━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2016/12/04(第660号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。
現象がpariに起こっているかぎりpariの苦しみは避けられない。
pariとは誰か、そういう者は本当に存在しているのか?
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在869名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.ジェニファー・マシューズ再読
2.編集後記
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■ 1.ジェニファー・マシューズ再読
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今日は土曜日。
今は雲一つない青空。
とーっても天気がいいです。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、
楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、
お付き合いいただく今がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。
しばらく更新を中断されていた
「resonanz360」のヒロさんが、
このごろはときどき更新してくださって
ありがたいことです。(-||-)
(ところで【塩人間の海底探検】って、
なんとなく、なんなのかな?と思ってましたが、
考えてみると、とてもうがったサブタイトルみたい。(*^_^*) )
そのヒロさんが、少し前に
「オママゴト?」
https://resonanz360.com/2016/11/25/taku-san/
という記事を投稿されました。
その記事の最後に「changelog.biz」というブログへの
リンクがあります。
【いま、思い煩うのをやめてみる。
『ただそのままでいるための超簡約指南』】
http://changelog.biz/tadasonomama/
それでですね、この「changelog.biz」さんの
『ただそのままでいるための超簡約指南』からの
抽出部分がすばらしいんです。(@_@)
まるで、
初めて聞いた言葉が書かれているような
感じを受けました。
ヒロさんが訳されたジェニファー・マシューズの
『ただそのままでいるための超簡約指南』は、
わたしも読んでいるのですが、
(というか、ご紹介したことさえあるみたい。(*^_^*)
https://www.ascensionkan.com/mm/vol551.html#1 )
どうしても読み返したくなりました。
書棚から取り出してみると、
こんな薄い本にたくさん付箋が貼ってある。
本を読んでいて感心すると
ついつい付箋を貼ってしまうんです。
本屋の息子の性(さが)とでもいうのか、
あまり本に書き込みをしたくない質で
結局、付箋を貼ることになります。
ところが、付箋を貼ってある部分は、
あとで読み返してみても、
たいてい初めて読んだような気がします。(>_<)
つまり、ショックは大きかったんだけど、
その内容は吸収していなかったわけです。(*^_^*)
まあ、そんなもんなんでしょうね。
ところで今回読み直してみて、
いまさらですが、この
ジェニファー・マシューズの
『ただそのままでいるための超簡約指南』という本は、
ほんとに素晴らしい本ですね。
とくにわたしような哲学頭にとっては
【論理的公案】という意味で
まさに最適最高の部類の本でした。
ヒロさん、よくぞ訳してくださった。(-||-)
このジェニファー・マシューズという方は
哲学を本格的に勉強なさった方でとても論理的です。
ジェニファー・マシューズ本人が
どんなことをどんなふうに言っているかについては
これ以上簡約化できないほど短い本なので、
『ただそのままでいるための超簡約指南』
http://goo.gl/J6915P
に当たっていただきたいと思います。
また、この本に惚れ込んで
翻訳することを決めた訳者のヒロさんが
「訳者あとがき」のなかで
じつに見事にコメントされています。
興味をもたれた方はぜひ本を手に入れて
ご自分でお確かめいただきたいと思います。
ここでは、
わたしが今回再読して了解したことを
本文からの引用を交えてご紹介したいと思います。
ジェニファー・マシューズが言っているのは、
こういうことでした。
・わたしたちの本当の自己とは
今この瞬間の経験以外のなにものでもない。
・つまり、現に起こっている経験のほかに
どこかに「自分」というものがいるわけではない。
・ところが、
起こっている経験の内容として、
たとえば、
「もっと幸せになりたい」
というような思いが起こることもある。
・そういう場合、
わたしたちはたいてい、
現に起こっている経験
(たとえば、「もっと幸せになりたい」という想念)
の他に、
それを願っている「自分」というものが
どこかに存在するかのように空想してしまう。
(ジェニファー・マシューズは
こういう空想を定義するのに、
【疎外欲求】という
とてもおもしろい言葉を造語しています。
現に今ある経験以外のものを求めて、
現に今ある経験から空想上の“自分”を疎外する
というような意味なんでしょうか。
この言葉は、表現形態はまったく違うものの
ラメッシ・バルセカールが
【聖なる催眠】として表現した事態と
同じ事柄を指し示しているわけでしょうね。)
・「自分」とは
わたしたちの生涯をとおして活動しつづける
「自分運動」とも言うべき概念活動である。
・ところが実際は、この「自分運動」によって
現に起こっている経験以外のものを求めても、
分離感や不満感を経験する役にしか立たない。
・逆に、現に起こっている経験を変えようとして
