home > 通信 >『アセンション館通信』(第652号):実在性の三つの基準



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/10/09(第652号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象がpariに起こっているかぎりpariの苦しみは避けられない。

pariとは誰か、そういう者は本当に存在しているのか?

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在870名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.実在性の三つの基準

2.編集後記
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■ 1.実在性の三つの基準
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今日は土曜日。

夢の中は相変わらず雨模様です。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」を、いかがお過ごしでしょうか?

自分って表現の一部なんだでしょうか?

というか表現の一部になれるんでしょうか?

あなたはどう思いますか?

ここで表現と言ったのは現象のことです。

自分って現象の一部になれるんでしょうか、

と言ってもいいです。

自分が知覚している現象、

自分が眺めているこの現れとしての表現、

自分がこの現れている表現の一部だなんてことが

ありえるんでしょうか?

そういうこと、ありえると思いますか?


でも、ここでこう質問するからには、

その自分の定義も明確にする必要があるのかもしれません。

ここで自分と言ったのは、

この現象を知覚している存在のことです。

現象を知覚する存在がいなければ、

現象はありえませんから。


まあ、言葉の上で、

現象(過程)と知覚(過程)を区別するとしてですが。


普通われわれが自分というとき、

この現象世界のなかに住んでいて、

自分の人生を持っていて、

いろいろ先々のことを心配してたりする存在をイメージします。

身体を自分だと思う観念的現象、

と言ってもいいです。

精神世界用語でいうところの、

身体(過程)に“自己同一化”した観念的存在、

平たく言えば、

身体が自分だと思っている人(観念現象)です。


pariパターンも含めて、

人生ドラマの登場人物はみんなこれですよね。


で、人生ドラマに登場するこの自分は、

人生ドラマという現象を知覚しながら、

なおかつそこでの登場人物でもあるわけです。

その前提がなければ、

人生ドラマは起こりえませんから。

人生ドラマを生きる者にとって

身体が自分だと思っている人(観念現象)は

登場人物としての当然の大前提です。


ところがですね、

ラマナ・マハルシのような方は

この人生ドラマは

身体が自分だと思っている人にだけ起こる

という言い方をします。

──────────────────
 目覚めの状態のなかで起こっていることは何であれ、
 知る者だけに起こる。
 そしてその知る者自身が非実在であるため、
 実際は、
 いままで何も起こってはいなかったし、
 いまも何も起こってはいない。
 そしてこれからも、
 何も起こることはないのである。
 
 『あるがままに』(p333)
──────────────────

ふふ、普通に言えば

これはメチャクチャですね。(*^_^*)

いままでも、いまも、

何も起こっていない、なんて。

で、改めて文字面の意味を確認すると……。

> 目覚めの状態のなかで起こっていることは何であれ、

「目覚めの状態」というのは、

毎日眠りから目覚めて入る世界のことでしょうね。

つまり、普段のわれわれの人生のことです。

そのわれわれの人生ドラマで起こることはすべて、

> 知る者だけに起こる。

と、マハルシはおっしゃる。

ということは、

「知る者」がいなければ人生ドラマは

起こらないということでしょう。

ここでマハルシが言う「知る者」とはどういう意味か?

これは「知ること」とは違うと思います。

「知ること」は現にこうして起こっているし、

気づきの反映としてつねに起こっている。

【見かけ】という現象世界があって、

その現象世界の一部として

この身体過程も起こっているように見えます。

誕生後間もない赤ん坊が目を開ければ

そこに何らかの視覚的パターンが広がっているでしょう。

でもまだ「知る者」は形成されていないので、

「見ること」(のようなこと)が起こっているかもしれない。

まだ「知ること」とすら言えないような

ある種の意識作用が起こっているでしょう。

赤ん坊という有機体(現象)には

「知る者」はいないけれど、

身体過程をともなった生命現象ではあるので、

目が見える子なら、光に反応するでしょうし、

耳が聞こえる子なら、音に反応するでしょう。

だからそこに生命現象があることは疑えない。

でも「知る者」が形成されていないので、

記憶は形成されないでしょうね。

だから、生命現象ではあるだろうけど、

人生ドラマはまだ起こっていない。

「生命」も「人生」も英語では同じ「life」だけれど、

日本語でははっきり、言葉の上でも区別します。

で、生命現象と人生ドラマとでは何が違うのか?

おそらく、生命現象にはないのに

人生ドラマには不可欠の何かがあるんだと思います。

それが、マハルシのいう「知る者」であるか、

または「知る者」の上に形成される個人でしょう。

> そしてその知る者自身が非実在であるため、

マハルシはここでバッサリ、

「知る者」は非実在だと断定します。

そして、「知る者」は非実在であるために、

> 実際は、
> いままで何も起こってはいなかったし、
> いまも何も起こってはいない。
> そしてこれからも、
> 何も起こることはないのである。

と、断定するわけです。


では「非実在」とは何か?

