home > 通信 >『アセンション館通信』第659号:すべてはわたしが在ることを思いださせる



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/11/27(第659号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

現象がpariに起こっているかぎりpariの苦しみは避けられない。

pariとは誰か、そういう者は本当に存在しているのか?

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.すべてはわたしが在ることを思いださせる

2.編集後記
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■ 1.すべてはわたしが在ることを思いださせる
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今日は土曜日。

午前中からすっかり晴れ上がりました。

まだわが家の庭には雪が残っていますが、

おそらく今日中にはそれもすべて溶けるでしょうね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

もう習い性のようになっていて、

こうして土曜日になるとなんとなく書きはじめていますが、

別に人様のために役立とうというような

大層なことを考えているわけではありません。

そもそも、役に立つとか立たないとか言っても、

すべては夢のなかのお話にすぎないわけですし。

夢のなかで起こる事象に色々な意見や感想が湧いてくるものです。

それは、そういうことが起こるようになっているからです。

とくに身体が若いときには、そういう一つひとつの意見や感想に、

エネルギーが集束するような現象も起こりますが、

そういうことが起こらないこともあります。

そこで起こる個々の意見や感想は、

正しいとか正しくないということとは特に関係がありません。

どんな観点もすべて意識のなかの調度にすぎません。

すべての感想や見解は正しいと言えば正しいし、

と同時に、他の意見や見解を包括的できるものではないと言えば、
もちろん、それも当然のことです。

感想や意見は、もともと感想や意見にすぎません。

どの感想や意見も、現象世界の一部として、全体に貢献していると
いうだけのことです。

夢の一部が、夢の全体を包括できるわけではない。

ただ、それでも、意見や感想はわいてくるというだけです。

そのわいてくる感想や意見を、受け取る自分がいると思う間は、

その感想や意見を受け取ることが起こるでしょう。

しかし、その感想や意見はただ起こっているだけであり、

それを受け取る誰かが

実体として存在しているわけではないことがわかると、

自然にその感想や意見は消えていくかもしれません。

別に、その感想や意見に

責任のある誰かが存在しているわけでもないので、

放っておけば、その感想や意見はただ消えていくだけです。

感想や意見という意識の表現媒体そのものに

実際のエネルギーがあるわけではないので。

エネルギーはすべて、

観ている者の興味の方にあります。

お陰さまで、

自分を責めるというようなメンタリティだけは

いつの間にか消えているようです。

自分の手柄というようなものは何一つないのに、

自分の責任だけあるというのもおかしな話なので。(*^_^*)

