━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/08/21(第646号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
現象がpariに起こっているかぎりpariの苦しみは避けられない。
pariとは誰か、そういう者は本当に存在しているのか?
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在871名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.ある精神世界オタクの呟き
2.「ご投稿・情報提供」:youさん
3.編集後記
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■ 1.ある精神世界オタクの呟き
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台風が来るみたいですね。
屋根に上がってちょっと修理をしてきました。
昔は下の畑の周囲のシシドメを何年も修理したものですが、
今はほぼ成功して、それはもうやりません。
でも、屋根はまだ完璧じゃない。
台風が来るとなるとやっぱりね、
できるだけのことはしておかなきゃ。
ふふ。(^^;)
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?
この身体は現象の一部であって、
この身体が現象に気づいているわけではない。
この身体は体験の一部であって、
この身体が体験しているわけではない。
このようなことを、
知的には理解しているという方は
世の中にはたくさんいらっしゃるでしょうね。
さしずめ、このメルマガの周辺では
書き手を含めて読者の方々も、
おそらく、情報としては
全員知っているのではないでしょうか。
では、日常的に
この身体を現象の一部として見ているかとなったら、
そんなことが起こっている方は
ごくごく例外的だろうと思います。
pariパターンも含めて、
たいていの精神世界オタク、
言うなれば
“ディレッタントスピリチュアリスト”たちは
日常生活では
この身体が自分だと思って生活しているはずです。
マハルシやマハラジの言い方でいうところの
「行為者」として生活しているだろうと思います。
では、無知の煙幕の中で探求ゴッコをつづける
大部分の精神世界オタクたちと
無知の煙幕を鎮めきって、帰還を果たす方々とは
いったい何が違うのか?
そういう疑問(想念)も湧きますよね。(*^_^*)
帰還した方々(解体した想念群)にとっては
煙幕(想念)そのものがが雲散霧消してしまったので、
そこには実在(知る者)しか残っていない。
そこにはベクトルとして交わらない
二つの重力圏があるようなものでしょうか。
ひとつは、
あまりにも自明な存在の至福に満足した
無とも言える沈黙の圏域です。
もう一方は、
生き物たちが他の生き物たちを食べることでしか
生存できない夢のドラマが展開する圏域。
そこはさまざまの想像力が
多様な意味と価値を競い合うヘルパラダイス。
いわゆる三千世界と言われる境域です。
じつは後者は前者の光の中の浮遊塵です。
この浮遊塵の中に展開する光と影は
浮遊塵の中からと外からは
まったく別のものに見える。
というよりはむしろ、
互いに他の圏域はまったく見えない。
ただときどき
夢の圏域の中で極度に苦しむある生き物が
途方もない加速をかけて脱出を試みて、
関心のベクトルが反転することがあるだけです。
関心のベクトルが反転した瞬間、
じつはヘルパラダイスは存在していなかった
ことが自明になる。
それはただの変化する模様にすぎなかった。
敢えて関心を向ければその模様は現れる。
敢えて見なければそれは光の中に溶ける。
ここからはその浮遊塵のなかの
ある精神世界情報“耳年増”の、
言い換えれば、
“ディレッタントスピリチュアリスト”の想像です。(^_-)
これまで浮遊塵を覗き込んでいて
その煙幕に投影される虚構のドラマ(娯楽)に
心底辟易した者は、何かがおかしいと感じはじめる。
そして思わず我に返る。
自分はいったい何をしているのか?
