神様がやっているんですよね。(^_-)

神様が投影して、神様が味わっている。

それだけなんですよね。

そこに投影される物語も含めて……。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

われわれは眼前に浮かぶ光景や

頭のなか(と思われるあたりに)浮かぶ想念で

いろいろ大げさな物語を味わいますが、

こういうものはすべて、

源泉がこのように現れていて、

源泉がこのように味わっているというだけなんですね。

われわれ人間としては

もういい加減に悟ってしまいたい

なんて思いますが、

それは

源泉がそのように現れていて、

源泉がそのように味わっているわけです。

いずれにせよ、

浮かんでくる物語にまったく惹かれなくなれば

それはただそれだけのことで、

あとはその身体の運命に沿って

流されていくしかないのだと思います。

その流され方が嫌だなとか

ちょっと気分がいいなと思ったところで、

それはただ

源泉がそのように現れていて、

源泉がそのように味わっているだけなのです。

(世界の中に住んでいると思っている)

人間としては

(自分とは別のものとして存在している)

源泉の意図など

推測のしようもないわけですから

ただ旬の物語に熱中して奮闘したり

もういい加減にしてほしいと思ったり

浮かんでくるどんな思いも嘘っぽく感じられて

中途半端な感じになったりするかもしれないけれど、

それもまた、

源泉がそのように現れていて、

源泉がそのように味わっているだけなんですね。

こんなふうに

あらゆる物語が嘘っぽく感じられるというのは

単なる観念の問題にすぎないのだけれど、

エネルギー的な変化というのは

観念に対するフォーカスの結果として起こるわけだから、

良くも悪くも、

これもまた、

源泉がそのように現れていて、

源泉がそのように味わっているだけなんですね。

ラメッシ・バルセカールは

こんなふうに言っています。

──────────────────
 すべての二元性は幻想であり、
 すべての行為は瞬間的で、
 そして、すべての意志は幻想です。
 いたんこれが理解されれば、
 人は自発的であろうとするのをやめます。
 意志が幻想であるとわかれば、
 すべての行為は自動的に自発的になります。
 同じように、
 すでにそこにあるものを見るために、
 規律、修行、手だてといった、
 あるいは何かの決まり文句や思考、
 言葉の断言(アファーメーション)を
 繰り返すといったような努力は、
 まったく必要ではないということも、
 明確にされなければなりません。
 ある中国の哲学者は、
 「すべてはタオである」ので、
 タオを理解するすべての努力は、
 「蛇足」と見なしています。
 ニサルガダッタ・ハラジも、
 そういういった努力を同じような言葉で
 言及していたことに気づくのは、
 興味深いことです。

 『誰がかまうもんか?!』(p194)
──────────────────

> すべての二元性は幻想であり、
> すべての行為は瞬間的で、
> そして、すべての意志は幻想です。

こうして改めて明言されると

響くものがありますね。

> いたんこれが理解されれば、
> 人は自発的であろうとするのをやめます。

実際、

【すべての二元性は幻想で】

【すべての行為は瞬間的で】

【すべての意志は幻想で】あることが自明になったら、

意志的であろうとする努力は崩壊するでしょう。

現象のなかに想像されている

継続性や因果関係が

すべて幻想であることがわかってしまったら、

その現象のなかで意志的でありつづけることは

不可能になるしかない。

われわれ人間だって、

映画がどのように投影されているのは

知っています。

映画の中のドラマは

一本のフルムのなかに

別々のコマとして焼き付けられた映像が

一瞬一瞬コマ落としの段差をつけて

スクリーン上に投影されているだけです。

同時に音声という物語も添えて。

人間の目(=視神経)を騙すには

1秒当たりわずか24コマで足りるわけです。

現在はまだ

完全デジタル投影施設のある映画館はわずかだから

いまだって基本的には

(大部分はフィルムに落として)、

同じ技術で投影しているわけです。

初めて映画を観た子供でもなければ、

観客はその原理を知っているので

スクリーン上の登場人物が

自ら意志して行動しているのでないことくらい

誰でも知っています。

これと同じくらい明瞭に、

現在の(自分の身体を含めた)光景がすべて

コマ落としの投影技術で実現されていて、

【すべての行為が瞬間的で】あることを知っていたら、

その明瞭な理解の上で、

誰がさらに意志的でありうるでしょうか?

