━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/11/20(第658号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
現象がpariに起こっているかぎりpariの苦しみは避けられない。
pariとは誰か、そういう者は本当に存在しているのか?
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在867名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.起こることはすべて自然現象
2.編集後記
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■ 1.起こることはすべて自然現象
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今日は土曜日。
朝からの雨が上がってきて
いま一瞬、空が明るくなってきました。
だいぶ紅葉してきたので
窓からの光景はちょっと日本画みたい。
川合玉堂ふうの色合いです。
https://goo.gl/SMwjWE
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
こんなふうに一週間にいちど
マインドヨーガをやっているだけのパターンにも
それなりに降り積もってくるものがあります。
それは、いうなれば
これをしているものは誰もいないという観念です。
物は言いようで、それは感覚にもなってくる。
もちろん、実情は、四六時中、
「そんなものはないのだ」と、
マハラジに念を押されている
個人的な幸福のために苦闘しいます。
pariパターンだけが楽できるほど
夢の世界は甘くない。(^_-)
とはいえ、非常に深刻に悩むほどのエネルギーもない。
年の功というよりは、
むしろ精神肉体機構の老化による自然現象です。
昔はよく、真面目に後悔もしたものでした。
後悔って、あれですよね、
真面目にやったら、
まじ胃のあたりがおかしくなります。
一ヶ月くらい、
その痛烈な後悔の印象が後を引いたことさえあったものです。
そういう時間の長さで言うなら、
その昔、まだほんとうに身体が若かったころ
四六時中、絶望を味わうような経験をしていました。
いま思うに、それは……まあ、言ってみれば、
胸のあたりに縦に鉛の棒が詰まっているような感覚でした。
とっても真面目に絶望していたものです。
いやいや、なかなか笑い事じゃなかったです。
当人(と思っている)パターンには。
でもそれって、
そういうことを感じている当人が【いる】、
というわけでは、どうやらなかったらしい。
ただ、そういう想念が浮上していただけです。
そしてその想念に強烈にフォーカスしていた。
それだけです。
もちろん、そのときは
自分が【いる】ということを
疑うなど思いもよりませんでしたが。
でも、そういう状態が長いことつづいたら
どういうことになるかについては、
“個人的”に“体験”した、
と言える、まあ誤解というか、感覚はあります。
それが、pariパターンの場合は、
いったい何のためにこんなことがあるのか?
どうしてこういうことが起こる必要があるのか?
そもそも
<何故にすべては始まってしまったのか?>
などという観念的な疑問でした。
まあ、まっしぐらに、
マインドヨーガの道に突き進んだわけです。
もちろん、pariパターンがそういう観念を創造したとか
そういうことじゃなくて、
明らかにこれは【自然現象】です。
つまりですね、
起こっていることはすべて自然現象なんです。
ただ、人間というバイオロボットの場合だけ、
その自然現象を“自分”の創造だと妄想する
(ラメッシ・バルセカールがいうところの)
【聖なる催眠】がかかっているわけです。
このごろ、シャーラの顰蹙(ひんしゅく)を買っています。
「何を言っても『自然現象』のワンパターンで、
話にならない」と。
いやー、まったく
長生きしすぎて、迷惑をかけています。(*-_-*)
まー、そんなこんなでですね、
マハラジにはそんなものは存在しないと言われている
個人的幸福を求めて頑張ってはいるのですが、
と同時に、
ほんとうに真剣に欲望し心配しつづけるための
潤沢なエネルギー供給を
若いときのように受けているわけでもない。
お察しのように、これは自慢じゃなくて、
ほんとに、たんなる自然現象です。
その意味では、
ラメッシ・バルセカールのレトリックはとても的確です。
自然現象を“自分”がやっていると思いこむ
【聖なる催眠】が確かに人間にはかかっている。
そして自然現象として起こっていることを
勝手に“自分”の手柄にして舞い上がったり、
“自分”のせいにして落ち込んだりしている。
でも、こんな観念を知ったからと言って
この思い込みから解放されるわけではない。
【聖なる催眠】が解けていないのですから、
知覚もいっさい変化していません。
それは運命というか
恩寵によってしか変更され得ない。
その【聖なる催眠】がかかった【分離の夢】のなかで
見かけ上の流れを先導するのが
欲望と恐れに導かれた「興味」です。
もちろん、“自分”という実体がいて
その実体がその「興味」を所有しているわけではない。
「興味」に先導されて起こる画面の変化と連動して
その画面の解釈として浮上してくる想念を総称して
“自分”と呼んでいるだけなのでしょう。
──────────────────
解放への道には何も立ちはだかっていない。
そしそしてそれは今ここで起こることができる。
だが、
あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたは
その興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、
それを見抜き、
それが単に判断と賞賛の誤りであることを、
それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
『私は在る』(p475)
──────────────────
つまり、
興味が起きつづけるかぎり
その興味に導かれて
右往左往するしかないということです。
明らかに、単なる自然現象です。
──────────────────
質問者 何が私に興味をもたせるのでしょうか?