自分はいったい誰なのかと。
そして初めて注意を自分(知る者)に向けはじめる。
その時点でそもそも煙幕(想念群)のほうを見ていない。
その状態では、
むろん、無知(想念群)は存在できないので、
無知は存在しない。
しかし、
あえて無知(想念群)に目を向ければ
無知というものが、
なんらかの粗雑な現象に対する執着であることも
自明になる。
だから、もちろん、
無知の煙幕(夢)のなかで苦しんでいる者が
単なるつかの間の想念(一瞬の執着)として
現象しているにすぎないことも自明になる。
つまり、“苦しむ者”といっても
それは単なるつかの間の想念(一瞬の執着)でしかなく、
実体としては存在しないことが自明になる。
しかし、
ジーヴァン・ムクタ(生存中の解脱者)という
一種例外的で特別の状況(の身体)には
想念群を真我の中に鎮めきってきた過程の
記憶が残っているので、
想念群(現象界)の必要に応答することができる。
無知(想念群)のなかで苦しむ者に、
(言い換えれば、
現象化していない想像に執着している想念に)
あなたは、じつは
(光を当てられた)想念にすぎない、
と伝えることができる。
あなたは、あなたの身体という現象の一部分を
自分の実体だと誤解して、
その前提の上に構築された劇のなかで
あなたが期待する好みの形態に執着しているが、
その執着という想念(微細な物質現象)以外に
あなたという実体が存在しているわけではない。
あなたが自分だと思っているその想念や感情は、
「私」という最初の想念に対して起こっている。
「私」という最初の想念の基盤の上に起こっている。
だから、もしあなたが
その「私」という最初の想念の源にたどりつけば、
「私」というのが単なる一つの想念であることが
わかるだろう。
そして、それがわかったとたんに、
その「私」という想念が消えても
あなたが存在していることを知るだろう。
そして、いったんそれがわかれば、
あなたはもう二度と再び
あなたという意識の光のなかでしか現象しない
想念群のなかだけで展開されている劇に
本気で夢中になることはできないだろう。
(-||-)
どうやらpariパターンというのは、
自ら体験もせずに、
言葉だけでこういうことを綴れるパターンとして
誕生させられた道具であるようです。
といっても、
真我がpariパターンをも誕生させた
と言っているわけではありません。
真我は現象世界とは無縁です。
真我がエゴを誕生させたわけではない。
そのあたりでラマナ・マハルシの言葉は、
ラメッシ・バルセカールが使う方便とは違うようです。
マハルシは真我とエゴの関係を
太陽と地上の人間世界に喩えます。
すべては神によってなされているのではないか、
と問う声に、マハルシはこう答えます。
──────────────────
17 すべては神のなせるわざではないのでしょうか?
欲望も決意も努力もなしに太陽は昇る。
太陽がただそこに存在するだけで、
日長石は火を発し、
蓮の花は開き、水は蒸発していく。
磁力が存在することによって
磁石の針が動くように、
人びとが三つの宇宙的機能や
五つの神聖な活動に支配され、
それぞれのカルマにしたがって行為し、
そして休息するのは、
ただ神が存在するという美徳によるものである。
神は何の決意も持たず、
いかなるカルマも彼に属さない。
それは、
世間の行為が太陽に影響をあたえず、
すべてに遍在するエーテルが
他の四元素の長所や短所に
影響されないのと同じである。
『あるがままに』(p401)
──────────────────
> 神は何の決意も持たず、
> いかなるカルマも彼に属さない。
ラマナ・マハルシは
神がわれわれのエゴを意図したとか、
神が自分探しの【神の隠れん坊】を意図した
というような想像を語らないようです。
> それは、
> 世間の行為が太陽に影響をあたえず、
> すべてに遍在するエーテルが
> 他の四元素の長所や短所に
> 影響されないのと同じである。
あくまでも、
あらゆる顕現内実は
非顕現の光のなかで現れることができるのだ。
そしてあなたは
その非顕現の光なのだと
教えてくださっているようです。
(-||-)
そして何度もまた戻ってくる場所がある。
好きなマハラジの言葉を再掲します。
──────────────────
あなたが
あなたを含むすべての証明なのだということを、
まず悟るべきだ。
あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
なぜなら、
他者の存在もあなたによって
確認されなければならないからだ。
あなたは完全に、
あなた自身によって在るのだということを
覚えておきなさい。
あなたはどこからも来なかったし、
どこへも行かない。
あなたは時間を超えた存在、
そして気づきなのだ。
『私は在る』(p178)
──────────────────
> あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
ほんとなんですよねぇ。
ところがわれわれはすぐに、
他の誰かに自分の証明を求めたりする。(-_-;)
> なぜなら、
> 他者の存在もあなたによって
> 確認されなければならないからだ。
まったくです。(-||-)
> あなたは完全に、
> あなた自身によって在るのだということを
> 覚えておきなさい。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
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■ 2.「ご投稿・情報提供」:youさん、
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『アセンション館通信』への