【あるがままの現実】

さらに抵抗しようとする努力は

不可能になるしかない。

──────────────────
 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。
 
 影響がかならずしも体験である必要はない。
 それは人格、動機、人々との、
 そして自己との関係性における変化でもありうる。
 言葉や薬物、
 あるいはほかのいかなる感覚的、
 精神的方法で誘導された超越状態や幻想も
 一時的なもので、決定的とは言えない。
 ここで語られた真理は不動の、
 永遠のものだ。
 そしてその証拠は聞き手のなかに、
 彼の存在全体における
 深い永続的な変化のなかにあるのだ。
 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、
 その証拠は彼が疑えるようなものではない。
 わたしの体験があなた自身の体験となったとき、
 それ以上の証拠をあなたは求めるだろうか?
 
 『私は在る』(p376) 
──────────────────

> 真理の証拠は聞き手への影響のなかにあるのだ。

はい。

> 影響がかならずしも体験である必要はない。

そうか。(-_-)

> それは人格、動機、人々との、
> そして自己との関係性における変化でもありうる。

なるほど。

それは価値観における変化でもありうるわけだ。

> 言葉や薬物、
> あるいはほかのいかなる感覚的、
> 精神的方法で誘導された超越状態や幻想も
> 一時的なもので、決定的とは言えない。

たしかに。

> ここで語られた真理は不動の、
> 永遠のものだ。

はい。

> そしてその証拠は聞き手のなかに、
> 彼の存在全体における
> 深い永続的な変化のなかにあるのだ。

わかりました。

> 彼自身の自己の存在を疑わないかぎり、
> その証拠は彼が疑えるようなものではない。

そうか……。

> わたしの体験があなた自身の体験となったとき、
> それ以上の証拠をあなたは求めるだろうか?

いいえ。

それ以上の証拠をわたしは求めません。

わたしの存在は他の誰によっても

保証してもらう必要がありませんから。

──────────────────
 あなたが
 あなたを含むすべての証明なのだということを、
 まず悟るべきだ。
 あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、
 他者の存在もあなたによって
 確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、
 あなた自身によって在るのだということを
 覚えておきなさい。
 あなたはどこからも来なかったし、
 どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、
 そして気づきなのだ。
 
 『私は在る』(p178) 
──────────────────

> あなたが
> あなたを含むすべての証明なのだということを、
> まず悟るべきだ。

はい。

> あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。

はい。

ただ、わたしが知っているだけです。

だから、

わたしは自分の存在を

他の誰に保証してもらう必要もないし、

他の誰に尋ねることもしません。

> なぜなら、
> 他者の存在もあなたによって
> 確認されなければならないからだ。

わかっています。

> あなたは完全に、
> あなた自身によって在るのだということを
> 覚えておきなさい。

はい。

> あなたはどこからも来なかったし、
> どこへも行かない。
> あなたは時間を超えた存在、
> そして気づきなのだ。

どんなドラマも

わたしなしには存在しえません。

しかし逆に、

わたしはどんなドラマもなくても

自前で存在しています。

たからこそわたしは

熟睡中にも自分が存在していることを疑わないし、

そのことで心配しないのです。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ いただいたお手紙から: 
       アドヴァイタのオッサンさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


      ………○…………○…………○………


今回、アドヴァイタのオッサンさんから、

久しぶりにご投稿いただきました。

早速ご紹介します。

【件名】: 背中を押します
──────────────────
 pariさん、こんにちは、
 1年ぶりに背中を押しに来ました。^_^
 
 pariさんの「私は在る」の感覚は
 真我そのものだと思います。
 では、なぜ、真我があらわにならないのか。
 
 それはこの世界の実在性だと思います。
 
 「あなたは在る。
  ほかのすべては現れにすぎない。」
 
 一度、本気で、
 心がつかんでいるこの世界を「手離すこと」に
 フォーカスすることをお勧めします。
 すると、執着が見えてきます、
 家族や、例えば愛犬など。
 自己の真我探求のために、
 無慈悲にそれらを捨てられるか、
 疑問が起こります。
 その心の印象が、
 この世界に実在性を与えている、
 ゆえに真我があらわにならないのです。
 
