home > 通信 >『アセンション館通信』(第644号):感情はただの想念にすぎない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/08/14(第644号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

何でもないものが、あらゆるものになってみている。

この瞬間に気づきの内容があり、それに気づくことが起こっている。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在868名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.感情はただの想念にすぎない

2.編集後記
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■ 1.感情はただの想念にすぎない
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今日は土曜日。

なんか嬉しい。(^^;)

今日は関東地方だけ曇り空らしいですね。

この山の中も曇天で涼しくて過ごしやすいです。

やっぱり楽なのはいいですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

エネルギーに溢れているときは

そのエネルギーを使って一生懸命

幸福の体験を求めて不幸になったりします。

それが人生ですよね。

もちろん、

当人は自分がやっているつもりですけど、

そんなこと個人が“自分の自由意志”で意図して

(つまり自分の尻尾の宇宙を振り回して (^_-) )

できるようなことじゃない。

ただそうなるように定められた身体だから、

そういう運命を通過するようになっているだけでしょう。

しかも“自分”が意図してやっているという

特典の幻想付きで。

pariパターンだって、

ちゃんとその役割を果たしてきましたよ。

立派なものです。(*^_^*)

最近やっとその年季が尽きはじめたのか、

pariパターンなんてものがいるのかどうか、

ちょっと怪しくなってきましたけどね。(^_-)

われわれひとつひとつのパターンが

とても固有のものであることに疑いはありません。

なにしろ、

ラメッシ・バルセカールが定義したように、

【DNA】と【条件づけ】という

立派な二重のプログラミングを装備して

このゲーム空間に配属されたバイオロボットなのですから。

最近はこの地上のAI(人工知能)技術だって

とても進化しましたよね。

ディープラーニングとかビッグデータとか

新たな技術を繰り出して、

Google、Facebook、Microsoft といった大手プレイヤーが

鎬を削っているのだとか。

遅かれ早かれ

囲碁将棋も含めて

ボードゲームでは人間は叶わなくなるでしょう。

最近は東京大学医科学研究所が導入した

2000万件もの医学論文を学習した人工知能が、

専門の医師でも診断が難しい特殊な白血病の病名を特定して

実際に患者の治癒に貢献したそうですね。

まあ、

専門家システムが人間の能力を超えることは

既定の路線にすぎないでしょう。

pariパターンなども二十年ほど前に

このようなことを書かされたこともあります。

──────────────────
 コンピュータ・テクノロジーと
 バイオ・テクノロジーが発展するこれからの時代、
 私たち人間は二つの技術によって
 両面から挟撃されているともいえる。
 自分の思考内容と判断を自分だと思っていれば、
 いつかコンピュータの能力によって、
 それが一部置換される時代が来ないとはいえない。
 また自分の肉体こそが自分だと思っていれば、
 バイオ・テクノロジーによって
 人間の存在根拠が脅かされるような時代が
 来ないともいえない。
 コンピュータの専門家(エキスパート)システムが
 人間のきわめて専門的な判断能力を置換しうることは
 すでに実証済みらしい。
 人間の論理的思考能力と
 その結論としての判断力に限っていえば、
 コンピュータの能力が
 人間のそれを凌駕する時代が来ることは、
 既定の事実といってもいいだろう。
 私たち人間は、
 望むと望まざるに関わらず、
 今や社会の発展段階そのものによって
 自分が誰なのか、私とは何なのかという
 問いに直面させられる状況に入って来た。
 
 https://www.ascensionkan.com/work/04comp_01kyougeki.html
──────────────────

まあ、ずいぶんわかったようなことを

言わされています。

けっきょく、

ひとつひとつの人格が、

独自だユニークだ賜物だという言い方をするなら、

それが独自でユニークであることに

まったく疑問はないでしょう。

そして、もしかしたら

その固有性にどれだけ執着できるかさえも

その身体の【DNA】と【条件づけ】という

二重のプログラミングによって

運命づけられているかもしれないのです。

しかしラマナ・マハルシは

身体がたどる運命に関しては

いかなる微小な変化の余地も認めないのに

身体との自己同化に関しては

努力の余地も可能性も許容しています。

──────────────────
 人が手にできる唯一の自由とは、
 努力をしてジニャーニを得ることである。
 それが彼と身体との同一化を断ち切る。
 身体はプラーラブダによって宿命づけられた、
 避けることのできない行為を
 通り抜けていくだろう。
 人は身体と彼自身を同一視し、
 その身体の行為の報いに執着するか、
 あるいはそれから離れ、
 身体の活動の単なる目撃者となるか、
 という選択の自由だけをもっているのである。
 
 『あるがままに』(p389) 
──────────────────

(*_*) ⌒★?

