home > 通信 >『アセンション館通信』第661号:静かにしなさい



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2016/12/11(第661号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人pariと称するあるパターンに
浮上している心象風景の報告です。

すべての体験は、わたしが在ることを思いださせる。

関心をもたないことが自由をもたらし、興味をもつことが束縛をも
たらす。しがみつかないことだ。(ニサルガダッタ)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在870名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.静かにしなさい

2.編集後記
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.静かにしなさい
━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日もまた雲一つない青空。

このところ晴天がつづきますね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、

楽しい“アセンション噺”ならぬ「私は在る」噺に、

お付き合いいただく今がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

こうして土曜日が来ると

なぜいつもこうしてコンピュータに向かって

いそいそとよしなしごとを書きはじめるのか、

と思わないでもありません。

配達されてくる思考に焦点を合わせれば、

いろいろな解釈がありえます。

なんのかんの言って、

やっぱり何か書きたいんじゃない。(^_-)

──それも本当かもしれません。(^^;)

単に癖になっているからでしょ。

──たしかに。(*-_-*)

いや、単にやめることができないんだと思う。

──いかにも、ありそうですね。(-_-)

エゴの維持戦略の術中にハマって、
次から次と別の想念に盥回しされているにすぎない。

──お恥ずかしい。(*-_-*)

解放を求めるきわめて強烈な欲望が、
まだあなたのなかに目覚めていないというだけだ。

──(*-_-*)

……。

ま、そういうわけで、

もっともな意見はいろいろあります。

どれも本当です。

そして、もちろん、どれも観念です。

存在してもいない観念のために

こうしてエネルギーが注がれていく。

これが人生なんでしょうか。

子供のときにはこんな複雑なことはなかったのですが、

その子供時代が現在のこの混乱につながっています。

人生には何か真実のようなものが

あるような気がしていたものです。

そしてほとんど一生とも言えるような時間なかで

いろいろな観念を求めてうろつきまわり、

こうして今ごろになって、

人生という物語は

記憶と空想で構成される観念のなかにしかない、

というような観念を理解するに至りました。

本当はそこで終わりでしょう。

後は何も願わずにただ静かになればいい。

それをこうして書きつづけるために、

拠り所のない状態をただ垂れ流すことになるのでしょう。

そういうふうになっているのでしょうか。


ただ、毎週こうして

マハラジの言葉をとりあげるとき、

単に自分が理解できるように思われる言葉を

選んでいたにすぎないこともわかってきました。

当たり前とも言えます。

つまり、エゴが窮地に陥る言葉ではなく、

無難で安全な言葉を選んでいたのかもしれません。

それもまた自然現象でしょうが。

たとえば、

マハラジのこのような言葉なら

耳は痛いけれども、

ある意味でとりあげるのは簡単です。

──────────────────
 あなたは過去と未来に関心をもちすぎている。
 それはみな、
 あなたの存在を継続させたい、
 自分自身を消滅から守りたい
 という切望から起こるのだ。
 あなたは継続することを求めるために、
 ほかの人たちに一緒にいてもらいたい。
 それゆえ彼らの存続に関心をもつのだ。
 しかし、
 あなたが呼ぶ存続とは、
 夢の存続にすぎない。
 それよりは死のほうが望ましい。
 そこには目覚めるチャンスがあるからだ。
 
 『私は在る』(p278)
──────────────────

このようなきわめて包括的で概念的な言葉は

安全に受け取ることができます。

この言葉を受け取ることによって、

危険に晒される者は誰もいないからです。

自分もそうだけれども、

人間は誰もがそうなので、

いかにも耳が痛い言葉ではあっても、

こういう言葉は安心してとりあげることができます。

ところが、たとえば、

こんな言葉だとどうでしょうか。

──────────────────
 質問者 私たちは非二元性の至福についての話を聞きました。
 
 マハラジ
 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は
 正当、非正当といった行為の結果だ。
 
 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?
 
 マハラジ
 違いは与えることと、
 つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
 
 質問者 もしゴールに違いがないのなら、
     なぜ多様な道に区別をもうけるのでしょうか?
 
 マハラジ
 各人がそれぞれの
 自然な本性にしたがって行動するがいい。
 いかなる場合であっても
 究極の目的に仕えることだろう。
 あなたの識別や分類はまったく正しい。
 だが私にとって、それらは存在しない。
 何の根拠がなくとも、
 夢の記述は詳細で正確かもしれない。
 同じように、
 あなたの区別分類もまた、
 憶測に合わせたものにほかならない。
 ある概念からはじめて、
 異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。
 
 『私は在る』(p122)
──────────────────

マハラジの言葉は超越的に客観的です。

だから事の良し悪しにあまり言及しません。

だから、

> 喜びと苦痛は
> 正当、非正当といった行為の結果だ。

という表現を聞いても、

すぐにはそれが何を叙述しているのかが響いてきません。

でもこれは明らかに、

行った行為のタイプによって

喜びと苦痛という感情が起こるという

事実に言及しているようです。

正当な行為からは喜びという結果が結び、

非正当化行為からは苦痛という結果が結ぶと。

> 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?