マハラジ
苦痛への恐れと快楽への欲望だ。
快楽は苦痛の終焉であり、
苦痛は快楽の終焉だ。
それらは果てしない連続性のなかで
交代しているだけなのだ。
あなたがそれを超えたあなた自身を見いだすまで、
その悪循環を調べてみるがいい。
『私は在る』(p396)
──────────────────
> 質問者 何が私に興味をもたせるのでしょうか?
>
> マハラジ
> 苦痛への恐れと快楽への欲望だ。
まったく、有無を言わせない単純明快さです。
> 快楽は苦痛の終焉であり、
> 苦痛は快楽の終焉だ。
初めて聞こえてきた。
> それらは果てしない連続性のなかで
> 交代しているだけなのだ。
そうなのか。(-_-;)
> あなたがそれを超えたあなた自身を見いだすまで、
> その悪循環を調べてみるがいい。
……。(-_-)
──────────────────
マインドは放っておきなさい。
それだけだ。
それについていってはならない。
結局、あなたの法則ではなく、
それ自体の法則に従って去来する想念を離れて、
マインドというものは存在しないのだ。
ただあなたが興味を持つために、
マインドに支配されてしまうのだ。
『私は在る』(p366)
──────────────────
> 結局、あなたの法則ではなく、
> それ自体の法則に従って去来する想念を離れて、
> マインドというものは存在しないのだ。
たったこれだけのことが了解できない。
“自分”が夢の場面を変更できると思ってしまう。
結局、なんのかんのと言いながら、
“自分”がいると思ってるわけです。
> ただあなたが興味を持つために、
> マインドに支配されてしまうのだ。
そして、
自分はその夢と闘うことはできないわけです。
できることはなにもありません。
自然現象として「興味」が退潮していく以外には。
──────────────────
夢にははじまりがないように見える。
しかし、事実はたった今だ。
一瞬一瞬、
あなたはそれを再生しているのだ。
しかし、あなたは見ない。
なぜなら、
あなたはその夢が続いてほしいからだ。
いかなる代価を支払ってでも、
真剣にその夢が終わってほしいと
一心に願う日がやってくるだろう。
その代価とは、無執着と冷静さ、
その夢自体への興味を失うことだ。
『私は在る』(p525)
──────────────────
> なぜなら、
> あなたはその夢が続いてほしいからだ。
こんなに終わらせたいと思っているふりをしながら、
実際は、そういうことなんだなぁ。
そしてそれが自然現象なんだ。
> いかなる代価を支払ってでも、
> 真剣にその夢が終わってほしいと
> 一心に願う日がやってくるだろう。
いつか自然現象としてそれが起こるのでしょう。
その自然現象が、恩寵というわけです。
> その代価とは、無執着と冷静さ、
> その夢自体への興味を失うことだ。
【その夢自体への興味を失うことだ】という
このマハラジの言葉だけは
なんとなく、歩留まりとして、
pariパターンに浸透してきているような。
──────────────────
満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
満たされた欲望は、
より多くの欲望を生みだす。
すべての欲望に近づかず、
自然にやってくるものに満足していることは、
非常に実りある、
満ち足りた状態への前提となる、
必須の状態なのだ。
一見空虚で不毛に見えることに、
不信をもってはならない。
私を信じてほしい。
欲望を満たすことが惨めさを生みだし、
欲望から自由になることが至福なのだ。
『私は在る』(p267)
──────────────────
> 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
この言葉がどれほど浸透してきているか?
いま手に入るかぎりのエネルギーを
新たなる欲望に注ぎ込んでいるとしても、
それが自然現象として起こっているかぎり、
pariパターンにできることは何もありません。
> 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、
> 欲望から自由になることが至福なのだ。
pariパターンという自然現象が
この理解に達するまで。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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いまもまだ川合玉堂ふうの色合いのなかに
雨が降りつづけています。
あ、またやんできたかな。
これがいま夢のなかで起こっていること。
夢のなかの……あるがまま、あるがまま。
今日はこんなところで。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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