 私は何か、
 その探求の衝動と決意が、
 心の印象を破壊して、
 この世界の実在性が終わります。
 それは不可逆でしょう。
 
 その時、
 私は真我の知識を得たのかと問う自我はなく、
 私は何かと問う者もいない、
 それを証明する他者もいません。
 もう、聖典を読むことも減るでしょう。
 
 pariさんが、
 1.私は何か、
 2.世界創造、
 この二つの問題をクリアした後、
 どう生きるかという問題が起こります。
 
 一瞬の真我実現で、
 無知は消滅しますが、
 心の働きは、
 中途半端な世界創造は続きます。
 この心の働きが、
 徐々に弱まっていき完全に静寂になるまで、
 ひたすら待つ。
 世界が消えても私は在る、
 この感覚が完全になるまで。
 
 じゃ、pariさん、 ( ´ ▽ ` )ノがんばってね!
 
 。。。
 
 私は、日々、驚きながら生きています。
 私は在る、
 そこから世界が創造された、ビックリ。
 この世界が消えても、私は在る。(°_°)
 
 サヴィカルパ・サマディ、
 この世界を見ているが、
 マインドは真我に溶けている、
 そう感じることが時々ある。
 時々、この世界が薄くなってゆく。
 そういう感覚を楽しみながら生きています。o(^_-)O
──────────────────

> pariさん、こんにちは、
> 1年ぶりに背中を押しに来ました。^_^

お久しぶりです。(^^)/

> pariさんの「私は在る」の感覚は
> 真我そのものだと思います。

ありがとうございます。

> では、なぜ、真我があらわにならないのか。

はい。
 
> それはこの世界の実在性だと思います。

わかります。

> 「あなたは在る。
>  ほかのすべては現れにすぎない。」
> 
> 一度、本気で、
> 心がつかんでいるこの世界を「手離すこと」に
> フォーカスすることをお勧めします。
> すると、執着が見えてきます、
> 家族や、例えば愛犬など。
> 自己の真我探求のために、
> 無慈悲にそれらを捨てられるか、
> 疑問が起こります。
> その心の印象が、
> この世界に実在性を与えている、
> ゆえに真我があらわにならないのです。

おっしゃるとおりなのです。

もう少し、経済的に楽にできる道を選んでおけばよかった、

などと、ありえたはずもない選択肢を夢想したりします。

> 私は何か、
> その探求の衝動と決意が、
> 心の印象を破壊して、
> この世界の実在性が終わります。
> それは不可逆でしょう。

そうありたいと一生願ってきたのですが……。 

> その時、
> 私は真我の知識を得たのかと問う自我はなく、
> 私は何かと問う者もいない、
> それを証明する他者もいません。
> もう、聖典を読むことも減るでしょう。

ですよねぇ。(-_-)

> pariさんが、
> 1.私は何か、
> 2.世界創造、
> この二つの問題をクリアした後、
> どう生きるかという問題が起こります。

そうですか。
 
> 一瞬の真我実現で、
> 無知は消滅しますが、
> 心の働きは、
> 中途半端な世界創造は続きます。

なるほど。

> この心の働きが、
> 徐々に弱まっていき完全に静寂になるまで、
> ひたすら待つ。

おお……。

> 世界が消えても私は在る、
> この感覚が完全になるまで。

(-||-)

> じゃ、pariさん、 ( ´ ▽ ` )ノがんばってね!

(*-_-*)

> 。。。
> 
> 私は、日々、驚きながら生きています。

おお、トニー・パーソンズと同じですね。

> 私は在る、
> そこから世界が創造された、ビックリ。
> この世界が消えても、私は在る。(°_°)

そこがわたしの本籍地です。
 
> サヴィカルパ・サマディ、
> この世界を見ているが、
> マインドは真我に溶けている、
> そう感じることが時々ある。

はい。

> 時々、この世界が薄くなってゆく。
> そういう感覚を楽しみながら生きています。o(^_-)O

この生涯で帰還したいなぁ。

ありがとうございました。m(_ _)m

Love   pari


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への「情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

アドヴァイタのオッサンさんから

素晴らしいプッシュがありました。

これもまた雲間から漏れでた陽の光、

現象界に滲み出た実在の兆しなのかもしれません。

このメルマガがその薄い雲間になれるのなら、

それもまた上等というものです。

いずれにせよ、

存在するのは意識だけ。

源泉がそのように現れ

源泉がそれを味わっているのでしょう。

今日はまだまだ明るいようです。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2015 paritosho
------------------------------------------------------------