home > 通信 >『アセンション館通信』(第642号):創造は善でも悪でもない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/07/31(第642号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在868名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.創造は善でも悪でもない

2.編集後記
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■ 1.創造は善でも悪でもない
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今年の梅雨が明けて久しぶりの晴天です。

カット照りつけるようになりました。

歯医者があるので午前中バスで街まで行ってきました。

「おはようございます」

と言って診察券をわたすと、

受付嬢は

「電話で日付を変えられました?」(?_?)

と聞くのです。

えっ、と思って確認すると、

今日は予約が入っている日ではないらしい。

いま出した診察券を受け取って見直すと、

たしかに日付は今日ではない。

こんなことがあっていいのでしょうか。(*^_^*)

次の予約を入れるしか仕方がありませんでした。

間違ったのはわたしなのに、

受付嬢は

「わざわざきていただいて申し訳ありません」

と言うのです。

優しいですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

どうやらこれまでわたしは

人生というものをそれなりに“いなせる”ものだと

思ってきたようです。(*-_-*)

つまり、あるていど偶発的な、

そしてまたそれに応じた意味で

リアルなものだと思ってきたようです。

そう思われるようになっているのでしょうね。

ところがどうも、そういうものではないらしいのです。

人生という夢は

ひとつの【寓話】のようなものなのなのかもしれません。

“いなす”とか“あしらう”とか、

“ごまかす”ことなどできるようなものではないらしい。

人生という夢のシナリオは

完全に“その欲望の種が”

“いなし”“あしらい”“ごまかす”であろうことを前提に、

ひとつの寓話として用意されているのかもしれません。

ときおり思わず

pariパターンの口をついて出てくる言葉は、

「恥ずかしさこそが人生だ」というのですが、

なかなかキツイことですね。

このごろ、なぜか

改めてマハルシの言葉が気になります。

そしていつもの本に手を出すのですが、

するとまるで、

こちらの求めを知っているかのように、

そのための言葉を示してくれるのです。

──────────────────
 質問者 世界の苦しみの原因は何だと思われますか?
     そして、どうすれば個人的あるいは集団的に
     それを変えることができるのでしょうか?
 
 マハルシ
 真我を実現しなさい。
 それだけが必要とされるすべてである。
 
 『あるがままに』(p364)
──────────────────

(@_@)

ほんとかなぁ。(-_-)

──────────────────
 質問者 この束縛に満ちた人生のなかで、
     私は真我の至福を実現できるでしょうか?
 
 マハルシ
 真我の至福はつねにあなたとともにある。
 もし真剣にそれを求めるならば、
 かならず見つけるだろう。
 あなたの不幸の原因は、
 外側の人生のなかにあるのではない。
 それは自我として、
 あなたのなかにある。
 
 『あるがままに』(p364)
──────────────────

> 質問者 この束縛に満ちた人生のなかで、
>     私は真我の至福を実現できるでしょうか?

いやー、もう諦めているかもなぁ。(-_-)

> マハルシ
> 真我の至福はつねにあなたとともにある。

はい、それを疑ってはいません。

> もし真剣にそれを求めるならば、
> かならず見つけるだろう。

(/_;)

> あなたの不幸の原因は、
> 外側の人生のなかにあるのではない。

(@_@)

> それは自我として、
> あなたのなかにある。

(*_*) ⌒★?

そうか……。

はじめて聞こえたかも。(-_-;)

──────────────────
 あなたが自分で自分の上に束縛を押しつけておいて、
 それからそれを超えようと虚しくあがくのである。
 すべての不幸は自我のために起こる。
 自我とともにすべての困難がやってくる。
 あなたの本当の不幸の原因はあなたの内側にある。
 それを人生のできごとのせいにしたところで
 何の利益があるというのかね?
 外側のものごとからどんな幸福を得ようというのか?
 たとえそれを得たとしても、
 どれほど長くつづくというのだろうか?
 