物質的・精神的なものを追いかけることは、
現に起こっている経験に本質的に備わっている
神秘を見逃すことにつながる。
(この神秘の経験の象徴表現として
ジェニファー・マシューズは
「せつなさ」という言葉を使っています。
ヒロさんはどういう言葉をこの「せつなさ」という
すてきな日本語に訳出したんでしょうね。)
・しかし、
この生から何かを得ようとする動きはやめられる。
現状から抜け出したい、改善したいという
強迫観念は終わりにすることができる。(p18)
・今この瞬間の神秘に気づきながら、
その神秘にじかに触れることができる。(p18)
・そして、そのためには
今この瞬間の経験しか存在していないことを
哲学的に理解することがきわめて重要である。(p19)
・わたしたちは、
逃れようとしているまさにそのものを探し求め、
探し求めているまさにそのものから逃げている。
・空想は、現実の親密さから離れて、
一休みしよう、という実現不可能な試みで構成されている。
空想はたいてい、本当の親密さを遅らせること、
もしくは妨げることを本当の目的としている。(p46)
・生きるという経験がせつないのは、
それが「しがみつけないこと」で成り立っているからだ。(p47)
・自由は見つけ出さなければいけないものだと
わたしたちは考えている。
本当のところ、自由のほかには何も存在していない。(p47)
・すべての経験が目覚めの経験だ。
十分に注意深く見てみれば、
どんな経験も真実を示していることがわかる。(p66)
・経験には隠された要素などない。
解明されるべき神秘など、どこにもない。
そして神秘は今ここにあって、すべて明かされている。
経験の実存は経験の現れと同時に生じ、
それは経験の現れと同じものだ。
それが「ここにあるということ」だ。(p76-77)
・(実際は)経験をする必要はない。
あなたが経験だ。(p78-79)
・思い煩うのをやめた瞬間、
わたしたちは<気づき>としての自分の本質と
無条件に完全に完璧に一体になっている。
それが悟りだ。
しなければいけないことも、
ならなければならないものも、
本当に何もない。(p83)
こうやって、ただ羅列してしまうと
せっかくジェニファー・マシューズが
提供してくれているものが色あせて見えますが、
実際は、これ以上疑問を捻出することなど、
まったく不可能と思われるほど、
明確で、簡潔で、的確な叙述だと思います。
今ここで起こっている経験がそれそのもので、
それ以外の経験を求めようとするとき、
空想上の不幸と幸福を味わうことが起こる、
というだけのことです。
そしてそのときは、
今ここで起こっているその経験に浸透している
その神秘と自由が見逃されているのだと。
……。(-_-)
──────────────────
生の神秘に気づきたければ、
今の状況にないものは必要ないんだと理解すること、
そしてそれによって
自分の欲求の強迫衝動をかわすことが最も大切になる。
実現すべき、
今より素晴らしい感覚も境地も状態もありはしない。
制限の多い少ないにかかわらず、
そこから解き放たれなければならないような
感覚も、境地も、状態もない。
これがそれだ。
このせつなさは、
いつだってここにある。
それを経験する許可、
まさに今いる場所でそれと共にある許可を自分に出せばいい。
このせつなさに自分を差し出す許可も。
生の神秘に自分を差し出すこと、
それが自由だ。
『ただそのままでいるための超簡約指南』(p28-29)
──────────────────
(-||-)
> 生の神秘に気づきたければ、
> 今の状況にないものは必要ないんだと理解すること、
(;_;)
> そしてそれによって
> 自分の欲求の強迫衝動をかわすことが最も大切になる。
欲求の強迫衝動まみれになって……。
> 実現すべき、
> 今より素晴らしい感覚も境地も状態もありはしない。
今を避けることが
習い性になってしまっているんだよなぁ。
> これがそれだ。
今のこの瞬間がそれだ。
これしかないんだから。
> このせつなさは、
> いつだってここにある。
いつの瞬間にもそれはここにある。
> それを経験する許可、
> まさに今いる場所でそれと共にある許可を自分に出せばいい。
(*-_-*)
> このせつなさに自分を差し出す許可も。
そうか……。
> 生の神秘に自分を差し出すこと、
> それが自由だ。
子供のころ、朝目が醒めて
昨夜来の雨風の結果が気になって、
急いで顔を洗って外に出て、
呆然として台風一過の裏通りを眺めた
あのときのことが思い出される。
光景に飲み込まれて、
自分なんかどこにもいなかった……。
(-||-)
──────────────────
あなたは在る。
ほかのすべては現れにすぎない。
『私は在る』(p421)
──────────────────
(-||-)
──────────────────
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
──────────────────
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/
おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
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■ 2.編集後記:
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まったく、
何をか言わんや……という感じです。
そう言いながらも、
なおかつ何かを願ったりして、
今起こっている経験のせつなさを
見逃しつづけるのかもしれないとも思いつつ……。
(-||-)
今日はこんなところで。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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