ラマナ・マハルシはこれに関して

【人が手にできる唯一の自由】

という言葉を使っています。

それはあなたが意図して手にできる

唯一の自由なのだ、と。

現象世界という夢のなかで、

身体の誕生は無際限に起こりつづけるだろう。

しかしあなたは必ずしも

その誕生する身体に自己同化しなくてもいいのだ、

と言っているかのごとくです。(-_-;)

もちろん、

永遠に自己同化しつづけることも

また許されているのかもしれない。

しかし、

あなたは必ずしも、

その身体に自己同化しつづけなくてもいいのだ。

あなたはその夢から醒めてもいいのだ、と。(@_@)

これは驚くべきメッセージではないでしょうか。

たとえば、

セイラー・ボブ・アダムソンや

ラメッシ・バルセカールによれば、

彼らの師匠のニサルガダッタは

われわれの脳裏に浮上する思考を

郵便配達に喩えて、

その【配達は受け取らなくてもいい】という

表現を使ったそうです。

つまり、

ニサルガダッタの方便的表現でも

思考が浮上してくること自体は

避けられないが、

しかしそれを受け取ることまで

運命づけられているわけではない、

と伝えていたのかもしれない。

“自分”の頭に浮かんでくる

“ユニークな思考”に対する執着が解ければ

その思考を真に受けることもなくなる。

事実、

浮上する思考自体は

この身体というバイオロボットが分泌する汗、

バイオコンピュータの出力にすぎない。

近年の地上の科学的洞察のひとつ

デイヴィッド・イーグルマンの

『意識は傍観者である: 脳の知られざる営み』には、

いわば“顕在意識=新聞の見出し”論

とでも言うべきじつに秀抜な比喩が

述べられています。

──────────────────
 脳は複雑なシステムだが、
 だからといつて理解不能ということではない。
 私たちの神経回路は、
 人類が進化していくなかで
 祖先が直面した問題を解決するために、
 自然淘汰によってつくられたものだ。
 牌臓や目と同じように、
 脳も進化の圧力によってつくられてきた。
 意識も同じだ。
 意識は有利だから発達したのだが、
 有利なのは限定的な範囲だけである。
 ある国のその時々の生活や環境を
 明らかにするような活動について考えてみよう。
 工場が稼働し、
 通信ラインがうなり、
 企業が製品を出荷する。
 人々はひっきりなしに食べる。
 下水道は排泄物を運ぶ。
 広大な国土のいたるところで警察が犯罪者を追跡する。
 握手で取引が成立する。
 恋人たちはデートをする。
 秘書は電話をさばき、
 教師は教え、スポーツ選手は競い、医者は手術をし、
 バスの運転手はバスを走らせる。
 あなたは大国で起きていることを
 つねに知りたいかもしれないが、
 あらゆる情報を一度に手に入れることはできない。
 たとえできても役に立たないだろう。
 要約が必要だ。
 だからあなたは新聞を手に取る――
 《ニューヨーク・タイムズ》のような難しい新聞ではなく、
 《USAトゥデイ》のような軽いものだ。
 新聞にその活動の詳細が
 まったく出ていなくても意外ではない。
 結局、あなたが知りたいのは結論だ。
 家計に影響する新しい税法を
 議会が成立させたことは知りたいが、
 法律家や企業や議事妨害がからむ細かい経緯は、
 新たな結論にとってとくに重要ではない。
 それに、国の食料供給に関する詳細
 ――牛がどうやつて食べていて、
 何頭が食べられているか――
 をすべて知りたくはないはずで、
 狂牛病が急増した場合に警告してはしいだけだ。
 気になるのはゴミがどういうふうに出て、
 どういうふうにまとめられるかではなく、
 自分の家の裏に処理場ができるかどうかだけだ。
 工場の配線やインフラなどどうでもよくて、
 気になるのは労働者がストをやるかどうかだけだ。
 そういうことを新聞で読んで知る。
 意識とは、その新聞のようなものだ。
 脳は四六時中、忙しく働いていて、
 国と同じように
 ほぼあらゆることが局所的に発生する。
 小グループがたえまなく決定を下し、
 ほかのグループにメッセージを送りだす。
 そのような局所的な相互作用から、
 もつと大きい連携が生まれる。
 あなたが心のなかの大見出しを読むころには、
 重要な行動はすでに起こっていて、
 取引は成立している。
 あなたがアクセスできる
 舞台裏の事情は驚くほど少ない。
 すべての政治運動は土台から積み重ねられていて、
 あなたが感情や直感や考えとして
 その気配を感じる前に、
 止められなくなっている。
 情報を最後に聞くのはあなただ。
 