たしかに、これは聴きたくなります。

> マハラジ
> 違いは与えることと、
> つかみ取ることにある。

あ。

こういうことを言っていたようです。(-_-;)

> どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。

この突き放した表現……。

おそらく聞く人によって好みの分かれるところです。

> 質問者 もしゴールに違いがないのなら、
>     なぜ多様な道に区別をもうけるのでしょうか?

これは人間としては、言いたくなります。

> マハラジ
> 各人がそれぞれの
> 自然な本性にしたがって行動するがいい。

ほう。

> いかなる場合であっても
> 究極の目的に仕えることだろう。

あ。(>_<)

そういう意味だったのですね。

与える者は与えることによって

顕現世界(人生)に奉仕し、

奪う者は奪うことによって、

顕現世界(人生)に奉仕していると。

> あなたの識別や分類はまったく正しい。
> だが私にとって、それらは存在しない。

これがマハラジです。

> 何の根拠がなくとも、
> 夢の記述は詳細で正確かもしれない。

たしかに。

> 同じように、
> あなたの区別分類もまた、
> 憶測に合わせたものにほかならない。

いかにも。

> ある概念からはじめて、
> 異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。

わかりました。m(_ _)m

(-||-)

──────────────────
 質問者 それでも、あなたは動と不動の区別をつけています。
 
 マハラジ
 無区別は沈黙のなかで語る。
 言葉は区別をともなうからだ。
 非顕現は名前をもたない。
 すべての名前は顕現に属するからだ。
 言葉を超えた何かを表現するために、
 言葉で争うのは無意味なことだ。
 意識は魂であり、
 意識は物質でもある。
 不完全な魂が物質で、
 完全な物質が魂なのだ。
 はじまりがそうであるように、
 終わりもまたそうなのだ。
 すべてはひとつだ。
 
 『私は在る』(p122-123)
──────────────────

> 無区別は沈黙のなかで語る。

たとえば、この言葉だけでは

気楽にわかったふりはできません。

> 言葉は区別をともなうからだ。

でも、こういう論理的解説があれば、

ある意味でわかったような気にもなります。

> 非顕現は名前をもたない。

これもきっと、同じことでしょうね。

> すべての名前は顕現に属するからだ。

たしかに。

> 言葉を超えた何かを表現するために、
> 言葉で争うのは無意味なことだ。

こういう言葉が

どれほど深く浸透しているかということなんでしょうね。

言葉の定義として理解したとしても

ほとんど意味はないのだと思います。

> 意識は魂であり、
> 意識は物質でもある。

そうなんだ。

> 不完全な魂が物質で、
> 完全な物質が魂なのだ。

へえ。

> はじまりがそうであるように、
> 終わりもまたそうなのだ。

(-_-)?

> すべてはひとつだ。

どうやら、マハラジはここで、

「すべてはひとつだ」ということを説明していたようです。

だから区別立てには何の意味もないのだと。

──────────────────
 すべての分割はマインドのなかにあり、
 実在のなかに分割はない。
 運動と休息はマインドの状態であり、
 互いに対極なしには存在できないのだ。
 それ自体では、
 何も動かず、何も休息しない。
 絶対的存在を
 精神的構造に帰属させることは悲惨な過ちだ。
 それ自体では、
 何ひとつ存在しないのだ。
 
 質問者 あなたは休息を至高の状態と同一化しているようですが。
 
 マハラジ
 マインドの状態としての休息があり、
 存在の状態としての休息がある。
 前者は来ては去っていく。
 一方、
 真の休息は行為の本質そのものだ。
 あいにく、
 言語は精神的道具であるため、
 対立のなかでしか使うことができない。
 
 質問者 観照者としてのあなたは働いているのでしょうか、
     休息しているのでしょうか?
 
 マハラジ
 観照は体験であり、休息は体験からの自由だ。
 
 質問者 大海のなかで、波のざわめきが
     深海の静けさと共存するように、
     それらは共存できないのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドを超えたところに体験はない。
 体験とは二元的状態だ。
 実在をひとつの体験として語ることはできないのだ。
 ひとたびこれが理解されたならば、
 あなたはもはや在ることと成ることを分離し、
 対立したものとして追い求めたりはしないだろう。
 実際には、
 同じ木の根と枝のように、
 それらはひとつであり分割不可能だからだ。
 そのどちらも意識の光のなかにのみ存在することができ、
 どちらも「私は在る」という感覚のなかに立ち現れる。
 これが基本的な事実であり、
 もしこれを逃したならば、すべてを逃すことになる。
 