 もしあなたが自我を否定し、
 それを無視することによって焼き尽くすならば、
 あなたは自由になるだろう。
 もし自我を受け入れるならば、
 それはあなたに制限を押しつけ、
 それを超えようとする虚しいあがきのなかに
 あなたを投げ入れるだろう。
 本来の自己である真我として在ることが、
 永遠にあなたのものである至福を実現する
 唯一の方法である。
 
 『あるがままに』(p364-365)
──────────────────

> あなたが自分で自分の上に束縛を押しつけておいて、
> それからそれを超えようと虚しくあがくのである。

自分は身体だという観念を受け容れることを

「自分で自分の上に束縛を押しつけ」る

と評しているわけでしょうか。

自分は身体だという観念をいちど受け容れたら、

あとはその観念が増殖させる諸状況を超えようと

虚しくあがく道しか残されていないと。

> すべての不幸は自我のために起こる。
> 自我とともにすべての困難がやってくる。

「自己」の「詐称者」自我を糾弾するマハルシの言葉は

マイケル・ラングフォード並ですね。

(歴史的順番は逆かもしれませんが。(^^;)

 ラメッシ・バルセカールは
 
 エゴを受け容れることを説きますから、
 
 覚者が使う方便は本当に個々別々です。 )

> あなたの本当の不幸の原因はあなたの内側にある。

そうか……。

外側での対処は夢のなかの対処なのだから

実際は何も期待できないわけだ。(-_-;)

> それを人生のできごとのせいにしたところで
> 何の利益があるというのかね?

ますます夢にハマるだけ。

> 外側のものごとからどんな幸福を得ようというのか?

(*-_-*)

> たとえそれを得たとしても、
> どれほど長くつづくというのだろうか?

たしかに。

> もしあなたが自我を否定し、
> それを無視することによって焼き尽くすならば、
> あなたは自由になるだろう。

【無視することによって焼き尽くす】かぁ……。

> もし自我を受け入れるならば、
> それはあなたに制限を押しつけ、
> それを超えようとする虚しいあがきのなかに
> あなたを投げ入れるだろう。

そう、どこまでつづくぬかるみぞ。

> 本来の自己である真我として在ることが、
> 永遠にあなたのものである至福を実現する
> 唯一の方法である。

ふーむ。

しかし思わず問が持ち上がるよなぁ。

──────────────────
 質問者 もし本当に束縛も解脱も存在しないのなら、喜びや悲し
     みという現実的な体験はなぜあるのでしょうか?
 
 マハルシ
 喜びや悲しみは、
 人が真の本性を離れたときにだけ事実であるように見える。
 実際には、喜びも悲しみも存在しない。
 
 『あるがままに』(p365)
──────────────────

> 喜びや悲しみは、
> 人が真の本性を離れたときにだけ事実であるように見える。

なぬ。

> 実際には、喜びも悲しみも存在しない。

喜びや悲しみは夢のなかにしかないわけか。

うーむ。(-_-;)

ならば創造とはいったい……。

──────────────────
 質問者 世界が創造されたのは幸福のためでしょうか、
     不幸のためでしょうか?
 
 マハルシ
 創造は善でも悪でもない。
 それはあるがままにある。
 ものごとを自分の角度から眺め、
 自分の利益に沿うように解釈し、
 そのうえにあらゆる類の説明を押しつけるのは
 人間の心なのだ。
 ひとりの女性はただの女性である。
 だが、ひとつの心は彼女を「母」と呼び、
 別の心は「妹」と呼ぶ。
 さらに別の心は「叔母」と呼ぶといったように。
 男は女を愛すが、蛇は憎む。
 そして道端の草や石には無関心だ。
 こういった価値判断が
 世界中のすべての不幸の原因なのである。
 
 『あるがままに』(p365-366)
──────────────────

> 創造は善でも悪でもない。

【創造は善でも悪でもない】。

ふーん。

> それはあるがままにある。

おお。

【あるがまま】とはそういう意味なのか。

> ものごとを自分の角度から眺め、
> 自分の利益に沿うように解釈し、
> そのうえにあらゆる類の説明を押しつけるのは
> 人間の心なのだ。

たしかに。

> ひとりの女性はただの女性である。

はい。

> だが、ひとつの心は彼女を「母」と呼び、
> 別の心は「妹」と呼ぶ。
> さらに別の心は「叔母」と呼ぶといったように。

なるほど。

> 男は女を愛すが、蛇は憎む。
> そして道端の草や石には無関心だ。

おお。(*@_@*)

> こういった価値判断が
> 世界中のすべての不幸の原因なのである。

ガーン! (*_*) ⌒★?