といっても、

もちろん、解放されたとかそういうことではなく、

慣れ親しんだ観念が自然にわき起こっているだけです。

まあ、いろいろ嗅ぎ回って触れてきた観念群があって、

そういうような思考がわいてきます。

それとても、自分の努力の結果として、

そのような観念群が起こるようになったわけでもない。

そういうことが起こるべき肉体精神機構のなかで、

いまそういうことが起こっているというだけです。

pariパターンに何の独自性もないように、

この世界のなかにはいかなる独自性もありえないわけですから。

クリエイティブな仕事に熱中している“人”には、

当然、そのようなクリエイティブで、

上下動の激しい想念が起こっているというだけです。

トニー・パーソンズが言うように、

こういうことを観念的に理解しても仕方がないかもしれません。

しかし、それが何かの足しになるから

こういうことが起こっているわけではなく、

ただpariパターンという探求エネルギーが、

そういう理解にたどり着くエネルギーだったというだけです。

仕方がありません。

それが間違っていると言われたとしても、

それはそうなっているだけです。

現象世界がひとつの観念的な夢だというのは、

現象世界のなかに現れたひとつの観念であり意識内容です。

また、いわゆる“自分”の見解が、

“自分”という固有の実体が意図した結果、

“自分”が独自の見解として持つに至ったのだという信念も、

もちろん、世の中にありふれています。

どれも、正しくもなし、間違ってもいません。

世間的な意味では、もちろん、正しい見解はあるでしょうが。

しかし、それは単なる多数決も問題にすぎず、

多数決の結果が“自分”であるという見解にしか役立たない。

では、現象世界がひとつの観念的な夢だという見解が、

“自分”という固有の実体を信じる見解に対して、

何か言えることがあるかと言えば、

もちろん、そんなことはないわけです。

それも夢、またこれも夢、にすぎないことが自明なので。

また、トニー・パーソンズに保証されるまでもなく、

こういう観念を信じていることは、

いわゆるシフトとはまったく無縁のことです。

感覚の変化は何も起こっていない。

いわゆる“自分”の肉体の運命に対する関心が

消えているわけでもありません。

観念自体に対する興味が消失しきったわけでもありません。

ただ、できることは何もない、という観念だけは、

どうしようもなく強まってきているというだけです。

木村敏先生のhttp://goo.gl/hjixQs

という本を読んで知ったことですが、

pariパターンは、

どうやら分裂気質の分類に入るらしく

思考が過去への悔恨に向かうよりは、

未来への心配に流れる傾向が強いタイプのようです。

でも、こういう傾向を

自ら進んで選択した覚えなどまったく無いので、

これが遺伝子の傾向であることは間違いない。

また、そこに魂という別の観念をもちだすつもりもありません。

もし、pariパターンという現象が、

刺激に対する反応の履歴であるとするなら、

刺激についても反応についても、

pariパターンは単なるそれらの結果であり、

いかなる独立性を主張できる余地もありません。

ただ、結果として、pariパターンは

こういう想念を吸着しては、

そういう思いを味わわされているという観念をもつだけです。

pariパターンという固有の実体が

あるかのように見なす習慣的観念があるだけなのでしょう。

実際は、味わわせている実体もなければ、

味わわされている実体もいないわけです。

だから、マハラジのこの言葉は

pariパターンの現状(実力)からして、

確信をもって復唱できます。

──────────────────
 分離した個人というようなものは存在しないのだ。
 経験的見地から言っても、
 すべてがすべての原因であることは明らかだ。
 すべてはあるがままだ。
 なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。
 
 『私は在る』(p223)
──────────────────

> すべてはあるがままだ。
> なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。

このメッセージになんの違和感もありません。

と同時に、

マハラジの以下のメッセージの後半には、

忸怩たる思いが湧かないでもない。(^_-)

──────────────────
 「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」
 ということを思い出すことを覚えていなさい。
 すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
 体験するにはあなたがいなければならない
 ということを充分利用するがいい。
 関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
 しがみつかないこと、それだけだ。
 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、
 結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
 努力せずに在りなさい。
 
 『私は在る』(p259-260)
──────────────────

> 「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」
> ということを思い出すことを覚えていなさい。

このメッセージにはまったく違和感がありません。

しかし、あらゆる現象に直面して

即座にこの観念が現れるかとなったら、

まだここに、いくぶんの隙間があるかもしれません。

> すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。

ここでしょうね……。

> 体験するにはあなたがいなければならない
> ということを充分利用するがいい。

なるほど。

> 関心をもたないことが自由をもたらすのだ。

このメッセージは近づいてきてはいるけれど、

まだ実力になっていない。

> しがみつかないこと、それだけだ。

だから、ここがまだクリアできない。

> 世界は無数の輪(リング)でできている。
> それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。

はい。

> あなたの鉤をまっすぐにしなさい。

ですね。(*-_-*)

> そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。

わかりました。

> あなたの耽溺を放棄しなさい。
> ほかに何も放棄するものはない。

ここが問題になってきたのだけれど……。

> 常習的な利欲心、
> 結果を探し求める習慣を止めなさい。

(*-_-*)

> そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
> 努力せずに在りなさい。

わかりました。

pariパターンがどのあたりでウロウロしているか、

よくわかりました。

(-||-)

理解が深まるためのメッセージとして、

この言葉が役に立つかもしれない。

──────────────────
 マインドは時間と空間をつくり出し、
 自らの創造を実在と見なすのだ。
 すべては今ここに在る。
 だが、私たちはそれを見ない。
 本当は私のなかに、
 私によってすべてが在る。
 ほかには何もない。
 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。
 
 『私は在る』(p223)
──────────────────

> マインドは時間と空間をつくり出し、
> 自らの創造を実在と見なすのだ。

そうか……。

時間が観念による創造であるという理解には、

「自らの創造を実在と見なす」ことを

破壊できるパワーがあるのか。(-_-;)

> すべては今ここに在る。

たしかに、

時間が観念による虚構であるなら

間違いなく、

「すべては今ここに在る」……。

しかし、この観念の破壊力は強烈だな。

> だが、私たちはそれを見ない。

たしかに。

創造している物語のほうに執着するから。

> 本当は私のなかに、
> 私によってすべてが在る。

なるほど。

それしかありえないな。

> ほかには何もない。

(-_-)O

> 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。

(@_@) ⌒★?

そうか……。

(-||-)

──────────────────
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 
 『私は在る』(p421)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.編集後記:
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いまもまだ川合玉堂ふうの色合いのなかに

雨が降りつづけています。

あ、またやんできたかな。

これがいま夢のなかで起こっていること。

夢のなかの……あるがまま、あるがまま。

今日はこんなところで。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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