 『私は在る』(p122-123)
──────────────────

> すべての分割はマインドのなかにあり、
> 実在のなかに分割はない。

言葉としてはわかりますよね。

> 運動と休息はマインドの状態であり、
> 互いに対極なしには存在できないのだ。

運動が休息なしには存在できないように、

休息もまた運動なしには存在できるわけではない、と。

> それ自体では、
> 何も動かず、何も休息しない。

現象するものは何ひとつ、

それ自体で存在しているわけではない。

> 絶対的存在を
> 精神的構造に帰属させることは悲惨な過ちだ。

言葉にしようとすること自体、

まったくバカげたことだ、ということでしょうか。

> それ自体では、
> 何ひとつ存在しないのだ。

そうか。(-_-)

> 質問者 あなたは休息を至高の状態と同一化しているようですが。

わたしも

休息と至高の状態は似たようなものかと思っていました。

> マハラジ
> マインドの状態としての休息があり、
> 存在の状態としての休息がある。

ほう。(@_@)

> 前者は来ては去っていく。
> 一方、
> 真の休息は行為の本質そのものだ。

なんと。

> あいにく、
> 言語は精神的道具であるため、
> 対立のなかでしか使うことができない。

はい、それはわかるのですが。

> 質問者 観照者としてのあなたは働いているのでしょうか、
>     休息しているのでしょうか?

たしかに、それは聞いてみたい。

> マハラジ
> 観照は体験であり、休息は体験からの自由だ。

なるほど。

観照もまた体験だと。

そして休息とは体験から解放されていることだと。

体験を問題にしているわけではない、ということでしょうか。

> 質問者 大海のなかで、波のざわめきが
>     深海の静けさと共存するように、
>     それらは共存できないのでしょうか?

このイメージでは、

海面の波のざわめき(という体験)と、

深海の静けさ(という体験)は連続しているようでもあります。

> マハラジ
> マインドを超えたところに体験はない。

はい。

概念としては理解できます。

> 体験とは二元的状態だ。

なるほど。

> 実在をひとつの体験として語ることはできないのだ。

それは(たとえば、静けさという)体験として語ることはできない。

> ひとたびこれが理解されたならば、
> あなたはもはや在ることと成ることを分離し、
> 対立したものとして追い求めたりはしないだろう。

(-_-) ⌒★?

マインドの状態としての休息と

存在の状態としての休息は違うことがわかれば、

外的世界での活発な活動と、

内面の静寂に戻ることを

分離して対立したものとして追い求めたりはしない。

> 実際には、
> 同じ木の根と枝のように、
> それらはひとつであり分割不可能だからだ。

同じ木の根と枝のように、

それらはひとつであり分割不可能……。

> そのどちらも意識の光のなかにのみ存在することができ、
> どちらも「私は在る」という感覚のなかに立ち現れる。

どちらも意識の状態だと。

> これが基本的な事実であり、
> もしこれを逃したならば、すべてを逃すことになる。

ふーむ。

(-||-)

──────────────────
 静かにしなさい。
 揺らいではならない。
 そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。
 それを熱望することはない。
 マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。
 静かにすることはとてもやさしいことだ。
 ただ、進んでそうしようとする意志がまれなのだ。
 あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。
 野望なしに在りなさい。
 わずかな欲望もなしに、
 露(あらわ)になり、壊れやすく、
 無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在リ、
 すべてがあなたの物質的、
 あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった
 利己的な確信をもつことなく、
 起こるがまま人生を受け入れなさい。
 
 『私は在る』(p512)
──────────────────

> 静かにしなさい。
> 揺らいではならない。

(;_;)

> そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。
> それを熱望することはない。
> マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。

(-_-)

> 静かにすることはとてもやさしいことだ。
> ただ、進んでそうしようとする意志がまれなのだ。

(-_-;)

> あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。
> 野望なしに在りなさい。

(*-_-*)

> わずかな欲望もなしに、
> 露(あらわ)になり、壊れやすく、
> 無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在リ、
> すべてがあなたの物質的、
> あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった
> 利己的な確信をもつことなく、
> 起こるがまま人生を受け入れなさい。

(*-_-*)

(-||-)

──────────────────
 もしあなたがただ静かにするように試みるならば
 ――仕事、仕事のための能力、正しい動機、
 すべてはやってくるだろう。
 すべて、
 前もってあなたが知っていなければならないのかね?
 未来のことを心配してはならない。
 今、静かでありなさい。
 そうすれば、
 すべては正しい場所に収まるだろう。
 予期しなかったことが、かならず起こるだろう。
 期待して待っていたことは、
 けっして起こらないかもしれないのだ。
 
 『私は在る』(p267)
──────────────────

(-||-)

──────────────────
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
 
 『あるがままに』(p58) 
──────────────────

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセンション館通信』への
「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.編集後記:
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回は、とても難渋しました。

書く必要の必然性もまったく無いのに、

こうして書いているからかもしれません。

これからどうなっていくのか

もちろん、まったくわかりません。

今日はこんなところで。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2015 paritosho
------------------------------------------------------------