これはもう、文字どおり

「実在しないもの」の意味でしょうね。(^_-)

(*^_^*)

なーんて言っても、それはただの言葉遊びで、

何も言ったことにはなりません。(^^;)

まあ、何が実在かについては、

「知る者」が非実在だと断定する

マハルシ自身に定義してもらうしかありません。

──────────────────
 実在性の基準とは何だろうか?
 何にも依存せずそれ自体で存在し、
 それ自身によってそれ自身を現すもの、
 そして永遠で不変なるもの、
 それが実在である。
 
 『あるがままに』(p330)
──────────────────

マハルシはここで実在の定義として

三つの基準を挙げているようです。

(1)何にも依存せずそれ自体で存在するもの
(2)それ自身によってそれ自身を現すもの
(3)そして永遠で不変なるもの

なーるほど。(-_-;)

実在って、そういう意味だったんですね。

しかし……、

これはなかなか厳しい定義です。

この三つの基準をクリアできるとなったら、

実在しかいないんじゃないでしょうか。(*^_^*)\ゴン←(\/U)

ってえ!(T_T)


(1)何にも依存せずそれ自体で存在するもの

この基準を満たすとなると、

知覚対象はすべてアウトでしょうね。

すべての知覚対象は

知覚してもらわないことには

そもそも現象できませんから。

ということは、この時点ですでに

「私は在る」と自ら宣言できる者以外、

つまり全現象世界はすべてアウトでしょう。

いまのところわれわれは合格みたい。(^_-)

──どうかな?

  もしも全現象世界に依存していないのなら。


(2)それ自身によってそれ自身を現すもの

この基準の意味は厳密にはわかりません。

でも、何となく、

「私は在る」と自ら宣言できる者は

可能性として合格しているかもしれない。


(3)そして永遠で不変なるもの

(>_<)

この時点で、

まず、われわれは全員アウトでしょうね。(^_-)

自分の実体はいざしらず、

自覚的にはわれわれは自分を

「永遠で不変なるもの」とは自認していないでしょう。

いろいろ特徴や気分や履歴を持った存在を

自分だと自認しているでしょうから。


ま、というわけで、

マハルシが何を実在としているかはわかりました。

ここで明らかになったことは、

われわれは洗剤可能性としては合格である。

しかし、

現在の自覚の問題としては

どうやら不合格であるらしい。

どうも、

それだけのことみたいですね。

マハルシはこんなふうに言っています。

──────────────────
 「私は在る」と言わない人はいない。
 「私は身体だ」という誤った知識が
 すべての災いの原因だ。
 この誤った知識が去らなければならない。
 それが真我の実現である。
 真我の実現とは何か新しいものの獲得ではなく、
 新たな能力でもない。
 それはただ
 すべての偽装を剥ぎとったものなのである。
 
 『あるがままに』(p39)
──────────────────

> 「私は在る」と言わない人はいない。

はい。

> 「私は身体だ」という誤った知識が
> すべての災いの原因だ。

わかります。

> この誤った知識が去らなければならない。

はい。

> それが真我の実現である。

わかりました。

> 真我の実現とは何か新しいものの獲得ではなく、
> 新たな能力でもない。
> それはただ
> すべての偽装を剥ぎとったものなのである。

了解いたしました。

(-||-)

言い換えると、

世界に興味があるかぎり、

真我の実現などありうるはずもない

ということのようですね。

そのことをマハルシは、

こんなふうに語っているようです。

──────────────────
 真我のなかから心が外に出るとき、
 世界が現れる。
 それゆえ、
 世界が(実在として)現れているとき、
 真我は現れない。
 真我が輝いて現れるとき、
 世界は現れない。
 人が絶え問なく心の本性を探究しつづけるならば、
 心は真我をあとに残して死減するだろう。
 「真我」と呼ばれているものは、
 アートマンである。
 
 『あるがままに』(p395)
──────────────────

> 真我のなかから心が外に出るとき、
> 世界が現れる。

あぁ、そういうことなんですね。

> それゆえ、
> 世界が(実在として)現れているとき、
> 真我は現れない。

わかりました。(*-_-*)

> 真我が輝いて現れるとき、
> 世界は現れない。

了解いたしました。

> 人が絶え問なく心の本性を探究しつづけるならば、
> 心は真我をあとに残して死減するだろう。

(-_-)

> 「真我」と呼ばれているものは、
> アートマンである。

(-||-)

──────────────────
 自我は現れ、そして消え去る。
 それは一時的なものだ。
 一方、真我は永久的なものだ。
 あなたは、
 実際には真我でありながら、
 真我と自我を誤って同一視しているのである。
 
 『あるがままに』(p46)
──────────────────

> 自我は現れ、そして消え去る。

そうか、自我というのは想念なんですね。

> それは一時的なものだ。

はい。

> 一方、真我は永久的なものだ。

想念を識別可能にする力。

> あなたは、
> 実際には真我でありながら、

自ら想念を識別可能にする力でありながら、

> 真我と自我を誤って同一視しているのである。

そこで識別された想念を自分だと誤解している。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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先程の雨がやんて、

いまは青空が出ています。

それを見ている自分はいるんですが、

もうそれほど問題を作り出すエネルギーも

なくなってきているみたいで。

やっと世間並みになってきているようです。

読んでいただいて、ありがとうございました。

今日はこんなところで。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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