なんという完璧無比の論理性……。

──────────────────
 創造は菩提樹のようだ。
 鳥たちがやってきては木の実をついばみ、
 枝の葉陰に巣をつくって憩う。
 人びとは木陰に涼む。
 だが、ある人は
 その枝で首を吊ってしまうかもしれない。
 それでも、
 樹はその静かな生を送り、
 人びとが彼をどう利用しょうと気にかけない。
 自分で困難をつくり出しておいて、
 それから救いを求めるのは人間の心なのである。
 ひとりの人には平和を与えておいて、
 別の人には苦しみを与えるほど
 神は不公平だろうか?
 創造のなかにはすべてをつくり出せるほどの
 じゅうぶんな空間がある。
 だが、人は真、善、美を見ようとしない。
 その代わりに、
 彼はご馳走の横に座っていながら
 手を伸ばすこともせず、
 「いったい誰の責任だ、神のか、人間のか?」
 と泣き言を言いつづける
 空腹の人のようなものである。
 
 『あるがままに』(p366)
──────────────────

> 創造は菩提樹のようだ。

どういう意味? (?_?)

> 鳥たちがやってきては木の実をついばみ、
> 枝の葉陰に巣をつくって憩う。
> 人びとは木陰に涼む。

はい。

> だが、ある人は
> その枝で首を吊ってしまうかもしれない。

おお。(@_@)

> それでも、
> 樹はその静かな生を送り、
> 人びとが彼をどう利用しょうと気にかけない。

なるほど。

> 自分で困難をつくり出しておいて、
> それから救いを求めるのは人間の心なのである。

あーあ、そういう意味。

> ひとりの人には平和を与えておいて、
> 別の人には苦しみを与えるほど
> 神は不公平だろうか?

いや、さすがに、それはないかも。(-_-;)

> 創造のなかにはすべてをつくり出せるほどの
> じゅうぶんな空間がある。

はい。

> だが、人は真、善、美を見ようとしない。

ふむ。

> その代わりに、
> 彼はご馳走の横に座っていながら
> 手を伸ばすこともせず、
> 「いったい誰の責任だ、神のか、人間のか?」
> と泣き言を言いつづける
> 空腹の人のようなものである。

(*-_-*)

そういうことかぁ。

──────────────────
 質問者 もし神がすべてであるなら、どうして個人は自分の行為
     によって苦しむのでしょうか? 個人に苦しみをもたら
     した行為でさえ、神によって引き起こされたのではあり
     ませんか?
 
 マハルシ
 自分を行為する人だと思う人が苦しむ人でもある。
 
 『あるがままに』(p366)
──────────────────

> 質問者 もし神がすべてであるなら、どうして個人は自分の行為
>     によって苦しむのでしょうか? 個人に苦しみをもたら
>     した行為でさえ、神によって引き起こされたのではあり
>     ませんか?

そうそう、そう言いたくなる時があるよね。

ラメッシ・バルセカールの「聖なる催眠」だって、

聞きようによってはそういう意味にもなる。

人間というバイオ・ロボットを

悔しさと恥ずかしさにまみれさせるために、

神が「聖なる催眠」をかけたんだって。

> マハルシ
> 自分を行為する人だと思う人が苦しむ人でもある。

あ。(@_@) ⌒★?

これか……。(*-_-*)

いや、それだって……。(@_@)

──────────────────
 質問者 しかし、行為は神によって引き起こされ、
     個人は単なる神の道具です。
 
 マハルシ
 この論理が通用するのは
 人が苦しんだときだけであって、
 喜んでいるときではない。
 もしその確信が確立されれば、
 苦しみもなくなることだろう。
 
 『あるがままに』(p366)
──────────────────

> 質問者 しかし、行為は神によって引き起こされ、
>     個人は単なる神の道具です。

そうそう。

> マハルシ
> この論理が通用するのは
> 人が苦しんだときだけであって、
> 喜んでいるときではない。

あーあ。(>_<)

> もしその確信が確立されれば、
> 苦しみもなくなることだろう。

そういうことかぁ。(*-_-*)

たしかになぁ。

そうなると……。

──────────────────
 質問者 苦しみがやむのはいつのことでしょうか?
 
 マハルシ
 個我が失われるまでは無理である。
 善行と悪行がどちらも神のものであるなら、
 どうして喜びと苦しみだけがあなたのものなのか?
 善と悪を行なうその人が、
 喜びと苦しみも味わうのだ。
 あるがままにあらしめなさい。
 そして自分自身に
 苦しみを押しつけるのはやめなさい。
 
 『あるがままに』(p366)
──────────────────

> 質問者 苦しみがやむのはいつのことでしょうか?