 しかし、
 あなたには新聞読者にしては妙なところがある。
 見出しを読んで、
 最初に思いついたのは自分であるかのように、
 その考えを自分の手柄にするのだ。
 あなたは大はしやぎで言う。
 「いいことを考えついた!」。
 しかし実際には
 あなたにひらめきの瞬間が訪れる前に、
 脳が膨大な量の仕事をやっていたのだ。
 ひとつのアイデアが舞台裏から表に出てくるとき、
 あなたの神経回路は何時間も、何日も、
 あるいは何年もそれに取り組み、
 情報を集約して新たな組み合わせを試している。
 しかしあなたは舞台裏に隠れている
 壮大なメカニズムに驚嘆することもなく、
 手柄を横取りする。
 
 それに、
 あなたが自分の手柄だと考えることを、
 誰が責められよう。
 脳はひそかにたくらみを実行し、
 ものすごい魔法のようにアイデアを呼びだす。
 意識的な認知力が
 壮大なオペレーティングシステムを探ることを許さない。
 脳は身分を隠して仕切っているのだ。……
 
 『意識は傍観者である』(p15-17) 
──────────────────

なんと!?(@_@) ⌒★?

われわれが自分の考えだと思っていたものは、

ウソでも方便でもなく、

事実、間違いなく適切に塩梅された

【配達】だったわけです。

じっさい、誰が

牛のうんこ(ブルシット)の量まで

知りたがるでしょうか?

いや、これが結構、

知りたがったりして。(*^_^*)

要するに……結局……、

ただ幸せであるものが

体験という知覚対象となる粗雑な状態に焦点を合わせ

それを掴んでは慌ててそれを自己と間違えて、

そして不幸になっているだけなのでしょう。

でも、通常は

まわりにこれを引き止めてくれる人はいない。

なぜなら、まわりの誰もが

その同じことをしているわけだから。

でもどうしても

そういう状態に耐えられなくなったパターンは

自然にその苦悩を鎮めてくれる

波動や情報に出逢うことになる。

──────────────────
 質問者 私はつねに落ち着きがなく、切望し、
     期待し、探しだし、見つけだし、楽しみ、
     放棄し、また探しはじめるのです。
     何が私を煮えたたせつづけるのでしょうか?
 
 マハラジ
 本当は、あなたは
 知らぬままにあなた自身を探しているのだ。
 あなたは愛するにふさわしい、
 完全に愛する価値あるものに恋いこがれている。
 無知ゆえに、
 あなたはそれを矛盾と対立の世界のなかに探し求めている。
 あなたがそれを内側に見いだしたとき、
 あなたの探求は終わるのだ。
 
 『私は在る』(p419) 
──────────────────

(-||-)

こういう情報に出逢うのは

その他の幸福を約束してくれそうな

あらゆる知覚可能な体験を求める試みに

失敗してからのことです。

もしそうでなく、

欲望を満たすことで欲望を超越できるのなら、

おそらくとおの昔に、

人類は全員、

欲望を超越しているでしょう。

これほどみんなが

欲望の満足のために頑張っているのに、

全員が欲望を超越していないなどということは

考えられない。(*^_^*)

──────────────────
 質問者 欲望やヴァーサナーから解放されるには、
     それらをどのように扱うのが一番でしょうか?
     それらを満足させたほうがいいのでしょうか、
     それとも無視したほうがいいのでしょうか?
 