「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今回、youさんという方から情報をご投稿をいただきました。
さっそく、ご紹介します。
【件名】: 道具として
──────────────────
はじめまして。youと申します。
以前から時々読ませていただいていました。
突然pariさんにメールするのを思いつき、聖霊にたずねたところ、
『私が語るようにと、神の言葉が私に与えられる』とACIMのワーク
ブックを開いたところ出まして、メールをさせてもらった次第で
す。
ワークブック276課・神の言葉とは何だろうかそれは「私の子は
私自身と同じように清らかで神聖である」という言葉である。
ワークブック489P世界とは何か・世界とは、誤った知覚であ
る。それは誤りから生じており、その源である誤りから一度も離れ
たことはない。世界が存在するのは、それを生み出した想念が大切
にされている間だけである。分離の想念が真の赦しの想念に変われ
ば、世界はまったく異なるものに見えてくる。それは真理に至る見
方であり、真理の中では全世界とともにその誤りも消滅する。もは
やその源がなくなるので、その結果もまた消え去る。
世界は神に対する攻撃として作り出された。それは恐れを象徴して
いる。そして、恐れとは、愛の不在以外の何だろうか。だから世界
とは、神を締め出せる場所、神の子が神から離れていられる場所と
なるためのものだった。このような狂った想念を智識が生起させる
ことはできないので、ここで知覚というものが生じた。しかし眼は
欺き、耳は偽りを聞く。今や誤謬が可能となる。確実性が消え去っ
たからである。
そのかわりに生じたのが、幻影を作り出す器官であった。五官は、
探すようにと与えられているものを見つけに行く。五官が目指して
いるのは、分離の実在性を証明するために作り出された世界が担っ
ているのと同じ目的を果たすことである。五官は、世界の幻影の中
に、虚偽からは隔離された真理が存在する確固とした基盤だけを見
る。しかし五官が報じるものはすべて、本当の真理からは隔離され
て保持されている幻影にほかならない。
視覚は真理から遠ざかるために作られたが、それを逆方向に向け直
すことも可能である。神が世界の救済者として任命した聖霊によ
り、音声は神にかわって私たちに呼びかけるものとなり、すべての
知覚には新しい目的が与えられる。聖霊の光に従い、聖霊が見る通
りに世界を見なさい。あなたに語りかけるすべてのものの中に、聖
霊の声だけを聞きなさい。そして、あなた自身は投げ捨ててしまっ
たが、天国があなたのために聖霊のうちに保存してきた平安と確か
さを、聖霊から与えてもらいなさい。
私たちの変化した知覚を世界がともにするまでは、安心せずにいよ
う。赦しが完全となるまでは、満足しないでいよう。自分たちの機
能(はたらき)を変えようとするのはやめよう。私たちは世界を救
わなければならない。死にゆくものとして作り出されたものが永遠
の生命を取り戻せるようになるためには、世界を作り出した私たち
自身が、キリストのまなざしを通して世界を見なければならない。
以上です^^/ それではまた
──────────────────
> はじめまして。youと申します。
はじめまして、pariです。(^^)/
> 以前から時々読ませていただいていました。
ありがとうございます。
> 突然pariさんにメールするのを思いつき、聖霊にたずねたところ、
> 『私が語るようにと、神の言葉が私に与えられる』とACIMのワーク
> ブックを開いたところ出まして、メールをさせてもらった次第で
> す。
そうだったんですか。
イエスの言葉は、
アドヴァイタとはまた違った語り方ですよね。
マハラジはこんなふうに言っています。
> 「私は在る」と「神は在る」が
> あなたのマインドのなかで区別不可能となったとき、
> 何かが起こる。
> そのとき疑いの余地なく、
> 神が存在するのはあなたがあるからであり、
> あなたが存在するのは神があるからだと知るだろう。(p241)
youさん、ご投稿ありがとうございました。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
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■ 3.編集後記:
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こうして出てくる言葉に
意味があると思っているわけでもありません。
かといって、
まったく無意味だとわかっていれば
こうして書くこともできないのでしょうが……。
良かれ悪しかれ、
まだこういう言葉が湧いてくる。
これは仕方のないことなのでしょう。
現象としてのpariパターンは
現象世界の一部としての道具にすぎません。
pariパターンとして
その役割を果たすしかありません。
好奇心や嫌悪を感じているのは
そういう感情にフォーカスしている
これもまたpariパターンの一部でしょう。
しかしそういった現象の背後に
そういう現象を可能にしている存在がある。
それは観念としては
きわめて明瞭になってきたけれど、
まだ実現(体験)されていない。
アドヴァイタのオッサンさんがおっしゃっていたように
pariパターンがまだまだ
現象世界に未練があるからだと思います。
こうして書くことが
その未練を焼尽する役も果たしているといいのですが。
今日はすっかり夜になりました。
お休みなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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