うんうん。

> マハルシ
> 個我が失われるまでは無理である。

う。(-_-;)

> 善行と悪行がどちらも神のものであるなら、
> どうして喜びと苦しみだけがあなたのものなのか?

まったく。(*-_-*)

> 善と悪を行なうその人が、
> 喜びと苦しみも味わうのだ。

あーあ、そういうことかぁ。

> あるがままにあらしめなさい。

【あるがままに】あらしめなさい。

> そして自分自身に
> 苦しみを押しつけるのはやめなさい。

(-||-)

それでも、客観的な苦しみがあるように

思えちゃうんだよなぁ。(;_;)

──────────────────
 質問者 なぜ苦しみが存在しないと言われるのでしょうか?
     私はそれをあらゆるところに見ているのです。
 
 マハルシ
 ハートとして
 すべての人の内に輝く自己の実在は、
 純粋な至福の大海である。
 それゆえ、
 空の青さが実在ではないように、
 苦しみも実在ではなく、
 単なる想像のなかにしか存在しない。
 無知の暗闇に妨げられることのない
 ジニャーナの太陽は、
 自ら幸福として輝いている。
 それこそが自己の実在であり、
 苦しみとは
 個人という偽りの感覚から生まれた幻でしかない。
 実際、
 幻として以外に苦しみを体験した者は誰もいない。
 もし至福である真我を探究すれば、
 生涯苦しみを味わうことはないだろう。
 身体が「私」であるという観念、
 ただその妄想だけが苦しみの原因なのである。
 
 『あるがままに』(p366)
──────────────────

> 質問者 なぜ苦しみが存在しないと言われるのでしょうか?
>     私はそれをあらゆるところに見ているのです。

そう。

> マハルシ
> ハートとして
> すべての人の内に輝く自己の実在は、
> 純粋な至福の大海である。

信じます。

> それゆえ、
> 空の青さが実在ではないように、
> 苦しみも実在ではなく、
> 単なる想像のなかにしか存在しない。

そうなんだ……。

> 無知の暗闇に妨げられることのない
> ジニャーナの太陽は、
> 自ら幸福として輝いている。

対象世界を見なければ

そういうのが真の存在なんだ……。

> それこそが自己の実在であり、
> 苦しみとは
> 個人という偽りの感覚から生まれた幻でしかない。

苦しみこそが幻なのか。

> 実際、
> 幻として以外に苦しみを体験した者は誰もいない。

苦しみは下品の徴なのか。(^_-)  \←……(\/U)

> もし至福である真我を探究すれば、
> 生涯苦しみを味わうことはないだろう。

そうかぁ。(-_-)

> 身体が「私」であるという観念、
> ただその妄想だけが苦しみの原因なのである。

そうなんだ。

これじゃ、

真我を探究するしかないなぁ。(*-_-*)

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 2.編集後記:
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■ 2.編集後記:
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ラマナ・マハルシの言葉が

あまりにも論理的なのに改めて驚きました。

これは、誤解のしようがない。

【創造は善でも悪でもない】

そんな超越的な見解が

理解できるとは思っていませんでした。

しかし、いちどこの説明を聞けばどうでしょう。

「創造は善でも悪でもない。
 それはあるがままにある。
 ものごとを自分の角度から眺め、
 自分の利益に沿うように解釈し、
 そのうえにあらゆる類の説明を押しつけるのは
 人間の心なのだ。
 ひとりの女性はただの女性である。
 だが、ひとつの心は彼女を「母」と呼び、
 別の心は「妹」と呼ぶ。
 さらに別の心は「叔母」と呼ぶといったように。
 男は女を愛すが、蛇は憎む。
 そして道端の草や石には無関心だ。
 こういった価値判断が
 世界中のすべての不幸の原因なのである」

このあまりにも明確な論理性を

疑うことはできません。

そしてこういった価値判断がすべて

単に劇のなかのその身体の立場という

完全に恣意的な根拠に依存しているのが明白な以上、

その意味での幸福も不幸も、

完全に想像上のものであることは明白です。

結局、われわれは

幸福と不幸をまったく知らない

熟睡のなかのその存在を実現するしかないようです。

今日は昏くなりました。

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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