 マハルシ
 もし、欲望を満足させることで
 それから解放されるというのなら、
 満足させるがいい。
 だが概して、
 満足させることで欲望が消え去るということはない。
 その方法で欲望を消し去ろうと試みることは、
 油を注いで火を消そうとするようなものである。
 強制的に欲望を抑圧することも
 正しい対処法とは言えない。
 なぜなら、
 そのような抑圧にはかならず反発があり、
 のちに欲望が強力に湧き上がってきて、
 求めもしない結果をもたらすからである。
 欲望から解放されるための正しい方法とは、
 「欲望しているのは誰か?」、
 「その源とは何か?」を探しだすことである。
 これが見いだされたとき、
 欲望は根こそぎにされ、
 決して再び現れることはないだろう。
 食べること、飲むこと、眠ること、排泄することも
 欲望の範疇に入るかもしれないが、
 それらを満たすことに問題はない。
 それらがヴァーサナーを心に植えつけて、
 あなたに再誕生を余儀なくさせることはない。
 これらの活動は
 ただ生活をつづけていくために必要なものであって、
 ヴァーサナーを発展させたり、
 あとに残したりするようなことはないからである。
 それゆえ、
 概してそれを満たすことが新たな欲望を呼び、
 心のなかにヴァーサナーを作りだすような欲望でなければ、
 それらを満足させることに害はないと言えよう。
 
 『あるがままに』(p311-312)
──────────────────

> だが概して、
> 満足させることで欲望が消え去るということはない。

はい、わかってます。

> その方法で欲望を消し去ろうと試みることは、
> 油を注いで火を消そうとするようなものである。

やっぱり。(*-_-*)

(-||-)

じゃ、結局、欲望や想念を無視して

いつも無心でいなくてはならない、

この質問者も、そう思ったから

こんなふうに質問したんだろうなぁ。

──────────────────
 質問者 人は一日二十四時間、何の想念もなく
     とどまることができるのでしょうか?
     私は瞑想なしでいるべきなのでしょうか?
 
 マハルシ
 「時間」とは何だろうか?
 それはひとつの概念である。
 あなたの質問のひとつひとつが
 想念によって引き起こされているのである。
 
 いつであれ想念が起こったときは、
 その波にさらわれてはならない。
 あなたが真我を忘れると、
 身体に気づくようになる。
 だが、
 あなたに真我を忘れることができるだろうか?
 真我として在りながら、
 忘れることができるだろうか?
 もしそうであれば、
 そこには忘れる自分と忘れられる自分の
 二人がいるはずである。
 それは馬鹿げている。
 それゆえ、
 真我は憂鬱ではなく、不完全でもない。
 真我は永遠に幸福である。
 その反対に、
 感情はただの想念にすぎない。
 そして想念自体は力をもっていない。
 想念から自由になりなさい。
 なぜ瞑想をするのか?
 真我として在れば、
 人はつねに実現の状態に在る。
 ただ想念から自由になりなさい。
 
 『あるがままに』(p308-309)
──────────────────

> いつであれ想念が起こったときは、
> その波にさらわれてはならない。

はい。(-_-)

> あなたが真我を忘れると、
> 身体に気づくようになる。

ああ、そういうことなんですね。(@_@)

> だが、
> あなたに真我を忘れることができるだろうか?

ん?!

> 真我として在りながら、
> 忘れることができるだろうか?

(?_?)O

> もしそうであれば、
> そこには忘れる自分と忘れられる自分の
> 二人がいるはずである。

ああ……。

> それは馬鹿げている。

なるほど。

> それゆえ、
> 真我は憂鬱ではなく、不完全でもない。

すごい帰結。(@_@)

> 真我は永遠に幸福である。

はい。

> その反対に、
> 感情はただの想念にすぎない。

(@_@) ⌒★?

【感情はただの想念にすぎない】

> そして想念自体は力をもっていない。

【想念自体は力をもっていない】

> 想念から自由になりなさい。

おおお。

> なぜ瞑想をするのか?
> 真我として在れば、
> 人はつねに実現の状態に在る。

(-_-)

> ただ想念から自由になりなさい。

わかりました。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
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新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 2.編集後記:
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この身体が

道具として使われていることを

何となく感じます。

でもだからといって、

逆らえるというわけでもないですが。

身体は身体がしなければならないことを、

しないわけにはいかないでしょう。

われわれは想念を知覚できます。

あらゆる情調を知覚できます。

ということは、

あらゆる想念、あらゆる情調は、

わたしではないということなのでしょう。

「真我は永遠に幸福である。
 その反対に、
 感情はただの想念にすぎない。
 そして想念自体は力をもっていない。
 想念から自由になりなさい」

わかりました。(-||-)

今日は明るいうちに終えました。

それではまた。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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